通夜にて
それは不思議な響きだった。いや、そもそも響きですらなかったかもしれない。少年の母が重々しく口にした友人の凶報は音として少年の耳に伝わったが、意味としては霧散したのだ。つまり少年は、昨日当たり前のように挨拶を交わした友人の死が信じられなかったのである。もっとも、ある個人の死という結末に他者の感情など全く意味を成さない。少年が信じようと信じまいと、その友人の死は変えようのない事実だった。
翌日、亡くなった友人から一昨日預かった一枚の紙切れをポケットに入れて、少年は友人の家に向かった。友人の家は山の麓にある。早秋の趣を感じさせる紅葉の絨毯が、切るような風によって寂しく舞う細い公道を歩く最中、少年の母が彼の小さな手を痛いくらいに強く握った。
何故か分からない。だが母に手を握られたその時、少年の胸に言いようのない悪寒が込み上がった。そしてその悪寒は、友人の家の前にひしめく人々の喪服を見た瞬間体を突き刺す不安に変わった。 喪服の示す意味はピンと来ない。しかし友人という一人の人間の元へ集まるその大量の黒々が、とてつもなく不気味なものに感じられたのだ。
母親に手を引かれるまま少年は参列した。目の前に立つ大人の背に視界が遮られ、どれだけの人数が並んでいるか分からない。自分の前に立つ人々が早く居なくなってほしいような、このままじっとしていてほしいような、相反する感情が胸の中で分かち切れないもやもやになる。
そんな少年の心境を時は汲んでくれない。少しずつ少しずつ前進していく。前にも後ろにも人が居て、抗うことの出来ないその波に押されながら少年は、ついに畳に敷かれた白い布団の上で横たわる友人の骸と対面した。
とある公園の遊具で縊死した友人に、布団に横たわる骸の首筋には痛々しく刻まれた索痕があった。だが外傷はそれのみである。表情はとても安らかで、今にも起き出してきそうという言葉がしっくりきた。
少年は二、三度ほど素早く瞬いた。目の前の骸が一体何であるのかが彼には理解できない。安らかな顔で横たわる友人のどこに死というものが存在するのだろうか。分からず、彼はただ絶句していた。
勿論少年も死と言う概念は知っている。ニュースで放送される殺人事件に心を痛めたりもする。けれどもそれは実感ではなく、それが自分にも等しくあるのだとあると知りつつも遠い位置から他人事のように眺めている傍観に過ぎないのだ。
少年の隣に座っている友人の父が話しかけてきたが彼の耳には入らない。彼は友人の亡骸をぼんやりと眺め続け、それから亡骸の傍に置かれてあった友人の持物に目を向けた。
キャラクターがプリントされた筆箱、携帯ゲーム機、貯金箱。
次々視線を移していた少年の瞳が不意に止まった。彼の視界に写っている物は児童向けのファンタジー小説。だが彼が本当に見ているのは本ではなく、そこに挟まれている栞。ファンタジー小説の丁度真ん中辺りに挟まれているその栞を見た時、彼の目から自然に涙が溢れだした。
それは少年にとっての死だった。挟まれている栞が動くことはもうないのだと、友人にはその先が読めないのだと、そう感じた心が少年にとっての実感だった。
溢れだした涙はしばらく止まらなかった。友人の父が、友達がこんなに悲しんでくれるなんて良かったなぁ、と遺体に向かって言葉にする。けれどもそれが友人の慰めになるとは、少年には思えなかった。
それから十数年が経った。
少年、いや青年の机の引き出しには生前友人から預かった一枚の紙切れが収められている。友人の通夜に行く際ポケットに入れていたその紙切れに記されているのは愛の告白。もっともそれは、クラスメートだったとある女子に渡すよう頼まれたものである。
青年はその紙切れを女子に渡せなかった。友人の死後に渡すことが躊躇われたし、それを渡すと友人の全てが消えてしまうような、死んでしまうような気がしたからだ。
一体何をもって死と言うのだろう。青年は小説のページを捲りながら、ふと考える。心臓が止まっている事なのか、魂が消滅する事なのか。
友人の通夜の時に感じた実感は薄れつつある。或いはその実感が薄れていくことこそが死かもしれないと、そんな風に思うのだった。
文学、とは言えないかもしれませんが他のジャンルが
しっくりこなかったので文学にしました。
読んで頂いた方には感謝を。