だから私は大人になるしかなかった
花嫁を思わせる白く薄手の夜着をまとって初夜の床を待つアリエスの姿を見て、ウィレムは悪くないなと思った。
「マルセラとの関係はもう清算したんだよね?」
その口から愛人の名前が出るまでは。
ウィレムは今日この1歳年上の婚約者と結婚した。
アリエスは口うるさいのが玉に瑕だが、見た目だけは上品で美しい。未来の公爵夫人として相応しい華やかさがある。
だから、マルセラとまだ関係があるけれど、アリエスとは8年近く婚約者としてやってきた情もあるし、せめて初夜くらいは夫人として恥をかかせないようにするつもりはあった。
ウィレムが答えられないのを見て、アリエスは自分の肌に触れる寸前だったその手を払い、ベッドから跳ね起きた。
「あ、おい!待てよ!」
厚手のガウンでそのなまめかしい夜着を隠そうとするアリエスの肩を掴む。
「政略結婚とは言え、結婚は結婚だろ!子供じみた意地を張るなよ!別に恋人くらいいても結婚生活は送れる。未来の公爵夫人として…」
アリエスは青い目をきっと吊り上げた。
「子供じみた?それを言うなら、あなたでしょう!もう学生じゃないんだから、結婚する前にそんな関係は清算するべきじゃないの?お遊びは学生時代だけっていうから目こぼししてあげてただけで結婚後の浮気を許容した覚えはないわ」
「うるさいな!愛人の一人や二人くらい大目に見ろよ」
「跡継ぎを一人や二人作った後なら考えてあげるわ」
(全く、ああ言えばこう言う!)
アリエスはガウンの帯をきつく結んでウィレムに向き直った。
「大体、あの女が学生時代からいろんな男と関係を持ってたのはあなたも知ってるでしょう!今もどんな男と関係があるかわかったものじゃないわ!」
「ま、マルセラを侮辱するなよ」
「侮辱じゃなくて事実でしょう!そんな女とまだ関係があるあなたと寝るなんて嫌だわ!病気を移されたらどうするの?私は未来の公爵夫人として自分の身を守る権利があるわ!」
「はっ。権利だなんて大げさな」
「大げさじゃない!」
アリエスはくどくどと『自分が性病を移されて不妊になる可能性やその場合の公爵家にもたらす不利益』について長広舌を振るい始めた。
ウィレムはうんざりと手を払った。
「雰囲気ぶち壊しだな、アリエス。せっかく抱いてやろうと思ったのに!」
「だから、絶対しないとは言ってないでしょう?明日公爵家の侍医を呼んで検査したら…」
(公爵家の侍医!?冗談じゃない!)
そんなことしたら公爵である父の耳にも入ってしまう。
「あーぁ!マルエラならこんなうるさいこといわないのになぁ!アリエスがそんなんだから俺はマルエラとの関係を切れないんじゃないの?あーぁ、マルエラと結婚出来ればよかったのに!」
伯爵家の庶子であるマルエラが公爵家の跡取りであるウィレムの妻になることなど父が許さないだろうから提案したこともなかった。だが、ウィレムの婚約者にふさわしい淑女となるべく教育を受け続けて来たアリエスにこの一言は刺さった。
アリエスは唇をきつく噛みしめ、血がにじんだ。
悔しげな妻の顔にウィレムは暗い満足を覚える。
(お。効いてるな)
血のにじんだ唇が動く。
「…トビアスだったらそんな酷いこと言わなかっただろうに」
トビアス。大嫌いな異母兄の名前にウィレムの口角がぴくついた。
父が学生時代の恋人を孕ませてできた1つ上の兄だ。その母親に厄介払いされたトビアスを父が引き取ったのはウィレムが10歳の時。この突然現れた兄もどきは最初の内こそ庶子としての立場をわきまえて大人しくしていたからすっかりウィレムは油断していたが、立ち回りの上手い奴で、今じゃ嫡男の自分を差し置いて父の右腕に収まっている。
アリエスはウィレムがトビアスを比較に出されることを何よりも嫌うことを知ってるだろうに、こうやって比べてくる。『トビアスならこれくらいできるよ。負けないように頑張ってよ!』だのなんだの。
「じゃあトビアスと結婚すりゃよかったじゃん」
アリエスは絶句し、今度こそ何も言わなかった。
アリエスとの口論に珍しく完全勝利したのにウィレムの心は晴れなかった。
(先に雰囲気を壊してきたアリエスが悪い。マルセラの所で慰めてもらおう)
ウィレムは立ち尽くすアリエスをそのままに、寝室を出た。
◆◆◆
初夜以来、ウィレムとアリエスの喧嘩は続いた。
二人の暮らす家は公爵から『新婚早々義家族と同居では気を遣うだろう』と二人に新居として与えられた王都郊外の別宅であり、部屋は余っていたから寝室も分けてしまったし、食事を一緒に取らなくても誰にもとがめられなかった。
いや、一人だけ文句を言う人はいた。
当然、アリエスだ。
なんとか公爵子息夫妻としての責務を果たすためにも、ウィレムとの関係改善のためにもウィレムと話し合おうと粘った。
しかし、ウィレムはアリエスのお説教はうんざりだった。婚約者時代からずっと辟易していた。ウィレムはアリエスの長話が始まったらその高い声を脳内で遮断する癖がいつの間にか身についていた。
「だから、私たちがいつまでも不仲なままだと…」
「ああ、まだ話してたの?今日はマルエラと買い物に行く約束があるからもう行っていいか?」
そして悪いことに、結婚してからのウィレムはアリエスのお小言に反撃する方法を見つけてしまった。
マルエラの話をすればいいのだ。一緒にどこへ行ったとか、どんな話をしたとか。それがどれだけ楽しかったとか。アリエスとは大違いだとか。
そうすればアリエスは面白いくらい簡単に黙った。
半年も経つ頃にはアリエスは話しかけてこなくなった。
そして収穫祭で公爵領に行ったのを機に、「未来の公爵夫人として公爵領をもっと勉強したい」と領地から王都に戻りたくないと言った。
まだ父公爵は健在だし、貴族としての教育はずっと受けてきたのだから勉強することなんて大してないはずだとウィレムは思った。ただウィレムを王都に、マルエラの所に戻らせたくないからそんなことを言いだしたんだろうと。
浅はかだと笑った。
だから単身で王都に戻った。
アリエスが公爵領から帰ってこないのをいいことに、ウィレムはマルエラを自宅に招いた。
新婚当時、新居で暮らすにあたって家の調度品はアリエスの嫁入り道具を除いて全部アリエス好みにあつらえさせたのだが、まだ1年ちょっとしか使っていない新品に囲まれた家をマルエラはいたく気に入ったようだった。
何度も泊まらせるうちに、招いていない日までも別宅に帰ってくるようになり、ウィレムの気づかないうちにアリエスの嫁入り道具はアリエスの部屋に押し込められていた。
ちょっとやりすぎかもしれないと思ったが、幸いにもアリエスからは『忙しいから次の社交シーズンは王都に戻らない』という旨の連絡が来ていた。
父からもその年はアリエスがいるから収穫祭の手伝いには来なくていいという手紙が届いた。
ウィレムは安心してマルエラとの新婚生活ごっこを楽しんだ。
それから2年が経った。
突然、アリエスから次の社交シーズンに王都に戻るという連絡が来た。
ウィレムは焦ったが、『公爵家本宅の方に泊まる』という一文に安心した。
(アリエスももしかしたら俺がマルエラを別宅に住ませてるのを薄々察しているのかな?)
少し申し訳なく思った。
思えば新居なのにアリエスと暮らしたのは最初の半年ちょっとだけだった。
王城で開催される夜会にてウィレムは久しぶりにアリエスと顔を合わせた。アリエスは少しばかり肉付きがよくなっていたが、相変わらず見た目は綺麗だった。
一緒の馬車で来たらしく、アリエスはあのトビアスにエスコートされていた。
「久しぶりだね、ウィレム!元気そうじゃないか!」
トビアスが飄々と話しかけて来たせいでウィレムはアリエスと話す糸口を見失った。
「今年は何かと実りの多い一年でねぇ!麦の収穫量も過去一だったんだが、公爵家としてはもっと大きな慶事が…」
「ちょっとトビアス!」
アリエスがトビアスの腕を引くと、トビアスは言葉を切ってアリエスを見つめ返した。ウィレムはその隙に二人を振り切った。
ちょうど学生時代の旧友を見かけたのでそいつに話しかけると、トビアスは肩をすくめ、アリエスを連れてどこかへ行ってしまった。
社交シーズンには、普段はそれぞれの領地で暮らしている貴族も王都にやってくるので、会場にいた他の旧友たちも集まってきた。
「ウィレム。お前まだマルエラと続いているのか?」
近況報告が一段落したところでジェフェリーがマルエラの名前を出してきた。
「なんだ嫉妬か?」
トビアスは愉快な気持ちでワインを煽った。
このジェフェリーは学生時代はマルエラの友人だった。可愛らしいマルエラには異性の友達が多く、婚約者がいてもマルエラと二人で過ごしたがる男は多かった。ウィレムもジェフェリーもそんな若者の1人だった。
ウィレムがマルエラと二人きりで会えるようになったのはマルエラと王太子の婚約未遂事件の後だった。傷心のマルエラを慰める内にマルエラの心を射止めたのだ。
「羨ましいんだろう?お前、学生時代はマルエラのことチヤホヤしてたもんな!」
ウィレムの言葉をジェフェリーは鼻先で笑った。
「当時は妻と出会ってなかったし、羽目を外すのにちょうどいい女だったろ、あれは後腐れなくて」
「え…」
「そうそう、俺、来月子供が生まれるんだ!」
ウィレムの困惑を尻目に話は流れていった。
不意にわっと歓声があがる。
「王太子夫妻よ!」
ウィレムはホールに目を向けた。
王太子が妃の肩を抱いて入場する所だった。
学生時代はマルエラのために婚約破棄をする手前まで思い詰めていたのに、今や妃の華やかなドレス姿にマルエラに向けていたよりもはるかに熱のこもった視線を向けながら、しきりに話しかけている。
あの件以来尻に敷かれていると噂には聞いていたが、あれが尻に敷かれている男の姿だろうか。
「王太子殿下も変わったな…」
「公爵令嬢…じゃなくて王太子妃殿下はやり手だよなぁ。あの婚約破棄騒動も綺麗におさめただけでもすごいのに、あの時のお通夜状態から今じゃ王太子はあの溺愛ぶりよ…!」
「ま、変わらないと言えば、アリエス先輩だよな」
旧友の1人がホールの端を指さす。
なんとトビアスとアリエスがワルツを踊っている。菫色のドレスの裾がターンに合わせてふわりと揺れた。
「俺さ、ぶっちゃけアリエス先輩にちょっと憧れてたんだよね。めっちゃ美人だし、しっかりしてるし。お前が婚約者じゃなければアタックしてたのになぁ」
「マルエラとあの本物の淑女じゃ比べ物になんないだろうに、なんだってお前はマルエラとまだ会っているんだ?責めてるんじゃなくてガチの疑問なんだけど!」
ウィレムはマルエラを内輪の集まりであっても貴族の社交の場に連れてきたことはなかった。二人でいる分にはいいが、一緒に連れて行けば自分が笑いものになることをどこかでわかっていたからだ。
旧友たちの面白がっている視線を受けてウィレムはいたたまれなくなり、適当に話を切り上げて逃げた。
気持ちいい酔いはすっかり醒めていた。
学園卒業からそう年月は経っていないはずなのに周囲は変わっている。
段々と現実が見えて来た。
マルエラとの関係に未来はない。
一方のアリエスは未来の公爵夫人としての教育も十分に受けていて、周囲からも羨望される立派な淑女で、自分の妻だ。
未来の公爵としてそろそろお遊びをやめる頃合いかもしれない。
ふと、視界にアリエスの姿が目に入った。
ウィレムは妻の方へと大股で歩み寄った。
「なあ、アリエス。ちょっといいか」
トビアスが軽食を取りに離れた隙を狙ってアリエスに話しかけた。
アリエスは静かにウィレムを見つめ返した。
「なに?」
「ちょっと話があるんだ」
そういってバルコニーに連れて行った。
「なんか、今までごめんな。俺、目ぇ覚めたよ。マルエラとの関係はもう終わらせる。これからは未来の公爵として、君の夫として頑張るよ」
アリエスの手を取ると、アリエスは一瞬身をこわばらせ、優しく手を振りほどいた。
「…今更、もう遅いよ」
「えっ…」
「おい!」
トビアスが二人の間に割って入った。
ウィレムから引きはがすようにアリエスの肩を抱くと、ウィレムをじろりとにらんだ。
あまりの剣幕にウィレムは一瞬怒ることさえできなかった。
「おい、冗談は止せ。アリエスは俺の妻だ」
「…2年も放置してよく言う」
「お願い、やめて」
アリエスの声に2人の男の間に流れる一触即発の空気が霧散する。
しかし、アリエスはトビアスの腕の中から動かなかった。
アリエスの青い目がウィレムを力強く見つめる。
「ウィレム。この社交シーズンに王都に戻ってきたのはあなたに大事な話があるからなの」
◆◆◆
この場では話せないというので3人は公爵家本宅へと向かった。
応接間にはすでに両親がウィレムを待ち構えていた。
公爵が顎で正面の席を指し、ウィレムは怖い顔をした二人の前にポツンと座らせられた。そして、アリエスとトビアスは斜め前の席に二人で並んで腰かけた。
この席次にウィレムの心はざわめく。他の家族のアリエスがトビアスの横にいることがさも当然とばかりで態度が不気味だった。
「ウィレム。お前にはがっかりだ。お前に公爵家を継がせる気はもうない」
口火を切ったのは父だった。
「学園にいた頃はモラトリウム期間だからと目こぼししてきたが、初夜も果たさず訳の分からん女に入れあげて…」
「待ってください、父上!初夜はアリエスの方が断ってきたんですよ!」
「黙れ。話は全部アリエスさんから聞いた」
「アリエス!父上に告げ口したのか!」
アリエスは小さく俯き、トビアスがその手を握った。
「何が告げ口ですか!」
ウィレムを叱り飛ばしたのは母である公爵夫人だった。
「公爵家として跡継ぎは死活問題なんですよ!未来の公爵夫人としての第一の責務を果たせずに申し訳ないと、アリエスちゃんがどれだけの覚悟で私たちに打ち明けたか…!」
ハンカチを握りしめた公爵夫人の手を公爵は軽く叩き、ウィレムに厳しい顔でまた向き直る。
「子供のことだけじゃない。お前は2年も収穫祭に来なかったな。将来的に自分が統治する領地への感心もなければ、公爵領に住む皆さんへの感謝もない!お前は公爵の器じゃない」
「そ、それは…」
ウィレムは気圧されそうになった。
視界の端ではトビアスがアリエスを慰めるように寄り添っていた。
夫の自分を差し置いて。
(またあいつに負けるのか)
そう思うと腹が立って、ウィレムは父親を睨み返した。
「じゃあどうするっていうんです?トビアスに継がせるんですか?トビアスがいくら父上のお気に入りでも、庶子である事実は変わらない以上、俺を廃嫡できるはずがない!公爵家の嫡子は俺しかいないんだから!!」
「お前はまだそんなことを…」
叱ろうとした公爵夫人を公爵は手で制する。
「嫡子はもうお前だけじゃない。『公爵家の妻』が『公爵家のタネ』から産んだ子供であれば嫡男になれる」
「は?」
公爵が手を叩くと乳母車を押したメイドが入ってきた。
トビアスがさっと駆け寄り、白いおくるみに包まれた爆睡中の赤子を抱き上げる。
「『お前の息子』だ。アリエスさんには申し訳ないが、トビアスと子供を作らせた」
「な…」
「ウィレム、私はな、お前が多少不出来であろうと、お前を公爵に据えて実務をトビアスにやらせればよいと思っていた。思っていたのだ…」
公爵は椅子の手すりを強く握った。
「今からでも遅くないでしょう!俺は変わります!ちゃんと公爵領を手伝いますし、本物の跡継ぎを作ることだって…」
「アリエスさんにまた別の男の妻になれというのか?こちらの都合で?」
「法的には俺が…!」
取り乱すウィレムの声に赤子がビックリして泣き出した。
「ああ、よしよし…」
赤子をあやすトビアスにアリエスが近づく。
二人で赤ちゃんをあやすうちに赤ちゃんは泣き止み、両親に向かってきゃっきゃと微笑んだ。
その様子はあまりにも家族だった。
ウィレムはもう何も言えなかった。
「ウィレム、この書類にサインをするなら別宅はお前に譲ろう。自立するまでの生活費も出そう。…いい加減、大人になりなさい」
差し出されたのは王家の印が押された2枚の書類。
爵位を名義上の息子に譲ることに同意する書面と、その息子の親権をアリエスに一任し、後見人としてトビアスを指名するという内容の書面。
この2枚にサインをすれば公爵家の跡取りは正式にあの赤子になる。
抵抗することはできた。
しかし、ウィレムは駄々をこねたりしなかった。
サインを終えて羽ペンを置くと、ウィレムはアリエスに頭を下げた。
「今まですまなかった。…公爵家をよろしく頼む」
アリエスは小さくうなずいた。
◆◆◆◆
アリエスにとって1つ年下のウィレムは大事な婚約者だった。
ちょっと怠け者だけど優しい所もあったし、学園に入りたての頃は「トビアス先輩の弟なのに~」という心無い比較だって「何くそ!」と悔しさをバネにしていたし、そんな不器用なところを支えてあげたいと思っていた。
マルエラにうつつを抜かして勉強をサボるようになるまでは。
一学年下にとんでもなくふしだらな悪女がいると聞いた時は笑ったものだ。王子やその友人たちを手玉にとっていると噂のヤバ女も、股の緩い女をチヤホヤともてはやす男たちも。
「小説じゃないんだからそんなバカいないでしょ」って本気で受け取っていなかった。
そんなバカの1人が自分の婚約者であることも最初は悪趣味なジョークだと思った。
そして気づいた時にはウィレムはアリエスの話を聞かなくなった。
「グチグチとうるさいな!アリエスは話が長いんだよ。もっと簡潔に喋れないの?年上だからって偉そうにすんな!」
そうやって遮って。話の中身は一切ウィレムに届かなかった。
「まだあいつに期待してるの?」
トビアスには何度もからかわれた。
「婚約解消したいなら父上の説得は俺も手伝おうか?」
「そういうのいらないから。私はウィレムの味方でいてあげないと…」
ウィレムは悪い人じゃない。
愚かで不器用でもいつか気づいてくれるとアリエスは信じたかった。好きだから味方でいたかった。
夜会をすっぽかされてトビアスにエスコートされることが続いて、「トビアスの方がお似合いね」なんて周囲に言われても、当事者のアリエスが否定して回った。
「トビアスとはただ学年が同じだからつるんでるだけ。ウィレムもいつかは目が覚める」
でも、ウィレムに『いつか』は来なかった。
彼が公爵家の跡取りとしての自覚を持つことはなかった。
アリエスが何を言っても『うるさくて長い説教』として右から左に受け流された。
忠告も懇願も彼には届かなかった。
だからアリエスは決断するしかなかった。
ウィレムがいつまでも子供だから、アリエスは先に大人になるしかなかった。
未来の公爵夫人として、ウィレムへの情で彼を甘やかし続けることはできなかった。
公爵夫妻に結婚半年経っても未だ初夜すら迎えていないことを告げた時は絶句された。
怒られることも覚悟したが、公爵夫人は黙ってアリエスを抱きしめた。
「あのボンクラ息子…!」
そしてすべてはすごい速さで決まった。
アリエスは、すでに父親から公爵領の管理を任されているトビアスと一緒に暮らすことになった。表向きは公爵領について学ぶため。内情は内縁の夫婦として、公爵家の跡取りを作れというのが公爵の意向だった。
公爵夫妻には何度も謝られた。
しかし、ウィレムへの想いを断つと決めたのはアリエス自身だった。
「ごめんね、アリエス」
公爵領での初夜で、アリエスを寝台に横たえながらトビアスは言った。
「公爵領を支えて君の役に立つことで満足するつもりだった」
トビアスの手がアリエスの頬を撫で、熱く湿った唇でアリエスのそれを塞いだ。
「でも本当はずっとこうやって君に触れたかった。こんなことになったのが、俺は嬉しくてたまらない。君の不幸を喜ぶ男でごめん。ずっと好きだった」
「……知ってた」
「愛してる。君が振り向いてくれるまで俺、頑張るから。今だけは俺を見て」
アリエスの華奢な体に覆いかぶさったその肌は初冬の枯れた夜気のなかでもなお熱かった。ウィレムがついぞアリエスに与えることのない熱情だった。
そうやってアリエスを宝物のように丁寧に紐解いたたくましい腕は、今やアリエスの産んだ宝物を大事に抱える父親の腕になった。
ウィレムが去ったのち、アリエスはトビアスと同じ客間のベッドでぼんやりとトビアスが乳母車を揺らすのを見ながら考えた。
ウィレムへの話が問題なく終わったので、明日朝一で二人は公爵領に戻る。
きっともう、ウィレムと会うことはないだろう。
乳母車から規則正しい寝息が聞こえ、トビアスはアリエスの隣に寝そべった。
「はぁ。やっと寝た」
「お疲れ様」
「ねえ、アリエス。今、ウィレムのこと考えてた?」
トビアスの不安そうな顔にアリエスは苦笑いを一つこぼした。
その頬に手を添えてそっと引き寄せる。
「ううん。トビアスなら二人目の子供も大事にしてくれるかなって」
わざと息がかかるように耳元で囁く。
離れようとしたアリエスの体をトビアスがギュウギュウと力いっぱい抱きしめた。
「からかうのはよせ。君の懐妊からずっと俺が我慢してるの知ってるよな!?」
(私の体調を気遣って手を出してこないのがわかってるから安心してからかえるのよね…)
ウィレムへの未練が消えるのはまだ先かもしれない。
大人になると決めてからも、割り切れなかった部分はある。
しかし、それは目の前の愛しい男を捨てるほどの価値も熱量も持たない、ささやかな感傷にすぎない。
アリエスは笑いながら真っ赤になったトビアスの首筋に腕を回した。
どうしても癖ェが出てしまって申し訳ないが、
やはりヒロインには重ための愛情を抱いてそうな男とくっついてほしい(ろくろを回す手つき)
「大人になれ」って言葉は往々にして相手を抑圧してなんかしらを諦めさせるために使われるネガティブなイメージですけども
大人になること自体は失うものもあれば得るものもあって、悪いことばかりではないんじゃないかなと




