二十五 再戦
昼休みの終了五分前の予鈴が鳴る。
屋上のスピーカーから電子音の鐘が鳴る中、空色が「戻らなきゃ」と呟き、弁当箱をしまった袋を抱え歩き出す。
スタスタと歩く空色の背中に、御裏が手を振って声を掛ける。
「あ、あのなヒリン……俺、嫌っている訳じゃないからさ……今日も一緒に帰ろうぜ」
空色は黙って頷く。
「よしっ。それじゃ、早く出た方が門の辺りで待ってような」
空色は気持ち振り返り「うん」と小さく言う。
一度途切れた鐘の音が鳴り、さらにもう一度、もう一度、繰り返し鳴る。
途切れ途切れになり続ける鐘の音。
変だなと。そう思ってスピーカーのある方角を見た空色は、視界に入ったものを見て、思わず弁当袋を落とした。
癖のある茶色の髪が炎のように揺れ、スカートを翻し、長い両足をそろえて曲げた御裏が、フェンスを越えてジャンプしていた。
まさか飛び越えてしまえと言った嫌味を、そのまま有言実行する程のバカだとは、さすがの空色も本気で思っていなかった。
「なんで!!!」
やはり本物は違う。
迫力も存在感も圧倒的だ。
どんな事でも極めれば、人間は輝いて見えるものだ。
いやいや、それはありえない。
じゃあ夢か幻か。
これは現実だ。
走馬灯のように頭の中で何度も考えを巡らす空色の耳に、御裏の大声が響く。
「下だ、グラウンド!」
空中で両手に大降りの刃を持つ武器を作り出した御裏が、重力に任せて落下し姿を消した。
「っ……」
軽い頭痛を覚え、空色は額を押さえた。
現れたのだ、再び異変が。
グラウンドから御裏のハスキーボイスが聞こえた。
「名前はあるのか……いや、忘れたんじゃないって、俺の戦闘前の挨拶だ! ていうか、またお前か!」
御裏の叫び声と共に、何かが破裂する音が聞こえ、グラウンドが明るく輝いた。
空色は弁当袋を拾い上げ、階段を駆け下りる。
途中で二階の窓からグラウンドを覗く。
土煙が舞う中、炎を纏った姿の敵が御裏の猛攻撃を受けていた。
「この力は、あの日、命が倒したはずの……」
最初に御裏と会った日、倒したか逃がしたかどちらか不明なような台詞を吐いていた敵だ。
逃げ延びたアジタケーシャカンバラが再び現れたのだ。
御裏のように屋上から飛び降りる離れ業のできない空色が、必死に階段を駆け下り、ようやく校舎の入り口に辿り着いた。
グラウンドには炎が渦巻き、校庭全体が燃えさかる。
一面に赤いカーテンが敷かれて揺れるようだった。
太陽のように燃えるグランドから、黒煙がもうもうと立ち込める。
離れていても熱気が頬を打ち、のたうつ炎は眩しく、戦う二人の姿は見えない。
眩しい炎の中から、御裏が生成した自動車くらいの大きさはある、巨大な金属質の手が生える。
手の甲に刻まれた殺という漢字。
広げた指を握り締め、熱気で艶やかに光る拳を形作る。
「くらえ! 圧殺パーンチ!」
掛け声と共に振り下ろされた拳を、業炎の中へ打つ。
拳が打ち据えた箇所より、青白い火柱が立ち上る。
炎の中より、続けて幾つも幾つもの拳が生み出された。
「パーンチ、パーンチ、パーンチ!」
敵のいる辺りに大よその目安で、雪崩のような拳の攻撃が降り注ぐ。
端から見て、御裏の攻撃は相変わらず、気持ちいいくらい遠慮が無かった。
拳が地面を打ち、校舎が振動で揺れる。
敵の反撃により、噴水のような炎が垂直に噴出。
拳が水のように溶けて蒸発。
噴出した炎は、戦闘中の二人の上空までも溶かした。
溶解した拳が空中で固まり、雪のような粉末と化して風に舞う。
熱により溶けた空が、ゆっくりと流れ色を薄める。
ジリジリと大地を焼き、全てを灰に帰す妖光を前に、空色の足は無意識に後ろに下がる。
動悸がおかしかった。走ったからでも、熱気のせいでもない
生物として、言いようのない恐怖を覚える光景に、呼吸が浅く早くなり息苦しく、鼓動が激しく浪打つ。
人が足を踏み入れて許される戦いではありえなかった。
攻撃音が止み残響の中、御裏の言葉が聞こえた。
「やるな、前より手ごたえあるじゃん」
答えるように白く輝く炎が集まり長い生物を形どる。
竜巻のような胴体を持つ大蛇かと、御裏は思った。
牙の並ぶ口、小さな前足に生えた鎌のような爪、力強さを感じさせる体型。全身より陽炎が立つ蛇よりも戦闘的な生物。
空想上の生物――火竜が長い胴体をくねらせ立ち上がる。
御裏の立っている場所を取り囲むようにとぐろを巻き、凶悪さを感じさせる顎の発達した口を開き吼えた。
火竜の出現により、グラウンドの炎が激しさを増す。
空色は顔を引きつらせ、戦場の手前で立ち止まる。
前回はいやおうなしに巻き込まれた。
だが今回は違う、自分から戦闘に踏み込もうとしていた。その一歩がどうしても出せない。
強がりで口は悪いし、性格も攻撃的だと自覚している。それでも、昨日までは高校生の女の子で、それとなくごく普通に暮らしていた。
それが、地上から一気にエレベーターで高層ビルの屋上に昇ったように、この世の頂上決戦のような戦いに巻き込まれた。
怖い。
正直なところ、このまま悲鳴を上げて逃げてしまいたかった。
だが、あの炎の中では、いつからかたった一人で戦ってきた、強くて、ぶっきらぼうで、少し抜けてる、立ち振る舞いが男の子のようで、素直な女の子が、今も一人で立ち向かっている。
彼女は戦うこと、自分の境遇に対して一言も愚痴も文句も言わない。
明るく笑って冗談交じりに、いつかどうにかなるさと希望を捨てなかった。
「私……」
口に出せなかったが、空色は心から、あんな性格になれたら良かったと憧れた。
友達にでも何にでもなりたくて、強引に引っ付いていた。
御裏が創造した、グラウンドの端から端まで届く刃物が炎の中に浮かび上がる。
長く大きな刃物の中央部を、御裏は炎の中から突き出した両の手で持ち上げていた。
「ふっ!」
片足で弾みをつけ、御裏は体を素早く横向きにターン。
中央部を軸にして、コンパスの針が円を描くように、刃物が水平に回転し一閃する。
大地を燃やす豪炎ごと、刃が炎の竜を切断。
炎によって刃が解けて蒸発した。
アジタケーシャカンバラの首が刎ねられた。
見事断ち切られた首は、火花を散らし回転しつつ跳んだ。
炎を纏った首は、燃える火車のように空中の一点で静止し、目を見開いた。
「クウよ!」
アジタケーシャカンバラの首と空色の目が合った。
空色は自分の全てを打ち消す力を信じ、視線を逸らさずに言い放つ。
「この力は誰にも渡さない、私は私のものよ! 私も命も負けないから!」
私に足りないのは、現状を打開しようとする勇気。友達を信じて受け入れる気持ち。
命は大事な友達。
口にこそ出さないが、命の何気ない言葉にどれだけ自分の心が助かったか。
「我は追いやられた神なり、その力を見よ!」
飛び上がった首は、炎の尾を引き一直線に空色へ詰め寄る。
空色は両手を広げて伸ばし、燃える頭を受け止めた。
空の力は、アジタケーシャカンバラの炎を無効化できるのだろうか、相手の力をどこまで押さえられたのか。
手の平が燃え、受け止めた衝撃で空色は後ろに吹き飛ばされた。
手首に紐でぶら下げていた弁当袋が燃え上がり、一瞬で炭と化す。
制服の袖も、紙が火に炙られるように灰と化す。
校舎の柱にぶつかる寸前、空色の背中に木々を編んだ円形のリースが現れ、衝突を受け止める。
髪留めが飛び、空色の長い髪の毛が広がる。
空色が受けた衝撃の余波が校舎を襲った。
窓ガラスが全て割れて吹き飛び、虹色の羽根のように広がった。
熱気が外壁を撫で、一瞬にして水あめのように溶けて形が崩れる。
衝撃波により、解けて柔らかくなった校舎が傾き崩れた。
リースに咲いた一輪の薄桃色の花が、夜叉の声で喋った。
「無茶をされるな。主に打ち消され微力しか出せぬが、我も力を貸そう」
空色の力に弾き飛ばされたアジタケーシャカンバラの頭が、炎を失い空中でクルクルと回転する。
グラウンドの炎が消え、それまで見えなかった御裏が煙の中から姿を現す。
炎が消えた生首の落下地点へ、片手を上げて走った。
「オーライ、オーライ、ナイスパス! 決めるぜ!」
何も持たない両手を挙げ、落下する頭に狙いを定める。
天空から細い一条の光が振り、アジタケーシャカンバラの頭部を貫通して地面を照らす。
光と見えたのは、夜叉が創造した細い糸が日光を反射したものだった。
アジタケーシャカンバラの頭部の内側を細い糸がかき回す。
御裏の声と夜叉の声が重なった。
「滅しろ!」
「退散」
空中の虫を叩き潰すように、御裏は両手を閉じた。
両手が閉じる瞬間、巨大な門のような板が現れる。
敵の頭どころか、人を数人集めて軽く押し潰しそうな大きさの板がぶつかり、甲高く鼓膜の奥に響くような衝撃音を発した。
プレス機に挟まれたように、アジタケーシャカンバラの頭部は隙間無く合わされた板に押し潰された。
夜叉の糸が切れ、作りかけの綿飴のように空中に溶けて消える。
木々を編んだ円盤のようなリースの上で、空色は両腕の痛みを堪えて身を丸くしていた。
腕が折れたようだ。
骨折とと火傷の痛みでで動けずに、歯を食いしばって悲鳴を抑え、目の端で御裏の姿を捉える。
合掌するように合わさった御裏の両手から生えた板の隙間より、くぐもった悲鳴が聞こえた。
叫び声に合わせるかのように、一斉に炎が噴出す。
熱せられ灼熱の色と化した板から漏れる炎が消え、悲鳴が消えた。
戦いが終わったと感じた空色の気が揺るみ、眩暈を起こしうつ伏せに倒れた。
「ナイスアタック俺、そんで終了っと。もう出るなよ」
挟んだ板を離すと、押し潰した箇所を確認する。
そこには焼け焦げて潰れた何かだった物が張りついていた。
御裏は自分がやった結果を見て気分が悪くなった。
「うわぁ……しばらく焼き魚食えない。見なかったことにしよう」
嫌な結果と記憶を過去に流し、両手の武器を消した。
グラウンドは焼けつくされ、サッカーのゴールは炭に、砂は溶けて半ガラス状になっていた。
現実であって、敵の影響下にあった世界。
力を発していた神が消えた。
残りの力を発揮していた御裏が立ち去ると、潮が引くようにグラウンドが元の状態に戻る。
グラウンドには白い砂、網の一部がほつれたゴールは元通りになり、つい数秒前の光景がまるで夢のようだった。
世界は勝手に動いている。異物が消え、あるべき姿に戻る自浄作用が働いただけだ。
それこそ、潮が満ちて引くように、当たり前の事だった。
「あー、ほんとに暑かった。汗かいたぜ。ヒリン、良くやったな無事か」
額と深い胸の谷間に汗を浮かべた御裏が駆け寄る。
力なく寝ていた空色が、苦笑して目を開く。
「クッ。命に心配されるなんて、相当弱っているように見えるんだ、一生の不覚。腹が立つから顔を見ないでよ。そっちは?」
「おう、ばっちり。ヒリンが火を消したんだろ、そしたら急にヘナヘナになりやがったから、一発で倒したぜ。見た、見たよね、ヒリンの力もすげーけど、俺ってかっこよかったよな」