17銭湯
「ねぇ、ねぇ。」
「何ですか。」
花屋さんは学生とはまた違う困った顔をしていた。
「これが終わったら散歩しましょ。」
「今日は駄目です。」
狐はずっと蒲魚ぶっている。
「何で?」
狐は縁台で休みながら花屋に問う。
「今日は用事があるので。」
花屋は花の手入れをしていた。
「用事ってなぁに。」
「さぁ。」
「もうなによ。いつもはぐらかしちゃって。大人ね。いっつも逃げるんだから。」
狐の口がつんととがる。
「逃げることは惡いことではありませんよ。」
「いいえ、惡いわ。恥知らずよ。」
「あら、こんにちは。今日もいらっしゃるのね。狐さん。」
「えぇ。」
常連さんだ。ふわっとお花の香りがした。何故かしら。石鹸の香りじゃ無いわ。
「部屋のお花が枯れちゃったからまた来たの。」
常連さんは以前と比べて元氣だった。良かった。
心の中で思った。心の中で思っただけ。
「どれになさいますか。」
「そうね……」
狐は考える。
あの子、最近来てないわね。嫉妬する顔が好きだったのに。つまんない。あたしが花屋を奪ってもいいの?あの子、馬鹿なのにそれなりの顔立ちなのが腹立つわ。
「……ふん。」
花屋は常連に花束を渡した。
「狐さんって花屋さんの姪なの?毎日ここにいらしてるから。」
「いいえ。僕に兄弟なんていませんよ。」
「でしたら娘さんなのね。ごめんなさいね。勘違いを。」
男らしい後ろ姿だ。華奢で細見だけどしっかりと芯が通っている。
「いいえ。娘でもございません。僕に妻もいませんよ。」
常連は美しく眼をかっぴらいた。
「あら、そうだったの。てっきりいらっしゃるのかと……。ごめんなさい。」
「いいえ。大丈夫です。」
またね。と常連は申し訳なさそうにどこかへ行った。
――――――――――
夜。虫の音と湿気を含んだ暖かい風が肌を通る。いつもの錢湯の前で私は立ち尽くしていた。
「え、今日、お休み?」
扉の張り紙には、故障につき本日休業。と筆でデカデカと書かれていた。
「仕方ない。遠くの錢湯行こ……。」
――――――
「ここか……。」
中は賑やかで繁盛していた。奥さんを待っているお爺さん、子供の世話する親、男湯の暖簾を腕押しする人。
「…………。」
私も風呂敷を持って風呂に入った。
「わぁ……!床が木じゃない。タイルだ。」
「ふふふ。ここは最近造られたんだよ。」
またふふふと腰の曲がった婆さんは笑った。
「なるほど。これがニュースタイル……」
学校でお洒落な子達が言っていたハイカラな言葉を使う。使ってみたかった。
湯に浸かる。
「ふぅ……。良い香り。」
「ふふふ。これはね。入浴剤ってのが入ってるんだよ。」
婆さんは私の隣に入ってきた。
「……?!に、入浴剤……?」
「そうだよ。入浴剤……。まじないさ。体の疲れを愈してくれる。」
お湯をすくってみる。
「ほ、ほんとだ。何だかよくなってる氣がするわ。」
「ふふふ。そうだろう。肩までちゃーんと使っておきな。」
そう言って世間話で婆さんと盛り上がった。
「もう出ます。お話樂しかったです。」
「もう出るのかい。こんな婆さんの話を聞いてくれてありがとうなぁ。」
私はお辞儀して出た。
「いい錢湯だった。」
いつも行ってる錢湯の方が安いけど、それ相応の価値はあるわね。
外へ出る。熱くなった体に暑い空気が入る。しかしあまり不快には思わない。夏という感じでがしていい。
「帰ろ。」
と横を見た。
「こんばんは。」
「花屋さん……!?」
花屋さんはふふっと笑って、手招きした。その姿すら好きだ。花屋さんに寄る。
「んーだー!!婆さんがいつも遅いにぁ!おーれがいっつも待っちょる!」
「なにぃ?あんたが早すぎるんでしょう?!」
一緒に入った婆さんだ。と、連れの爺さんが二人で錢湯を出た。
「なぁんもする事ないんだぁ!」
「そしたら!新聞でも読んどきなはれ!」
「俺は文字が読めん!」
すると婆さんはこちらに氣が付いたようだ。ふふふと軽く会釈した。私もつられて会釈した。
「噓つけい!」
だんだんとディクレッシェンドごとく、小さくなっていった。
花屋さんの方を向く。ぱらぱらと湿った髪がなびく。
「花屋さん。ここの錢湯に通ってるんですか。」
「いえ、違う方の錢湯に行ってます。今日ちょうど、休みだったので。」
「花屋さんもあそこの錢湯……天の湯ってとこ行ってるの?!」
重力によって髪の滴がしたたり落ちる。
「はい。もしかして学生さんも?」
「はい!しかし、何年も通ってて一回も会わないなんて不思議ですね。」
錢湯からの漏れ出した光に照らされている。
「ははは。ほんとですね。お互い気付かないなんて。」
「ふふっ。知らぬ間に会っていたかも。」
こころが落ち着く。軽い。月の重力よりも、最中よりも、風よりも。体の先の先まで嬉しいがぐっとぐーっと伝わる。
「歩きませんか。家の手前……まで送りますよ。」
「歩きます!ゆっくり行きましょう。」
うさぎのようにぴょんぴょん歩く。
「花屋さん、花屋さん。」
「何ですか。」
優しい目で私を見る。そのまま、ずっと私を見ていて。
「今度、お祭りに行きませんか。」
「祭り、ですか。と言ってもまだまだ先じゃありません?」
「はい。先約を取りたいんです。」
もしかしたら狐に取られるかもしれない。憎たらしい。
「ごめんなさい。」
「え、なんでですか。」
花屋さんの横顔を見た。首筋を通った水滴が風に当たる。
「学生さんは他の誰かと行ったらどうですか。僕みたいな大人と行ったって面白くありませんよ。」
「私は花屋さんと行きたいんです。一緒に花火見ましょう。」
「友達と行きなさい。その方がよっぽど自分のためになる。学生時代はそう言うものです。」
花屋さんはどうしてそこまで拒むの。私と一緒は嫌ですか。
「分かりました。」
仕方なく事実を受け入れた。
「あ、花屋さん。」
花屋さんの目の前に立つ。花屋さんは腕を組みながら歩みを止めた。
「星が奇麗ですよ。」
花屋の目に星々が浮かぶ。ふっと目を細めて微笑んだ。
「届かないから奇麗なんですよ。」
「浪漫ですね。花屋さんみたい。」
再び二人、歩く。
「浪漫?僕が?」
「違いますよ。ふふっ。星が花屋さんみたいだなって。」
それを聞いた花屋さんは照れたり、恥ずかしがらなかった。
「ははは。ありがとうございます。」
「あ、もう着いちゃった。ありがとうございます。送ってくれて。」
私の家に着いた。
「いいえ。それでは、さようなら。あまり長居してしまうと、前みたいになりますから。」
「ふふっ。そうですね。また会いましょう。さようなら。」
半分くらい終わりました