四話、猫と王のてのひら
陽のもとの王都――イグニス王城。
その中心、竜のために築かれた神話のような謁見の間。
何度訪れても息を呑む。
天井は人の背の何倍も高く、陽光が金紅の大理石に差し込み、床は炎の象徴であるルミナリアが咲き誇る絨毯に彩られている。
その王座の下――女王陛下の足元には、銀髪の騎士がいた。
「……アッシュ様。撫でて、ください」
屈託のない声音で甘える彼女は、セレスタ・イゼルファ。世間に知られているのは「レイ」としての姿だが、今ここでは本来の姿で、主の膝に頭を乗せている。
……いや、あれはもう“騎士”ではなく、完全に猫のような甘え方だ。
ヴェラノラ陛下の指が彼女の髪を撫でると、目を細めて頬を寄せる。彼女の喉から小さく響く、くぐもった喉鳴りが、部屋の静寂を埋めていた。
「また……朝から。そんなに、撫でてほしいの?」
「はい。……ずっと、足りなくて」
(……“足りない”?)
それは、過去に誰かが与えてくれなかったからだろうか。
それとも、与えすぎた者の名残か――。
かつて私の同僚であり、そしてすべての混乱を引き起こした男の影が一瞬、彼女と重なった。
あの男もまた、撫でることに妙な執着があった。
陛下が表情を一つ変えるでもなく髪を撫でる姿は、女王としての威厳とは少し違う、“ひとりの女性”としての優しさに見えた。
(……この光景を見てしまったら、令嬢たちが嫉妬で倒れるだろうな)
……いや、絶対倒れるだろうな。
特に、セレスタ嬢が変身した姿なら、尚更。
ここまでだとそろそろ諫言するかと考える。
「ほら。そろそろ始まるぞ。変わるか、下がりなさい」
「ぅ……はい」
私が窘める前に、アッシュ様が諭した。
セレスタ嬢がしゅんとした顔をしながらも立ち上がる。
そしてふわりと青の炎に包まれた。
炎が収まると、すぐに白銀の鎧をまとったまま“レイ”の姿へ。
凛とした冷静で真面目そうな青年。
だがその直後――
「……あ、あっしゅさま……、撫でていただいても……」
へたりと座り込み、また膝元に寄ってきた。
本当にレイ殿の状態か……?
セレスタ嬢と同様になんだか猫なで声だ。
(いや、変身したからヨシ! というわけではないのだが……?)
呆れるよりも早く、謁見の間の扉が開かれた。
「陛下、おはようございま――」
ぞろぞろと入ってくる臣下たち。
その誰もが驚かない。
……ああ、これが“日常”になってしまっているのか。
女王と騎士。
主と従者。
――いや、それ以上の関係性にある二人。
甘やかな空気が漂う謁見の間に、私は思わず苦笑してしまった。
(……平和だな)
けれど、それも今のうちだろう。
もうすぐ、この静けさをぶち壊す“嵐”が来る。
”嵐”が果たして時間まで大人しく自室にいてくれるだろうか……。
臣下たちが次々と集まりはじめる。
それでも、陛下の手は止まらなかった。
すっと銀を梳くように撫で続けると、レイの目が細められ――喉が、かすかに鳴る音が聞こえた……気がした。
(……もう、何も言うまい)