英雄の選択
男は英雄を目指していた。
辺境の村で孤児として育ち、英雄になれば世界を変えられると夢見ていた。
村人の手伝いをしながら細々と金を貯め、銀貨一枚が貯まった所で村を出た。
十六になったばかりだった。
村を出てしばらくいくと奇妙な老人に出会った。
老人は銀貨一枚を代価に未来を占うという。
それはつまり、男の全財産だった。だが、後悔はさせないという。
「おやあんた、普通とは違う相をしているから絶対に聞いていった方が良い」
ボロを着て、虫歯だらけの歯でいう老人は、とてもまともには見えなかった。
普通なら断るところだが、男は若かった。健康な体と、何よりこれから生を謳歌するという活力が体にみなぎっている。この哀れな老人に持ち金を全部くれてやったところで、すぐに別のところで取り戻せる。英雄となるならば老人一人助けなくてどうする。
そう考えて、男は老人に銀貨を放った。
老人はいう。
「おまえさんには二つの道がある。
南に行けば英雄に、北に行けばおまえさんが失くしたものを手に入れられるだろう」
「俺にはまだ失くしたものなんてない。だが南に行けば英雄になれるのか。あんたの予言、半分は当たってそうだぜ」
そうして男は迷わず南へと向かった。
南では、戦争が起きていた。
戦争の是非は男にはわからなかった。
わかるのは英雄になるには武功を立てねばならぬということだけだった。
傭兵を求めている方の国に向かい、男は傭兵となった。
与えられた服と剣で、男は戦場を駆け抜けた。
多少の傷は負ったが、誰も男を殺すことはできなかった。
そうしていく日も戦い続けるうちに、男の名は戦場に広がっていった。
そんなある日、男はある一人の指揮官の命を救った。
夜になりその日の戦が終わると偉い人に呼び出されて、敵軍の大将を仕留めればなんでも願いを叶えてやろうと言われた。
男が助けた指揮官は、その国の王の息子だったらしい。
翌日、男は名指しで一騎討ちを挑み、敵の大将を討ち取った。
そして男は英雄として名を馳せ、王は英雄を引き留めるべく、王女の一人を婚約者としてあてがった。
男は当初の目的を叶え、英雄として迎えられた。
城ではこれまで知らなかった贅沢なもてなしを受け、代わりに礼儀作法を学ぶことを強いられた。
男は自ら望んだとはいえ、窮屈な暮らしに、辟易していた。
戦場においてこそ、生きていると感じられるのではないかと日に日に思い詰めていった。
そんなある日だった。
国境にある金山に竜が舞い降りたという。
その金山はかつてこの国が隣国と戦争を行う引き金となった山だった。
戦争に勝ったことで王国の所有となり、ようやく採掘できるようになった山だ。
だが竜のせいで再び採掘は止まり、近くに暮らす民にも被害が出ているという。
竜はその山を寝床にし、近づくものを全て排除しているそうだ。
男は自ら志願し、竜の討伐に出かけた。
竜との戦いは容易なものではなかった。
食事も睡眠も取ることなく、ひたすら竜に向き合い急所を探した。
三日三晩そうして戦った後にようやく急所を見つけ、今度は急所だけを狙い続けた。
人と竜。大きさの違いから一撃で倒せるようなものではない。
さらに一日攻防は続き、戦い始めてから四日目にしてとうとう最後の一撃を見舞い、竜は倒れた。
まさに自分は戦場こそが居場所だと、感じるほどに濃密な時間だった。
城に帰ると、男を迎えたのは畏怖と嫌悪の視線だった。
竜は最後の力を振り絞り男を呪ったらしい。
城の呪い師が言うには、奪った命の分だけ人に憎まれ、男の周囲に常に争いを呼ぶものだという。
男は絶望した。
殺した人数など数えていないが、一人二人で済む数ではない。
王の娘との婚約は破棄され、男は国を追放された。
城を出た男は顔を隠しながら各地をさまよい、呪いを解くことができる人を探した。
幸い呪いは男の顔を見たものに発動するようで、男はフードで顔を隠し、世界中を放浪した。
だが、どの町にも、男の呪いを解けるものはいなかった。
ある日ようやく辿り着いた果ての村で魔女を見つけた。
だが魔女は解呪はできないと告げた。
代わりに解呪できる者を教えることはできると言う。
「対価は竜を屠ったその剣だ」
男は対価を渡した。
「解呪は、聖女の手で叶うだろう」
「その聖女はどこにいる」
「さて、わしへの問いは『解呪できる者を教える』だった。居場所は聞かれなかった。お前にまだ払えるものはあるのかい?」
男は悪態を残し、聖女を探す旅に出た。
聖女は遠い国にいるそうだ、いや、どこぞの国に聖女がいたが追放されたらしいとか、あやふやな話を聞きながら男は各地を放浪した。
行く先々で厄介ごとにからまれた。
その度に男は腕力で解決した。そのたびに呪いの力は増していった。
さすが竜がかけた呪いというべきか、呪いは非常にタチが悪く、人を傷つける事によって力は強まり、男の体を重くしていった。
呪いは人の嫌悪と争いを引き寄せ、集まってきた厄介ごとで人を傷つければ、より人に嫌われて争いに巻き込まれやすくなる。
争いに巻き込まれる度に男は英雄としての力をなくし、そしてついに、普通の人と同じ力しか振るえなくなった。
今度は男が人に狩られるようになった。
男を殺そうとする者たちに追われ、男は森に逃げ込んだ。
森の端は人に見張られ、山狩が行われた。男は食べるものもなく森の奥へ奥へと逃げるしかなかった。
追っ手はなんとか振り切ったものの、とうとう力尽き、男は倒れた。
気がつくと、小屋の中に寝かされていた。
キッチンと居間とベッドが何の仕切りもなく一室になった狭い小屋だった。
黒髪の女性が背を向けて調理している。
男には疑問しかなかった。
――なぜこの女は俺を拾ったのか。
――俺が怖くないのか。
――なぜこんな所で暮らしているのか。
「起きたのですか」
透き通った美しい声で女性が尋ねる。
振り返った女性の顔のあまりの美しさに、男は息を呑んだ。
小さな顔にバランスよく目鼻が配置され、サファイアの瞳には知性が宿っている。
何も塗ってなどいないだろう唇は珊瑚色をしてつややかで、その落差にドキリとする。
かつて婚約を結んだどこぞの王女よりも美しい。
小屋の主人はその女性のようだった。
その者は男に何も聞かなかった。
幸い女は男を怖がる様子はなかったため、しばらく世話になってもよいかと聞いた。
女は快諾した。
その危機感のなさが危うく、男は女に注意するようにいうと、女は鈴を転がすような声で笑った。
女は、男に、自分をクロエと呼ぶよう告げた。
クロエは男の顔を見ても何も思わないらしい。
男はクロエに名を告げなかった。クロエはそれを受け入れ、小屋での生活は続いていった。
時たまクロエが具合悪そうに寝込むことがあったが、もとからだといわれれば、それ以上詳しく聞くことはなかった。
森で男の仕事は山のようにあった。
水汲み、薪割り、保存食作り、小屋の補修。体の傷が癒えると狩りにも出かけるようになった。
ある時、男は森で熊に出会った。
持っているのは斧一つ。
死を覚悟し熊に向き合う。
迫る熊をかわし、男は熊を何度かの攻防の後に仕留めた。
体が、竜と戦った時のように軽かった。
――呪いが薄くなっているのか。
不思議に思いながら熊を引きずり小屋に帰ると、そこにクロエが倒れていた。慌ててベッドへ運ぶと、クロエは気がつく。
「クロエ!」
「……よかった。もうだめかと思った。きっと呪いは私が解くから、安心して……」
「馬鹿なことをいうんじゃねぇ!」
「昔ね、私は聖女じゃないって、国を追い出されたの。でも、あなたを救えそうで、嬉しいの」
クロエは微笑むと、意識をなくした。
なんと愚かだったのか。
クロエは、その身を犠牲にして男の呪いを解こうとしていた。
その厚意に気がつかず、男はクロエの家で安穏と暮らしていた。
「違う! 俺はもう呪いなんてどうだっていいんだ」
男の叫びが森に響いたが、クロエは答えなかった。
幸い、クロエの脈は弱いながらもまだあった。
放っておけば、時間の問題だろう。
男はクロエを背負うと、助言をくれた魔女のもとへと急いだ。
常人の体力と脚力ならば、間に合わなかっただろう。
だが、男は体力も脚力も、最盛期に戻っていた。
時に駆け、疲れたら歩き、なんとか魔女のもとへと辿り着いた。
「おや、あんたかい。礼でも言いに来たのかい」
「違う。彼女をなんとか救いたい」
「なんだ、聖女が己の力全てを賭して救おうとしてるのに、それに文句があるのかい」
「俺はクロエの命で助かろうなんて思っちゃいない」
「だがねぇ。魔術にも対価がいるんだよ。命の対価は命だが、この聖女が救おうとしている命で聖女を助けることはできない」
「どうにかならないのか!」
「そうさねぇ。どうにかできる場所に送ってやるから、あとは自分でどうにかしな。対価は、特例で願いが叶ってからだ。持ってくるのを忘れるんじゃないよ」
魔女に杖で叩かれたかと思うと、男の前には白銀の大樹があった。
周りには誰もいない。
幹も枝も葉も全てが白く輝き、全てが大きかった。
幹は太く、百人の人が手を繋ぎ一周できるだろうか。
天空にはどこまでも枝葉が繁り、葉一枚で男一人の大きさがある。
状況は飲み込めないが、魔女は後はどうにかしろと言っていた。
ならば、どうにかできるだろう。
男は、試しに白銀の大樹に手を触れた。
幹はぬるりと男の手を呑み込む。
慌てて手を引こうとしたが、びくともしない。
男は覚悟を決めて、大樹に身を沈めた。
◇◇◇
男の前にはどこかで見たことがある老人がいた。
その老人はボロを着て、虫歯だらけの歯で笑い、銀貨をキャッチしたところだった。
「おまえさんには二つの道がある。
南に行けば英雄に、北に行けばおまえさんが失くしたものを手に入れられるだろう」
どこかで聞いたことのある言葉に、男は自分の体を見下ろした。
筋肉のつき方がまだ甘く、手の傷も少ない。
村を出たばかりの時のような――。
顔を上げると、老人は既に姿を消していた。
男は迷わず北に向かって走り出した。
心臓が割れ鐘のように脈打っていた。
老人の言う失くしたものとは、男が思う通りのものなのか。
走りに走り、北へ向かった。男はクロエと暮らした森を探した。
当時は追われており、どの森に迷い込んだのか、男は正確には覚えていなかった。
何ヶ月も探し、ようやく森を見つけ、そこに見覚えのある小屋を見つけ出したものの、小屋には誰も住んでいなかった。
「なぜだ!」
男は叫んだ後、クロエが言っていた言葉を思い出した。
クロエは国を追い出されたと言っていた。
男はそんなことさえ思い出さなかった自分に悪態をつくと森の外に走り出した。
聖女がいるという国を探し回り、各地を回った。
男がようやくクロエに辿り着いた時、クロエはまだ国を追放される前だった。
男は、隠れてクロエを助けるべく動くことにした。
クロエはあれほど素晴らしい力を持っていたのだ。
国に必要とされる聖女として生きることが、彼女の幸せだろうと思ったのだ。
しかし、彼一人の力では追放は避けられず、クロエが追放されると、今度は押しかけ用心棒として彼女に付いていくことにした。
行く先々でクロエは人を救った。
クロエと共に旅をする中、男はかつて傭兵として参加した戦争の行方も耳にした。
二ヵ国の戦争は長引き、なかなか決着はつかなかったという。
そして長引く戦争の最中に、両国の争いの発端となった金山に竜が降り立ち、二ヵ国は戦争どころではなくなったという。
両国は休戦し、今は協力して竜を追い払おうとしているという。
途中、男の願いで、魔女のいる村へも立ち寄った。
魔女は対価に聖女の祝福を望んだ。
男の願いの対価をどうしてクロエが払うのかと文句を言う男に、ニヤリと笑う。
「あんたに、聖女の祝福以上のものが払えるのかい」
だまる男に魔女は追い打ちをかける。
「それはそうと、お前、いつまで聖女を待たせてるんだい。早く気持ちを伝えてきな。そんで、早くわしに子供の一人でも抱かせるこったね」
魔女に後押しされ、男はクロエに想いを告げた。
クロエは男の愚直なほどにまっすぐな求婚に、嬉しげに頬を染めたという。
その後も二人は人々を救いながら世界をめぐり、放浪の聖女とその守護者として名を馳せた。
彼らの活躍は、彼らの子々孫々を通して世に長く語り継がれたという。