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First Stage・悪魔と死にたがり(2)



 千郷は人と話すのが苦手だ。

 歯に衣着せずはっきりと言ってしまえば、嫌いな部類に分類されていると断言してもいい。女性と言うモノは大抵お喋り好きだと思われがちだが、決してそうではないことを、実例をもってして演説してやりたいと頭の隅で思うくらいには、彼女は人との会話と言うモノに苦手意識を持っている。

 ただその反面、彼女は学校そのものを別段嫌ってはいなかった。

 学ぶ行為自体は普通に面白いと思うし、教師たちの大して楽しそうでもない一定の抑揚で行われる授業も嫌いではない。休み時間の生徒たちのざわめきも、大変好ましいものだと思っている。――あくまでも、それら全てを外から他人事として眺めていられるのなら、だが。

 昼休み。

 昼食後、いつものように図書室で借りた文庫本を開いた彼女は、手元に差した影に、口元が引き攣るのを感じた。

 やっぱり、こいつはわかっていない。


「陣内さん」


 ちょっと、いいですか?

 三年三組の教室にふいに響いたその声に、クラス中の視線が集まるのが肌で感じられた。

一瞬、我関せずを貫きたい衝動に駆られるが、そんなことをしようものならばこの少年がどんな行動をとるかわかったものではない。しかし何にせよ、短いながらもこれまでの経験上、碌なことにはならないだろうことだけは目に見えていて。


「…何の用ですか、光月くん」


 内心、盛大に溜息をつきながら、ゆるゆると顔を上げる。予想通りそこに居たのはどこから見ても爽やかな優等生にしか見えない、時期外れの転校生だった。

 しかも小耳に挟んだところによれば、ファンクラブなるものまでこの一月の間にできているらしい。千郷にはなんの関係もなければ興味すらないことではあったが、彼と関わることで噂話や厄介ごとの中心に引きずり出されるようなことだけは、どうしてもさけたかった。

だからこそ、彼女は彼にあれほど念を押したというのに。

 できるだけ表情は変えないようにしていたし、もともと普段は表情の豊かな人間ではないから上げた顔は無表情と言っても過言ではなかったはずだ。だが、弘夢はこちらの心中を正確に読み取ったようだった。相手は芝居っけたっぷりに、苦笑してみせる。


「先生から言伝があるんですけど、お邪魔でしたか?」


 こちらの本音はもちろん、この状況で返せる答えなど一つしかないこともとっくの昔から知っているくせに、彼はわざわざそんなことを言う。その上怖いくらいに綺麗な、女性の羨望を一身に集めるその顔に、あからさまに寂しそうな翳りが差したから厄介だった。

 非難するような視線が多数自分に突き刺さるのを実感しながら、仕方なく千郷は彼のお芝居に付き合うことにする。そうしなければ、明日から自分は完全にクラスの女子を敵に回すことになる。クラスメイトたちの視線(ほとんど女子が占めている)を多分に意識して、困ったような苦笑を浮べ彼女は首を傾げた。


「いえ、そういうわけでは」


 ただ。と彼女は取り繕う。


「本に集中しすぎていて気付かなかっただけです」

「ほんとうに?」

「…もちろん」


 嘘に決まっている。

 出掛かった言葉を、身の安全のためだと喉の奥に押し込む。

 よかったと胸を撫で下ろす『芝居』に、精一杯努力して友好的に微笑む『芝居』で返しながら、彼女は話題を戻すことにした。軽く頬が引き攣ったのはご愛嬌と言うものだ。

 さっさと話を終わらせて、クラスの視線を集めまくりなこの状況をどうにかしたい。


「それより結局、先生の言伝というのは何なんですか」

「あ、はい。今日の日直は陣内さんと久保田くんでしたよね?」

「ええ、そうですけど」


 素直に頷き、だから何だと目の前の青年にだけは分かるように気配で問うて。


「僕もさっき、阿妻先生から急に呼び出されて聞いたんですけど。久保田くん、三十九度近い熱があったらしくて、早退することになったそうなんです」


 それは気の毒に。

 心の中でそうコメントしながら、千郷は隣りの席の住人たるサッカー部ホープの快活そうな顔立ちを思い浮かべた。そう言えば、件の彼は昨日あたりからどこかしら調子が悪そうだったなと彼女が思いを馳せている横で、さらりと弘夢はこう付け足した。


「なので、今日の日直は僕が代わりにやることになりましたから」

「……え?」

「それでさっそくで申し訳ないんですけど、転校生の僕としてはどういった仕事内容があるのか教えていただきたいと思いまして」


 にこにこにこ。


「………」


 光月弘夢少年の笑顔が、見守るクラスメイトの心を鷲掴みにする一方で、ぴしりと表情を凍らせたのは他でもない彼女。


「……い、いやいやいや大丈夫です、結構です、日直の仕事なんてたいした量じゃありませんし、ほらもうあとは五限と六限だけですから、一人で全く問題ないです」


 なので代わりにやる必要はありません、ええ本当に。

 我に帰った千郷が、どうにかその好意にしかみえない嫌がらせの魔の手から逃れようと足掻く様を、弘夢は爽やかな笑顔で見下ろす。


「ダメですよ。今日は放課後、社会科の授業で使うプリントを冊子にしないといけないんでしょう? しかも全クラス分。今朝、先生に頼まれてたじゃないですか」


 余計なことを憶えているものだと思ったが、流石に口にしない。


「そ、それはそうだけど。ほら、クラス委員とか社会科係りの人に助けてもらえば――」

「今日は委員会と部会がある日じゃなかったですか?」


 確かに、クラス委員の三人はもとより、社会科係の男女二人はよりにもよって陸上部の両部長だった。だから偶然にも、何の委員会にも部会にも入っていなかった日直二人組みが、かの担任のお眼鏡にかなったのだが。因みに目の前の青年も転校してきたばかりということと、受験生だという事実のために今更部活に入っていたりはしない。残念ながら委員会にも。


「いや、でも」

「最近は物騒な世の中でしょう? なのに、暗くなるまで女の子一人で残るようなことになったら危ないじゃないですか」


 だからね、と彼は言う。どこまでも親切さを装って。


「僕と一緒に日直やりましょう。ね?」


 瞬間、クラスメイト(女子)たちの視線がそれまでにない程強く千郷を貫いた。視線に殺傷能力があるのなら、恐らく今の一撃は致命的な外傷を彼女に与えたことだろう。言いたいことがあるのなら口で言ってくれればいいのに、と千郷は思った。

 むしろ、「代わって!」と言ってくれれば、喜んでその人に『光月弘夢と日直』という権利を譲るくらいの心境なのだ、彼女としては。いやそれどころか、叶うことなら誰か代わってと涙ながらに縋り付きたいくらいだった。もしもそんなことをすれば、クラス中の女子から顰蹙を買うだろうことはわかりきっているので、実行などできはしないが。

 そんなことをつらつらと考えて、この理不尽な状況に嘆息する。

 相変わらず突き刺さる視線には、いい加減うんざりだった。

 というか、私にどうしろというのだろう彼女らは。これならまだ、


「弘夢くん、どーしたの? めっずらしぃ。陣内さん、と話してるんだ?」


 こういうあからさまな色目を使っている人間の方が、よっぽど分かりやすくて好感が持てるような気がしてくるじゃないかと、更にうんざりしながら千郷は思う。

 声の少女が千郷の名を呼んだ後、言葉を切ったのはきっとそこに『なんか』と言う言葉が入るからだろうと思う。というかかなりの確率でその筈だが、別段腹は立たなかった。いつものことだからだ。

もうすぐ五限目が始まるから他のクラスの友人たちのところから戻ってきたのだろう。後ろのドアから入ってきた(因みに千郷の席は最後尾の廊下から一番離れた場所だ)少女、岡本真由美はそういう言葉を悪意なく多用する生徒である。

 ぎりぎり地毛だといい逃れられる程度に染めた、背中に届く長さの茶髪は彼女の自慢で、今日は一段と気合を入れてセットしたのか、所々内側にカールした髪先が頬や首元にかかって大変可愛らしい。ルックスはかなり良く、幼い顔立ちのわりに出る所は出て引っ込むべきところはきちんとひっこんでいるから、彼女は異性に人気が高い。裏腹に――まぁ、これはすでにお約束事であることだろうが、同姓からはあまり好かれていなかった。

 今回は珍しく『悪意の無い』言葉は飲み込んだようだが、たぶんそれは弘夢の目を気にしたのだろう。成績は決してよい方とは言えないが、この少女はこういう男女関係の機微に関しては敏感で目敏い。実際は言っていなくても、あそこで言葉を切ったら言ったのと大差ない気もするが、それでももし本当に彼女がその言葉を口にしていたら、大抵の男子生徒は多少なりとも引くだろう。そういう無意識の計算が、彼女が同姓に嫌われる一つの要因なのだが、残念ながら当の本人は全く気付いていない。まぁ、今回の場合その大抵の男子生徒というくくりに、この青年が当てはまるのか否かは、大変疑問だが。


「ああ、岡本さん。ええ、ちょっと陣内さんに日直の仕事、教えてもらおうと思いまして」

「へー、えらいねぇ。あれ? でも、今日ってつーくんが日直じゃなかったっけ?」


 つーくんとは、久保田剛の愛称であるらしい。


「ええ、そうなんですけど。それが久保田くん――」

「熱で早退しちゃったんだってさー」


 弘夢の台詞をかっさらうようにして、新たな声が解説した。

 ソプラノの軽やかな声音。


「こんな中途半端な時期に風邪なんて、馬鹿だよねー?」


 鈴の音を連想させる少女の声が、きゃらきゃらと笑ってそういった。千郷の頭の後ろから聞こえたそれに、弘夢、真由美、千郷の三人は見事に三様の反応を示す。


「あはは。まあ、お間抜けではありますね」

「……」

「え、エリ?」


 千郷が半ば頭痛を堪えながら振り返ると、予想を裏切ることなく、栗色の髪を肩までの長さで切り揃えた元気一杯の、別の言い方をすれば頭の(中身が)軽そうな少女がそこにいる。

彼女の名を、中村江梨香。

 親友である真由美とはまたタイプの違った美少女である江梨香は、けれどそのさばさばとした性格と、そのどう優しく言っても変わっているとしか言いようのない言動から、学校中の生徒から親しまれている。

 人見知りの気のある千郷にしても、彼女相手には比較的に身構えない状態で話せた。

 ただし。千郷を含めた大多数のクラスメイトが持つ、共通の中村江梨香に対する認識としては、風変わりな美少女、というよりむしろ毛色の変わった珍獣という扱いに近い。

 しかしまぁ、彼女自身が気にしていない以上はそれはそれで構わないのだろうが。

 だが生憎。少なくとも今、この現状では、不本意ながら千郷が構う。


「あ。まゆ、お帰りー。穂波ちゃん一緒に遊べるって?」

「穂波ちゃん?」

「隣りのクラスの杉本穂波ちゃん。生徒会の書記だから、顔くらいは弘夢くんも知ってるでしょー。明々後日の日曜は、美少女三人で遊びに行こうかって話なんだね、これが。どーだ、羨ましかろ?」

「それはかなり羨ましいですね。美少年なんかはお呼びでないですか?」

「はははっ、自分で美少年って言っちゃうんだー? うん、キミのそういうとこは結構好きだよー。別に本気で来たいなら止めないけどもね、でもそれだと前に言ってた本命に誤解されないのかなー?」

「ああ、それは僕がよくないですね」


 エリ、と呼んだきり流石に目を丸くしている真由美に、多少なりとも同情しないでもなかったが、とりあえず千郷は後ろを振り向いた。この際、江梨香と普通に会話を交わしている弘夢は、敢えて居ないものと考える。


「あのね。……何、してるのって訊いていい? 中村さん」

「ん~? へー、珍しいね。陣内ちゃんから質問してくるなんて。いーよ、いーよ。どんどん訊いちゃって、陣内ちゃんの質問ならいつでも大歓迎だから」


 いや、どんどんは訊かないが。

 内心の突っ込みを飲み込んで、千郷は当面の疑問を解決することにした。


「だからね。ほんとに何してるの、そんなとこで。というより、なんでそんな所に居るの?」


 窓枠を挟んで向う側、美少女が可愛らしく微笑む光景は、青空と眼下に広がる街並みを背景と相まって、なかなか乙なものである。まるで窓枠が一腹の絵の額縁にさえ見えるようにも思う。


――ここが校舎の三階で、尚且つ千郷が座っている席が最後尾の廊下から一番離れた席で、つまり窓の向こう側が即ち外という現状でなかったなら。


 確かにそこに足場になる場所はなくもない。が、それはそもそも人が通るために作られた場所ではなく、大した広さが在るはずもない。せいぜい窓枠に捕まれば立てる、足が置ける程度の幅しかない。だから普通はこの三階でそんな場所に降りようなんて考える酔狂はいるはずがなかったし、千郷もそう思っていた。その認識は恐らく十中十間違いっていないと思われる。

 そんな可能性すら考えたことがなかったのが、良い証拠だ。今しがた、弘夢と会話するために廊下側を向いているその最中に、背後から江梨香の声が聞こえてくるまで、千郷はそんなことを本当にする人間がいるとは思いもしなかった。


「うーん。なんで、って言われてもなぁ」


 問われた相手は、自分の行動の理由を問われているにも拘らず首を傾げた。そのまま、一連の動作として自然に腕を組む。ちなみに彼女の足場となっているコンクリは、雨水をスムーズに排水できるよう少し傾斜していたりする。

 そんな場所で窓枠を掴んでいた手を離せばどうなるかは、火を見るより明らかで。


「ん?」


 案の定。ぐらり、と自然の法則に従って華奢な少女の体が仰向けに倒れていく。

 危険に反応して腕を解き、窓枠を掴もうとするが――遅い。


「――エリ!」


 千郷は決して反射神経がいい方ではない。


 ないが、しかし。


「おー。ぐっじょぶ、陣内ちゃん」

「…中村さん。もうちょっと空気読もうよ?」


 ほんとうに、本当に、ぎりぎりのところで細い手首を捕まえて。そして返って来た反応に、がくりと脱力する。今のは本気で危なかった。あと、コンマ一秒でも千郷が手を伸ばすのが遅ければ、きっと江梨香は二度とこんな呑気な台詞は口にできなかったはずだ。

 教室の、今までのざわめきが嘘のように引いているのが、何よりその証拠。


(お願いだから、これ以上私の悩みの種を増やさないで)


 今の千郷は、たった一つの問題によって多数の悩みを抱え込んでいる。

 ただでさえ思考の処理能力は早いほうではないのに、その上この調子で江梨香のペースに巻き込まれていたら、完全に身動きが取れなくなる。


(……というか、無理)


 絶対、これ以上の悩み事は御免だ。

 大体ここは普通、江梨香の身近な友人である真由美辺りがフォローを入れるべきじゃないのかと思ったが、同時にそれ以上の適任者の存在を思い出して彼女は口を結んだ。

 救世主の到来を察知して、千郷はさりげなく江梨香に窓枠自分で掴ませ、音を立てないように椅子を引いて場所を譲る。すでに弘夢は傍らに居らず、真由美はそそくさと己の席へ避難し始めていた。


「ほおー、中村」


 巌のように低い声。

 その声に似つかわしい体格のいい男が、江梨香のつかまる窓枠に手をついて凭れ掛かる。


「なかなか、楽しいところに立っているじゃないか。眺めは良いか?」


 三組担任、角刈りがトレードマークの社会科担当。

 昨年は生活指導も任されていた阿妻肇彦氏が、渋い笑みを浮べそうのたまって。


「結構いいっすよー?」


 空気を読まない強者の彼女は、へらりと笑い返した。

 始業を知らせるはずのチャイムが戦闘開始のゴングに聞こえたのは、何も千郷だけではあるまい。

 





 

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