九話 宿屋で料理
順調に投稿していこうとした矢先……インフルエンザでダウンしました(´;ω;`)
皆様も体調にはお気をつけください。
市場を後にした俺たちは両手いっぱいの荷物を抱えて宿屋『木漏れ日亭』に戻った。
宿のロビーに入るとちょうど女将さんが出てきた。俺は今日の分の宿泊代を支払うとリィンが女将さんにお願いしてくれた。
「女将さん、実は……。カケル様が故郷の料理を作りたいとのことで、今夜だけ厨房をお借りできないでしょうか?」
「あらあら、うちの夕食はもう準備が進んでるよ。それでも作りたい?」
「はい、場所と道具を貸していただきたいんです。もちろん、ここの夕食の邪魔はしません。火を一つと、少しのスペースがあれば十分なのでお願いします」
「……いいよ。アンタ、ただの素人じゃなさそうな目をしてるからね。ちょうど夕食のピーク前だ、好きに使いな。ちなみに、火の元には気をつけてね」
女将さんはそう言い残し「あ、そうだ。奥に使いかけの薪があるから、なくなったら使いな」とぶっきらぼうに付け加えながら、帳簿を片手に奥の自室へと進んでいった。
「カケル様! 私も何かお手伝いします。野菜を洗ったり、お肉を切ったり……。あ、こう見えても騎士団の遠征中は、自分たちで食事の準備をすることもあるんですよ!」
リィンは袖を意識して捲り上げ、白い腕を出しながらやる気満々で隣に並ぼうとする。その瞳は期待でキラキラと輝いている。
「気持ちは嬉しいんですが、リィンさんは座って見ていてください。慣れない厨房で二人が動くと危ないですし……今日は私の『故郷のやり方』を見ていてほしいので」
「……あ、そうですよね……わかりました! ではこちらで、拝見させていただきますね」
リィン様は少し残念そうにしながらも、素直に調理場の隅にある椅子に腰をおろした。 少し背筋を伸ばし、まるでお気に入りの劇が始まるのを待っている観客のような眼差しをこちらに向けている。
俺はまず、借りた包丁の重さを考えて、指先で刃を軽く撫でてみた。
(……悪くない。手入れはされている)
調理台の上には市場で選んだ『フォレストバイソン』の赤身、瑞々しい『ミストレタス』、そして素敵な香りを放つ『ウィンドハーブ』、スープ用に『黄金人参』『月見カボチャ』『エメラルドケープ』を用意。基本的な調味料は厨房にあったので使わせてもらうことにした。
とりあえずフォレストバイソンの表面の水分を、布で丁寧に拭き取る。いきなり焼くことはしない。
「……? カケル様、お肉を洗ったり、お塩をたくさん振ったりはしないのですか?」
不思議そうに問いかけてくるリィンに、俺は手を止めずに答える。
「ええ、肉の旨味を逃さないためには、この『乾かす』工程が大事なんだ。塩は焼く直前に振ります。早すぎると旨味を含んだ水分が逃げてしまうので。そうなると焼いた後にパサついてしまいます」
迷いのない手つきで肉を整える。そのときに出た筋などの端材をスープの出汁に使用するために一度湯通しして表面の汚れと血を洗い流す。次に新しい水にその筋と黄金人参の皮や端材を入れ弱火で煮出す。これでスープの「出汁」になるはずだ。
フライパンの熱を確認し最適なタイミングで肉を滑り込ませた。
「直前に振れば塩が表面で溶け始めて、焼いた時に香ばしい『膜』を作ってくれます。中の肉汁はしっかり閉じ込められたまま、表面だけをパリっと、塩の旨味と一緒に焼き固めることができるんです」
肉を焼きながら野菜処理に入る。トン、トン、トン、というちょっと気味の良いリズムが響き渡る。皮を剥く速度、刻む正確さ、そして無駄な手続き一切ないその所作は、ただの「料理好き男子」の領域を完全に超えている。
「すごい……。カケル様、その手つき……。騎士団の料理番もそれなりに手際が良いですが、カケル様のような……なんて言えばいいのでしょう、一切の迷いがない動きは見られません」
リィン様は椅子から体に乗り出すようにして、呆気にとられた顔で俺の手元を凝視している。
「……故郷じゃ、生きるためにこれくらいは必要だったんです」
俺は「料理人」という正体を隠したまま不敵に笑っておいた。
スープ用に煮出していた端材を取り出し、そこに黄金人参と月見カボチャを入れる。味付けは塩、それに砂糖を加えて「コク」を出す。
肉が焼ける香ばしい音とともに、厨房には先ほどフライパンに入れたウィンドハーブの爽やかな香りが止まらない。
俺は肉の両面に焼き色がつくとすぐに皿へ移すのではなく、厚く清潔な布で包むようにして調理台の隅へ置いた。
「えっ? カケル様、焼きたてをすぐに出ないのですか? 」
リィンが驚いて椅子から立ち上がり不思議そうに肉を見つめている。無理もない、この世界では「焼きたてのアツアツ」こそが正義なのだろう。
「いや、ここからが一番大事な工程なんです。こうして少しの間『寝かせる』ことで外側に集まっていた熱がじわじわと中心へ伝わり、荒ぶっていた肉汁がしっとりと全体に落ち着きます」
すぐに俺はスープの仕上げをした。最後にエメラルドケールを投入して軽く煮込む。
しばらくして肉を布から取り出し、ナイフを入れた。 サクッと、という心地よい音とともに現れた断面は、美しいローズピンク色。 肉汁はその身にしっかりと閉じ込められている。
それを手早く皿に盛り付け、瑞々しいミストレタスを添える。
「お待たせしました、リィンさん」
目の前に置かれた料理をリィンは息を呑んで見つめていた。 レストランのような荒々しい「肉の塊」ではない。 計算された火入れ、鮮やかな色合い、そして鼻腔をくすぐる上品なハーブの香り。
「……これが、市場で買ったのと同じお肉ですか? 宝石のように、キラキラしています……」
リィンはその桃色の断面から立ち昇るハーブと熟成された肉の香りに抗いようもなく喉を鳴らし、ゆっくりとナイフとフォークを手に取った。
(さて、どんな顔をするかな)
俺は腕を組み、彼女の反応を静かに待った。




