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First Stage・悪魔と死にたがり(3)

 


「よっと。これで全部ですか、先生」


 教室に運び込んだダンボール箱を荒っぽい音を立て手近の机の上に置いた弘夢が問う。千郷もそれに習い机の上に乗せるが、中のプリントの量は彼の持っていた物ほどではなかったのでさほど大きな音は立たなかった。

 教卓の上で何かしら作業していた阿妻は「ああ、それで全部だよ。ご苦労さん、助かった」と顔を上げ頷いた。それから腕時計に目を落とした彼は少し慌てながら、広げていたペンやら定規やらを片付け始めた。

 そう言えば、新聞部の副顧問は彼だった気がする。


「じゃあ、光月、陣内。悪いけど頼むな」


 慌てて片付けた荷物を持ち上げた彼の腕から、何かがポロリと落ちるのを見咎めて、千郷は拾おうと腰を屈めた。

 刃が剥き出しの、カッターナイフ。

 落ちた拍子に刃が出てしまったのだろう。


「…………」

「ああ先生、落としましたよ」


 不自然に固まってしまった彼女の脇からひょいと腕が伸び、戸口まで出掛けていた阿妻を呼び止める。


「気をつけてくださいよ。ペンぐらいならまだしも、これは流石に危ないですから」

「あー、悪い」


 そんな遣り取りを横に聞きつつ、千郷は姿勢を正して天井を仰ぎ、そして軽く息をはいた。



 指定された枚数のプリントを順に並べて、右上をホッチキスで一箇所留める。

 パチン。パチン。

 静かな教室に、音が響く。日が落ちつつある空に、そろそろ電気をつけるべきかと考えながら、千郷は黙々と作業を続けていた。

 もちろん、一人で。

 時折、横の席から「うー」だの「ふぁ」だの、明らかに退屈を表わした声が聞こえてくる。その度に、彼女はぴくりと肩や眉を引き攣らせていたが、天晴れかな、表情を大きく変えるようなことは無かった。しかし、相手にはそれが気に食わなかったようで、ついに彼は表立った行動に出た。

 ぽつりと呟く。


「あ~、暇だなぁ」

「……」


 この猫被りめ。

 自分のことはすっかり棚の上に上げて、心の中で彼女は毒づいた。

 心の中限定なのはもちろん口に出そうものなら、十倍になって返って来るだろう応酬を警戒してのことである。

 対する【猫被り】こと光月弘夢は、沈黙したままの彼女の様子に構うことも無く、だれたように椅子の背凭れにふんぞり返っていた。

 手本にと千郷が作って渡したプリントを片手に、ひらひらと弄びながら、


「めんどくせぇ。つーかなぁ、なんでこう毎日毎日律儀に学校なんて行かなきゃなんないんだろうなー? どうせ、大した授業内容があるわけじゃなし、本気で勉強したけりゃ塾で十分だろう?」


 心底辟易したといった態で言う。ああそうだ、と彼はとても良いことを思いついたとでも言うように、にやりと口の端を吊り上げた。


「いっそ燃やすか、学校。退屈だし」


 自分の顔を覗き込むようにして首を傾げる青年の表情を、故意に視界に入れないようにしながら、千郷は作業を続ける。妥協して口は開いても、彼女は手元から顔を上げなかった。


「……お好きなように。でもやるなら、君だけでやりなよ? 安心して、先生には私からちゃんと、犯人は光月弘夢くんですって言っといてあげるから」

「あのなぁ、俺はあんたの気持ちを代弁しただけだぞ?」

「私は君にそんなこと頼んでない。そもそも学校が退屈だなんて思ったこともない」


 ふうん? と彼は、つれない様子の千郷を挑発するように鼻で笑った。


「じゃ、なんであんたはそんなに死にたいんだろうな」


 その言葉に、初めて教室からホッチキスの音が消える。

 何も反応を返さない千郷を、弘夢がそれはそれは楽しそうに見やるのは、彼女が反応を返さないのではなく返せないのだと知っているからだ。

 彼は席を立ち、身動きしない千郷の傍らに立った。


「念のために言っておくが、教室でカッターナイフはお勧めしないぞ」


 その言葉に、彼女は肩から力を抜く。わかってるわよと自嘲気味に呟いた。


「あんなので頚動脈切ったら、天井の血を落とすのが大変だもの」

「あんたなあ。妄想するにしても、手首くらいまでにしとけよ」


 呆れた声を上げながら、彼は千郷の手からホッチキスを取り上げて、残り三組しか残っていなかったプリントをさっさと留め、ダンボールに放り込んだ。


「まあ、どっちに転んでも碌な想像じゃあないのは確かだけどさ」

「…それもわかってる。実行なんてしないわよ」

「『少なくとも今は』だろ?」


 からかうように言われて、彼女は反射的に彼女は顔を上げた。


「うるさいわね。大体常々思ってたんだけど、君は私なんかに構って何が楽しいわけ?」


 優等生の彼女しか知らない級友が今の彼女を見たら、きっと裸足で逃げ出すに違いない剣幕だった。それにもかかわらず、相対する青年は更に彼女を煽る。


「そうだな、図星刺されてすぐにむきになるところとか?」


 千郷が睨み上げたのは、鳶色の瞳ではなく紅のそれ。

 心底楽しそうに、面白そうに細められた目に、彼女は腹立ちこそ覚えても驚きや奇異の感情は覚えなかった。

 何しろ、この色を見るのは初めてではない。彼が千郷と二人の時を選んで、こうして瞳の色を変えるのはこの一月でよくあることだったし、初対面の時でさえこの青年の瞳はこの紅の色だったのだから。

最初の内こそ千郷もわざわざコンタクトをつけたり外したり、面倒臭く思わないだろうかと感心したものだが、本人にとってはなんてことはないらしい。

 それなら、別に自分がとやかく言うことでもあるまいと、彼女は思っている。それよりも千郷が問題だと感じているのは、こうなったときの弘夢がそれこそ碌な話題を振ったためしがない、という事実の方だった。

 案の定、彼は「なあ」と瞳を輝かせながら、彼女の耳元に口を寄せる。


「本当にあんたが望むなら、叶えてやってもいいんだぞ?」


 何を、とは言わない。少なくともこの二人の間でこういった会話が交わされるときは、いつもそうだった。口にせずとも、互いに何を指して言っているのかは了解している。


「遠慮するわ」

「つれないな、相変わらず」

「『少なくとも今は』って、君が言ったんでしょうが。分かってるんだったら、そういう馬鹿馬鹿しい問いかけしないでくれる?」


 ガタリと席を立ち、忌々しげに眉を寄せる千郷に、心外だと彼は肩を竦めた。


「しょうがないだろ、なんせ」

「――『主人の望みを叶えるのが悪魔の仕事だから』って? まだそんなふざけたこと言ってるの、君は」


 物凄く胡乱な目を向けて弘夢の言葉を遮った千郷は、無造作に放り込まれたプリントの束を綺麗にそろえてダンボールに仕舞い直す。ついでに、先ほど弘夢が自分の席に放ったままだった手本用のそれも一緒に戻した。


「そう言うあんたは、まだ信じてくれてないのな」

「妄想に付き合う義理はないもの。そんなに言うなら、君がその悪魔だって言う証拠くらし出してみなさいよ」


 すっぱりと断じた彼女に、彼は不満げに言う。


「普通はこの目の色を見た時点で、おかしいとか思うだろうが」

「生憎、人を見た目で判断しない主義だから。…ねぇ、ずっと疑問だったんだけど、カラーコンタクトってつけるとサングラスを掛けたときみたいに見えるの?」


「…なるほど、そこから信じてくれてないわけね」


 肩を落とす弘夢を尻目に、千郷は使ったホッチキスや印刷ミスのプリントを片付け始めた。


「悪魔だって言うなら、もうちょっとそれらしいことしてみれば」

「あー? それらしいって、例えばこんなこととか」


 こんなこととかのことか?

 問いながら、自分の顔の前で一つ手を振り、続いて宙を掻くような仕種をしてみせる。

一瞬で瞳はいつもの鳶色に戻り、何もなかったはすの手の平にはコルク栓のついた開け口の広いビンが握られている。彼女は、自分の目の前に差し出された円柱型のビンをぱしりともぎ取り、しげしげと見つめ。


「タネは?」


 冷たく言い放った。


「ああ、まー期待はしてなかったさ。してなかったけど、そっちが話振ったんだから、少しは驚けよ」


 あれくらいの手品で誰がそんな戯言を真に受けるというのだろう。

 遠い目でぼやく彼の背を、呆れたように見ながら千郷は思う。

 というか、そこまで馬鹿だと思われているのだろうか。

 それはそれで、腹の立つ話である。


「ふうん、普通の飴みたいね」


 透明のフィルムに包まれた、真っ黒な飴。コルクを抜いて取り出した小粒の飴は、真ん丸でガラス玉のような光沢があった。


―― D‐Drop


「でぃーどろっぷ?」


 聞いたことの無い銘柄だ。

 フィルムに印字された文字もまた黒で、せめてもう少し明るい色を使えばまだこれほど胡散臭くは無かったろうにと千郷は思う。


「ああ、あんまり触らない方が良いぞ。俺の非常食だから」

「非常食?」

「人間の感情を凝縮したもの。俺が主食にしてるのは人間の感情だっていう話は、契約を結んで代償の説明をしたときにしたよな? ……思いっきり鼻で馬鹿にしてやがったけど」


 その時のことを思い出したらしく、彼は乾いた笑い声を漏らした。


「まあ、現地調達出来ればいいんだが、悪魔は偏食家が多いからな。食べるのに丁度いい感じの感情が、常に転がってるとは限らない。だからこうやってそういった感情を飴玉の形に凝縮して、保存してるわけだ。それで保存食なわけだが…――悪魔が好む感情が、人間のどういった感情なのかはいくらあんたでも大体想像がつくだろ?」

「そりゃあ、碌なもんじゃないだろうってことくらいはイメージ的に想像がつくけど。真偽の程はともかく」


 気を取り直した彼の説明を聞き流しかけて、千郷は我に帰った。


「って、君は普通にご飯食べてるでしょうが」


 少なくともこの一ヶ月はほぼ毎日、彼は彼女と朝食を共にしている。


「それはそれ。これはこれだ」

「………結構いい加減よね、君も」


 作り話にしても、もう少しリアリティがあっても良さそうなものだ。


「ふーん、そう。これがねー」

 不信感丸出しの千郷の手から、彼女の肩越しに伸びた弘夢の腕がその飴玉を取り返して、ガラス瓶の中に戻す。


「何だ、少しは信じてくれたのか?」


 からかうようなその声に期待の色は無かったが、


「無理」


 なんの躊躇いもなく放たれた言葉に、流石にげんなりとした風情で彼は頭を抱えた。

 珍しく口元に浮んだ苦笑には、どこか力が無い。やはりこの辺りで、彼の自分に対する認識を問いただしておいた方がいいのかもしれない。


「……もうちょっと悩む振りくらいしろよ。印象悪いぞ、あんた」

「別に君に良い印象持ってもらいたいわけじゃないからね」


 答えながらも、彼女はじっと件の飴玉を観察する。だが、小ぶりなビンにぎっしり入った真っ黒な飴が、どこか気味悪く感じられて千郷は軽く頭を振った。心なしか気分が悪くなった気がするが、手にとっただけで胸焼けする飴なんて聞いたことが無い。


(なんだか、体に悪そうな飴ね)


 食べてもいないのに勝手にそんな結論を出して納得している彼女に、弘夢は性懲りも無く呼びかけた。呆れと諦めと、それからどこか可笑しさを含んだ声。


「まー、信じないならそれでもいいんだけどな。俺は俺で、やりたいようにやるし。なんだったら、あんたが『少なくとも今は』って躊躇う理由こみで、解決してやってもいいか」


 独り言に近い言葉を聞いて、千郷は訝しげに振り返る。


「…ひろ、今度は何を」


 言い出す気だと、問う間は彼女に与えられなかった。


「要はあれだろ? 結局、あんたが『死ぬ』ことを選んでも、あんたの両親が心を痛めるようなことにならなきゃいいんだろ」


 だったら話は簡単じゃないか、と彼は何てことでもないというように言う。


「先にあの二人に逝ってもらえばいいんだ。違うか…――っ!」


 彼の発したその言葉を耳にした刹那、彼女は己の表情をすべて消した。

 虚を突かれ、弘夢は息を飲む。

 そんな弘夢に千郷は一切構わず、無造作に彼のブレザーの襟を掴んだ。

 そのまま力任せに、自分の方へと引き寄せて。そうしてやっと目線が同じ位置になった端正な顔に向け、「絶対に」と彼女は低く低く唸った。


 その目は、鋭利過ぎる光を宿し。

 その顔は無表情を装いながらも、込み上げる怒りを隠しきれないで居でいて。


 真っ向からその視線を受け止めた彼は思った。

 たぶん彼女はいま自分がどんな顔をしているのかすら、わかっていまい。


「誰であろうとも。あの二人に手を出すなんて、許さないから」


 殺気を隠そうともしないその声に、反論も異論も許さない何かがある。

 そんな千郷の顔を、同じく表情を消して弘夢が黙って見返した。

 千郷はそれでも怯むことなく言葉を紡ぐ。


「冗談でも、そんな話は二度と聞きたくないし、聞く気はない」


 白くなるまで握り締めた手を開いて、彼女は弘夢の襟首を解放する。

 ふ、と軽く息を吐いた後の千郷に、それまでの威圧感は破片も見当たらなかった。


「だから、君も二度とそういうことは口にしないで。――ヒイロ」


 私は私以外の人間を殺したくなんかない。

 吐息のように囁かれた言葉に、今度は弘夢が嘆息する番だった。 

 彼女は全く持って信じていないが、彼がその呼びかけに返せるのは肯定だけなのだ。


「……仰せのままに」


 だから苦笑しながらも、どこか面白がるような顔で己の胸に片手を添えて弘夢は頷いた。


「んなあからさまに疑わしそうな顔するなよ、ちゃんとわかったから」

「本当に?」

「本当だって言ってるだろ。なんだったら、神に誓ったって良いぞ。おまけで誓いのキスでもつけてやろうか?」

「つけんでいいし、自称悪魔が神に誓ったって尚更うそ臭いだけでしょうが! ってコラ、放しなさいってば、はーなーしーてっ!」


 ジタバタと暴れる彼女を楽しそうに羽交い絞めしながら、やりこめられた結果になってしまった先ほどの遣り取りの意趣返しに、どんな嫌がらせをしてやろうかと弘夢は思いを馳せた。





 

すんごく昔の作品なのですが、いまさっきさっと目を通して愕然としました。

視点が、視点が固定できてない……っ

つたなさ過ぎるという点で、全く成長していないことがよくわかりました。

おめよごしですみません(泣)

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