19向日葵
「花屋さん、」
「何ですか。」
「向日葵祭りっていうのがあるんですね。」
店のガラス戸に貼っているチラシを見た。
「はい。もう随分経ちましたが、まだ開催されているようですね。」
「…………。」
花屋さんと行きたい。けど、前のように断られたらどうしよう。
「花屋さん、狐の子とお祭りに行くことになりました。」
「あぁ、それはいいですね。楽しんでください。」
狐の子、朝学校に着くとなんだか優しくしてくれた。
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「ねぇねぇ、秋祭り、あんた花屋さんに誘った?」
「うん、誘ったよ。」
どうせまた揶揄うんでしょ。
「そう。貴方を誘おうと思ったけど、その必要はなかったみたいね。」
「断られた。」
自分で言うと尚、事実を突き出される。胸が痛い。
「あら、そうなの。じゃああたしと一緒に行こっ。ねっ。」
にぱっと狐のように笑った。
「う、うん。」
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「花屋さん、私と一緒に向日葵祭り、行きませんか。」
駄目でも誘いたい。一寸でも希望があるのなら賭けてみるしかない。
「…………。」
花屋さんはそのままの顔で止まった。
「花屋さんと行きたいんです。」
「どうしても?」
「はい。どうしても。」
花屋さんの表情は一定のままだ。けど一瞬なにか曇ったような氣がした。
「……いいでしょう。これが終わったら行きましょう。」
え、と花屋さんの顔を見る。優しい顔に戻っていた。
「貴方と僕で。」
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「うわぁ……!奇麗ですね……。」
黄昏時。一面には向日葵が咲き誇っていた。
「……はい。美しい。」
ほんとうにきれいだ。言葉が見つからない。見つからなくていい。私と花屋さんだけ知っていればそれでいい。
「「……。」」
法師蝉が鳴く。この夏が終わる事を示す。終わってしまうのか。この日常が。
「花屋さん、どうして一瞬に来てくれたのですか。祭りや海とか断ったじゃないですか。何故これだけ。」
花屋さんは宝石を見放して私の眼を見た。
「貴方が悲しい顔をしていた。それだけです。」
花屋さんは歩き出す。私もその跡を辿った。
「じゃあ、祭りの時は悲しい顔をしていなかったということですか。」
「…………、」
一瞬、私を横目で見た。その顔は冷たかった。一枚、花びらが舞う。
「傷つけてしまったのならごめんなさい。そう言うわけではないんです。唯、」
最後の言葉は夏に掻き消された。蝉が鳴く。
「じゃあ花屋さん、」
温かい色に包まれた。
「私を見つめて。」
「……?」
「私を見つめてくれたら、許します。」
花屋さんは歩みを止めた。きらきらと夕陽が花屋さんを引き立たせる。
「分かりました。」
太陽が沈む。二人の時間は進まない。
「「…………。」」
ずっと私を見つめてください。次の日も翌年もこの先一生、私を見つめて。他の人なんか見ないで。
「いつまで……見つめれば…………。」
花屋さんは瞳を逸らさず、瞬きをした。光いっぱいに。
「花屋さん、」
「はい。何ですか。」
ふっと笑った。その笑顔もずっと眺めたい。
「戀をした事はありますか。」
「…………えぇっと、」
花屋さんは目を逸らしたそうだ。しかし約束は破れない。
「ありますよ。」
「そうですか。一緒だ。」
私が向日葵へ背けたら、花屋さんは直ぐにどこかへ目を向けた。
「好きになった人はどんな人ですか。」
「戀話ですか……。……優しい人ですよ。」
「へぇ。花屋さんも好きな人いたんですね。」
学生さんは言葉のそのままの意味で言っているのだろう。どうも嫌味には聞こえなかった。
「そりゃあ僕も人間ですから。」
「その戀の行方はどうなったのでしょうか。」
「まだ話すのですか。」
向日葵は太陽がどこに位置してようか迷いそうだ。胸が痛い。
「えぇ。私もあとで話しますから。」
「先を越されました。唯、それだけのことです。」
花屋さんは私に笑いかけた。けど見たこともない笑顔だった。どことなく無表情で、冷淡で、表では明るく向日葵のように見えるだけだった。
「そうなんですね……。じゃあ、次は私の番です!」
今まではこのまま伝えなくてもいいかと思っていた。狐に花屋さんを取られて、縁談をしてから焦ってきた。毎日毎日、不安だった。
「花屋さん、」
けど人生は上手くいかない。上手くいかないから言葉にするしかない。その方法しか今は知らないから。
「…………。」
花屋さんの表情は変わらなかった。いつもの穏やかな顔で待っていた。
「…………花屋さん」
やっぱり言えない。私は間抜けだ。
「花屋さんはもし、もし好きじゃない人を愛せって言われたらどうしますか。」
「……僕は」
「僕はその人を愛せないと思います。生涯尽くせなく死ぬと思います。」
「……そうですか。」
「愛してる」
「なんて到底言えません。」
「僕はある理由があって妻を持っていません。」
「……、」
問いていいのか分からない。あの時、言いたそうにしなかったから。その先は花屋さん次第だった。
「大した理由では無いのですが、どうしても愛せない。」
「貴方は、貴方だけはどうか幸せになってください。」