第5話:噂は真実より速く走る
王都という場所は、奇妙な生き物だ。
事実が生まれる前に、噂が走る。
真実が語られる前に、評価が固まる。
そして——
断罪を覆した令嬢の名は、夜会の翌朝には、すでに王都中を駆け巡っていた。
「聞いた?
第一王子を論破したって……」
「魔法で夜会場を密室にしたそうよ」
「怖いわ……でも、少し見てみたいかも」
馬車の中。
カーテン越しに聞こえてくる囁きに、私は小さく息を吐いた。
(ええ、そうでしょうとも)
英雄は持ち上げられ、
異端は恐れられる。
どちらも——本人の意思とは無関係に。
クロムウェル公爵邸に戻って間もなく、
執事が控えめに告げた。
「お嬢様。
面会を求める方が……」
「もう来ましたの?」
私は紅茶に口をつけながら、微笑む。
「早いですわね」
応接室に通されたのは、
中年の伯爵夫人だった。
顔色は青白く、手袋を外す指が、かすかに震えている。
「エレーナ様……!」
彼女は、椅子に座るなり、深く頭を下げた。
「どうか……
どうか、娘を助けてください……!」
「落ち着いて。
まずは、お話を」
私がそう促すと、伯爵夫人は、途切れ途切れに語り始めた。
「娘のマリアが……
“窃盗の疑い”をかけられたのです」
「窃盗?」
「王宮の宝物庫から消えた、
小さな魔導具……
それが、娘の部屋から見つかって……」
私は、扇子を軽く開いた。
「それで、娘さんは?」
「否定しています。
ですが……状況証拠が、あまりに……」
(なるほど)
私は内心で頷く。
(王子事件の再演ですわね。
証拠はあるが、論理がない)
「伯爵夫人」
私は、はっきりと言った。
「私は、現場には行きません」
「……え?」
「証言と状況、
それだけで十分です」
夫人の目が、見開かれる。
「ですが……」
「“安楽椅子探偵”ですもの」
私は、微笑んだ。
「さあ、順に確認いたしましょう」
「宝物庫から盗まれたのは、いつ?」
「三日前の夜です」
「宝物庫の管理者は?」
「二名おりますが、
その日は一人が病欠で……」
「残った一人は?」
「娘の……幼なじみです」
私は、そこで扇子を止めた。
「なるほど」
視線を上げる。
「では質問です。
その魔導具——
単体で作動しますか?」
「……いいえ。
起動には、管理者用の鍵石が必要です」
私は、確信した。
「結論から申し上げます」
私は、静かに告げた。
「お嬢様は、犯人ではありません」
伯爵夫人が、息を呑む。
「なぜなら——
盗まれた魔導具は、
鍵石なしでは無価値」
「つまり、盗んだ人物は——」
一拍。
「最初から、管理者でなければならない」
夫人の顔が、青ざめた。
「では……」
「ええ。
犯人は、病欠を装った管理者か、
残った管理者。
そして——」
私は、静かに付け加えた。
「娘さんに罪を着せるため、
部屋に魔導具を置いた」
夫人は、震える声で言った。
「……なぜ、そこまで、わかるのですか……?」
私は、扇子を閉じる。
「論理は、裏切りません」
立ち上がり、微笑む。
「この件、私が宰相に話を通します。
王子の件の“余波”もありますから」
夫人は、再び深く頭を下げた。
「ありがとうございます……
探偵令嬢様……!」
——その呼び名に、私は少しだけ目を細めた。
その日の夕方。
私は窓辺で、王都を見下ろしていた。
(噂は、消せない)
(なら——)
扇子を、静かに開く。
(利用するまで)
「断罪を覆した令嬢」
「密室を支配する貴族令嬢」
「論理で貴族社会を裁く女」
どれも、悪くない。
「……ええ」
私は小さく笑った。
「探偵令嬢、結構ですわ」
こうして——
エレーナ・ヴァン・クロムウェルは、
貴族社会の“論理装置”として、動き始めた。




