二十一 学校
次の日、結局は他人の家に泊まってしまった御裏と空色が二人並んで登校する。
生き返った空色が疲れの余り深い睡魔に襲われ、御裏も気が付けば床の上で寝転がっていた。
起こされるまで二人は熟睡していたからだ。
空色母はどこまで知っていたのか、昨日と変わらない態度で二人を見送った。
「ついにロヒリンもそういう年頃になったのね」
見送る母親の独り言に空色がハッとして振り返る。
「……何か知ってる?」
「お母さんも若い頃があったのよ、それだけだって」
「違うよ、何か隠している……いつか話してね」
アイコンタクトで何かを察した空色が、いつか母親が話す気になるまで待とうと思い話を打ち切った。
のん気に先を歩く御裏を追いかける。
「待ってよ、足速いな」
「足が長いからな。忘れ物でもしたのか、待ってやるから早く取って来いよ」
「今じゃないみたい、気のせいだって」
「何だそれ?」
目立つ不良っぽい問題児と、違う意味の問題児が揃って登校するというありえない組み合わせに、それを知った生徒達の間に憶測と無数の噂が飛び交った。
御裏のサバサバした物言いと、深く考えない明るい性格は男女問わず人気があった。
昼休みになると、御裏は空色との関係を聞きたがる数多の友人を振り切り、弁当箱を片手に二年二組の教室を訪れた。
「あのさ、ミコちゃん」
御裏は同級生で仲の良い友達からは、ミコトからミコちゃんと呼ばれていた。
友人が数人追いかけてきて、注意を促してくれた。
――空色には気を付けた方がいいと――
少し困った顔の御裏に、御裏なら大丈夫だと思うけど、と付け加えて説明してくれた。
「あの子ね、去年暴力問題起こしたらしいよ。ほら、見た目が凄い綺麗でしょ、だから当時学年で一番人気のあった男の子が告白して、それ以外にも大勢があっさり振られたんだって。それから振られた男の子と、取り巻きの女の子にイジメを受けてね、女子からはやっかみを受けやすい立場だったのもあるけど……少しは我慢したらしいけど、切れて半分くらいを闇討ちして血祭りに上げたって。証拠は残さずに、かなり残酷な手段を使ったらしいよ」
誰かに聞かれるのを恐れ、友人は小声で打ち明けた。
とんでもない内容だが、あっさり納得した御裏が言い返す。
「ほおーいかにも……あいつなら、やられたら、それ以上にやり返すだろうな。それって、多数でイジメた相手が悪いじゃん。それでかな、棘があって、ちょっと嫌味があって、対人恐怖症みたいなんだよな。頭良さそうなのに、疑り深くてたまに被害妄想気味だし」
「悪いのは相手だけど、元々良くない噂のある子だったよ。あんなに綺麗であれでしょ、少し怖い感じがしない」
「はいはい、ま、言いたい事は何となく分かるからいいって。眠れる虎を怒らせるような事しなきゃ、それなりにいい奴……でも無いな、俺も被害にあってるな。いやいや、俺があいつと友達になってもいいって思ったの、オッケー? なら俺がどう思うかが大事だろ」
「でも、ミコちゃんが心配だよ」
「噂が大きくなってるだけだって。俺が強いの知ってるだろ、普段はおバカしてるけど、実は最強だぜ」
「知っているけど、そういうのとは別の怖さなんだよ。ミコちゃん強いけど単純だから。ミコちゃんが言うなら止めないけど、気をつけてね」
心配するなって、あいつは根はいい奴だ。
大声で明るく陽気に言って、御裏はその場を離れた。
二年生の教室を覗くと、空色は端の方の机に一人で座っていた。
昼休みで友達や仲の良いグループが集まって弁当を広げ雑談を交わす中、そこだけ空気が違うように静かに一人でいた。
明らかに他の学生とは見えない一線を区切っていた。
他の二年生達は、御裏に関わらないように避けて通り、誰も不意に現れた上級生に対し咎めたりはしない。
だが、その挑発的な外見が目立ち人気のある御裏を、遠巻きに大勢の学生が見ていた。
男子女子関係なく、羨望の篭った目で御裏の全身をしれっと何人もがチェックする。
まるで外人モデルもしくはアニメから抜け出たような抜群のスタイル。
くびれた腰のどこに内臓が入っているのか、胸のふくらみは本物なのかと疑問視し、本物ならあの体すげーと、男共がひそひそ言っているのも聞こえた。
そんな囁きに慣れっこの御裏は、普通に堂々と無視する。
教室の入り口から弁当箱を振り回し空色を呼ぶ。
「いよっ、ヒリン、誘いに来たぜ。どうせ友達いないんだろ暇してるな」
窓の外を眺め、凛とした佇まいで反応を示さない空色に、さらに大声で話しかけた。
「おーい、こら! ヒリン俺だ。こっち向け!」
一見しただけで、やっぱり友達いないと察し、元気付けようと大声で呼ぶ。
何やら廊下が騒がしいなと思ってはいたが、関係無しと窓の外を見ていた空色が、驚いて振り返る。
後ろで一つに束ねた髪の毛が、空色の焦りを示すように跳ねてガラスを撃った。
「ちょ、ちょっと、何でここに来てるの」
空色の一言で、教室が静まり返った。
何があったのか、普通なら空気を気にする場面だが、御裏は天然ののん気さでスルーした。
「せっかく一緒に飯食おうと思って誘いに来たんだぜ。弁当か、学食を買うのかどっち派だお前。困ったふりしやがって、本当は嬉しいだろ」
「う、嬉しくなんかないんだから迷惑だよ」
「ほらほら、ツンデレキャラみたいな言い方になってる。照れちゃって」
「私の横が空いてるからって、命を待っていたと思わないで。窓の外で座る人がいないから、誰も使わないだけなの。地上10メートルで空気椅子の姿勢を保持し、なおかつ落下しながらお弁当を食べられるのならどうぞ」
「……俺に、どうしろと。ここで力使っちゃえって言いたいのか?」
御裏は空色が照れ隠しに嫌味を言っているのか、苛める気なのか、本気か図りそこねた。
「命、顔色が変だけど調子悪いの? しかたないから話を進めるよ。急に来られても、教室内で上級生が食べる場所は無いわ、他の人が遠慮するでしょ。どこで一緒に食べるの? それに学校内で私に関わると、命まで敬遠されるよ」
「あ、ああ……」
「どうしたの、元々油断だらけなのに、さらに気が抜けた顔して」
「びっくりした、お前、まともな会話できるじゃん。俺、学校でまともな会話聞いて驚いたのか。そんな不思議があるなんて今の今まで思いもしなかった、貴重な体験したな。ヒリンは世渡り上手そうだからクラスだと優等生キャラになれそうだな、でも、何か変なオーラが見える気が……あ、見えちゃった。それは今いいや、屋上に行こうぜ、今日は天気いいぞ。食後に俺が何か造ってやるから少し遊べるぞ」
「あのねー、私の話はそういう意味では……」
立ち上がり言い返そうとした空色を、数人の女性徒が心配そうに伺い、ヒソヒソと何か囁いていた。
端から見れば、悪そうな上級生から、屋上に呼び出されたように見えたのだろう。
いや、下級生のくせに上級生を尻に敷いている、恐ろしい奴と思われたのかもしれない。
「しかたないから、友達のいない命に、付き合ってあげるわ。私は弁当だけど」
空色はわざと聞こえるように、やや大きめの声で返事してから席を立つ。
二人の姿が消えると同時に、教室には安堵したようなささやきが広がり、やがて喧騒が戻った。
『今の三年生の御裏さんだろ、見た目派手な美形で不良って噂の……』
『ついに空色が呼び出されたのか、あいつも可哀そうだな』
『だけどさ、何となく空色さんの方が偉そうに喋っていたぞ』
屋上には先客が何人かいた、それぞれが数名のグループを作って、あちこちで固まって雑談しながら食べていた。
屋上で食べるのは上級生達が多く、何故かちょっと悪そうな人が多かった。
「おう、悪いな邪魔しちゃって」
御裏が声をかけると驚き、羨望を込めた目と態度で挨拶して姿を消した。
「いえいえ、いいっすよ。どうぞどうぞ」
二人きりになった空色は初めて屋上で弁当を広げた。
「たまには広い場所も悪くないわね」
空色は壁際に座り、竹の柄の弁当袋から弁当箱を取り出す。
「渋い、お前本当に女子高生か。いや、ヒリンらしいよそれ。俺はパン食べる」
御裏はそう言って何かに納得した。
「何よそれ。誘って話す第一声がそれって、知らないの、あんたより一年若いのよ私」
空色が馬鹿にしたように返答した。