十六 対決
やってきました異界に。
破れたパジャマ姿の御裏が異界を歩く。
裸足のぺチぺチという緊張感のない足音が聞こえ、その後ろを宙に浮いた夜叉が追いかける。
御裏は腕を上げて姿の良いスマートな背筋を伸ばし、首を傾けて問いかける。
「ねぇねぇ夜叉、もう一回だけ、どうやってヒリンを助けるか確認していい?」
話し方にも緊張感のない御裏が、頭の上で手を組んで振り返る。そんな御裏に対して夜叉は一々丁寧に答える。
「何処でも救助は可能。この世界そのものが世界樹と繋がる、全てに世界樹は存在する」
「で、人になって……いや、俺は元々人だけどな、どうすればいいの。世界の歪みって操れるもんなの?」
「我にも分からぬ、人ではないのでな」
「やれやれ人任せか」
困った顔で笑い、首を振った御裏が馴れ馴れしく夜叉の肩を叩く。
「おいおい、これで成功するって言ってたじゃん。真面目な顔してボケてさ、何だよ突込み入れて欲しかったろか」
「無駄に回答を引き延ばしてはいない、これしか手段はあらず、故に単刀直入に答えた」
「はーん、力を使わない俺なら倒せると騙そうと考え……ま、いっか。狡い手を使うような奴と思えないな。どっちみち、夜叉が教えてくれた話しか、手がかりないし」
御裏は両手の指を揃えて伸ばす。
先に光る銀色の爪を見て、消すのが勿体無いなーと思った。
「最後にさ、今の姿を記念に写真で撮ってよ―――何、写真とは何ぞやだと? 無ければ造れるだろそれぐらい……あ、写真を知らないってか、じゃあ携帯で」
天使の姿で、夜叉と並びどこからか取り出した携帯で自分撮りをした。
「これ? 記念に画像を残した、何したか見せろって……な、割といい写りだろ。ヒリンはお前の事イケメンだって言って凄い気に入っていたから、これ見たらきっと悔しがるぜ。しかし本当に俺か、信じられないぐらいファンタスティクでセクシーで格好いいな。うん、いけてる」
最後の心残りはもう無いか確認をした御裏は、ここで根本的な質問をした。
「あ、夜叉……一応さ、確認すっけど……俺って失敗したら死ぬの?」
「先の質問であるが、空の奪還が失敗すれば世界樹はメイカーの力を無効化させ、お主の力も肉体も消滅させるであろう。世界樹は危険度の高い因子だと主を判断した、優先して攻撃をしかけてくるであろう――先程から因果関係の薄い質問が多く、早く行動するべきだと思うが。我を疑っているのであろうか、我の考えが間違えていれば済まぬ」
「そんな難しい理屈じゃなくてさ、覚えておきな、時として気分に釣られてや道理に反する考えをしてしまう、それが人ってもんだ。はい、今のところはメモね。うーん死んじゃうのかもなのか……やっぱり。じゃあ……まあいいや。ここで死ぬ前にって、何だかんだ欲張ってもしかたない、行くぜ!」
潔く、御裏は前を指差して大股に一歩を踏み出した。
「ほら、俺はもう何も防御していないぜ。夜叉、結界を解除だ」
「承知した」
夜叉も周囲を覆う森の結界を外側から順に解除する。
生身の人として世界樹の世界で行動すること――即ち、人間の世界に来訪した異端者と同じ条件に身を置く事が、空色の『空』の力を手にした世界樹に対抗する手段となる。
人として、貧弱な肉体と小さな精神で異界に姿を現した御裏の周囲で早速、視覚で認知できる異変が発生した。
御裏が歩くと世界の時間がずれ、周囲の時間の流れが不規則になる。
夜叉の姿が、コマ送りの動画のようにブレて飛んで見えた。
「おおっ、もう影響出ている。俺はいつでもいいぜ、後はヒリンを探せばいいんだな」
「世界の歪みを解放する為、我は全ての守りを解く。距離を取るが、援護できるだけはさせて貰う、空の人を頼む」
「ま・か・せ・な。俺はあいつに約束したからな、守ってやるって」
森の中央で腕を組み、御裏はにっと笑った。
「んじゃ、俺出陣だ。解除」
御裏が指示した瞬間、夜叉と森が消えた。
何も無い空間に、見渡す限り無数の巨大な樹が立ち並ぶ世界に放り出された。
その大きさのあまり、小山のように見える木の根が這い回る世界を、御裏は空色の名を呼びながら歩く。
「ヒリーン、おーいヒリン。どこにいるんだー、いたら返事しろ」
樹の陰から、突然湧いて出たかのように異形の世界樹の兵士が現れる。
身の丈数十メートルある木で出来た巨人、怪物と化した御裏の足元に群がっていた兵士の一体だった。
「んなっ!」
驚いた御裏が両手で口を塞ぎ立ち止まる。
兵士は大声を出していた御裏に気づかず、その上を跨いで通り過ぎた。
「……人間と同じだな、大抵の奴には見えない聞こえないか」
その後、暫くの間空色を探して歩き回るも、延々と木々が続く世界。歩けど進めど同じような風景が果てしなく続く。
見つかる宛ても無く、永久に繰り返すような景色の世界に歩き疲れ、大きな樹の根に座った。
「くそっ、裸足で歩いて足が痛い……靴造りたいな、でも力使っちゃ駄目みたいだしな」
赤くなった足の裏をさすり、愚痴をこぼしていた。
「連続ドラマを途中から見たような、意味分かんない状況で俺様はとっても頑張っているよな、命は偉い偉い。ところであいつ何やってんだろ、ヒリンも自分で何とかすればいいのに。力を消せる力があるのなら、世界樹とやらも消して、はい終わり。そうなれば簡単でいいのにさ。ということで、俺は少し休憩だ」
御裏は落ちていた手の平大の葉っぱを拾い上げ、何の気無しに口の端に咥える。
枕になりそうな樹の根があったので、寝転んで上を見上げた。
木々の葉は互いに幾重にも重なりあい、上空は全く見えない。
今頃、世界樹とやらも、あいつの放漫なお喋りに閉口しているのだろうなと考える。御裏は思わず笑い、口に咥えた葉をクルクル回す。
「ちょっと、あんた私の悪口考えたでしょ。最低」
空色の声が聞こえた気がした。幻聴が聞こえたのか気のせいだと思い、御裏は耳を軽く叩き、鼓膜を調整しようと唾を飲み込んだ。
「ったく、幻聴でも叱るなんて。あいつ絶対女王様タイプだぜ」
今頃何しているかな、縛られたり変な事されてないかと考える。
「さらに今、とても不名誉な事も考えたわね。私はそんな女じゃないから、命がして欲しい事と私の変態趣味を同じと思わないで。私は自分を痛めつけるなんて、非生産的な行動を好まないわ。変な性趣向も持たないし、本当にそうだったらあんた、とっくに私の手で精神崩壊した廃人よ。肉塊になっているわ」
「うん? あまりにもリアルで、あいつが言いそうな幻聴だな……この場所怖いよ」
「ちょ、ちょっとこら。注意したのに何でその先まで妄想するの。いやっ、いい加減別の事考えて。もう、あんたの将来がとても不安になってきたわ。こら、しかも私をそんなささやかな胸にして」
「じゃあ、これくらい?」
「うーん、まあまあね」
「嘘つけ、実はこうだろ……って、俺、何で回想の中のヒリンに突っ込まれてるの」
跳ね起きた御裏は、口に咥えた葉っぱから空色の声が聞こえる事に気づく。
「あ、そっか。ここは全部が世界樹だって言ってたな、この葉っぱも木もそうか」
「そうよ、繋がっているのよ。だから命の不気味な妄想が全て筒抜けで、気持ち悪かったけれど少し興奮したわよ……それはいいとしてね、もう少し考えれば、無駄に歩き回って体力と時間を消耗する必要は無かったのにね。減るのは命の体力だけど、私の時間を無駄に浪費したのは反省すべき過失よ」
「お前、本当に生意気な声と喋りだけで、誰だか一発で分かるな。その様子なら元気だろ、なあ、どこにいるんだ」
「先に言いたいことがあるの。命が防御するって造った丸い象さん、でかい怪物の攻撃であっさり壊れて、私、一回死んだわよ。どういうことかな、私、死んだよ」
怪物が何者かよーく知っている御裏が言葉につまり、とっさに取り繕う。
「うはっ、そ、それは、ご、ごめん」
「まあ、今更言ってもしかたないわね。予想外の敵みたいだったから、御裏ロボもあんなのが出てくるなんて思わなかったのよね。想像力の欠如を責めても仕方ないわ、人には私も含めて、それぞれ限界があるのだから。あなたは限界じゃなくて限度を知らないけど。だからあそこで私が指示したように瞑想して呪文を唱えて、空から最終奥義の命ビームを撃つべきだったのよ、もしくは○○波とか……」
まずい。冷や汗を流した御裏が、掠れた声で素直に白状した。
「珍しくフォローしてくれる途中だけどさ。俺は命ビームなんて使えないし、そのでかい怪物、多分……暴走してやり過ぎた俺だから……俺のせいだと、思う」
空色は明るく優しい声で答えた。
「うふふ、なーに焦ってるのよぉ。命は気にしなくてもいいの、やるべき事をすればいいの、だからね過失で私を殺した責任取ればいいだけだよ?」
「今まででとパターンの違う攻め言葉だけに怖いっ。知ってて遠まわしにフォローして追い込んでないか。そこまで疑う俺が悪いのか? だからとにかく、責任取りにここまで来たんだって」
しばし沈黙。
「しかたない、話が途切れたから責任を取らせてあげる」
事務的にわざと冷たく言って、空色はころりと口調を変えた。
「なーんて、助けに来たのは分かっているわよ。それで場所だけど、私は今、世界樹の中にいる。体がバラバラになって取り込まれて、かろうじて生きている状態だと思うわ。だって体が無いのに世界のどこでも見えるの、世界樹と同化したから世界樹を通して世界が見えるからだわ。命が隠した0点のテストもどこにあるか知っているわ」
「とにかく、俺のミスはもういいんだな、失敗を返上したらもう怒らないんだな? 高校生でテスト隠す奴なんているのか、成績が発表されるのにさ。こんな異世界にわざわざ隠す意味が分からん。そんで、俺は俺を可愛がるヒリンを助ける為に何をすれば?」
「まず私が誘導するから、世界樹を倒して私を世界樹から分離させる、それから元の世界に戻る。私が死にそうになったら命が助ける。命は今後永遠に私の命令に絶対服従、いいわね」
「やるか……いいわね、じゃねえよ! 最後は拒否だ! どさくさに紛れてとんでもない要求を言いやがって……どうするか……こういう事か」
御裏は傍に立つ樹に手を当てた。
目を閉じて意識を集中すると、世界を覆い尽くす網目のような樹の根が頭に浮かぶ。
やはり、この木々の全てが世界樹の一部だ。全てが世界樹であり、その一部。
意識の中、御裏は世界樹の姿を視た。
その根は世界を覆い、根は世界中を繋ぐ。その幹は太く強靭で、ありとあらゆる生命を包容し。その葉は広く豊か、全てを守り。その実には、全ての知識が詰まる。
その中を走る、一本の今にも細く切れそうな糸が、御伽の指に絡みついた。
糸の先からは知っている人の呼吸が伝わるような気がした。
縦横無尽に世界中を覆う世界樹の中で、糸を辿った御裏は人のような姿と対面する。
そいつと対面した瞬間、脳を押しつぶすような圧力を感じ頭皮がざわざわと逆立った。
明らかに異端にして強大な存在、人が面と向かって存在を認知することが難しい次元……そんなことは御裏にとってどうでも良かった、敵と判断した瞬間に戦闘する心にスイッチが入る。
「お・ま・え・かぁ!」
おおっとー、これからどうなる……次回予告『対決、世界樹』
「いよう、来たぜ。そいつを助けに」
お楽しみに~^^ノシ