本編7「誘惑、用心する夜のこと」
客室へと連れられた大樹は、部屋の中に入った途端、激しい違和感に襲われる。それを具体的に表すならば、嫌な香り香水が、この客室だけにばら撒かれているようだ。幸いにもその嫌な臭気以外に特に体の変化がないが、それはきっと彼の毒を無効化する効果によるものだろう。
「さあ御掛けになって」
勝手知ったる自分の家から持ち出したのか、いつの間にか客室のテーブルには木製のグラスと、同じく強い香りの酒がビン一杯に入っている。
「じゃあ遠慮なく」
イスへ座った大樹にすかさず渡されたグラスには並々と注がれた異国の酒。
しかし相手は村長の娘。その繊細そうな指は、他の村娘のように力仕事をしていないようで、そんなものを体に絡められたら男は断ることなどできない。
ましてや大樹はここ最近所謂ご無沙汰で。女っ気よりも身に迫る危機。色恋沙汰より刃物沙汰。とどめに絶賛異世界で神様と出会ったのだ。女の体に触れる事はあったっても、それをどうこう思って一日過ごすほどの暇はなかったのだ。
「ッグハ!?この酒強いですね?」
「この土地の地酒なんです。どうですか?体の芯がジ~ンってなるでしょ?」
そう言って、リンダも大樹と同じ酒をグラスに注ぐと、それを一気に飲み干した。
「ふ~。やっぱりジ~ンときますね……」
「お酒強いんですね」
「そんなことありません。もうクラクラしてきましたわ」
「クラクラって……え?」
そういったリンダはおもむろに大樹もたれかかると、そのまま大樹の顔に急接近する。
「私、一目見て思いましたの。貴方だって。あなたのその強いまなざし、聡明さ、そして女性を命がけで守るその気高さ。私もう自分の気持ちが抑えられません……!」
「ちょっといきなり何を?」
「無粋なことを聞かないでくださいまし」
そして潤んだ眼は見開いたまま、大樹の唇に吸い寄せられるように、彼女の唇は重なった。
これがキスというものだというこに、大樹はしばらく気づかないでいた。
そして気づく前に彼が感じたもの。それはリンダの唇の柔らかさや、その体の温もりではないかった。
大樹が感じたもの。それは強烈な苦みである。きついハッカの香りに、下手くそが料理した鍋に焦げついた炭、それを混ぜ込んで3週間煮込んだような、えも言われぬ冒涜的な味と臭いが、大樹の鼻と口内を一気に支配したのだ。
「ニッガァッ!!?」
大樹はあまりの臭いと味に、思わず身震いすると、そのままリンダを押しのけて飛び上がった。強化された大樹の体が行う、全力の跳躍は、周りの家具を巻き飲んだ盛大なものになり、いくつかの調度品を粉砕しながら、大樹は応接室の扉を突き破った。
「大丈夫ですか!?」
予想外の反応に、リンダも目を丸くしている。もうその現場は明らかに情事の雰
囲気ではない。そのどちらかと言えば喜劇的で、大樹としては悲劇的な出来事に、お互い何を言っていいのかわからなくなり、大樹は思わず適当な言い訳を小声でいくつか呟くと、そのまま踵を返して逃げ出した。
「……もう、あれだけやったのに。なんで効かないの?」
更にもうしばらくしてから、リンダはその声を上げると欲求不満のうなり声をあげて、屋敷の暗闇へと溶けて行った。
その後の大樹の反応は後悔と何とも言えないばつの悪さから、屋敷を抜け出しては、その屋敷外の暗闇に隠れて声もなく呻いていた。
「何なんだあの味は!!初キスが生ごみ以下の臭い、反吐以下の味!クソ最悪だ!」
あのような直接的で官能的な誘惑は受けたことがなく、しかもそれを馬鹿みたいな理由で逃したとあっては、このままでは後悔どころではない。
更に相手は村長の娘。このまま彼女が恥をかいたと怒り狂えば、あの温厚そうな村長まで敵にまわりかねない。
「そもそもこの世界の女が全部あんな感じだったらどうしよう……俺の人生真っ暗だよな……」
今までなるべく考えないようにしていた疑問を、大樹はついに口に出してしてしまう。
ここは異世界である。今まで出会って来た人々は、曲りなりにも大樹の知っている人間の形をしていたが、服に隠れた部分や習慣などを知ってはいない。
もしかしたらこの世界の人間には自分にだけ苦く感じる成分が、口から分泌されていてもおかしくはない。すべての可能性が、この場所では存在しえる。エルフの美少女が彼の命を救ったのだ。自称神に奇跡のような力を渡されたのだ。ほかに何があっても不思議ではない。
「かといってちょっと口の中を味見させてくれ。なんて言ったらネーアがどんな目で俺を見るか。エルにそんなことを言ったら引っ叩かれれるだろうな」
段々と落ち着いてきた大樹は、口をゆすぎたくなってきた。思えばそんなはずはない。エルと唇が当たった時は、このような臭いなどしなかった。彼女の甘い香りを大樹は思い出す事が出来た。
「やっぱりおかしい。あれは何かの間違いだったんだ。そう、間違えだ」
大樹は立ち上がると、自分のほうを叩く。
「そう、あれは何かの間違いだ。そうに違いない!」
「間違い。何かあなたは間違いをしでかしたのですか?」
闇夜に向かって大樹がそうつぶやき返すと、なんと闇夜は大樹の独り言に答えた。
「だっ誰だ!?」
闇を自分が見ているとき、闇もまた自分を見るというがこうも直接的に話しかけられては驚きしかない。
「まって、私です」
その声はどこかで聞いたことのある声で、ごく最近聞いた女性の声だ。
その声の主は暗闇から出てくると、不思議そうに大樹を見つめた。
「リンダさん!?いや、あのこれは……!」
暗闇から大樹の目の前に現れたのは、先程一悶着あったリンダその人。彼女は怒った素振りもその場で泣く様子もなく、ただ大樹を見つめている。
「リンダ?ああ、リンダじゃないわ私はマキナ。マ・キ・ナ!」
「リンダじゃない?」
「私をリンダと間違えるだなんて。私は気にしないけど、彼女は怒るぞ?」
女性的な印象の強いリンダに比べて、目の前の女性はどこか男性的で、夕闇で目を凝らせばその体は武具を身に着けている。
「マキナさんか。いや似てるんだな。姉妹かなにかなのか?」
「あなたそれもここじゃタブーよ。ってよく見ればあなたネーアを守った神殿騎士さんじゃない。よそ者の貴方なら間違えるのも無理はないわ」
「よそ者ね。まあそうだ。俺はエレオノーラ様に神殿騎士の命を受けた、前寺大樹とう者だ」
一応自己紹介するが、この状況に大樹は釈然としない。
「ご丁寧にどうも。ここは暗いし鍛錬所に行かないか?そこならば静かに話ができる」
そういってマキナは大樹を誘う。ただその姿にはリンダの様な甘い誘惑の雰囲気はなく、ただ単純に話がしてみたいだけらしい。
「ああ、色々俺も聞きたい音があるんだ。有意義な情報交換と行こうじゃないか」
「なら話は決まりだ。ついてきてくれ」
そういって大樹はマキナの後をついていく。
彼女は何の明かりもない暗闇を歩いていく。それに大樹はついていくしかないが、暗闇の中を歩くのははっきり言って容易ではない。
「そういえばマキナはあんな所で何をしてたんだ?」
暗闇を無言で歩くのは少し気味が悪かったので、大樹はとにかく会話をすることにした。暗闇か恐ろしい幽霊が襲ってくるとは思っていなかったが、いつ奇襲をかけられるかとつい考えてしまうのだ。
「おいおい、お前はそれを聞きたいのは私だぞ。あそこは…………あそこは女性用のトイレだ」
少しだけ戸惑いながらマキナはそういう。
「な!?それは知らなかった。すまない失礼しました」
「まあ知らないんだから責めはしないよ。まあその様子だと神殿騎士様は、女性の用便姿を見て発情する様な変態でないらしいし。こちらとしても安心だ」
「いやそんなことは誓ってないぞ!」
「解ってるよ。私も一応女なんだ。夜中に人気のない場所で、信用のできない人間と二人きりになんてなろうとは思わない」
最低限の信用はあるようで、ほっとしながら大樹はいつの間にか目的地についていた。その場所は小さな扉がついた洞窟で、その中には仄かだが明かりが漏れてる。
「さあ入ってくれ」
マキナが扉を開けると、洞窟の中は自然な明かりに包まれていた。その明かりは大樹が元の世界で見た蛍光灯の光に似ていて、その光は洞窟の石ころの中から発せられているようで、洞窟内に敷かれた滑らかな木の板もあいまって、洞窟というよりは体育館のようである。
「この村の自慢のひとつ、青色発光洞窟だ。どうだ?こんな輝きを見たことがあるか?」
「あ、ああ。なんだか懐かしいよ」
大樹はそう言って辺りを見渡す。洞窟のあちらこちらには様々な武具が置かれており、そのすべてがいい具合に使い込まれている。
そしてこの洞窟の中に置かれた小さなイスを、マキナが投げてよこす。小さくとも椅子は椅子であり、そう安々と投げることのできるものではないが、マキナはなれた風に大樹に椅子を投げつける。
「すまない!つい。怪我はないか?」
「大丈夫だ。それにしてもすごい所だな。えーと、こっちには椅子を投げてよこす週刊でもあるのか?」
「嫌味で言ってるわけじゃないならお前はだいぶ世間知らずだな。この場所は傭兵団を始め、戦いの為の鍛錬を行う場所だ。私の遠い祖先がこれを発見してから、代々の戦士たちは皆ここで汗を流してきたんだ」
そういってまるで確かめるように洞窟の壁を撫でるマキナには何か言い難い雰囲気がある。戦乙女と3文字が大樹の脳内を駆け巡るが、この村には女性が戦闘に参加する程、兵士不足ではないようだ。
「女のお前が何でこんなところで何をしてるんだって思っただろ?」
大樹の気持ちを感じ取ったのか、マキナそういうと、壁に立てかけてあった木剣を掴む。そして大樹にも同型のそれをもう一つ投げると、少しだけ距離を取った。
「おいおい、まさか戦えってのか?」
「そのまさか。教戒師団の魔法騎士を倒したんだろ?小娘の剣戟ぐらい軽く受け流してくれ!!」
言うが早いかマキナは構えた木剣を振りかざすと、姿勢を低くしながら大樹に向かってくる。
「待ってって!」
そういってもマキナは止まらない。そのまま風を切りながら進むその姿は野生の獣の様で、同じく風音を立てて振り下ろされる一撃は、木剣であるとしても十分な威力を持っている。
思わず大樹はその剣を広報に下がって避けると、通常では無理な体制から、体を捻りつつ、右手を地面についてマキナに足払いをかける。
これはカポエラか、または躰道と呼ばれる武術の技であったが、咄嗟に繰り出した大樹には知る由もない。
「速いな!?」
しかしマキナも大樹の速さを目で追っている。その身のこなしは、剣での戦いに慣れていない大樹とは明らかに違う。その無駄のない動きで足払いを避けたマキナは、そのまま木剣を大きく一周回転させて刃の向きを変えると、体重を入れた一撃が体の自由がきかないはずの空中から降りだされる。
「必殺必中!」
掛け声共に繰り出されるマキナに大樹は動くことができなかった。
それは寸止めされるまで、思わず死を覚悟する程の一撃である。直後空気が硬直したかのような静けさとともに、木剣が抱きの眼前で静止する。
「大丈夫か?いきなり悪かったな。どうしても戦ってみたかったんだ」
剣を下して手を差し伸べるマキナには、先程の鬼気迫る殺気は無かったが、それでも先程のスピード感のある殺意の余韻が、大樹の心拍数を上げる。
「凄いな。身体強化した動きに追い付いてくるなんて」
「いや、これは戦術的な先読みの一種だ。全部はさすがに無理さ。でもビックリしたよ。やっぱり魔法がつかえるんだな」
「魔法というか、神様の加護に近いんだが、一応これのお蔭で今も生きてるよ」
大樹に今度は修練所奥にある休憩用の椅子に座るように言うと、籠一杯のパンとチーズ、そして真っ赤なハムを抱えて戻ってきた。
「さて、ご飯にしようか。ダイキもあの状況じゃ会議でご飯食べてられなかっただろ?」
「ああ、助かるよ。丁度お腹が空いてきたところなんだ」
先程までの緊張した状況の連続で、空腹など覚えるどころではなかったが、今やっと一息ついたことによって、大樹の胃袋は再び悲しい悲鳴を上げた。それは昼間の火炎放射の後ほどではなかったが、目の前の食事は輝いて見えた。
「まあ料理と言えるほどの物じゃないが、この村自慢の三品。ドローネの所の麦パン、ゴーチス一家の山羊チーズ、スバースばーさんの熟成ハムだ。どれもここでしか食べれない一級品。戦士だけが食べれるものだ」
マキナはハムとチーズをナイフで適当な大きさに切り分けると、パンに切り身を入れて即席のサンドウィッチを作り、うれしそうにかぶりつく。
「いただきます」
大樹も同じくパンの間にハムとチーズをはさみ噛み千切る。
「どうだうまいだろ?」
「うまい。山羊のチーズなんて初めて食べたけど、こんなに濃厚なんだな」
日本で流通している牛のチーズとはまた違った、少々癖があるが濃厚なチーズに、何の肉かは知れないが、このハムがあう。
「そう言えば魔法騎士相手には剣を使ったんだったな。何でも火炎魔法だとか」
「そうそう、はじめて握る剣で騎馬の兵隊相手なんか無理無理」
「そうか。魔法が使えるのは羨ましいな」
今まで見てきた感じからも、魔法は万人が使えるわけではないらしい。
「まあ俺も最近覚えたからまだ調節がきかなくてな」
「へ~。じゃあ一回やってみてくれよ」
今の話を聞いていたのか。そう大樹は聞きたくなったが、好奇心に輝いた目で見られると弱い。特に目の前にいるのは、リンダそっくりの美女である。その顔には訓練で着いたのか、まだ新しい傷が何か所かあったが、それでもマキナは元の世界の町で見かけたら、思わず振り返る類の人間だ。
「じゃあちょっとだけ。洞窟を丸焼けにしないように頑張るよ」
そういって大樹は火炎魔法をイメージする。実際どの程度調節できるのかは大樹にもわからなかったが、自然と暴走する気はしなかった。
しかし大樹は自分で出す瞬間まで忘れていた。大樹の魔法は火炎魔法ではない。人間火炎放射機になる魔法なのだ。ダイキの体内で生成されたケミカルな油を食品に吐きかけたならば、十中八九食べれはしないだろう。
「うぇっほん。間違った。失敗だ。無理無理。やっぱりできないみたいだ」
「え~。勿体ぶるなよ~」
不満そうにマキナは大樹を責める。そうしていると、まるで十年来の友人の様である。
「いや、今思い出したんだ。この魔法口から出るんだ。口から吐きかけた炎で料理ってなんだか気持ち悪いだろ?」
「ん?まあそうだが……」
そういって口を開いて見せると、マキナも渋々納得する。
「そんなことより何でお前がそんなに強いのか。リンダと顔が似てるのか教えてくれよ。他に聞いたら冗談じゃすまないかもしれないんだろ?」
「ああ、その話をしに来たんだったな」
マキナは水を一気に飲み干すと、ゆっくりと話し始めた。それは、彼女の祖父母の世代から連なる、村の歴史だった。




