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第三話 完璧姉妹の行方

 賑わう酒場の一角で二人の女が酒を飲んでいる。


 一人は麻色の髪をアップにした小柄な女性で、ノースリーブのワンピースの上から薄いショールを羽織っている。

 猫のように目尻のつんと上がった大きな目と尖った鼻の美人である。


 もう一人は白金の長い髪をしたグラマラスな女性で、半袖の襟付きのシャツにリボンタイを巻いている。

 胸元がいかにも窮屈そうだ。ぼんやりとした雰囲気の美人である。


「遅いわね」

 麻色の髪の女が懐中時計を開いて言った。

「もうすぐ一時間よ」


「もう来ないんじゃない?」

 白金髪の女が言った。


「なにかあったのかもしれないし、もう少し待った方がいいわ」


「別にいいけど」


 麻色髪の女が店員を呼び、ビールのおかわりを注文。白金髪の女は、またこのパターンか、と思った。

 二人の美女は合コンをすっぽかされていた。



「意味が分からない。なんで、来ないの? えっ、ギルドのツテを使ったのよ。なんで、すっぽかすわけ?」

 言って麻色髪の女はビールを喉を鳴らして飲んだ。


 さすがに二時間待って、相手が現れなかったので、麻色髪の女も諦め、『決戦モード』から『飲みモード』へと移行している。

 

「悪名のせいじゃないの? 『完璧姉妹の男漁り』」


「『完璧姉妹』って言うな」

 麻色髪の女『完璧射手』ルカは、ダンとビールのグラスで机を叩いた。


 白金髪の女『沈黙剣』リリィがつぶやくように言う。

「王都まで姉さんの悪行が広まったのね」


「悪行ってなによ。私、なにか悪いことした? ……うん、心当たりがないとは言わないけど、さあ」


「力技でベッドに引きずり込まれて、直後に放り出されれば、男も惨めでしょう」


「しょうがないじゃない、酔ってるときは、なんかいい感じに見えちゃうんだから。でも、いざ、ことが始まってみると、誰だこいつ、って感じで吐きそうになるのよ」


「最近は記憶がとぶほど飲んでないのにね」


「自制心ある大人の女は潰れるほど飲まないのよ」


「自制心ある大人の女は醜態をさらすほど飲まない」


 ルカはその言葉を無視して、ギルドに猛抗議してやる、と息巻いた。


『完璧姉妹の男漁り』という、とても不名誉な噂が広まったのは、ここ一年ほどのこと。


 一年前のデアス防衛のご褒美として合コンを依頼主のクラングラン領主にセッティングしてもらった。

 結果はさんさんたるものだった。


 だが、あの後、リリィに言われた言葉が地味に効いた。


「酒は人を変えるんじゃなく、暴く」


 正確に言うなら、リリィがアルから言われ、アルはダルトンから言われたらしい。

 今まで、お酒のせいだし、と無責任に考えていたが、あれが本性だと言われると、非常に心苦しくなった。


 えっ、私、そんなに男に飢えてるの?

 

 それまで、恋人が欲しいと思ったことは特になかった。まあ、素敵な人がいたら、そういうのもいいかもね、程度に考えていた。


 初恋をこじらせた結果、理想が跳ね上がっていて、その素敵な人がかなりの高レベルに達しており、遭遇確立が非常に厳しくなっているのだが、当人はそれに気づいていなかった。


 ともかく、ルカはあの合コン以来、焦りを感じ始めた。

 そろそろ本気で恋人を作らないと、まずいかもしれない。


 母がなにかにつけて、いい人はいないの、なんて聞いてきても流していたが、その受け答えも不自然になってしまった。


 ところで、くだんの合コンだが、あれはかなりレベルの高い男たちだった。

 さすがは領主の紹介である(ほとんどルカが指名したようなものだが)。トールスは言うに及ばず、リリィがひと時の恋を楽しんだというリックハルトも中々のものだった。


 そのことから、ツテを使えばいい男が貰える、ということに気づいたルカ。

 彼女は『勇者アルフレッド』の弟子の筆頭格であり、オルデン王国冒険者ギルドの筆頭冒険者でもある。顔は広い。


「つまりですね。私たちと男性二人でお酒を飲んで親睦を深めるというような席を設けて欲しいんですよ。ほら、そういうの若い男女の間で流行ってるじゃないですか。私たちも若い女性としてそういう感じのアレに乗ってみようかなあなんて」


 などと顔の広そうな知り合いに頼んでは、次々と合コンをセッティングさせたのである。


 ちなみに、ルカは相手の男に条件を出した。

 とにかく二人のうち一人はその条件に沿うような相手であること。


 ちなみにその条件とは、以下の通りである。


 黒髪黒目。できれば垂れ目であること。ハンサムであれば、なお良い。

 身長はそれなりに高く、しっかりと鍛えられた体をしていること。


 真面目で誠実な人柄で、間違っても女をとっかえひっかえするようなタイプではないこと。

 年上が好きなので、離れ過ぎない程度に年上であること(理想は三歳差)。


 優しく穏やかで、感情をきちんとコントロールできること。

 ちょっと頼りないところがありながらも、いざというときには頼りがいがあること。

 できれば、戦闘経験があること。魔物を見て、怯えるような軟弱な男は論外。


 こんな条件を出された相手も困る。

 それでも、それぞれ顔の広い相手に頼んでいるので、条件に合致した相手を探し、合コンをセッティングしてくれた。


 その苦労をことごとく無にしたのはルカである。

 もともと学生時代もクラスで孤立していたくらいである。コミュニケーション能力が高いとはお世辞にも言えない。


 一方、相手としても、上司や世話になっている人物からの頼みである。

 失礼なことはできない。


 結果、打ち解けにくい重い空気となり、ルカは酒に逃げる。そして、自制心が乏しくなり、というか消し飛び、蛮行を働くのである。


「姉さんに男はいらない」

 リリィは言った。


 グチグチとすっぽかした男たちを罵っていたルカが、リリィを睨む。


 私がいるから、と続けようとしたリリィの言葉を遮り、ルカが盛大なため息をついた。


「あんたはいいわよね。ときどき、楽しんでるみたいだし。今更、焦る必要もないし」

 ルカはすっぽかされたことでかなりショックを受け、心が荒んでいた。おかげで心にもない言葉が出てくる。

「もう、適当なの捕まえて、さっさと結婚したらいいじゃない。姉妹ごっこなんかより、本物の家族を作ればいいのよ」


 最近、道場では、ますます弟弟子たちから怖がられて居心地が悪い。

 両親からは、浮いた話が全くでてこないんだけど、この子、本当にリリィとデキてないのだろうか、といような疑念を抱かれていて居心地が悪い。


 街では黒髪の男にやたら避けられるようになった。

 酒場に入ったとたん、そそくさと出ていく黒髪の男たち。

 そういったうっ憤をリリィに向けて吐き出してしまった。

 人は心を許している相手で心の調整を行う。


 だが、その甘えが相手を傷つけることもある。

 大切な相手から与えられた一撃は、心の奥深くに食い込む。


『姉妹ごっこ』『本当の家族』それらの言葉はリリィに大きな痛みと不安を与えた。

 ルカは、そのあとすぐに酩酊し、黒髪の新人ウェイターに絡みだした。


 リリィは大きくなっていく不安を胸に抱えたまま、それを表に出さずに静かに酒をのみ続けた。




◇◇◇




 その夢を見るのは久しぶりだった。

 たぶん、物心ついた頃に見た最初の光景。


 母の胸倉をつかむ父。

 そんな父をヒステリックに罵る母。


 影絵のようにシルエットだけが、ぼんやりとした世界に浮かび上がっている。


「てめえの腹から出たガキだろうが」


「あんたの種でできた子よ」


 自分を押し付け合っている。

 幼いながらもそれを理解した。


 その後、両親がどうなったのかは知らない。離婚したことは確かだ。どちらも、リリィを引き取らずに。


 場面が変わった。

 夢はいつも同じ流れのセットになっている。


 テーブルで食事を取る人たち。

 それを下から眺めている。

 楽しそうに笑っている人たち。温かくて美味しそうな食事。


 リリィは部屋の隅でそれを眺めている。

 彼らが誰だったのか、リリィはわからない。

 父にも母にも引き取られなかったリリィは、親戚の家をたらいまわしにされた。そのうちの一軒だろう。

 

 次の場面。

 男の子がリリィに泥水をかけて笑う。

 リリィは必死に逃げるが、別の男の子が先回りしていて、足をひっかけられる。盛大に転んだリリィ。

 男の子たちが踏む。


 彼らのことは覚えている。

 リリィの母親の姉の息子たち。

 毎日のようにいじめられた。

 

 だが、それすら彼らの父がリリィに行ったことに比べれば生ぬるい。

 リリィはそのことが原因で、母の姉に追い出されたのだ。


 世界は悪意と敵意と無関心でできている。リリィは漠然とそんな認識を抱いて育っていった。

 

 結局、長く落ち着いたのは母の知人の家だった。

 裕福であったが、温かみのない女性。美人の母を妬んでいた女性。


「あんたはあの女の人生の失敗作ね」

 よく彼女はそう言ってリリィを嘲笑あざわらった。


 きっとその言葉を言いたいがために、自分を置いているののだろう、とリリィは思った。


 三年ほどして、それも飽きたのだろう、女性はリリィを教会に預けて、どこかへ引っ越してしまった。

 ようやく自分の人生を見つけたのかもしれない。


 教会はリリィにとって居心地が悪かった。教導師たちの説く博愛の精神は、リリィが知っている世界には存在しなかった。

 まるで夢物語を語っているようにしか思えなかった。

   

 ただ、教導師たちが互いを兄弟、姉妹と呼び合うのは心地良さを感じた。

 シスター・リリィと呼ばれると、自分にも絆があるように思えた。


 それでも、結局、逃げ出した。

 年齢の近い見習いの少女たちが熱心に祈る姿は、リリィにはひどく遠く感じたのだ。


 それから先は、よくあるはみ出し者の少女の定番コースだった。

 売春婦の真似事。不良少年の愛人。


 その中でもゼノンはたちの悪い不良少年だった。

 リリィは彼の言われるままに男に抱かれ、盗みを働き、騙し打ちをした。


 最低の人生。

 だが、生れた時から傷だらけで生きてきたリリィにとっては、どうということもなかった。

 教会で教わった幸せというものが、どういうものか、まるでわからなかった。




◇◇◇




 目を覚ましたリリィは、久しぶりに見た悪夢を追い出すように、大きく息を吸って吐いた。


 物の少ない六畳間。

 ベージュ色の壁紙に、床は板張り。

 家具はベッドと衣類を仕舞っているチェスト。窓際に椅子が一脚。


 バーン邸の自室である。

 バーンは何かにつけて家具を増やそうとするのだが、リリィはそれを断っている。物があると、壊してしまいそうで気を遣う。


 裸体のままカーテンを開ける。

 日はずいぶん高く上っている。どうやら寝坊してしまったらしい。


 着替えて、下階へ下りていく。

 リビングダイニングにネリーだけがいた。洗い物をしている。


「おはよう、二日酔いは大丈夫?」


「私はそんなに飲まなかったから」


 気を利かせて遅くまで寝かせておいてくれたらしい。

 リリィはそんなネリーの心遣いが嬉しかった。気にしてもらえるというのは、とてもありがたいことだ。


「その、どうだったの? ルカだけ戻ってきていないってことは、うまくいったと考えてもいいのかしら」

 リリィの分の朝食を並べながらネリーが言った。


 いつもはリリィも泊ってくるのに、今回は彼女だけ戻ってきたので、期待させてしまったらしい。


 リリィは申し訳ない気持ちで首を横に振った。


「……そう。あの子、私に似て気が強すぎるのよねえ。いい人と出会えればいいんだけど」


「バーンみたいに?」


 ネリーが照れた顔で笑った。そうすると、本当に若く見える。


「でも、バーンが本当にいい男だってわかったのはルカが生れてからよ。男の価値って大切なものを、どれだけ大切にできるかじゃないかしら」


「それ、見抜けるものなの?」


「見抜けるわけないわ。だから、最後は直感を信じるしかないのよね、結局」


「怖いね」


「そうね。貴族の人たちみたいに、親が結婚相手を決めちゃう方が気楽なのかもね。それなら、まあ、こんなものかって折り合いをつけやすいもの」


「姉さんに結婚相手を見つけてくる?」


「あの子がそれを受け入れるわけないじゃない」

 カラカラとネリーは笑った。

「あなたはどう? ルカに付き合っていろいろ頑張ってるんでしょう?」


「私に早く結婚してほしい?」


 言った直後にリリィは後悔した。本心など答えられないだろうし、取り繕うために気をつわせる。


 ネリーは少し首を傾げた。

「難しいところね。私としてはあなたたちには早く結婚して幸せになって欲しいという気持ちがあるわ。でも、ルカだけ残るとものすごく面倒くさそうだし。二人とも出て行ったら、それはそれで寂しい気もするし」


 取り繕うようなところは一切感じられなかった。

 リリィは温かい気持ちになり、口に運んでいるサラダがいつもより美味しく感じられた。




◇◇◇




 昨夜はへそを曲げてルカを放り出してきてしまったが、ネリーのおかげですっかり気分が良くなった。


 あの調子だと、ルカはまだ宿でぐったりしていることだろう。迎えに向かう。

 

 クラングランの街は裏道までもよく知っている。

 地元民しか使わないような狭い路地をいくつか抜ける。


 そうした路地のひとつで、人が座り込んでいた。

 浮浪者だろう。だいたいは、スラムの『流れ町』に行ってしまうのだが、ときどき裏通りの隅や路地裏に居住している者も見かける。


 リリィは気にせずに通り過ぎた。

 強烈な臭気が鼻をついたが、冒険者をしていれば、もっとひどい臭いの中、眠らなくてはならないこともある。

 気にもとめなかった。


 だが、路地を抜けて通りへ出たところで、リリィは足を止めて振り返った。

 浮浪者の気配を注意深く探る。

 知り合いだ。


 若い男。

 リリィと同年代。汚れに汚れた旅用のマントのフードから、はみ出した茶色の癖っ毛。膝に置かれた短い手の指。


「ゼノン」

 リリィはかつての恋人の名を呼んだ。


 男が顔を上げた。

 怯えたような目でリリィを見る。

 充血した三白眼。かさかさで血色の悪い薄い唇。


「リ、リリィか、お前」


 リリィは返事の代わりに近づいた。

 二度と会いたくなかった相手。自分でも何がしたいのか分からない。


「リリィ、なんか食い物くれねえか。金でもいいよ。ここんところ、ろくに食ってねえんだよ。なあ、昔のよしみでよ」

 リリィに向けて手を伸ばす。


 リリィは無言だった。

 何を言えばいいのか分からない。懐かしさはあるが、そこに親しみはなかった。


 ああ、そういえば、こんな男がいたな、とそう感じるだけだ。

 だから、自分が、なぜ、ゼノンの手を取ったのか本当に分からなかった。


「や、柔らけえな、お前の手。綺麗な手だな」

 すりすりと手を撫でる。


 リリィはその手をほどいた。

 ゼノンが怯えた顔をする。


「待ってて」


 言うとリリィは『レベル2』に入った。

 近くの露店に行って、肉を挟んだパンを買って、また『レベル2』で戻った。


「お前、今、消えて……」


 リリィは無視してかがみこむと、湯気を立てているパンをさし出した。


 ゼノンがリリィの手からそれをむさぼり食う。あまりにも勢いよくがっつき過ぎたために、喉に詰まった。咳き込む。


 リリィはポーチから水石ウォーターストーンを出すと水を出した。

 手から伝う水をゼノンが飲む。


 下腹に妙なうずきを感じた。

 それが、体を上がり、昨夜のルカの言葉で開いた僅かな心の間隙に入り込んでいった。




◇◇◇




「お前には悪いことした。調子に乗ってたんだ」


「別に。昔のことだし」


 リリィは、少しましになったゼノンの顔を眺めながら言った。

 

 ベッドに腰かけた昔の男はリリィの顔を直視できずに、ちらちらと見ている。

 あの自信の塊のようだったゼノンが嘘のようだ。


 あのあと、さらにパンを買ってきて与えた。


 食べ終わると、今度は安宿を借りてそこのシャワーで体を洗わせた。

 その間、男物の衣類やら靴やらを買い込んだ。


 リリィは『レベル2』を覚えてから、細々と使うようにしている。

『レベル2』に入れる時間も、最高速度もルカの方が上だが、入る速さや再び使えるまでのスパンの短さはリリィの方が上だ。


 タイプ的にはバーンに近い。

 そのため、バーンに習い、日常のちょっとしたことでも『レベル2』を使うようにしている。


「お前と別れてから、ろくでもねえことばっかりだった」


 ゼノンは、あの後のできごとを語り始めた。

 ドロッターにコテンパンにのされた後のことだ。


 デクスト団に連れていかれたゼノンは、そこで容赦なくシメられた。

 今まで、多少の腕っぷしの強さと狡猾さでノシていたゼノンは、本物のアウトローの集団により牙を抜かれた。

 

 解放されたあとは、逃げるようにウルヘルムの王都へと行った。

 とにかく、彼は大きな街が好きなのだ。大きな街でなら、どうかして生きていける、そう思った。


 だが、王都ミッドヘルムでは、ゼノンが行く数年前にクラングランを追われたアウトローたちが作った組織が、既存の組織と対立していた。


 ゼノンもそれらに組み込まれ、命の取り合いをさせられた。


 捕まって殺されかかった時に、今まで削りに削られてすり減ったプライドをかなぐり捨てて、必死で命乞いをした。


 運良く、命を拾うことはできたが、最後に残っていた誇りのひと欠片すら失くしてしまった。


 別の街に行き、日雇いの労働で糊口ここうをしのぎ、生きてきた。


 だが、少し生活のめどがたってくると、決まって、なにかやっかいごとが起こった。殺人の嫌疑をかけられたり、身ぐるみを剥がされたり。

 そういうことが続いて、働く気力も失くしていった。


 ゴミを漁り、物乞いをして、生きる。


 そして、結局、生まれ故郷に戻ってきた。


「なんで俺はこんなについてねえんだろうなあ」

 ゼノンは最後に大きなため息をついた。


 もしゼノンが当時のままだったら、リリィはそんな気にならなかっただろう。


 あの偉大な冒険者『勇者アルフレッド』の弟子の『完璧姉妹』の『沈黙剣』。

 二人の大きな立場の違いが、心の高低差を生み、情けが上から下へと流れる。


 リリィがゼノンの体にのしかかったのは、そういった心の左様と過去への感傷が働いたせいだった。


 ゼノンは驚いたが、久しく味わっていなかった女のぬくもりは、彼を夢中にさせた。

 

 つい先ほど、リリィの手からパンをむさぼり食らったように、彼女の体をむさぼる。


 行為は長く続かなかった。

 ゼノンの体力は落ちており、毎日鍛えに鍛えているリリィの相手をするだけの力はなかった。


 ぐったりとベッドに突っ伏す男の長い癖っ毛をリリィは撫でた。


 ゼノンがリリィを見上げる。

 そこに畏敬の光があった。まるで、女神を見るような。


 姉さんも、あの時、こんな気持ちだったのかな。


 リリィはルカに拾われたあの日のことを思った。

 あの日、リリィの人生は大きく変わった。


「姉妹ごっこ、か」

 リリィはつぶやいた。




◇◇◇



 

 石塀に囲まれた空き地。

 地面は丈の短い雑草に覆われている。

 中天に上った太陽は、真夏の強い日差しを容赦なく浴びせてくる。


 ルカは、木剣を握って立つ男と対峙していた。


 白髪の多くなった麻色の髪を、後ろに撫でつけている。

 動きやすそうなズボンに薄手の半袖シャツ。

 父バーンである。

 

 ルカが握っている木剣は短い。

 柄も合わせて四十センチほど。短剣を模したものである。


「それじゃあ、行くぞ」

 バーンが言った。


 体の輪郭が陽炎のようにあやふやになる。『レベル2』に入ったのだ。


 ルカも、大きく息を吸って吐いた。

 それを三回。世界の音が間延びして聞こえる。

『レベル2』での本気の試合。


 ルカとバーンの最高速は、ほぼ同じ。

 ただ、射手のルカは近接戦闘が不得手。一方のバーンは近接戦士として長く一線で活躍してきた。


 バーンが動いた。

 大きく踏み込むと、斜め上方から剣を振り下ろす。

 ルカよりもはるかに広い間合い。

 

 ルカはそれを短剣で受けた。

 いや、受けると同時に、短剣の角度を変えて受け流す。

 そのままバーンにせまる。


 バーンの蹴り。

 ルカはそれをとっさに腕で受けたが、小柄な体はその衝撃で吹っ飛んだ。


 そこへバーンの斬撃。ルカは寸前でそれをかわした。


 もし、第三者がこの場にいたら、高速で動く二人を一瞬も目に捕らえることはできなかっただろう。


『レベル2』の中で、親子は戦い続けた。


 身軽にバーンの斬撃をかいくぐるルカ。

 対してバーンは蹴りや拳で引き離す。


 しばらくそんな風にやりあっていた二人だったが、ふいにバーンのスピードが落ちた。


 ルカはすかさず懐に飛び込むと、バーンの腹を斬った。

 そのまま彼の背後に回り込み、背中を斬る。


 バーンの動きが緩やかになる。

『レベル2』が解除されたのだ。


 ルカも『レベル2』から出た。


 バーンが地べたに腰を下ろし、腹を押さえてうめいている。


 背中の一撃は軽く撫でるような攻撃だったが、腹の方は本気で打った。

 やり過ぎたかもしれない。


「とうとう負けてしまったな」

 引きつり笑いをしながら、バーン。


「本当に? 手加減してない?」


「そんな余裕があるかね。こっちは少しでもかっこうをつけようと必死だったんだぞ」


 バーンには今まで何度も稽古をつけてもらった。

 こうして剣を合わせることも多々あった。それでも、まともに攻撃を当てたことはなかった。


 それが、『レベル2』の中ではとはいえ、ついに一本取ったのだ。

 喜びが込み上げてきた。


「どうも、もう君には勝てない気がするな。本当に強くなったよ」

 バーンが立ち上がった。ルカの肩に手を置いて、微笑む。

「毎日、しっかりと鍛えているんだな。得られた結果より、君が積み上げてきた毎日を父さんは誇りに思う。よく頑張ったな」


「私も父さんが誇らしいわ。もう、現場には出てないのに、こんなに強いんだもの」


 ルカの言葉にバーンが涙ぐんだ。

 最近、すっかり涙もろくなったバーンである。


 ルカにとってバーンから一本取ったことはひとつの契機になった。

 近接戦闘をきちんとこなせれば、戦い方の幅も広がる、との思いで、ここ一年ほどは特に注力していたのだ。

 

 ルカの近接戦闘の特訓に対して、リリィはいい顔をしなかった。


「私が姉さんの剣。それじゃあダメ?」


 そういうことじゃない、とルカは思った。 

 リリィに依存しすぎてしまっている気がしたのだ。

 戦闘面のことだけじゃなく、プライベートの部分でも。


 自分はそれで良いとしても、リリィを縛り付けてしまっている。

 リリィは自分と違って男性と上手くやれている。そのうちにいい相手を見つけて、姉から巣立っていく日がくるかもしれない。


 その時に、きちんと祝福してやれるように、一人で戦えるようにならなくては。


「ところでリリィとは仲直りできたのか?」

 

「別にケンカしてるわけじゃないんだけど」

 ルカは唇を尖らせた。

「道場にも顔を出してないのよ。一体、どこでなにやってんだか」


 一週間前に合コンをすっぽかされた日以来、リリィとは会っていない。

 家には帰ってこないし、道場にも出てこない。

 要するにルカが避けられている。


 原因は分かっている。

 あの夜、酔っぱらった勢いで、『姉妹ごっこ』だの『本当の家族』を作れ、だの言ってしまったのだ。


 常々、リリィを突き放さないといけないと思っていた。そうしなくては、互いに一人でいられなくなる。


 だから、今のこの状況は悪いことではないはずだ。

 互いに一度距離を取り、それぞれが自分の足でしっかりと立てることを確認するべきなのだ。


「父さんはリリィに会ってるんでしょう?」


「ああ、ハイデンに差し入れを持って来てくれるんだ」

 バーンが顔をほころばせる。

「おかげで、事情を知らない若い連中からは、私が浮気をしていると疑われたよ」


 ネリーには、しばらく別の宿で暮らすから、と断ったらしい。

 いい人ができたんじゃないかしら、とネリーは嬉しそうに笑っていた。


「ところで、ルカ。君に紹介したい奴がいるんだが。年も同じくらいだし、実力もある。若手では出世株だ。素朴な人柄で好感ももてる。強いていうなら、髪の色が赤い……」


「却下」


「会ってみるくらいしてもいいじゃないか。髪や瞳の色なんて、すぐにどうでも良くなるよ。人柄が大事なんだから」


「私、黒髪の男以外、ぜんぜん男を感じないのよ」


 バーンが反射的に頭に手をやった。

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