十二話、鍵のない扉
……よかった。
今日は殿下に捕まえられなかった。
代わりに別の騎士が捕まっていたのを思い出す。
どうやら東方の国での軍事はしばらくお休みらしく、まだ、王国に留まっている。
騎士団での仕事が終わり、王城から、叔父様から受け継いだバリストン邸に帰った。
一応定期的に帰っている。
ただ、一人で住むには広すぎる。
(アッシュ様もここで寝泊まりして貰ったら……いや、恥ずかしいな)
竜の家系だと言われていたせいか、屋敷は竜サイズ。
本当に広いしデカイ。
たまにここで竜に変わってそれで動いていたりする。
そこで働いているのは叔父様がいた当初から変わらずいる使用人たちーー赤翼の会のメンバーだった人たち。
加護を授かる竜が違うだとか。
私推しが多いだとか。
あの騒動の後、捕らえた彼らが私を持て囃していたらしい。
ヴァルディス様が詰問の終わった後。セレスタ嬢ガチ勢だからちょっと自爆装置つけておいたら下手なことはしない、と引き渡された。
どうも筋金入りらしい。
そりゃ、昔から熱い視線とあの方呼ばわりはされていたからなんとなく察してはいたけど、……そこまで?
新しい人を雇わなくて済むのだけは助かっている。
門を抜けて、青いルミナリアの園を歩く。
玄関にたどり着いた。
なんとなく待つが、――
(あ、そっか。もう開けなきゃだよね。二年経つけど、気が抜けるとこれだなぁ……)
と、ドアノブを触る前に、向こうから開いた。
「ぁ」
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「ご、ご主人様って……」
(そりゃ、今はレイだけど、なんだかむず痒い)
彼女は、ずっと前から私に仕えてくれている侍女だ。
力の加減ができなかった時、私の自室をわざと開けずにいた侍女。そういう私の素が好きな人だ。この人も赤翼の人――なんて。ヴァルディス様曰く苦戦したと言っていた。
よく考えたら、当時私の素顔が好みだと言ってくれたのはアッシュ様以外にはこの人かもしれない。
ここ最近は、ちゃんと扉を開けといてくれる。
それが少々寂しい。
外套を脱いで、渡す。
「ありがとう」
パチンと指を鳴らす。
青い炎が私を包む。
「いえ、その……」
レイの姿から私へ。
戻った。
まだ、外では私は秘密。
「もう、気にしてないですよ?」
侍女が言いづらそうにしているのは謝罪。
もう何度も、だ。
他の使用人も軒並みそうだ。
叔父様のすることを知ってた上で、黙っていた。
仕方ないことだと、思っている。
主従関係であれば、特に。
「どうしても、気になるなら……えーっと、無賃とか?」
「それは、ちょっと……」
「えへへ、冗談、ですから」
「お嬢様……」
そう言って、夕餉とお風呂の用意をお願いした。やっぱりまだ、慣れない。
そしてもう一つ。
まだ、書斎を片付けきれない。
向かう先は、書斎。
かつて“私には開かれなかった部屋”。
けれど今は、鍵はかかっていない。
当たり前だ。
――もう、彼はいないのだから。
ノブを回して、扉を開ける。
薄暗い部屋。
大きな机の上には、きっちり並べられた筆記具。
封を切っていない手紙用紙。
整理された棚には、革張りの本がぎっしりと並んでいた。
時間が止まったみたいだ。
「……ほんとに、何も変わってないんだね」
机の上に、一枚だけ紙があった。
女王陛下が調査に使ったあとのまま、誰も手を入れていないはずなのに。
それだけが、ほんの少しだけ斜めにずれていた。
風か、それとも……。
私は、そっと視線を落とす。
――『義兄に会った。
不愉快だ。陵辱して、奪って、壊して、捨てた。
俺が殺してやる』
筆跡も乱雑だ。
……誰のことを、書いたのだろう。
“義兄”。
思い当たる人物はいない。
ただ、憶測はできる。彼から見て義兄、であれば彼の姉の……。
つまり私の父。
これを書いたときの彼の顔が。
なぜか――はっきりと浮かんできた。
無表情で、怒りを押し殺すような、あの人。
陛下の時のように。
レイを奪われると思ったからーー
「……怒っていたの?」
問いは、空気に溶けて返ってこない。
けれど。
なんだか、胸がざわついて仕方がなかった。
私はそっと、それを取って、机の引き出しにしまった。
それ以外には手を出せない。
何が書いてあっても――
何も書いてなくても、きっとどこかが痛む。
(……この部屋、嫌いだったのに)
なんでも見透かされるようで。
閉じ込められてるようで。
でも今は、違う。
私はもう、この空間に怯えていない。
窓の外――青いルミナリアの揺れるのが見える。
この場所も、いつかはきっと、私の“ただの過去”になるのかもしれない。
それでも。
いや、だからこそ――夜は寂しい。
就寝はアッシュ様のところ行こっかな……。