十話、金赫と紫苑
「ほら、カイル。次だ」
「え――、まじ?」
その中で、名指しされたカイル。
私だけ。
そう思っていた彼は駄々を捏ねていた。
私は私で、まだ心のモヤモヤが晴れない。
そんなことを抜きにして、彼が立ち上がる。
赤の髪を揺らし、ゆるく結ばれた三つ編み。
無言で歩み出るのは、赤い竜騎士。
(……珍しい。もっと騒ぐかと思ったけど)
それを見たヴァルセリアスは、軽く頷く。
手合わせの宣言もない。
審判もいらない。
ただ――戦士の意志が、ふたりの間に交わされた。
カイルは、構えない。
剣すら抜かないまま、すっと一歩、足を前に出した。
……こいつは、自分がマトになって、他の騎士が攻めたら楽、を地で行く奴だ。だから正直戦いはほとんど見たことがない。
せいぜい躱すくらいなもの。
対する殿下もも、槍を立てたまま、微動だにしない。
一瞬、風が吹いた。
その流れが、ふたりの身体をかすめた瞬間――
カイルが動く。
鞘ごと、抜き放つ。
ヴァルセリアス様の槍が受け止める。
鋼と鋼がぶつかり合う音が、先ほどよりも低く、重い。
剣を使わぬカイル。
その戦い方を、殿下は知っているのだろう。
表情ひとつ動かさず、彼もまた、軽く槍を払う。
打ち合いは、たった数合。
それでも、すべてを知っている者たちには理解できた。
このふたりはどちらも“本物”だということを。
カイルは、踏み込まない。
殿下も、押し切らない。
どちらも、相手の懐の“奥”を覗き見ようとはせず、ただ、剣と槍で対話していた。
そして、ふっと――
竜騎士が一歩、後ろに下がる。
ヴァルセリアス殿下が槍を地に突いた。
終わりだった。
誰も声を上げなかった。
ただ、ひとつの礼として、ふたりが軽く頷き合った。
赤と赤の視線が交わるだけ。
言葉はない。
「……」
つい見入ってしまった……。
正直少し悔しい。
二人とも軽い手合い程度に動いていたようだが、観戦している私や他の騎士としてはもっと上のそれだった。
だが、そのやりとりが何より雄弁だった。
訓練場を包む風が、ふっと熱を散らす。
その中心に立っていたふたりは、もう背を向け、それぞれの場所へと歩き出していた。
そういえば、カイルがちゃんと戦っている姿は初めて見たな。まあ、本人はまだまだ本気でもないのだろうけど。
……いや、あのサボり魔が本気になることなんてあるんだろうか?