First Stage・悪魔と死にたがり(4)
「中村江梨香、ただいま無事帰還いたしました」
ぴしっと綺麗に敬礼を決めて、彼女はそんなふざけた報告をした。
「いやあ、あずまっちってば男の癖にしつっこいね。五限もお説教、その後のHRもお説教、その上委員会の後まで呼び出す必要ないじゃんか」
ねぇ、と同意を求められてもこちらは困る。
返答に詰まった千郷を見て、しかし彼女はわざとらしく視線を泳がせた。
「あれれ。もしかして、お邪魔だったかな?」
その言葉に、自分がまだ目の前の青年に羽交い絞めにされていることを思い出し、思い切りブレザーの胸を押した。今度は難なく自由になれたことに安堵しながら、彼女は首が千切りそうなほど力一杯首を横に振る。
「ぜんっぜん! というよりむしろ」
助かった、と言おうとした彼女の語尾に重ねるようにして、弘夢が猫を被りつつ口を開く。
「ええ、まあ。貴女の所為ではないですけど、少しタイミングが悪かったのは確かですね」
神妙な顔つきを装う彼に、江梨香は心底すまなさそうな表情を顔をする。本気でないのは、彼女の楽しげに煌くその瞳を見れば一目瞭然だった。
「あー、やっぱり? ごめんね、弘夢くん。次は絶対邪魔しないから頑張って。陣内ちゃんてば鈍いから大変だろうけど」
「わかりますか? そうなんですよねー。僕が一世一代の告白をしたって言うのに、彼女ったら全然相手にしてくれないんですよ」
「そっかー。まー、私が本命云々の話をしたときの無反応っぷりを思えば、仕方ないかもね。私でよければ、いつでも相談に乗るよー?」
肩を落とす青年の肩を慰めるようにぽんぽんと叩く美少女。
仲が良いのはいいことであるが、会話の内容が些か戴けない気がするのは気のせいか。
否、気のせいではあるまいと、母の顔と共に今朝の出来事を脳裏に思い浮かべ、彼女はこめかみを押さえた。どうしてこう自分の周りには、人をからかって遊ぶ人間が多いのだろう。
しかしそれにしても、この二人は仲が良さすぎはしないかと、千郷は思う。
弘夢が江梨香のペースに合わせているのか、それとも江梨香がノリがいいだけなのか。それははっきりと判断しかねるが、千郷の見た限りでは『類は友を呼ぶ』という有名な格言が頭にちらついて仕方が無い。と、そこまで考えて、ともすれば自分も『友』に加わりかねない状況に気付き、慌てて彼女は思考を中断する。
変人の仲間入りは断じて御免被る。
「あれ!? 陣内ちゃん帰っちゃうの?」
「うん。頼まれてた仕事は終わったし、あとは職員室に持っていくだけだから。なので光月くん、そっちのダンボールはお願いします」
ではお二人とも、ごゆっくり。
そう続けて、そそくさと帰ろうと思ったのだが、敵はやはりそれほど甘くなかった。
「ああ、待ってください、僕も行きます。じゃあ中村さん、また明日」
「ええっ! 弘夢くんまで!?」
「いやいやいや! 光月くんは中村さんと一緒に帰ってください、ね?」
引き攣り笑顔で断ろうとするが、弘夢はこちらに分かるようにだけにやりと笑う。
だが、反射的に一歩足を引いた彼女の腕を掴んだのは、江梨香だった。
「陣内ちゃん、酷い!」
「えっ」
「せっかく会ったんだから、一緒に帰ろーと思ったのに。そんなに急いで帰ろうとすること無いじゃん。もしかして、私のこと嫌い?」
「いや、そんなことはないけど、でも。ほら、光月くんと話が盛り上がってたみたいだったから。一緒に帰るのかなー、なんて」
至近距離から涙目で訴えられて、先ほどとは違った意味で彼女は後ずさる。
「そんな! こんなのと帰ったって、面白くも何とも無いじゃん」
「同感ですね」
何気にさらりと酷いことを言う一見美少女と、それを肯定することで痛烈な皮肉とする腹黒美少年。……本当は仲が悪いのか? 今度は『同族嫌悪』という言葉が千郷の頭の隅を掠めたが、それを検討する余裕は彼女には無い。
仲良く自分に無言のプレッシャーをかけて来る二人を前に、千郷は肩を落とした。
(あー。なんで私に絡んで来るのってこうゆう厄介なタイプばっかりなの)
それともこんなタイプだからこそ、自分に興味を持つのだろうか。
判然としないまま、結局千郷は二人に一緒に帰ると確約させられ、三人で職員室に向うことになったのだった。
例の物を担任の机の上に放置して、職員室の扉を閉める。
内心首を傾げていると、珍しく江梨香がまともな疑問を口にした。
「何だろ、職員室がらがらだったね」
「うん。阿妻先生が滅多に職員室に居ないのはいつものことだけど、授業中でもないのに一人も先生が居ないっていうのは、珍しいね。どうしたんだろう」
弘夢も軽く首肯して、同意を示した。
「そうですね……何かあったのかも」
「何かって、何さ?」
「何って例えば」
江梨香に問われ弘夢が考え深げに口を開いたときだった。
「あれ、江梨香?」
「あ、本当だ。エリっ、遅いよ。待ちくたびれた~」
玄関口へと続く廊下から、声がかかり。
ぱたぱたと可愛らしい足音と、ゆっくりと落着いた歩調の足音。
千郷たちが振り返ると、真由美がまた違う美少女を引き連れて、こちらに駆けて来るところだった。真由美や江梨香が『可愛い』タイプの美少女であるのなら、彼女はどちらかと言えば『かっこいい』タイプの美少女と言うべきだろう。女子にしては長身の背丈は弘夢とそう変わらない。短く整えられた髪型は、凛々しい顔立ちの少女によく似合っている。
意志の強そうな瞳が自分に向けられるのを感じて、千郷は微かに身を竦ませた。
「あれー? 穂波ちゃん、まゆちゃん。どーしたのさ、二人とも」
どうしたじゃないよ、と真由美が言う。遅れて辿り着いた穂波が呆れたように足を止めた。
「一人で帰るのは怖いから待ってて、って言ったのは江梨香じゃない。なのにいつまで経っても待ち合わせしてた教室には来ないし。そしたら、先生がもう家に帰るようにって」
「先生が? まだ日も落ちきっていないのにですか?」
問うた弘夢を一瞬だけ怪訝そうに見てから、穂波は頷いた。
「うん。――何でもさっき警察が来たらしくって」
警察、と一同が揃ってきょとんとした顔をしたのを受けて、彼女は少しだけ声を潜めた。
「今、すぐそこの川原で例のバラバラ死体が見つかったって」
どこかしらその声に沈痛な響きを乗せて。
「で――、それがもしかしたらうちの生徒かもしれないみたい」
「――大丈夫?」
黄金色に染まり始めた空の下、声をかけられ千郷は我に帰った。
声の主を探して横を向けば、穂波が先を行く三人の背を見つめまま、無表情に千郷の隣りに並んで歩いていた。いつのまに思いに耽っていたのだろう。知らぬうちに帰路の半分を終えていたことへ驚いていると、その無言を穂波は勘違いしたようだった。
「江梨香もそうだけど、真由美もちょっと麻痺してるとこあるから。ごめん。バラバラだの、失血死だのって、千郷はあんまり耳にしたい話題じゃないよね」
どうやら、前の三人組が一連の事件の被害者が受けたあまりにも惨い仕打ちを、具体的に解説かつ解析している会話を聞いて、気分が悪くなったと思っているらしい。
「……そう、だね」
たしかにそういった話題はあまり好きではない。
というか、そういう話題を嬉々として話しているあの三人のほうがおかしい。
思ったので素直に頷くが、他に言葉が見つからず、そのまま黙り込んだ。穂波も暫らく言葉を捜している風だったが、ようやくぽつりと呟いた。
「……結構久し振りな気がする、こういう風に一緒に帰るの」
「………うん、本当だね」
ひーふーみーと数えて、穂波は指を折る。
「五年振り、くらいになるのかな…。あれから」
「そうだね…中学に上がってすぐだったから、きっとそれくらいだと思う」
繕うような笑みを浮かべた千郷の横で、「ねぇ」という真剣な声。
ふいを突かれて思わず顔を向けると、それ以上に真剣な顔で穂波が彼女を見ていた。
「どうして、って訊いていい?」
穂波につられるように足を止めた千郷は、訳がわからずきょとんとした表情を浮かべる。
「え?」
「どうして私にまで愛想笑いするの」
「……!」
瞠目した千郷に、少しだけ哀しそうに顔を翳らせて彼女は告げる。
「少なくとも小学校の卒業式までは、千郷はそんな作り笑いしなかったよ。同級生に敬語なんか使ってなかった。あの頃はすぐに泣いて笑って怒って拗ねて、けど」
「………」
「そんな人の機嫌を伺うような笑い方、してなかったよ、千郷は。――あんな酷いこと言った私が、今更こんなこと訊くのは筋違いなのかもしれない、だけどさ」
黙りこくったままの千郷の顔からはすでに表情らしい表情は消えていて。
なんで、今更そんな話を彼女はするのか。
やっと離れられたと思ったのに。
やっと彼女は自分を見放してくれたのだと思ったのに。
なのに、今更。
「ねぇ、千郷。……あの春休みの間に、一体何があったの」
その言葉に、千郷は肩揺らした。どう答えるべきなのか、自分でも分からなかった。
しかし何か言わねばならない気がして、口を開いて、そして。
「―――陣内さん、」
静かな声とともに横合いから突然伸びた腕が、有無を言わさず千郷の肩を抱き寄せた。
その次の瞬間には、そのすぐ脇を翳めるような勢いで自動車が通り過ぎていく。
どんな街にも暴走車と言うモノは存在するらしく、間違いなくあの車のスピードは制限時速を軽く越えている。だからよくこの辺でネズミ捕りよろしく、警察が網を張っているのかと変な風に納得しながら、命の危機を救ってくれた腕の主を見上げた。
「ひろ、……光月くん?」
もしも、弘夢が引き寄せてくれていなければ、あれは入院どころの騒ぎではすまなかったかも知れない。ならば、ここは普通礼を言っておくべき場面なのだろうか。きっとそうだろう。
そういう結論から顔を上げたわけだが、そこで初めて千郷は彼が自分ではなく穂波を見ていることに気付き、軽く瞬く。ボーイッシュ系が好みなのかなどと、呑気なことを千郷が考えたのは、別に彼女が御気楽だからではなく、少しばかり混乱していたからだ。
それは車に轢かれそうになったからというものではなく、むしろその車の接近に気付けなかったことでさえ、穂波の言葉に視界が狭まっていた所為に他ならない。穂波の問いは、発した彼女自身が思っている以上に千郷の心を揺さぶるものだったから。
「ひどいよ、ひろむくん。急に、走り出すんだもん」
「まーまー、まゆ。人命がかかってたんだからしょうがないでしょ。それより陣内ちゃん、大丈夫だった? 怪我はー?」
「え、ああ。……うん、何ともないよ。光月くん、もう大丈夫だから放して」
「本当に?」
「大丈夫だって…言ってるでしょう、がっ」
さりげなく背中に回された手を、笑顔を引き攣らせながら力を入れて押し返すと、こちらに辛うじて聴こえるくらいの小さな舌打ち。
……コノヤロウ。
心の中で思わず拳を握り締めた千郷だったが、ふと先ほどまで会話を交わしていた人物がずっと無言であることに気付いた。
視線を向けると、どこか蒼褪めたような顔つきの穂波がいる。と、視線に気付いたのか、彼女の視線が千郷に向けられた。その段に至ってようやく、穂波は我に帰ったようで跋が、悪そうに顔を伏せた。
「…ごめん。私が急にあんな話をしたせいだ」
「そんなこと、」
ないよと言って笑おうとしたのだが、先ほど彼女に『愛想笑い』だと指摘されたことを思い出して、口を噤む。他にどうしようもなくて俯いて。それから、その行動が穂波に誤解を与えたのではと思って少し後悔した。
「自業自得なの。だから、気にしないで」
ぽつりと呟いたのは、穂波のどの台詞に対してだったのだろう。
落ち込む穂波を宥めるためだったのか、それとも彼女の疑問に対する答えだったのか。
千郷にもよく分からない。
「私がちゃんと周りを見てなかったのが悪いんだから」
己の声で為されたはずの呟きは、何故かかすれているように聴こえて、我ながら説得力の無いことだと呆れずには居られなかった。