六話 街案内
宿のベッドは意外なほど快適だった。 身体の節々に残っていた昨日の強行軍の疲れも心地よい重だるさに変わっている。
一階に降りると、女将さんが「おはようさん!」と威勢のいい声をかけてくれた。出された朝食は拳骨ほどある石のように固いパンと、申し訳ない程度の塩気がきいた薄いスープ、そして昨日よりはましなパサついたチーズだ。パンをスープに浸して柔らかくしながら淡々と食べた。
「カケル様、おはようございます。お迎えに上がりました」
部屋で待機しているとドアがノックされたあとそう聞こえた。ドアを開けるとそこにはリィンの姿があり、落ち着いた私服姿を見せた。
サックスブルーのパフスリーブ・チュニックにチャコールグレーの膝下まである丈のパンツ、編み上げのミドルブーツとシンプルな銀のバレッタで髪を少し低めの位置でラフにまとめている。
昨日の私服姿もそうだったが、注目すべきはやはりそのシルエット。 ゆったりとしたパフスリーブで腕の細さを強調しつつ、膝下丈のパンツが彼女の引き締まった脚のラインを隠されていない。ラフにまとめた髪から覗くうなじも魅力的だった。
(……とりあえず落ち着け、俺。ただの街案内だ。邪念を捨てろ)
内心で深呼吸を繰り返し、暴走しそうな理性を強引に抑える。ここで鼻の下を伸ばすのはプロの料理人としても彼女の命の恩人としても格好がつかないだろ。
「……カケル様?やはりこの格好は変ですか……?」
俺が黙って見ていたせいで不安になったのだろうか、リィンが不安げに自分の服の端をいじって聞いてきた。その拍子にチュニックが揺れ胸の膨らみが強調される。
「いや、大変よく似合ってますよ。……それより、体調はどうです?」
「はい。おかげさまで、今朝は驚くほど体が軽くて……。カケル様にこの街をお見せしたくて、じっとしていられなかったくらいです」
そう言っている彼女の瞳には、確かに活力が戻っていた。
「わかりました。なら、今日一日よろしくお願いします。……ただ、少しでも辛くなったらすぐ言ってくださいね。いいですか?」
「ふふ、はい。承知いたしました、カケル様」
その笑顔は森での死闘よりもずっと心臓に悪いものになる気がした。
「まずはどこへ向かいましょうか?」
リィンが弾むような声で提案してきた。
「そうですね……。目に見えて汚れているわけじゃないですが、やはりこの格好だと少し注目されるので、まずはこの街に並ぶような服を新調したいですね」
「それなら、良い店を知っています! 行きましょうか!」
元の世界で着ていたありふれた服でチート能力と「勘」のおかげで酷い汚れや破れなどは避けられたが、ちょっとした汚れとほつれがあり、正直この街の風景の中では生地の質感やデザインが「異質」だった。
しかし、問題が一つ。
「……すみません、リィンさん。今手持ちのお金がまったくないんです。魔物の皮などがあるので換金できるところがあれば先に行きたいのですが……」
「ああ、それは失礼いたしました! でしたら、まずはギルドの換金所へ向かいましょう」
彼女に案内されて向かったのは、街の中央広場に面した重厚な石造りの建物だった。中に入ると、革の焼けた匂いと鉄の香りが漂って、なんとなく「冒険者の興奮場」みたいな空気が漂っている。
受付カウンターに向かうとこちらをニヤニヤしながら見ている女性と目が合った。
「あらあら、リィンじゃない! 非番の日に男連れなんて、槍でも降るのかなぁ?」
カウンターの奥から、ニヤニヤと下卑た……もとい、優しげな笑みを浮かべた受付嬢が顔を出した。
「ミラ! 変な事言わないでください。カケル様は私の命の恩人で助けていただいたお礼に街を案内しているだけです!」
リィンが真っ赤になってみるが、ミラと呼ばれたその女性は、さらに身を乗り出してきた。
「へぇー、恩人ねぇ? 鎧を脱いで気合を入れて着飾って案内してるなんて……恩人でも『特別』に見えるけど?」
「……着飾って……これは、その……!」
その初々しい反応に、ミラは「くぅー、ごちそうさま!」と肩を張って笑い転げた。
「ちょっと、ミラ!仕事をしてください、仕事を!カケル様が素材を売りたいとのことなのでお願いします!」
リィンが眉を上げ、顔を真っ赤にしながらカウンターをバンと叩いた。 普段の彼女を知る者が見れば驚くような少し怒りを含んでいるが、気の抜けた友人への甘えもあったような声だった。
「はいはい、仕事ね。……で、そのリィンの恩人さんは何を売りに来たんですか?」
ミラは相変わらずニヤニヤと片眉を上げ、俺のことを品定めするように眺めている。
「カケル様、こちらのミラは口は悪いですが、目と腕だけは確かなので」
「……ああ。では、これをお願いします」
正直、手持ちの素材がお金になるのかどうかもわからない。もしかしたら全然価値がなくて恥をかくかもしれないが、現状としてこれが売れない場合はお金を稼ぐ方法というものを考えなくてはいけない。これからこの世界で生きていくことになれば物品売買の基準は必要になる。
そんなことを考えながら俺は森で最初に襲来した大きな狼から剥ぎ取ってあった「魔狼の皮」を一枚カウンターに置いた。
「……は?」
ミラの手からペンが滑り落ちた。彼女は凍りついたように動かなくなり、手で触りその慎重な毛並みに感動していた。次の瞬間、彼女のプロとしての目つきが鋭く変わる。
「……ちょっと、嘘でしょ……。傷一つない……『黒銀の魔狼』の皮……こんなに綺麗な状態で剥げる人間なんて、この街にもいやしないわよ。あなた、これ一体どうやって手に入れたの!?」
ミラが身を乗り出して叫ぶと、ギルド内にいた他の冒険者たちがその言葉を聞いて目に見えてこちらを振り返りざわつき始めた。
「カケル様……。この魔狼は並の騎士団では手も足も出ない魔物です。それをこれほど見事に……。一体、どのような戦いが行われたのですか?」
追求の目が痛い。まさか「勘」に頼ってナイフを振ったら倒せてなんか綺麗に剥げた、なんて正直に言っても、信じるはずがない。
「いや、……運がよかっただけです。森を歩いてたら、たまたま弱ってるのがいて。トドメを刺して、あとは故郷で覚えたやり方で剥いだだけですよ」
「弱っている……?あの魔狼が……?」
リィンは納得いかない様子だったが、俺がそれ以上語らないのを観察したのか、それ以上は踏み込んでこなかった。 ミラも疑う視線を送りつつも、プロらしく肩をすくめて評価に戻る。
「……ま、いいわ。出どころを探索しすぎるのはギルドの流儀じゃないからね。でもこれ、なかなかの額になるわよ?ちょっと待っててね」
ミラはそう言い残すと、驚きと興奮が冷めない様子で足早に奥の部屋に消えていった。 カウンターに残された俺とリィン。
(……まずいもん出したかな、俺は)
内心で冷や汗かいて待っていると、ミラがずっしりと重そうな革製の袋を持って戻ってきた。
「はい、お待たせ。これが査定金額よ。……金貨五十枚。リィンの紹介ってことで端数分は繰り上げして少し色をつけておいたわ」
差し出された袋が出てきて思わず絶句した。 袋の中には鈍い輝きを放つ金貨が隙間なく詰まっている。昨日の宿の一泊が銀貨5枚、おそらく銀貨10枚で金貨1枚と予想すると相当の金額になる。
「……これ、高すぎませんか?」
この世界の素材の価値もわからない俺が思わずそう漏らすと、隣にいたリィンも身を乗り出してミラに検討した。
「そうですよミラ。確かに希少な素材ですが、これほどの額になるものですか?」
「何言ってんのよ。この『黒銀の魔狼』の皮はね、最高級の素材なの。これだけ『状態がいい』傷もない品なんて、王都の競りでも滅多に出ないわよ。普通は仕留める時にズタズタになっちゃうから」
ミラの叫びに、俺は目を白黒させしかなかった。 森で「なんとなく」剥いだ皮一枚が、まさかこれほどの大金に化けるとは。
俺は重い金貨袋を受け取った。これで「金がない」という不安は一気に吹き飛び、何気に「持ち歩くのが怖いくらい」の資産家になってしまった。
「リィン、あなたの恩人さん、とんでもない『特級品』じゃない。絶対に逃がしちゃダメよ、この超優良物件!」
「ミラ!!もう、行きますよカケル様!」
リィンはひときわ大きな声を上げると、俺の背中を押し、逃げるようにギルドを出た。
リィンは少し早歩きで、赤くなった顔を隠すように前を向いたままだ。
「……本当にお見苦しいところをお見せしました。ミラとは、私が騎士団に入る前からの古い付き合いでして……。口は悪いですが、あれでもギルドで一番の鑑定士なんです」
リィンはすまなそうに眉を下げ、言葉を続けた。
「ですが、あんな風にからかわれるのは心外です。カケル様に対しても、失礼なことを……」
「まあ、いいじゃないですか。仲が良い証拠ですよ」
リィンは「それはそうなのですが……」と小さくしながら、歩き方を緩めた。
「彼女のおかげでこれだけの資金が手に入ったんですし、感謝していますよ。これならリィンさんおすすめの服屋でも値段を気にせず買えそうですし」
リィンの表情にパッと明るいさが戻った。彼女は銀のバレッタでまとめられた髪を揺らしながら、こちらを向いて直る。
「そうですね……さあ、行きましょう。この先を曲がったところに、職人気質の腕の良い服屋があるんです」
リィンの足取りは、さきほどよりも軽やかになっていた。そのまま街のメインストリートから少し入った落ち着いた雰囲気の並木道へと足を進めた。




