九話、誰の剣かⅢ
――私はあの人をすべて知らない。
守る?
誰から何を?
ずっとその背を見てきただけ。
だから、守ると言っても、やはり陛下のため。
そのための剣だ。
あの人に関しては檻を作った人だとしか、わからない。
もう、知ることもない人。
「……くっ」
私は踏み込んだ。
炎を裂き、距離を詰め――
「ふっ……よくぞ食らいついてくる!」
槍と剣が正面でぶつかる。火花が散った。
鍔迫り合い。
がっちりと絡む視線と視線。
押し合いながら、殿下はふと――微笑んだ。
戦いの最中でこんなに優しく柔らかい表情ができるなんて……。
私の耳元で、静かに囁く。
彼に似つかわしくない、優しい声。
「今日は楽しかったぞ。――……我が妹の、かわいい“竜”よ」
「――!?」
瞬間――息が止まった。
瞳が揺れる。
(――“竜”?)
その言葉の意味を、心が理解するよりも先に、彼の槍がすっと引いた。
殺気がふっと消え、構えがほどかれる。
「終わりだ」
ヴァルセリアスは背を向け、数歩、ゆったりと歩いた。
その後ろ姿は、戦いに勝った者のものではなかった。
まるで――何かを確かめ、満足した者のような。
私はその場に立ち尽くし、震える指先で、そっと自分の胸元を押さえた。
(――知ってたんだ)
けれど――
“何も問わなかった”。
“何も責めなかった”。
ただ、そっと。
彼はそう、言葉をくれただけだった。
――まるで、父のように。
――兄のように。
唇が、ゆっくりと震えた。
ほんの少しだけ。
涙腺が緩みそうになるのを、必死にこらえながら。
これが恐怖なのか。
それとも共有、気づいてくれたという嬉しさなのか。
……わからない。
陛下に報告しなきゃ。
でもその前に、少しだけ……。
目を閉じて静かに息を吸い、剣を納めた。
訓練場には、まだ熱が残っていた。
巻き上がった砂埃。
揺れる赤い焔。
余韻が消えぬまま、観戦席では誰も言葉を発せずにいた。