第25話 「呼ばれなくても、名前を呼んだ」
夜、洗い物を終えて、手を拭いたところだった。
隣の部屋のドアが、少しだけ開く音。
「……」
呼ばれていない。
でも、気配は分かる。
「ルナ?」
名前を呼ぶと、間を置かずに返事があった。
「……うん」
それだけ。
ソファに座ると、ルナが反対側に腰を下ろす。
今日は本もノートも持っていない。
手は、膝の上。
「どうした」
問いかけると、すぐには答えない。
代わりに、視線が部屋を一周する。
「……なんにも」
嘘じゃない。
でも、全部でもない。
「そっか」
それ以上、追わない。
しばらく、静かな時間。
時計の針が進む音だけ。
ルナが、ぽつりと言った。
「きょうね」
「ん?」
「なまえ、
よばれた」
「学校で?」
小さく頷く。
「でも……」
少し間。
「さがして、
よばれた」
意味を考える。
ただの点呼じゃない。
「見つけてもらえた、
って感じか」
「……うん」
俺は、立ち上がってコップに水を注いだ。
「飲むか」
「……のむ」
差し出すと、両手で受け取る。
飲み終わるまで、何も言わない。
カップを置いて、ルナが言う。
「おにーさん」
「ん?」
「さっき、
よんでくれた」
「呼んだな」
「……よばれて、
うれしかった」
それは、今日一番の事実だ。
「俺も、
呼びたくなっただけだ」
「……うん」
納得した顔。
帰り際、玄関で靴を履きながら、ルナが振り返る。
「よばれなくても、
きていい?」
「状況による」
「……うん」
その答えで、十分だった。
ドアが閉まる。
部屋に戻って、ソファに座る。
呼ばれなくても、名前を呼んだ。
それだけで、距離が一つ分、確かになくなった。
「……名前って、
便利だな」
小さく笑って、電気を消した。
今日も、静かに終わった。




