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「君を愛することはない」と宣言した夫は、王女殿下に身も心も捧げているそうです。騎士とは愛人の別名でしたっけ?

作者: よみなぎ
掲載日:2026/10/28

「君を愛することはない。私の剣も、心も、すべて王女殿下に捧げている」


結婚初夜、夫はそう宣言した。


私は少し考えてから、尋ねた。


「では、王女殿下の愛人ということでしょうか?」


「違う!」


夫の怒声が寝室に響いた。


「私は王女殿下の騎士だ! 殿下への忠誠を、そのような下劣な関係と一緒にするな!」


「失礼いたしました。では、私との結婚生活はどうなさるおつもりですか?」


「必要な務めは果たす。だが、愛情を期待するな」


「承知いたしました」


政略結婚なのだから、愛情がないこと自体は珍しくない。私も夫に恋をしていたわけではなかった。


ただ、一つだけ気になることがあった。


「ところで、王女殿下はご存じなのですか? あなたが心まで捧げていることを」


「当然だ。殿下も私を最も信頼してくださっている」


「そうですか」


どうやら、ずいぶん面倒な結婚をしてしまったらしい。


◇


夫は王女殿下の近衛騎士だった。


武芸に優れ、容姿も整い、若くして高い地位を与えられている。


ただし、その地位は少々特殊だった。


王女殿下が個人的に推薦し、王女殿下が昇進を望み、王女殿下が自らの護衛に指名した。


つまり、王女殿下のお気に入りである。


結婚して一週間後、私はその意味を理解することになった。


「奥様。本日も旦那様はお戻りにならないそうです」


執事が申し訳なさそうに報告してきた。


「今夜も王宮ですか?」


「はい。王女殿下が夜会に出席されるため、護衛を務められるとのことです」


「昨日は?」


「王女殿下の観劇に同行されました」


「一昨日は?」


「王女殿下が体調を崩され、寝室の前で警護を」


「その前は?」


「王女殿下との乗馬でございます」


私は紅茶を一口飲んだ。


「ずいぶん忙しい騎士なのですね」


「……はい」


「ところで、ほかの近衛騎士の方々も、同じように勤務されているのですか?」


執事は黙った。


その沈黙だけで十分だった。


◇


結婚して一か月。


私は夫と夕食を共にした回数を数えてみた。


二回だった。


その二回も、王女殿下から急な呼び出しがあって途中で退席している。


そして三度目の夕食の機会が訪れた。


「今夜は王女殿下の誕生祝いだ。帰宅は遅くなる」


夫は出発前、当然のように告げた。


「お祝いでしたら、私もご挨拶に伺ったほうがよろしいでしょうか」


「必要ない。殿下は親しい者だけで祝われる」


「近衛騎士は親しい者に含まれるのですね」


「当然だ」


「その妻は含まれないのですね」


「君は殿下と面識がないだろう」


私は思わず笑いそうになった。


王女殿下は夫を毎日のように呼び出しているが、その妻である私には一度も会おうとしていない。


「では、行ってらっしゃいませ」


「……君は本当に何も言わないのだな」


「何をでしょう?」


「普通の妻なら、少しは夫の不在を寂しがるものだろう」


私は首を傾げた。


「愛情を期待するなとおっしゃったのは、あなたでは?」


夫は不機嫌そうに顔をしかめた。


「そういう意味ではない」


「では、どういう意味でしょうか」


「もういい!」


夫は足早に出ていった。


私はその背中を見送り、執事に声をかけた。


「婚姻契約書を用意してください。離縁の条件を確認したいのです」


夫が王女殿下に忠誠を誓うのは自由だ。


けれど、私までその忠誠に付き合う義務はない。


◇


転機は、王宮の園遊会だった。


夫の妻として、私は初めて王女殿下に正式に挨拶する機会を得た。


「あなたがあの方の奥様なのね」


王女殿下は美しい笑顔を浮かべた。


「はい。お初にお目にかかります」


「いつも彼を借りてしまってごめんなさいね。でも、彼がいないと落ち着かないの」


「そうでございますか」


「彼は私のためなら、どんな危険にも飛び込んでくれるのよ」


王女殿下は隣に立つ夫を見上げた。


夫もまた、誇らしげに微笑んでいる。


「殿下をお守りすることこそ、私の生涯の使命です」


「まあ、頼もしいこと」


私は二人を眺めた。


王女殿下は夫の腕に自然に手を添えている。


夫もそれを拒まない。


周囲の貴族たちは、見事なほど何も言わなかった。


ただ、視線だけが雄弁だった。


私はそこで、一つ質問した。


「殿下。失礼ながら、夫は勤務時間外も殿下にお仕えしているのでしょうか」


「ええ。もちろんよ」


「では、夜会や観劇への同行も、すべて公務なのですね」


「そうよ。彼は私の騎士ですもの」


「承知いたしました」


私は丁寧に頭を下げた。


「それでしたら、今後は王宮の正式な勤務記録に基づいて、夫の不在を管理させていただきます」


王女殿下の笑顔が、ほんの少し固まった。


「……勤務記録?」


「はい。公務でしたら、当然記録がございますでしょう?」


「そんな堅苦しいことをしなくても」


「いいえ。近衛騎士の勤務は国家の安全に関わります。公務と私的なお付き合いの区別は、明確にしておくべきかと存じます」


夫が険しい顔になった。


「君は何が言いたい」


「ただ、夫の仕事を正確に把握したいだけです」


私は微笑んだ。


「まさか、王女殿下とのご同行が公務ではない、などということはございませんでしょう?」


その場に奇妙な沈黙が落ちた。


そして、少し離れた場所から声がした。


「実にもっともな質問だな」


振り向くと、国王陛下が立っていた。


◇


国王陛下は、王女殿下を見た。


「昨夜、そこの騎士は何をしていた?」


「私の護衛ですわ」


「勤務命令書は?」


夫が答えた。


「近衛隊長が管理しております」


「では、隊長を呼べ」


しばらくして、近衛隊長が現れた。


「昨夜の勤務について説明せよ」


「王女殿下の特別警護でございます」


「特別警護を必要とした理由は?」


「王女殿下の安全確保のためでございます」


「具体的には?」


「……それは」


近衛隊長の言葉が止まった。


国王陛下は静かに言った。


「近衛の勤務報告には、王女の特別警護が毎日のように記載されている。私は以前から不自然に思っていた」


王女殿下の顔色が変わった。


「だが、隊長は毎回、警備上の必要があると報告していた。私は専門の責任者を信頼していたのだ」


国王陛下は近衛隊長を見据えた。


「ところが今、王女本人が、観劇も茶会も私的な外出も、すべてこの騎士に同行させていたと認めた」


「陛下、誤解でございます!」


「ならば、誤解を解こう」


国王陛下は侍従に命じた。


「王宮監察官を呼べ。近衛隊の勤務記録と、王女の側近たちが提出した報告書を、すべて調査させる」


「お父様!」


王女殿下が叫んだ。


「そこまでする必要はありませんわ!」


「必要がないかどうかは、調べてから判断する」


国王陛下の声は冷たかった。


「それとも、調べられて困ることがあるのか?」


王女殿下は答えなかった。


◇


調査の結果が出るまで、十日もかからなかった。


そして、その内容は私の想像をはるかに超えていた。


夫は王女殿下の私的な呼び出しに応じ、勤務時間外も長時間にわたって同行していた。


だが、近衛隊長はそれらを正式な警護任務として記録し、夫の勤務実績に加算していた。


さらに、王女殿下の側近たちは、王女の私的な外出を公務として報告していた。


観劇は「外交関係者との交流」。


乗馬は「警備経路の視察」。


茶会は「王族の公的会合」。


そして、王女殿下の私室で二人きりで過ごした夜は「緊急警護」。


私は報告を聞いて、思わず尋ねた。


「……王女殿下の寝室で、どのような緊急事態が発生したのでしょう?」


説明に来ていた監察官は、ひどく困った顔をした。


「それが、何も発生しておりません」


「そうですか」


「しかも、近衛隊長は虚偽の勤務実績を根拠に、旦那様の昇進を推薦しておりました」


「まあ」


「王女殿下も、その推薦を強く後押しされていたようです」


私は紅茶を置いた。


「つまり、王女殿下と親しく過ごした時間が、騎士としての功績になっていたのですね」


「……その通りでございます」


なんとも便利な出世方法である。


◇


国王陛下は、王女殿下と関係者を王宮の大広間に召集した。


私も、夫の妻として立ち会いを求められた。


「調査の結果、近衛隊において組織的な虚偽報告が行われていたことが判明した」


国王陛下の言葉が響いた。


「近衛隊長は王女の私的な行動を公務として処理し、勤務記録を偽装した。王女の側近たちは虚偽の報告書を作成し、国王への報告を欺いた」


近衛隊長は床に膝をついた。


「陛下! すべては王女殿下のご意向で!」


「お前は近衛隊長だ」


国王陛下は言い放った。


「王女の機嫌を取るために、国家の警備組織を私物化してよい立場ではない」


「ですが、殿下のご命令に逆らうことなど!」


「ならば、私に報告すべきだった」


近衛隊長は何も言えなくなった。


「お前は隊長の地位を剥奪する。階級を降格し、国境警備隊へ異動を命じる。今後、指揮権を持つことは認めぬ」


近衛隊長の顔から血の気が引いた。


王宮の近衛隊長から、国境の下級警備兵へ。


その落差は、誰の目にも明らかだった。


続いて、王女殿下の側近たちにも処分が下された。


虚偽報告に関与した者は、鞭打ちのうえで王宮から追放。


再び王宮に仕えることも禁じられた。


そして、夫の番になった。


「お前は近衛騎士としての勤務を偽装し、不正な昇進を受けた」


「陛下! 私はただ、殿下への忠誠を!」


「忠誠?」


国王陛下の声が低くなった。


「近衛騎士が守るべきものは、王族個人の機嫌ではない。王家の安全と秩序だ」


「ですが、殿下は私を必要とされて!」


「だから何だ?」


国王陛下は冷たく言い放った。


「お前がいなければ王女の警護が成立しないというなら、近衛隊の組織そのものに問題がある」


夫は何も言えなかった。


「お前の騎士身分を剥奪する。以後、王宮への出入りを禁ずる」


夫はその場に崩れ落ちた。


そして最後に、国王陛下は王女殿下を見た。


「お前は、王族としての公的権限をすべて失う」


「お父様!」


「近衛隊の人事への関与、私的な護衛の指名、王宮の予算の使用。すべて禁止する」


「そんな! 私は王女ですわ!」


「だからこそ、責任がある」


国王陛下は厳しく告げた。


「お前は王族の立場を利用し、国家の組織を私物化した。しかも、私を欺くために側近たちを巻き込んだ」


「私は……ただ、信頼できる騎士をそばに置きたかっただけですわ!」


「ならば、なぜ既婚の騎士一人に固執した?」


王女殿下は答えられなかった。


「ほかの騎士では駄目だったのか?」


沈黙。


「それとも、そこの男でなければならない理由があったのか?」


王女殿下は唇を噛んだ。


夫が叫んだ。


「陛下! 私と殿下の間に、不適切な関係などございません!」


「不貞を働いたかどうかなど、もはや問題ではない」


国王陛下は言い放った。


「お前たちは私を欺き、王宮の警備を私物化し、国家の職務を偽装したのだ」


大広間は静まり返った。


国王陛下はそこで、私に目を向けた。


「夫人。そなたからも申し立てがあると聞いている」


「はい。夫との離縁を希望しております」


夫が勢いよく顔を上げた。


「何だと!?」


「婚姻以来、夫は王女殿下への私的な奉仕を優先し、家庭を顧みませんでした。婚姻契約に定められた義務も果たしておりません」


「私は生活費を渡していた!」


「それは契約で定められた家政費です。私が求めているのは、契約違反に基づく離縁でございます」


国王陛下は監察官に確認した。


「婚姻契約と勤務記録は?」


「確認済みでございます。夫人の申し立てには正当な理由がございます」


「ならば認める。持参金は全額返還させよ」


「ありがとうございます」


私は深く頭を下げた。


夫が叫んだ。


「陛下! 私は離縁に同意しておりません!」


国王陛下は夫を見た。


「お前は妻に愛情を与えず、家庭にも帰らず、王女に生涯を捧げると言っていたそうだな」


「そ、それは!」


「望みどおりになったではないか」


夫は口を開けたまま固まった。


「夫という立場から解放してやる。これで心置きなく王女への忠誠を貫けるだろう」


私は思わず微笑んだ。


実にありがたい裁定だった。


◇


それから数日後。


私は王宮から届いた知らせを読んでいた。


隣国の王弟殿下が、王女殿下との婚約を正式に破棄したという。


理由は、王女殿下と元夫の関係だった。


不貞の証拠があったわけではない。


しかし、既婚騎士を私的に独占し、王宮の勤務記録まで偽装させていた王女を、王弟妃として迎えることはできない。


その知らせを受けた国王陛下は、しばらく黙っていたそうだ。


そして、こう言ったという。


「当然だな」


国王陛下は報告書を机に置いた。


「では、この損失をあの馬鹿に埋めさせるか」


それから数日後。


南方の砂漠王国との、新しい婚姻交渉が始まった。


砂漠王国は、以前から我が国との交易拡大を望んでいた。


国王陛下は、交易条件を整える代わりに、王女殿下を砂漠王国の王へ嫁がせることを提案した。


ただし、正妃ではない。


すでに多くの妃を持つ王の、側室の一人としてである。


交渉は驚くほど早くまとまった。


砂漠王国は望んでいた交易協定を得た。


我が国は、隣国との婚約破棄によって失った外交上の利益を、別の形で補うことができた。


そして王女殿下は、遠い異国へ嫁ぐことになった。


「私は王女よ! なぜ側室にならなければならないの!」


王女殿下は激しく反発したという。


しかし、国王陛下の答えは簡潔だった。


「お前は王弟の正妃となる機会を、自ら失ったのだ」


「お父様! 私はあんな国へ行きたくありません!」


「そうか」


国王陛下は頷いた。


「では、王弟との婚約を破談にした責任を、ほかにどう取るつもりだ?」


王女殿下は答えられなかった。


「王族としての義務を果たせなかった者が、王族としての待遇だけを要求するな」


それで話は終わった。


◇


王女殿下の出発が近づくにつれ、元夫の噂も耳に入るようになった。


騎士身分を剥奪された彼は、王宮への出入りを禁じられていた。


それでも、王女殿下への忠誠だけは変わらないと主張し続けていたらしい。


何度も王宮を訪ね、面会を求めては追い返されていたという。


一方の王女殿下は、元夫との関係を否定することに必死だった。


『あの男が勝手に私を慕っていただけです』


『私は騎士として信頼していただけです』


そう主張しているらしい。


私はその話を聞いて、少し驚いた。


生涯の忠誠を誓った相手から、ずいぶん簡単に切り捨てられたものだ。


もっとも、すでに離縁した私には関係のない話だった。


◇


王女殿下が砂漠王国へ出発する日。


私は買い物の帰りに、王宮近くの広場を通りかかった。


「殿下! 私もお連れください!」


馬車の前で叫んでいたのは、元夫だった。


「私はあなたに生涯の忠誠を誓ったのです!」


王女殿下は馬車の窓から顔を出した。


「やめてちょうだい! あなたのせいで私は王弟妃になれなかったのよ!」


「ですが、殿下! 私たちは互いに信頼し合っていたではありませんか!」


「必要だったのは、私の言うことを聞く近衛騎士よ! 騎士でもなくなったあなたに、何の用があるというの!」


元夫は呆然とした。


「……私は、あなたのために妻も地位も失ったのですよ?」


「私だって、あなたのせいで地位も婚約者も失ったわ!」


王女殿下は吐き捨てた。


「そもそも、側室になる私があなたを連れていったら、愛人を連れ込んだと思われるでしょう!」


「愛人ではありません! 私は殿下の騎士です!」


「だから、もう騎士ではないでしょう!」


王女殿下は馬車の窓を閉めた。


「……では、私は何のために……」


元夫の声が震えた。


「妻を捨て、騎士の誇りまで失って……私は、何のために……!」


彼はその場に膝をつき、両手で顔を覆った。


やがて馬車が動き出す。


元夫は顔を上げたが、もう呼び止めることさえできなかった。


最後まで二人は、自分たちが周囲からどう見られていたのか、理解できなかったらしい。


私はその姿を横目に、帰路についた。


◇


その日の夕方。


私は久しぶりに、実家の食卓を囲んでいた。


「おかわりは?」


母がスープ鍋を持ち上げる。


「いただきます」


「遠慮しなくていいのよ。あなたの好きなものばかり作ったんだから」


父は焼きたてのパンを私の皿に載せた。


「しばらく泊まっていけばいい。部屋はそのままにしてある」


「お父様、私、もう子供ではありませんよ?」


「知っているとも。だから、帰ってこいとは言わなかったんだ」


父は少し照れくさそうに笑った。


「ただ、いつ帰ってきてもいいんだぞ」


胸の奥が、じんわりと温かくなった。


結婚していた頃、夫と夕食を共にできたのは二回だけ。


その二回も、途中で王女殿下に呼び出されて終わってしまった。


けれど、今は違う。


「明日は三人で出かけましょうか」


私がそう言うと、母が嬉しそうに笑った。


「まあ、どこへ?」


「どこでも。お父様とお母様と一緒なら」


父が咳払いをして、母が笑う。


私もつられて笑った。


食卓には温かいスープと、三人分の笑い声。


今夜の夕食は、いつまでも続いてほしいと思った。

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