十一 決意
前回の戦闘の続きです。
序章に出現した夜叉の出番が、やっと廻ってきました。
お待たせした分だけ暴れています。
がこんっ、と崩れた壁が崩れる音が聞こえ、瓦礫の中から空色がふらふらと立ち上がる。
弾丸が飛び交い、そこかしこで爆発が起こり、建物が崩れる。
まるで戦場ど真ん中に放り出され死ぬ思いだったのだろう。煤と砂で汚れたパジャマ姿の空色が、汗で髪を額に張りかせ、泣きそうな顔で御裏の元へ駆け寄る。
御裏はやりきった感のある、いい笑顔で両手を広げて迎える。
「やっぱり女の子だな、怖かったか、可愛いとこあるじゃんか。よし俺の胸に」
空色は体を投げ出すように駆け寄り、御裏の腹を思いっきり拳で殴った。
「何やってんの、この危険人物は!」
「どうして!」
「あんたはどこの世界の何人なの! ヒューン、ドーン、ボカーンって……辺り構わず武器乱射? 馬鹿に何とかを実行して、ことわざ昔話の挿絵から抜け出してきたお茶目さんでしょ。童話やアニメのキャラが現実にいたら面白いかもしれないと考えた事もあるわ、それも今さっき撤回よ。巻き込まれたら洒落にならないから、毎回死ぬって! 第一話が奇跡の最終回よ!」
「いて、入ってる、入ってる……抑えて抑えて、思ったより元気だなぁ」
「こんな場所で死んでなるものか、何度も呪文のように唱えて、それだけを考えていたわ。命はもうターンエンド、生き延びたからにはこちらの番ね。覚えている? 三百倍返しよ」
空色がふぉおおーと怪しげな息を吐き、御裏の服の端を掴んで片足を上げた。
はいはい、そう呟いた御裏が空色の頭をポンポンと叩く。
「それだけ喋れるなら怪我は無いみたいだな。元気過ぎて困ったけど、速攻で倒したかいがあった」
汚れた足の裏を御裏の服で拭いて、ついでに蹴りも入れようとしていた空色が、足を上げた格好で動きを止める。
「その言い方だと、私を巻き込みたくなくて、命はあんな戦い方をしたみたいに聞こえるよ」
「ヒリンが人質に取られたり相手の攻撃がもし万が一当ったら、たまったもんじゃない。強そうだったから、相手の出方を見るなんて余裕、無かったからな……で、その足は何。私の足綺麗でしょってか」
「ううん、綺麗なのは当然としてね、私の事心配して戦ったんだね」
「心配だったのは崩れた建物の下敷きになる事だったが、次にお前の思考回路だ。壁の影に隠れていたからな、まずは心配無しと判断した」
「そうなんだ……」
「そうなんだよ」
「命は怪我しなかったの」
「無傷だぜ。あ、足切ってる、自分じゃ見えにくいだろちょっといいか」
空色の踵が切れ血が滲んでいた。
しゃがんだ御裏が足首を掴み、右手に絆創膏を作り、傷口をペロリと舐めた。
「あ……ひゃぁ!」
複雑な感情の篭った、鼻から抜けるような悲鳴を発し、空色はその場にへたり込んだ。
「ほれ、絆創膏貼ったぞ。お前、若い女があひゃぁ……どんな場合に使う叫びだよ」
「いい、いいからお願い、足から手を離して」
悪戯を思いついた御裏が、足の裏をこちょこちょと擽る。
「あ……いやぁー」
普段の態度からは想像もつかない弱々しい声を発し、空色が身を捩って逃げようとする。
「お前、さては足の裏が弱点だな」
ゴーグルの下で、御裏の目が鋭く光る。
「や、止めてよ……」
「いいねー。初めて会った時から、人と違う素質はあると思っていたぜ。足の裏とは意外だった」
目を輝かせて足の裏をくすぐっていた御裏の動きが不意に止まる。
力の抜けた空色が、必死に腰をひねってその手から逃れた。
荒い息を吐き、空色は御裏から離れ、熱のあるような顔でにらみ付ける。
御裏の背後にまばらな草木を編んだ円が浮かび、円の中には暗闇が窓ガラスのように嵌っていた。
その暗闇から、薄く半透明なピアノ線のような無数の細長い線が延びる。
薄っすらと見える線は、背後から御裏の全身を縛りつけ動きを封じていた。
身を硬くして息をするのも忘れ、空色の目が赤い点に釘付けになる。
まるで雨上がりの蜘蛛の巣を伝う、雨の雫のような血が糸を伝いポタリポタリと地面に落ちた。
目の前の光景を理解するまで停止していた空色が、無理やり空気を吸い込み叫んだ。
「み、みこと!」
「いてて、動けねえ……くそ、何だ……やられたなぁ」
武器を作って反撃しようとした御裏の体を、さらに線が巻きついて締め上げる。
空色に向かい軽く笑った御裏が地面に倒れた。
木々で編まれたリーフの中に張られた闇から、夜叉の姿が浮かび上がるように現れる。
雨のように降り注ぐ糸に巻き取られ、蓑虫か糸巻きリボンを思わせる姿になった御裏の目の端に、傷一つ負っていない夜叉の姿が映った。
顔も糸で覆われた御裏が、全身から幾千もの刃物を生やして糸に抵抗する。
御裏を閉じ込めた繭の中から、ざしゅ、ざしゅ、と糸を断ち鋭い刃物が突き出す。
生えた刃物にも糸は絡みつき、切られた箇所を瞬時に新たな糸が塞ぐ。
「我も創造の力を持つ。等しき力で争えば互いに勝負付かず、これ因果なり」
「倒せないなら、動きを封じればいいと」
無から武器や道具を作り出す御裏。
人とは違う存在である夜叉。
互いの攻撃は、周囲を破壊するも、相手を倒すには至らなかった。
一方的に攻撃され続けたように見えた夜叉も、実際には幾度もの反撃を試みていた。
だが、武器を創造する傍らで御裏は瞬間的に防御壁を作成し、防護壁を超えてなお力で固めた制服が難なく弾いた。
糸は不意を突き、柔をもって剛を制す攻撃だった。
夜叉の力を細い線に集約した、通常では絶対に切れない糸。
御裏を倒す威力は無いが、破壊される以上の速度で糸を創造させ続け動きを封じていた。
血が流れたが、不意打ちで皮膚の一部が薄く切れただけだった。
「これで終いか。空の人を任せられぬな」
夜叉が空色に黒い手を差し伸べる。
「我と参れ、緋環よ」
空色は小さな手をぎゅっと握り締め、夜叉と御裏を見比べる。
ほとんど迷わずに決断を下し、大きな切れ長の瞳で夜叉を真正面から見返した。
その瞳は深く力強く、確固たる決断を下した意思が込められていた。
毅然とした態度の空色は、自分がこの状況で決められるであろう選択肢の中から、一つの決断を迷わずに言った。
「今、私に命令しようとしたの? 私に命令しないでよ」
夜叉は手を伸ばしたまま無言で空色の口上に耳を傾け、待った。
「これで人質を取ったつもりでしょうけど、こんなもの人質にならないのよ! 教えてあげるわ、命の頭文字MはドMを示す称号なのよ、残念だけど束縛された苦痛をむしろ歓迎して喜んでいるはず。だから、色々な意味で後悔する前に、聞きたくないあえぎ声を聞かされる前に、その緊縛プレイを止めることをお勧めするわ」
夜叉が無表情に、話の流れからは侮蔑するように思える視線で、糸で封じられた御裏を見下す。
御裏は自分にそんな称号と趣味があると決められ、恥ずかしさのあまり敵の前から逃げたくなった。
「いい訳させろ! てか、もう勘弁して」
「ほら、私が止めるように言ったら途端に言い返すでしょう。あれは知らない人に自分の趣向を知られた照れ隠しなの。もしくは困ったふりして、気持ちよくて続けて……」
夜叉が御裏の上に手を翳す、御裏の上に大きな影が生じた。
『ヴァイシュラヴァナの杖』
次の瞬間、三人が立つ塔と同じような大きさの巨大な柱が空から降り、御裏を押し潰す。
「おあぁぁぁぁぁーー……」
柱に押し潰され、塔を破壊しつつ下に落ちる御裏の絶叫が響き渡り、それが小さくなりすぐに聞こえなくなった、
空色は落下の衝撃で生じた風圧を、顔の前に構えた腕で避けた。腕の間から覗く柱は延々と尽きることなく下へ下へと進む。
塔の横半分以上を削り、柱は柔らかなケーキに蝋燭を刺すように地面まで突き刺さる。すぐ傍で落雷が発生したような轟音を発し、地面に突き刺さって止まった。
次の言葉を言いかけたまま、自分のすぐ近くに落ちた巨大な柱を、空色は口を開けて見ていた。
避けようとも、悲鳴を上げようとも思わなかった。ただ、目の前の柱が見間違えではないかと、信じられない思いで気が抜けたように見ていた。
見上げると、天まで届きそうな柱が高く伸びている。
柱は空から降ってきたのだろうか、雲にぽっかり丸い穴が開き、澄み切った空が伺える穴の周りが渦巻いていた。
ここまで読んでいただき、お疲れ様でした。
Mって実際どうなんでしょうね、自分は違うと思います。
ヴァイシュラヴァナは夜叉を従えたという(上司的な)武神の名前から取りました。
合ってますよ……ね?