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通知が鳴らない世界で

作者: 霧間愁
掲載日:2026/05/16

 世界の終末というのは、きっとこういう光景を言うのだろう。


 見上げた後、思わずスマートウォッチで時間を確認してしまった。5時半の表示がなければ、夕方なのかと錯覚してしまう。

 夕焼けのように紅い朝日に無数の鳥たちが飛び交い、蠢く黒い雲のようにゆっくりと近づいてきていた。

 このまま世界が終わってしまうのだ。

 そんな不吉な感想を持ててしまう光景をキャンプ場で独り目撃してしまったせいだろうか、不安が心の中にぽっかりと浮かび上がってきていた。川のせせらぎが聞こえてくるような、集落から少し離れたこんな場所では、孤独感も相まって余計にだろう。

 日常の習慣で早起きをしてしまった私は、目の前の非日常的な光景負けずに、思考を切り替えることにした。今日は昼間で眠っていられるのにも関わらず、早朝の珈琲を楽しむために、わざわざ寝袋から這い出してきたのだ。

 空を見上げつつ、ペットボトルから湯沸かし用の小さなやかんに水をいれる。キャンプと言いつつ焚火ではなく、携帯用のガスコンロにかけた。高くない給料からひねり出して購入した私物でお気に入りの品だった。

 ここの管理人も兼ねているせいで薪代を節約する思考が先行してしまうのだ。重要な売り物なので、結局、薪をつくることにはなるし、撒き割は私の仕事なのでどっちにしろなのだが、汗をかけば良い、というにはそろそろ無理な年齢ではあった。加齢による怠惰というは確かに存在していて、行動と気力を抑制すると私の考えた妄想上の学者も言っている。

 蠢く空をまた見てしまった。自然とは時より、私たちが思ってもみなかったものを見せたり聞かせたり、体験させることを理解し知っている。

「異常気象のせいかなぁ」

 思わず呟く。40を前にして何を怖がっているのだと、自分に呆れた。視界の端で薄白い空と朝日にまとわりついている群鳥は、なかなか消えないようだ。

 加えて明日になれば、また憂鬱な日常が始まることも心を陰鬱にしている要因かもしれない。思わずため息が出てしまった。

 200人前後の集落だが、人間関係は実に重たい。いや、一度出て行ったという事実に、ただただ気後れしてしまっているだけなのだろう。

 やかんから白い湯気がではじめた。


 この島、青嶺島は総面積は1.38平方㎞、周囲は4.8㎞の瀬戸内海に浮かぶ小さな島だ。これといって特産はない。特徴特色といえるか判らないが、この集落は大手企業の工場誘致のために大手不動産会社が手を入れたベッドタウンの一つ、といえば聞こえは良いだろう。

 島に散らばっていた家々は、橋近くに集約された。出戻った私には、もはや別の集落だ。

 本島につながる橋は近代化されていて、大嵐や台風が来ない限り、少し離れた隣町の感覚になりつつある。説明会で言っていた売り文句は確かにその通りで、島民のほとんどは、誘致された工場で働く。

 けれど、110世帯前後の住宅街には、消防署という名の消防団や公民館を根城にする世襲制自治会長が存在しており、まるで村が中身そのままで外側だけ繰り上がったようだ。

 権力を振るう自治会長と世襲を信じて横暴に振る舞う息子、世襲を阻止するために様々な試みをする消防団団長とその子供たち。絵に描いたようなその関係図は、昼ドラを観なくてもすむくらいドロドロとして、日々の応酬は週末になると誰もが疲れ切るのだ。

 また明日からそれに巻き込まれると思うと億劫にもなる。


 珈琲用のお湯が沸き、インスタントを入れたステンレス製のコップから好ましい匂いがこぼれた。軽くコップを揺すって溶けるのを急かす。

 本来ならば心落ち着くところだが、鳥影から鳴き声が聞き取れるほどの距離が少し五月蠅く感じた。

 もし自分が迷信好きの人間だったなら、この薄暗い朝の空は何かの兆候と言っても過言ではないのだろう。けれど私は文明社会に生きているのだ、と心の中で不安と折り合いをつけるためにスマートウォッチからBGMを選曲した。不安を消すためのオマジナイだ。

 上空の状況とは、真逆な曲が流れだした。

 「鳥か」呟いて動画サブスクで見かけたヒッチコックの映画を思いついたが、そのものをちゃんと観たことがないことも思い出す。

 もともとの予定では今日は夕方に帰るつもりだったのだが、不安な気持ちのおかげでどうするかを考えあぐねた。熱いと解っていてもステンレスのコップを近づけて啜る。

 これを飲みきったら、帰ってもいいかもしれないとも思えた。

 コップ片手にスマホを取り出して「鳥異常行動」と検索。今度は出てきた単語を調べていった。エルニーニョ現象と出てきたので、起こったかを気象庁からの発表やらをネットで探した。ざっと調べたが、今年がそうであると該当する記事はないようだ。

 検索は、「鳥異常行動」や「今年の冬は暖かい」などのキーワードが続き、「米の高騰」が目に入った。米という単語から連想して、集落で米作りをしている木村の愚痴が頭の中で再生される。

 木村はいつも何かに言い訳や不満を口にする人間で、少々厄介な存在だ。私と同じく消防団に入っていたのだが、訓練で「これは実践では役に立つのか」と私にだけこっそりと言い、事前に伝えた訓練日に用事を入れ訓練不参加を申し出てくるのだ。そのくせ年間報酬は、きっちりと貰おうとする。

 月の訓練参加回数で報酬は決めているので、彼の言い分はまかり通らない。其れを伝えると、木村は訓練の参加しなくなった。


 ため息がでた。

 集落の人間関係を忘れるために、この場所で孤独に浸っているというのに、個人的な負の感情で他人を思いだしてしまった。

 木村の作る米は、それはそれで集落の人間からは好まれているし、木村の人なっつこさは小気味はよいのだ。

 ただ厄介な小言を言う、オマケ付きというだけだ。

 独り首を振って、温くなった珈琲を啜った。現実逃避のためにソロキャンプをしているのに私は自分の性分に疲れてしまう。鳥たちは私のいるキャンプ場を通り越して、集落の方へと飛んでいった。カップを片手にそれを見送る。

 少しずつだが空から黒い塊だった鳥が少なくなっていった。夕日のような朝日を連れてきた鳥たちは、世界の終わりには早すぎと思ってくれたようだった。

 思わず私は唇を片端をあげる。どうやら世界というか、自然にからかわれた。そういう事だ、そういう事にしよう。

 もやもやとしていた不安に納得して、今日の予定をぼんやりと考える。細かくは考えない、大まかに、だ。

 せせらぎと草木が風にそよぐ音がやけに聞き取れる。鳥たちの大移動のせいだろう、キャンプ場から“音”がなくなっていた。

 朝の囀りは当然なく、動物たちの気配もない。青嶺島には人慣れしてしまったアカネズミがいるのだが、今日は現れていなかった。

 キャンプ客の残飯目当てで、よく集まってしまう。私の仕事の一つに彼らの追い出し作業もあるが、今日はその仕事もしなくてよさそうだ。

 そもそもあれだけの数の鳥たちの移動だったのだ、鼠も警戒して当然だと思い、珈琲を飲み干した。


 心地よい風が凪いだり、吹いたり。

 流れる雲、眺めていた。


 頃合いなので、貸し出し用のテントを折り畳んでいく。

 組立にも収納するのにも時間がかかると文句を言う隣人を思い浮かべながら、キャンプ場の点検も少ししてしまおうかと考えた。気分は先ほどよりも、よくなっていた。

 キャンプ場倉庫の定期点検日までは少し期間はまだあったが、どうせ私の他に誰もしないのはわかっていた。バレはしないだろう。

 管理用の小屋を開け換気をして、薪の数と販売用の食品(といっても、缶詰や保存のきく物だが)の期限確認だ。そんなことをしつつ、頭の片隅でキャンプ場の一番の苦労を思い出していた。トイレの清掃と壊れていないかの点検は別日でもいいかもしれない。

 鼠が入ってこないように窓を開けると素早く網戸を閉じた。噛み切られないような頑丈な物なので少し重たい。

「しかし、本当に静かだな」

 独り言を吐いたものの、やはり静かすぎる気がしていた。

 風にそよぐ草木の音はある。川のせせらぎもだ。

 集落から離れているとはいえ、このキャンプ場はこんなにも静かだったろうか。倉庫の床を簡単に掃いて、ゴミというか土埃を外へと放り出した。扉にだけ施錠して、帰るときに閉めればよい感じの換気なるだろう。

 そういえば、今回のキャンプ場で鼠を一匹も見ていないことを思い出していた。

 鼠どもが鳥を気にするのは猛禽類だけだと思っていたが、今朝の鳥たちの中に肉食や雑食はいたのだろうかとぼんやりと考える。考えながら私は掃除道具を片手に、集落を一望できる場所へ向かうかう事にした。仕事の一部を楽するために休日の一部を台無しにするのは、なんとも矛盾していると自覚しているが、どうにも性分だった。

 何故か、鼠たちはここのベンチを大層気に入っているらしく、餌の隠し場所にしていた。まぁ貯食行動の果てに忘れられる木の実というのは確かに微笑ましいが、定期的に吐き出してやらないと什器の損傷していくのだ。管理人の立場からとしては迷惑この上ない。

 二代目のこのベンチを守るべく、私と鼠の彼らとの静かな闘いがあった。いや、戦いは今も続いている。

 青嶺島の居住区というか集落が見えてきた。奥には本当に続く橋が見える。

 島に点在していた家々は、25年ほど前に企業と自治体が共同で建設した橋が完成し、その周辺に集まり始めた。橋近くがニュータウンとして開発され全島民が橋近くに住むようになったのは、もう10年前のことだ。

 私は高台にたどり着いて、ベンチ上と周りを簡単に掃き、土埃を落としてから、ベンチの小さな隙間に入れられた木の実を探す。

 ビデオゲームのRPGでもベンチを調べるというのは、なかなかないのではないだろうか。案の定、いつもの箇所に仕込まれた木の実を掻きだした。放置するとカビ発生させ、什器を腐食させる。殺鼠剤を使ってしまいたいが、生態系を破壊してしまうのが目に見えていた。

 鼬ごっことわかっているが、ベンチをこまめに掃除する方法をとるしかない。それにこの掃除の作業は私は嫌いではなかった。鼠の視点になれるかどうかの想像力の勝負、念入りに確認しないと見逃してしまう。没頭すると、考えないといけないことと考えても仕方ないことを忘れれるのだ。

 取り出した木の実を掃いてゴミ袋に詰めていく。

 掃除を始めて数十分といったところだ、乾いた破裂音が耳に届いた。

 鼠たちとの知恵比べに夢中で遠くで何かが爆ぜたのだろうと思ったが、「爆発した?」と顔を上げ、集落の方に眼をやる。


 太陽が上り始めた青空に、茶黒い一筋が見えた。


 現実離れし過ぎていて一瞬、何も感じ考えられなかったが、目の前の風景が現実だと飲み込み、軍手を脱ぎ捨てポケットから携帯を取り出す。確認するが通知の類は無かった。

 あの爆発音と煙なら消防団用の緊急連絡が、入るようなものだが、私用の携帯は沈黙したままだ。厭な予感が渦巻き始めていた。

 グループチャットを立ち上げて『大丈夫?』と一言送ったが、やはり誰からも既読も返信もない。

 いつもなら一番年下の渡辺くんが返事をくれるのだが、それすらもなかった。数秒待てど誰一人既読すらつかない。やはり何かあったのだろうか、それとも私以外出動済みなのか。

 煙が上がっている場所に目をこらした。あそこは、佐藤さんと渡辺くん一家が住む付近だ。LPガスに火でもついたのかもしれない。

 消防団団長に電話をかけようとしたときだった。

 視界の端でチカリと何かが光る。そして爆発音。

 おもわず屈んでしまうが、衝撃波が飛んでくるような規模ではなかった。

 音の方に眼をこらすと今度は橋付近の方だ。此処からだと誰の家かは判断が付かない。手に持ったままになっていた携帯で消防団団長に電話をするが、つながらない。

 呼び出し音を重ねるにつれて、私の中で焦りも比例していく。

 帰巣本能なのかわからないが、「帰らねば」という焦燥が湧き上がった。

 私は掃除道具を手に取るとキャンプ場から出ることを決める。幸い帰り支度はほとんど済ませているのだ。

 管理用の小屋の戸締まりをした。あの煙が火事なら、しばらくはキャンプ場業務には戻ってこれないだろう。

 自分の手荷物の積み込み、忘れ物チェックを終えて車のエンジンをかけた。

 落ち着かなくてはと心の中で言い聞かせて、アクセルを踏み込む。

 ランプが点灯、警告音。サイドブレーキを外し忘れていた。


 キャンプ場へと続く曲道を抜け公道に出ると、すぐに静恵さんの家が見えてくる。

 井伊静恵さん。五年前に旦那さんを脳梗塞で亡くしてから、ずっと独りだ。ただ噂好きのオバサマというのが、私の印象だ。彼女は企業の島開発で住まいを変えたわけでなく、ずっとあの家に住んでいた。

 静恵さんの家の様に古びた民家というは、集落にほとんど残っていない。私が知る限り、この静恵さんの家と去年家主が亡くなり廃屋になってしまった家が一軒。

 静恵さんの家の前に車を止めて、窓を下げて静恵さんの名前を呼んだ。

 返事はない。

 あれだけの黒い煙なのだ、何かしらのことは知っていそうだとふんでいた。村社会の噂話が廻る速度は早いと言われているが、この集落の情報伝達速度は異常に早い。携帯が普及し、気軽に電話ややり取りが出来るようになってからは、より一層だった。

 静恵さんもその情報網に参加しているので、話を聞ければと思ったのだ。

 もう一度呼んで、車を降りた。

 静恵さんは五十代で若々しく二十代の頃は美人だったと想像できるし、同世代の男性連中は未だに静恵さんの前だと大人しくなる者もいるくらいだ。

 朗らかによく笑う人でもある。

 庭先には洗濯物が干されており、明らかに在宅していと思っていた。

 玄関のチャイムはついておらず、引き戸を開けて名を呼んだ。恐らく居間から流れている音はテレビからのものだ。

「おじゃまするよ」

 私はそう言って家の中に入っていくと、居間にはつけっぱなしのテレビが流れていた。一度でも島から離れた生活に身をおくと、どうにも勝手に他人の家にあがるのは抵抗感がでる。が、そうも言ってられない。机には食べかけのお菓子にお茶。ほんの数分前までそこにいたような、そんな残り香。

 爆発現場を見に行ったのか、それとも何処かに避難したのだろうか。

「じゃましたね」

 どうにも厭な予感が拭えないまま、私は踵を返すと車に戻った。

 車を走らせて、集落の中心に近づいていく。

 この道は本島まで続く橋まで続いており、集落の中心的建物である公民館と消防団詰所に行くことが出来る。集落はこの道に出なければ、橋にも生活することは出来ないのだ。けれど走れど走れど人の気配はやはりなかった。段々とこの無人の風景に恐怖と不安が増さっていき、それに連れて自動車の速度が落ちていく。

 浜本鉄平の店が見えてくる。親の家業を継いで集落の唯一雑貨屋、浜本商会も閉まっているようだった。スーパーよりも小さく雑貨屋というには大きすぎるこの店は、コンビニとカフェを兼ねていると言った方がいい。麦茶と珈琲がワンコインで飲め日用品雑貨が買える。いつものこの時間ならば店の軒先で誰かが井戸端会議をしてるのに、今日は誰もいない。店中を覗くか迷ったが、シャッターが下りているのは走る車の中からでも判った。

 小中高の同級生の向井碧が嫁いだ瀬戸家も静かだ。今日は確かBBQ(バーベキュー)をすると言っていた。「キャンプ場でしなよ」と言うと「お金かかるでしょうが」とスタンプ付きで返してくれた。そろそろ用意を始めないと昼兼用の夕ご飯には間に合わないが庭をのぞき込んでも、グリルすら見つけられない。

 まるでこの集落の時が止まってしまったようだ。ハンドルを握る手に力がこもる。

 真鍋さんの処に差し掛かって、毎日干してる布団がないことに気がついた。この時間帯は、真鍋拓真が奥さんの代わりにベランダに上がっているのはずだ。婿養子という立場だからなのか奥さんにぞっこんのせいなのか、それとも単純にそういう性格なのか。そんな彼の姿は、なかった。

 石田瀬里奈の家は変わらずだ。玄関に植木鉢の花が飾れられ、夜になると目立つ電飾がベランダと壁に設置されていた。彼女は私に会うと必ず結婚して幸せだという態度とり言葉を並べてくる。嫁姑の関係が良好ですという周囲へのアピールも鼻につくのだ。家の表札を見ただけで邪悪な感情が生まれたが、すぐに恐怖心が勝った。

 車はノロノロと走るが、後ろからはクラクションはない。

 この集落では名士と言ってもいい家々を通り過ぎ、路肩に車を停めた。眼前には自転車もなく誰も歩いていない、対向車線やバックミラーにも車の姿はない。

 ポケットに入れた携帯を取り出す。手が震えていることに気が付いた。私の隣人で仲のよい村上航平に電話をかける。呼び出し音が無常に鳴り続けた。やはりでない。

 携帯の電池残量が少なくなってきていた。それでも私は、携帯に入ってある島民に電話をかけてみた。けれど誰からも返答はない。


 落ち着いて、落ち着くの、私。

 小さい深呼吸。


 私は一旦消防団詰所がある公民館に行くことにした。もしかしたら、誰かしら避難をしているかもしれない。状況がわからないことには、避難すべきなのか、それとも救助活動に向かうべきなのかも決めれないのだと自分に言い聞かせた。

 サイドブレーキをはずして、アクセルを踏む。

 公民館につくと、詰所の入口に違和感を覚えた。いつもは車庫のシャッターは開いているのだが今日はシャッターも下され、扉も鍵がかけられている。嫌な予感のまま私は持たされている鍵で扉を開けると、伽藍とした室内に絶望した。

 おろされたシャッターの先、消防団が保有する車両がなくなっていたのだ。

 放水車ではないが、緊急出動できるように装備が備えられ赤く塗られた四輪駆動が、いつもの駐車スペースからなくなっていた。もしかしたらキャンプ場でみたあの煙に向かって出動しているのかもしれない。でもそれなら、シャッターを下ろす必要はないのだ。消防団車の中には無線機が積まれていたので、それで本島とのやり取りをする算段も少しあったので、私の気持ちは格段に沈んだ。

 装備室というの名の車庫を後にして、公民館側へと移動する。いつもの老人たちがだらけた格好で管を巻いている姿をこの時ばかりは期待した。

 心の底から「いてほしい」という願望が高まっていく。

 期待したら駄目だ、自分の感情を制御しようとした。


 公民館への扉を開ける。

「あ」

 遅かったじゃねぇか。と、言ってのける消防団長の幻を見てしまった。


 いつもの展開であれば、消防団長と自治会長が言い争っているはずだった。まとめ役を自称する自治会長の息子が2人を諫める。

 火急の事態が起これば何故か一致団結する。

 そんな光景があったはずだ。

 一年前にかえられた畳はまだ青く、集落の主要な人間が集まってもまだ広い室内は静かで閉められた窓のせいで薄暗い。

 我慢していた涙が堰をきり、崩れ落ちた。

 膝に力が入らず、その場に座り込んでしまう。ただ怖い。感情に塗りつぶされて、他に考えられない。他に言いようのない単純な恐怖が私を襲っていた。吐いて吸っての呼吸音が早くうるさく感じる。

 携帯を取り出して発信履歴で、村上航平という文字と言葉と名前を眺めていた。無意識だった。もう一度リダイヤルする勇気はなくなっている。画面内右上が赤い。

 勤めていた会社のキャリア組から転落し、将来を誓い合った恋人を奪われて、生まれ育ったこの島へ逃げ帰って、始めて出来た友人。

 ほぼ全員が知り合いの島の中で彼は「外」からの移転組、存在が浮いてしまいそうなモノだが、いとも簡単そうに彼は馴染んでいた。本島にある工場の主任のようなポジションで赴任してきたので、工場で働く島民たちの上司にあたる人。歳は私と近く、……単身赴任。

 出会いは6年前の夏祭りだ。

 同級生の碧に引っ張り出され、缶ビール片手に屋台の串物を頬張りながら歩いていると、「瀬戸さん、こんばんわ」と挨拶をされたのだ。

 何の話をしてた時だったろうか、「アンタ子供は?」「預けてきた」「をい」「育児ホーキじゃないから、息抜きだから」そんな不穏な会話をした覚えはある。

 向こうからしたら、島にやってきた新しい労働力の確保と挨拶くらいのものだったろう。祭りの日に襟付きを着ていて好かしているなと思った。顔の雰囲気は奪われた恋人に似ている。

「今晩和」と自分でも余所行きの声がでて驚いた。


 それから、……。


 何処かで爆発があった音が耳に届いた。坐っていなければ判らないような小さな揺れ。

 私の中で警鐘が五月蠅くなった。

 我に返って涙を拭いて外に出る。此処からすぐの場所のようだ。

 焦げ臭い風が鼻に届く。

 私は自分の車に乗り込み、空を見渡しながら走らせた。視界で確認できる立ち上る煙は二本。爆発回数から考えて三ないとおかしい。この橋まで一直線の路は、集落の隅々まで把握できるからだ。

 行ってどうする?消防団の装備もない!と私は自問自答しながら、「行ってから考えろ」と消防団長の言葉を思い出していた。もう使命感だけだ。

 途中、キャンプ場からみた爆発現場、佐藤さんの家の前を通り過ぎる。

 焦げていた。燃え終わったというよりも、何かに炙られたような感じだ。車から降りずに窓だけ下げて見分する。

 家のほとんどは爆風で吹き飛んで、一部分がパチパチと燃えていたが、煙を出していたであろう大部分は沈黙してた。

 「佐藤さん」と呼びかけるか誰からも返事はない。諦めて車の速度を少しあげた。

 抜け道を通り、新しく立ち上る煙に向かっていく。風向きの関係だろうか、焦げた匂いが感じられなくなっていた。あの煙の量なら本来は燃え続けていてもおかしくないのに、と思いながら公民館で聞こえた爆発音の前にたどり着く。

 「なんなの」と思わずつぶやきながら、降車した。

 たしかここは島田陽葵の家。1つ上の幼馴染で、中学高校とよく出かけた記憶を思い出す。

 彼女自身は結婚して、もうここには住んでおらず彼女の両親が住んでいたはずだ。佐藤さんの家と同じように家は瓦礫と化しており、違う点と言えばまだ黒い煙が立ち上っている事ぐらいだろうか。

 焦げ臭いが、熱はあまり感じない。

 思い返せば、久々の現場(げんじょう)だ。前は田中さんちの小火(ぼや)騒ぎだった。無駄と判りながらも、瓦礫に向かって「島田さん」と呼びかける。この爆破規模だ、と思いながらも挫けたくなかった。私のなかが恐怖とちっぽけな使命感で揺れ続ける。

 けれど、大声は出せなかった。

 今、防煙マスクがないのが悔やまれる。もっと近づいて呼びかけたいが、どうにも煙が多かった。知識を持って訓練を受けた身としては、なかなか近づきたくても近づけない。火事は色々な物を同時に燃やし尽くして、最悪化学反応を起こしてしまう。そんな煙を吸えば、只ではすまないのだ。

 窒息、一酸化中毒、火傷、瓦礫による圧挫もしくは頭部陥没。幾つもの死因が浮かんで、かき消す。かき消そうと大きな声を出した。

 二次災害だけは、避けたかった。

 目の前で煙を上げる家だった物で、ふと思いつく。燃えない理由は半分鉄筋コンクリートのせいかもしれない、と私は「島田さん」と呼びかけながら考えに至っていた。

 今、ほどんどの島民は企業が用意した建物に住んでいる。その大規模な計画の実行のために建物の規格は同じで、木造部分を少なくなるように作られていた。

 本島で作る工場の建築材料が余ったので使い回したというのが、もっぱらの噂だった。

 公民館で話されていた噂レベルの建設手順を聴く限りではあるが、建築基準法ギリギリなんじゃないかと言うのが感想だ。いや、それどころではない。

 そんなことを考えていたら、大きな音が鳴った。

 地震とも思える様な振動と耳が閉塞されたような耳鳴りに襲われる。立ってられずに私は倒れてしまった。いや、ちがう衝撃波で倒れたのかもしれない。頭はうたなかったが、急なことに混乱した。

 煙があがった家々に既視感を覚えていたが、そうだ、思い出した。

 ニュース動画でみた国外内戦で爆撃された病院や学校の映像だ。

 戦争という言葉が、クラクラとする頭によぎる。


 何とか起き上がると、後ろにあったはずの家が同じように吹き飛んでいた。


 嗚咽。瓦礫になった周囲のなか、私は恐怖で逃げ出したくなっていた。もしかすると本当に爆撃されているのかもしれない。ふらつく足のせいで車に寄り掛かった。呼吸が難しいと思ったのは、あの日以来だ。

 一刻も早く、逃げなくては。

 今この島は特別警戒区域(レッドゾーン)なのかもしれない。後ろにあった波多野さん宅は、跡形もなくなっているのだ。それは半壊どころではなかった。

 私がキャンプ場で眠っている間に何かしらの、……戦争が起こったのかもしれない。車の中に逃げ込んだ。

 もっと正確な情報が欲しいが、ここは危険だ。離れよう。

 私は車に乗ってエンジンをかけようとした。エンジンが、かけっぱなしであることを忘れて。

 舌打ちをして思いっきりアクセルを踏んだ。


 携帯で島の外にいる人間に片っ端に電話をかける。勿論、運転をしながらだった。

 やはり誰も電話に出ることはない。

(この世界には、私しかいない……)

 妄想めいた事実で発狂してしまいたい私は、それを何とか堪えていた。島と本島にかかる橋を目前に迫っている。橋を通り本島にいけば誰かの助けを求めれる、そう思っていた。

 その音は気の抜けた音だった、と思う。

 走っていた間近の家が爆破し一瞬の炎に驚いた私は、反射的にハンドルを切って電柱に衝突した。

 気が急いていたといえば、それが言い訳になるのだろうか。


 目が覚めると、本島の病院だった。窓から見える景色ですぐにここか何処かは理解できた。島には病院も診療所はないので入院や手術となると、この病院にお世話になるのだ。街並みを見ればすぐに分かった。

 視線を正面に向ける。

「見知らぬ天井……か」

 大人になる前にハマっていたアニメというのは、こんなにも思い出せるものだろうか。目覚めたその日のうちに警察の人間がやってきて、あれこれと事情を聴かれた。隠すこともないので、私は素直に答える。日付を訊くと私は丸々1日眠っていたようだ。

 そして同時に私がこの病院にいる理由も解った。

 瀬戸内海に漂っていた私は、海上保安庁の巡視船に保護されたらしい。島民の誰かが運んでくれたというわけではないことは確かで落胆した。

 最後の記憶では車で事故を起こした直前なので、どうして海で彷徨っていたのかはわからない。

 財布、身元確認のための運転免許書や電池切れのスマホを並べられ、私の物かを尋ねられ一つ一つ触って確かめた。車の中にあったはずの鞄が私と共に浮かんでいた、らしい。

 確かに私の物で間違いはなく、少し安心した。


 私がここに至った説明を始めると、警察の二人組は眉を顰め始めた。

 肩透かしな感覚に襲われ始め、段々と必死に説明し始める私を看護師が宥めてくれる。

 警察の人間が残念そうな顔をしながら、私に告げた。

――そんな島はこの国には、存在しない


 私は怒鳴った、そんなはずはない、と。免許書には確かに記入されていると指をさした。あの島で育ち生活してきた想いが胸に渦巻いている。

 余りの興奮に担当医師が看護婦から注射器を受け取ったのは視界の端で見えていた。

 鎮静剤を打たれたのだろう私は気を失った。


 目が覚めると病室。カーテンは閉められているが外が暗い。

 感情が抑えられなくなって怒鳴ってしまったことを後悔した。

 これでは、会社から追い出された時と同じではないか。

 小説や映画の様にどこか別の場所に運ばれたりとかはないようだと馬鹿みたいなことを考えて気を紛らわそうとした。

 刹那の現実逃避を終えて机の上には私の携帯が置かれていることに向き合う。有難いことに充電もしてくれていた。

 電源をつけて、指紋認証でロックを解除する。

 通知を確認するがゼロ。

 唾を飲んで、喉が鳴った。

 唇をかんだまま、電話帳を確認する。

 島の人たちの電話番号は確かに保存されていた。深く息を吐く。私が狂って自分でも判断できない妄想を並べ立てていたらという妄想は否定できた。けれど解らないことだらけ。

 どうして島のことを警察は知らなかったのだろうか。その場にいた医師や看護師も同じような反応だったことを思い出した。

 本島に住む島田陽葵のことを思い出し、島のことを覚えていないかを尋ねてみることにした。

 まずは退院をしなければならない。

 もし、彼女が無理なら村上航平の妻に会いに行かなくては。


 無意識に出たのは、重い重いため息。

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