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異世界行っても料理する ~料理して材料集めてまた料理~  作者: デビルぱんだ


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十話 食事

 リィンは震える手でフォークを伸ばし、一切れを口へと運んだ。 咀嚼した瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれ、時間が止まったかのように動きを止めた。


「……っ!」


 喉から漏れそうになった叫びをかろうじて手で押さえる。その顔は驚きと感動、そして──未だかつて経験したことのない「美味しさ」に打ちのめされたかのように、呆然としていた。

 ゆっくりと咀嚼を続けると、その瞳から大粒の涙が溢れ落ち、頬を伝って顎の先からポタリ、と皿に落ちた。


「カケル様……これ、は……」


 掠れた声で絞り出した言葉はそれ以上続かない。ただ涙を必死に拭いながら、彼女は俺の顔と目の前の肉を交互に見つめ信じられない、という表情を浮かべている。


「……こんな、こんな美味しいお肉、食べたことありません。一口噛むごとに、口いっぱいに温かい肉汁が溢れて……まるで、森の中で生きていたバイソンが、そのまま私の身体に流れ込んでくるみたいです……。噛めば噛むほど、深い甘みと旨味が溢れてきて、なのにちっともくどくない……」


 彼女は言葉を探しているが、この世界の言葉では味を表現しきれないようだった。


「このハーブの香りも……お肉の臭みを消すだけじゃなくて、肉そのものの良い香りを、何倍にも引き立てています……こんなにも、柔らかく、ジューシーに……」


 リィンは二口目、三口目とフォークを止められない。その食べっぷりはさっきまでの彼女とはかけ離れていたが、俺は何も言わずただその感動を眺めていた。

 リィンは続けてスープを一口含んだ。瞬間、驚きに肩を跳ねさせそのまま目を見開いて固まった。

 リィンは信じられないといった様子で、震える手で二口目を運ぶ。今度はゆっくりと目を閉じ喉を通り過ぎる余韻まで慈しむように味わった。


「……信じられません。あんなに力強い野菜たちが、どうしてこんなに透き通った、優しいお味になるのですか? 雑味が一切なくて……でも、黄金人参と月見カボチャの甘みが心の奥底まで染み渡るようです」


 リィンの目尻に、じんわりと涙が滲んだ。


「エメラルドケールも……こんなに鮮やかに、独特の苦味は全部『爽やかさ』に変わっています。まるで冷たい朝の霧の中を歩いているような……」


 彼女は言葉を失い、ただ夢中で大切そうにスープを掬い続けた。その姿は空腹を満たすためではなく、失われていた何かを補う儀式のようにさえ見えた。


「……まあ、食べてみないとわからないよな……」


 俺もまた一切れをフォークで刺し口に運んだ。 ジュワリ、と肉汁が弾けウィンドハーブの清涼感ある香りが鼻腔を抜ける。そして噛み締めるたびに溢れ出すフォレストバイソンの野性味と、それを最大限に引き出した濃厚な旨味。

 スープのほうも一口啜ってみる。舌の上で黄金人参と月見カボチャの凝縮された糖分がトロリと広がる。バイソンの筋から引いた出汁は前の世界の牛脛肉よりも遥かに野性的でそれでいて嫌味がない。驚いたのはその「後味」だ。


(この世界の素材は、魔力を含んでいるせいか……味の『輪郭』が驚くほどはっきりしているな)


 前の世界ではここまでのコクを出すのに何時間も煮込む必要があったが、この素材たちは短時間で爆発的な旨味を解放している。エメラルドケールを噛めば弾けるような瑞々しさと共に土の滋養がダイレクトに脳に伝わってくる感覚。


(……うまい。というか、身体が内側から熱くなる。単なる栄養補給じゃないな、これは『活力』そのものだ)


 丁寧に灰汁を除きウィンドハーブの香りを最後に乗せたことで、重厚な旨味の後味を風がさらうように消していく。なかなかの仕上がりだ。


(……うん、我ながらいい出来だ。この世界の素材、俺の技術と合わせればここまで化けるのか)


 満足感に浸っていると厨房の入り口がガラリと開き、先ほど奥に引っ込んだはずの女将さんが顔を覗かせた。その表情は普段のぶっきらぼうなそれとは違い驚きと戸惑いが入り混じっていた。


「……兄ちゃん。さっきから妙にいい匂いがすると思ったら……。なんだい、この肉の香り……」


 女将さんは鼻をクンクンと鳴らしながらまるで獲物を見つけた獣のようにこちらに近づいてくる。リィンの顔が涙と肉汁でぐちゃぐちゃなのを見てさらに驚いた顔になった。


「リィンちゃん、どうしたんだい、そんな顔して……って、こら! あんた、何かひどいもの食わせたのかい!?」

「ひどいものなんかじゃありません! 女将さん、これ……これを見てください!」


 リィンは慌てて自分の皿を差し出す。女将さんは怪訝な顔で一切れをフォークで刺し躊躇いがちに口に運んだ。

 その瞬間、リィンの時と同じように女将さんの目が見開かれた。 今まで見たことのない驚愕と、そして深い感動に打ちのめされたような表情。 女将さんの顔からいつもの強気な表情が消え去り、ただただ呆然と肉の味を噛み締めている。


「……こ、これは……なん……なんだい、この肉は……」


 女将さんの手に持っていたフォークがカタリ、と皿に落ちた。 彼女の大きな瞳にもじんわりと涙が滲み始めているのが見えた。

 女将さんは肉の衝撃でふらつき壁に手をついて辛うじて立っている有様だった。だがその視線は既に隣に置かれた琥珀色のスープに釘付けになっている。


「……なんだい、このスープは。宝石を溶かしたみたいな色して……。うちの煮込みはもっとこう……ドロっとしてるもんだけど」


 半信半疑のまま女将さんはスプーンで掬ったスープをズズッと啜った。その瞬間、彼女の太い眉が跳ね上がり、手に持っていたスプーンが器の縁にカツンと当たった。


「……っ!? な、なんだい、これ……っ」


 女将さんは信じられないといった様子で、もう一口、今度は飲み込むのを惜しむようにゆっくりと口に含んだ。そのまま数秒間目を閉じて動かない。やがて彼女の目尻からポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。


「……信じられない。どうしてこんなに優しくて深い味になるんだい? 雑味も臭みも一欠片もありゃしない。それどころか野菜の甘みが……まるでお日様の光をそのまま飲んでるみたいに喉を通っていくよ……」


 女将さんは震える手で自分のエプロンを掴み乱暴に顔を拭った。彼女はこの街で何十年も荒くれ者や旅人たちに「食べ物」を出してきた。腹を満たすための生きるための糧を。だが今目の前にあるのはそれとは次元の違う「慈しみ」だった。


「うちの店じゃ、野菜のえぐみも肉の血の匂いも全部まとめて『市場の味』だって言い聞かせてきたよ。だけどね……これを知っちまったらあたしゃ今まで何を客に出してたんだろうね。……悔しいじゃないか、こんなに温かくて美味いもんを……」


 最後の一滴までスプーンで掬い取ると、女将さんは空になったスプーンを握りしめたまま俺の顔を食い入るように見つめた。


「まいったよ……あんたの故郷じゃ、みんなこんな神様みたいなもんを食ってるのかい?」


 俺は苦笑して、鍋に残った最後の一杯を自分の皿に注いだ。


「……故郷でも、これはそれなりに手間がかかる料理ですよ。素材を活かす……それだけの話ですよ。さあ、冷めないうちに全部平らげてください。俺が一番喜ぶのは、空になった皿を見ることですから」


 リィンと女将さん。この世界の二人が俺の作った料理を前にして、魂を抜かれたように立ち尽くしていた。



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