第12話忘れ物の傘が、ちゃんと居場所にあった日
朝、目覚ましより少し早く目が覚めた。
カーテンの隙間から差し込む光が、やけにやわらかい。
平日なのに、気持ちが落ち着いていた。
コーヒーを淹れていると、隣の部屋から物音がする。
ドアが開く音。
「……おはよ」
眠そうな声。
「おはよう」
ルナは、少し考えてから言った。
「きょう、
あめ、ふらない?」
「天気予報では降らないな」
「……そっか」
それだけで、少し安心した顔になる。
玄関で靴を履きながら、ルナがぽつりと言った。
「きのうね」
「ん?」
「ねむるまえ、
ちょっとだけ、
こわかった」
「どうして」
「……ここが、
きえちゃうゆめ」
胸の奥が、静かに鳴る。
「でも」
続きが来る。
「きょう、
ちゃんとある」
玄関を見回すみたいに、
壁や床を確かめる視線。
「あるな」
「うん」
それで十分だった。
夕方。
帰宅すると、廊下に小さな傘が置いてあった。
見覚えがある。
「……忘れ物か」
隣の部屋のドアをノックする。
コンコン。
「はーい」
ルナが出てきた。
「あ」
傘を見て、少し恥ずかしそうに笑う。
「かえり、
はれた」
「そういう日もある」
「……あずかってくれる?」
「いいぞ」
玄関に立てかける。
それだけのやり取り。
夜。
ルナは宿題をしに来ていた。
黙々と鉛筆を動かしている。
途中で、顔を上げる。
「おにーさん」
「ん?」
「ここさ」
問題集を指さす。
「これ、
どうやるの」
説明すると、
ゆっくり頷く。
「……わかった」
すぐには解かない。
もう一度、自分で考える。
その姿を、黙って見ていた。
しばらくして。
「できた」
「お、やるな」
「えへへ」
短い笑顔。
それで十分だった。
帰る前、ルナが立ち止まる。
「……あのね」
「ん?」
「ルナ、
ここにいると、
へんなゆめ、
みなくなる」
それは、
何よりの報告だった。
「それなら、
いいことだ」
「うん」
ドアが閉まる。
部屋に戻って、
ソファに座る。
今日も、特別な出来事はなかった。
でも。
傘が一本増えたこと。
夢を見なくなったこと。
自分で考えて答えを出したこと。
そういう小さな変化が、
確かに積み重なっている。
「……悪くないな」
そう呟いて、
電気を消した。
静かな夜だった。




