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第9話 雨の日、あの子との濃密な日々 拘置所より


 夜中に、雨が降り始めた。

 窓を打つ音で目が覚めて、時計を見ると午前二時。

 寝直そうとした、その時だった。

 ——コンコン。

 小さな音。

 間違いなく、隣の部屋のドアだ。

 俺はベッドから起き上がって、廊下に出た。

「……ルナ?」

 返事はない。

 でも、もう一度。

 コンコン。

 今度は、少し震えている音。

 ドアを開けると、ルナが立っていた。

 パジャマの袖をぎゅっと握って、俯いている。

「どうした」

「……あめ」

「雷でも鳴ったか?」

 首を横に振る。

「こわい、ゆめ」

 それだけ言って、黙った。

 俺は少し迷ってから、ドアを大きく開けた。

「……来い」

 ルナは、ほっとしたように息を吐いて、部屋に入ってくる。

 ソファに並んで座る。

 テレビはつけていない。

 外の雨音だけが、静かに続いている。

「どんな夢だった」

「……ひとりになる、ゆめ」

 短い言葉。

 でも、十分だった。

「起きたら、

 ママもいなくて……」

「それで、来たのか」

 小さく頷く。

 俺は、膝にかけていたブランケットを引き寄せて、ルナにかけた。

「今は?」

「……いる」

 俺を見て、そう言う。

「いるな」

「うん」

 それ以上、言葉はいらなかった。

 しばらくして。

 ルナは、ブランケットの端を握りながら、ぽつりと呟いた。

「おにーさん」

「ん」

「ルナね……

 もう、まえのせかい、

 あんまりおもいださない」

「それでいい」

「でも」

 少し間。

「ぜんぶ、

 わすれたいわけじゃない」

 俺は、すぐに答えなかった。

 代わりに、こう言った。

「忘れなくていい」

「でも、

 ここにいる間は、

 ここを大事にすればいい」

 ルナは、少し考えてから、頷いた。

「……うん」

 雨は、いつの間にか小降りになっていた。

 ルナは、ソファにもたれて、眠そうにしている。

「戻るか?」

「……このまま」

 声が、ほとんど聞こえない。

 俺は、ソファの端に座ったまま、動かなかった。

 しばらくすると、

 小さな寝息が聞こえてくる。

 重さはない。

 寄りかかっているだけ。

 それが、ちょうどいい。

 朝。

 カーテンの隙間から光が差し込んで、俺は目を覚ました。

 ルナは、まだ眠っている。

 俺は、ゆっくり立ち上がって、コーヒーを淹れた。

 その音で、ルナが目をこする。

「……おはよ」

「おはよう」

「ここ……」

「俺の部屋だな」

 一瞬だけきょとんとしてから、安心したように笑う。

「……よかった」

 その一言で、

 夜中に起きた意味は、全部あった。

 少しして、ルナの母親が迎えに来た。

「すみません……

 ご迷惑を……」

「いえ」

 ルナは、靴を履きながら振り返る。

「おにーさん」

「ん?」

「きのう、

 ありがとう」

「どういたしまして」

 それだけで、十分だった。

 ドアが閉まる。

 部屋には、いつもの静けさが戻る。

 でも。

 さっきまで隣にいた温度が、

 まだ少し残っている気がした。

「……雨の日も、

 悪くないな」

 そう呟いて、

 俺はもう一度、カーテンを開けた。

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