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第二話 師言語録②

「あの人、結構、良かったと思わない?」

 スレイプ種の黒馬を駆りながらルカは、隣に馬を寄せてきたリリィに言った。


 クラングランを出てデアスへと向かう途上。

 主要道路と並走するように草原を走っている。


 空は曇天。今にも降り出しそうだった。


「見た目はね」

 リリィが言った。


「真面目で誠実そうで、姿勢も良かったし」


「黒髪黒目だし?」


「そうなのよ。先生に似てなかった?」


「全然似てないけど、こないだのよりはマシ。あれはひどかった」


「ちょっと、その話はやめてって。本気で禁酒しようと思ったんだからさ」


 例によって酩酊して男を誘ったのだ。

 ことに及ぼうというときに正気になり、相手が黒髪以外になにひとつアルと共通点がないことに気づいて、パンツ一枚で追い出した。


「小太り、中年、ハゲ」


「やめろっつうの」


 クラングランからデアスまでの道のりは片道一日半。

 だが、これは駅馬車を使った場合である。

 スレイプ種で最短距離を駆けていけば、半日でつく。


 二人が高い壁に囲まれた街に到着したのは夕暮れ間近のことであった。

 途中、『死の森』の近辺を通ったが、凄まじい数の魔物が目に入った。


 まだ日の光があるうちにも関わらず、である。日が沈んだら、どのようなことになるのか。


 デアス周辺には魔物が群がっていたが、一、二星の低級ばかりである。ルカは『レベル2』でそれらを蹴散らすと、馬を下りて、リリィともども外壁をよじ登った。


 このような状況で門を開けてくれと言っても無理だろう。

 そんな問答をしている時間が惜しい。


 さっさと壁を上ってきた二人に、壁の上で警戒に当たっていた兵士がクロスボウを向けて詰問を浴びせる。


「『勇者アルフレッド』の弟子、ルカとリリィです。街の防衛に加勢するために来ました。ご領主様に取次ぎを」


「ルカ、リリィ……。『完璧姉妹』のお二人ですか?」

 兵士たちが、畏敬の目で二人を眺める。


「『勇者アルフレッド』の弟子のルカとリリィです」

 ルカはにっこりと笑って繰り返した。


 非常時ということもあり、すぐに領主の元へと案内された。

 クラングランのものに比べ、屋敷というよりも城塞というような雰囲気の『領主の館』へと案内される。

 

『領主の館』でも、まったく待たされることはなかった。そのまま会議室へと通される。


 長机が口の字に並んでおり、二十人前後の男たちが席についている。

 奥の席にいる立派な口髭を生やした中年が、デアス領主だろう。


 ルカは臆することなく示された席についた。

『勇者アルフレッド』の弟子として、常に堂々としていよう、と決めている。

 場違いさを咎めるような男たちの視線を無視して、デアス領主に話しかける。


「『勇者アルフレッド』の弟子、ルカです。こちらは妹のリリィ。クラングラン領主シルグレン様の要請により、デアスの街を防衛するため、やってまいりました。状況はある程度把握しているつもりですが、詳細をご説明いただけると助かります。もっとも、あまり時間がないようですけど」


 デアス領主が厳しい顔をわずかに緩めた。

「デアス男爵ログレスです。『勇者アルフレッド』の高弟『完璧姉妹』にご加勢いただけるとは、ありがたい。ご存じでしょうが状況ははなはだしく悪い」


 ログレスは状況を説明していった。

 昨夜、『死の森』の蓋ともいうべき、砦とその周辺の破魔結界はまけっかいが破られたこと。


 それにより、魔物がそこからあふれだし、周辺の村々を飲み込んだこと。デアスを破られれば、この当たり一帯の街や村はすべて潰滅するだろうこと。


 街の防衛に当たる兵士は二百名。これで、無限に湧いて出る魔物と戦い続けなくてはならないだろうこと。


「クラングランからの応援部隊はどのくらいでやってくるのでしょうか?」

 年のいった軍服の男が言った。デアス駐留軍のトップなのだろう。


「明日まで持ちこたえて欲しいと言われました」


 あちこちから、ため息が聞こえた。


 男の一人が言った。

「やはり、デアスは放棄しましょう。ひと晩この街をもたせることは不可能です」


「もはやそれも手遅れだ。今からでは避難も間に合わん」


「だから、もう少し早く避難を始めていれば」


「避難途中で魔物の群れに襲われるのは目に見えていたではないか」


「そもそも応援部隊がきたとて、なにが変わるというのだ。千や二千の兵ではどうにもならんぞ」


「いえ、それは大丈夫だと思います。応援部隊にはきっと、彼女たちがいますから」

 ルカは口論に割って入った。


 現在彼女たちは旧カザイン領にいるという。

 彼女たちに連絡をつけ、駆けつけてくるまでの時間稼ぎ。それが自分たちの役割だとルカは認識している。

 

「とにかく、ひと晩もたせてみせます。これでも『勇者アルフレッド』の一番弟子ですからね」


 自信たっぷりに言いながらも、ルカはアルの苦労を思った。

 なんでもかんでも「勇者殿」と頼られるのは、どれほどの気苦労だったことか。


「クロスボウと矢をありったけ、外壁の上に集めてください。街にあるありったけです」

 ルカは軍服の男に向かって言った。

「いいですか。ありったけですよ」



 街を囲う高い外壁の上にルカは立っていた。

 高さは3メートル弱。上は人一人通れる程度の通路になっている。


 ルカの周囲にはセットされたクロスボウが並んでいる。こうしている間にもそれはどんどん集められ、増えていく。


 矢も大量だ。

 矢が一杯に入った半分に割った樽が、何十個と置かれている。

 それに対して、人出はルカとリリィそれに兵士二十人。明らかに武器の方が多い。


 下手にうろうろされては邪魔になる、それに兵士たちにはマメに交代してもらわなくては、とてもたないだろう。


「姉さん、私はどうすればいい?」

 リリィが言った。


 ルカと同じく革服の上から、胸当て等のプロテクターをつけている。

 腰には彼女が使う唯一の武器レイピア。

 近接戦闘専門の戦士であるリリィには、遠距離からの攻撃手段がない。


 アルの教えにより、弓もクロスボウも人並み以上には使えるが、ルカに比べれば児戯に等しい。


「あんたは打ち洩らした魔物が近くまできたら、掃除して。それまで待機」


「はい」


 すでに日は落ちている。

 昇り始めた月が地平の先に見える。


「来た」

 クロスボウを取ってはセットし、と永延と作業していた兵士の一人が言った。


 夜のとばりの奥に、小さな赤いものが見える。

 魔物の赤く光る目が何百と集まったものだ。


 ルカは大きく息を吸って吐くとゴーグルをかけた。

 長い夜の始まりだ。


 魔物がなんとか視認できる距離までせまった。そうすると、その数の多さに圧倒される。


 カタカタと近くの兵士が歯を鳴らす音。


 ルカもさすがに圧倒された。

 魔物の大軍。こんなものどうにかできるのか?


 ルカは頭を振って疑念を追い出した。

 できるかどうかなじゃい。やるんだ。


 先生がウルヘルムで戦った魔物の数はこんなものじゃなかったはず。

 

 大きく息を吸って吐く。それを三回返した。『レベル2』に入るための予備動作、スイッチ。


 遠くに見える魔物の動きがひどく緩やかになった。

 リリィが何か言ったようだが、間延びしすぎていて聞き取れなかった。


「やるよ」


 ルカは一人、気合の声をあげると、手にしていたクロスボウを構え、射た。

 

 すぐに地べたに置かれた装填済みのクロスボウに持ち替え、それも放つ。

 次々とクロスボウを替えて、矢を放っていく。

 

 兵士たちは矢を放ち終えたクロスボウをセットしていく。

 彼らはそのための要因なのだ。


 ルカの狙いは正確そのもの。

 一矢で確実に一体を倒す。その矢が、秒ごとに放たれていく。

 百(通常時間で)を数える間に百体の魔物が死んだ。


 ルカは『レベル2』に入れるようになってから、それを少しでも長く持続できるに鍛錬してきた。

『レベル2』が切れてから、再び入れるまでのインターバルを短くするように努力してきた。

 その甲斐もあり、最大10分程度は『レベル2』に入れるようになった。

 通常時間での10分はルカの『レベル2』では五倍以上になる。


 だが、先にへばったのは矢をセットする兵士たちだった。

 休む暇もなくクロスボウを引き続けるのだ。


 ルカはジェスチャーで、リリィに兵士の交代をするよう指示した。

 彼らが交代する間、自らクロスボウをセットして、放つ。


 交代の兵士が上がってきて、クロスボウをセットし始めると、また射る方に専念。

 この繰り返しだった。


 ルカの放った矢が五百を越えた頃、魔物の赤い光点が無くなった。

 兵士たちが歓声をあげる。


「まだ、これからです。夜はまだ始まったばかりですよ」


 ルカは言うと、空の半桶を持って街の外に飛び降りた。


「姉さん、なにを?」

 リリィが上から叫んだ。


「次のが来る前に矢を拾っとかないと。サーベルさんのティタニスみたいに矢が湧いてくるわけじゃないんだから」


「それなら私も……」


「いいよ。そんなに時間ないし、『レベル2』でパッパとやっちゃうから」


 ルカの体の輪郭が陽炎のようにあやふやになる。そのままルカの姿は闇の中に消えてしまった。


 リリィは唇を噛んだ。

 なんて役立たずなんだろう、と思った。

『レベル2』が使えれば、姉さんを助けられるのに。


 いつの間にか、隣に矢が一杯に入った半桶が並んでいた。

 ルカが戻ってきては、置いていったのだろう。高速で動く彼女をリリィは目で追うことすらできない。




◇◇◇




 魔物の第二波は八百体前後だった。

 それらも同様のやり方で問題なく撃破する。

 だが、兵士たちに限界がきた。グッタリとして、動けなくなってしまったのだ。


 ルカは領主ログレスに、住民の動員を頼んだ。クロスボウをセットするため、体力と力のある男たちを集めるよう言ったのだ。


 ログレスも領政府の幹部たちも素直にルカに従った。

 彼女の働きが、千体以上の魔物を撃退したのだ。さすが、『勇者アルフレッド』の弟子だと、誰もが舌を巻いた。


 時間は深夜十一時。

 夜明けまで持たせられれば、日の光を嫌い、魔物の襲来も減るだろう。


「あと六時間ってころかしら。やっぱりきついね」

 ルカが疲れた声で呟いた。


 壁の下では動員された三百人以上の男たちがクロスボウをセットしている。

 それらを女たちが壁の上に運んで並べていく。


「頑張ってください」

 ルカと同年代の若い女性が、去り際にそう声をかけてきた。


 ルカは疲れを見せずに、満面の笑顔で手を振った。

 そうだね。頑張らないとね。


 第三波は数が多かった。

 ゆうに千体はいただろう。


 ルカは何度も『レベル2』から出ては、小休止を取り、再び『レベル2』に入るということを繰り返した。

 入れる時間は、どんどん短くなり、代わりに再び入るまでの時間が伸びている。


 魔物が壁にまで到達するようになり、そのたびに、リリィが地上で撃退することになった。


 それでもどうにか、殲滅できた。

 最後の一体を倒した時には、ルカは立っていられずに、両手両膝をついた。


 ぜえぜえと荒い息を吐く。


「リリィ、今、何時?」


「三時半」


「あと、一時間半か。このまま来るなよ」

 

 ルカは仰向けに寝そべった。


「少し寝る。来たら起こして」

 言うが早いか、ゴーグルをかけたまま寝息を立て始めた。


 冒険者たるもの、いついかなる時も眠れるように、とは師の教えである。


 お願いだから、もう来ないで。

 リリィは祈るような気持ちで地平を眺め続けた。

 ルカはとっくに限界を越えている。それでも、敵がきたら戦うだろう。それこそ命を削って。


 だが、無情にも地平線に赤いものが現れた。

 数は第三波よりは少なそうだが、それでも七百は越えるだろう。


 リリィは唇を引き結んで眠るルカの顔を眺めていた。

 姉さんはもう十分戦った。あとは私がやる。

 一人決意を固める。


 例え『レベル2』が使えなくとも、あと一時間弱。

 なんとか足止めしてみせる。


 リリィは飛び降り、大地に立った。

 闇の奥から真っ赤な波が押し寄せてくる。

 レイピアを鞘から抜く。

 

 先生。私に力を貸して。


 星空を見上げながら、祈った。


 第一波は強くても三星程度の魔物ばかりだった。

 第二波はそれに加えて、四星も入ってくるようになった。

 第三波になると四星ばかりだった。


 そして第四波。

 ついに五星の魔物がちらほらと出現し始めた。


 人の上半身に蛇の下半身のゴルゴン。

 翼を生やしたトカゲ男ウィングリザードマン。

 二つ首に四つ腕の巨人ヘカトンケイル。


 リリィは走った。


 先頭を地響きをたてて走ってくるヘカトンケイルとサイクロプス(ひとつ目巨人)の編隊に、単身向かう。


 ヘカトンケイルが大きな手の平をリリィに向かって振り下ろす。

 だが、『時間間隔のコントロール』に長けたリリィにはその動きが緩やかに見える。手の平を避け、その上に乗り、腕を走った。


 頭部の片方の眉間に向けてレイピアを突き出す。


 一点に、一瞬だけ。


 ヘカトンケイルのゴツゴツとした肌に触れる直前、レイピアの切っ先が光った。

 スルリと大きな頭の中に白金属の刃が入り込んだ。


 引き抜くと同時に、横顔を蹴り、もう片方の頭部に向けて突きを放つ。

 同じく眉間の寸分たがわぬ位置にレイピアが突き刺さった。


 リリィはそのまま巨人の頭部の上に乗ると、大きく跳躍した。

 夜空に羽ばたく鳥のように。

 空を滑空する。


 サイクロプスの肩に飛び乗り、側頭部からレイピアを突き刺す。


「そうだね。パンにバターを薄く塗るような感覚かな。ベッタリとつけるんじゃなくて、スッと広げるんだ」


 アルの言葉が頭の中で蘇る。


 サイクロプスの喉を、強化した蹴りで潰し、その反動で別の敵へと飛び移る。


 一瞬だけ、薄く。


 致命打を与えながら、巨人間を跳び回るリリィ。巨人編隊はすぐに全滅した。


 そのまま空を悠々と飛んでいるウィングリザードマンの中に飛び込む。


 一体の腕をつかんで、自身の落下を止め、引きはがそうと暴れる敵の攻撃を避けながら、レイピアを別のウィングリザードマンに振るう。


 レイピアの切っ先が僅かに光り、宙に軌跡を描く。

 黄色い光の弧が飛んで、ウィングリザードマンの首を切った。


 アルの『飛刃とびやいば』を極小で再現した技だ。『時間間隔のコントロール』、それに『エナのコントロール』の鍛錬を続けたからこそ、できるようになった技。

 極小サイズなので、消耗も少なくて済む。

 

「ものすごく薄い刃をイメージするんだ。紙よりももっともっと薄くて。砂の一粒なんか簡単に切れちゃうような、ものすごく薄い刃。ええと、エーテルが教えてくれたんだけど、どんな物も本当に小さな小さなパーツが集まって作られてるんだって。髪の毛一本だって、さらに小さな物の集合体らしいんだ。その結びつきを断つ。そういう感じ」


 はい、先生。


 ぶら下がっているウィングリザードマンがバタバタと翼を鳴らす。

 リリィは反動をつけ、ぐるりとブランコのように回って、ぶら下がっていた魔物を蹴った。


 そのまま跳んで、別のウィングリザードマンを斬る。


 最後はそのまま地上に落下した。

 もちろん、下は魔物の絨毯だ。


 着地時に両足にエナを集中し、衝撃を殺す。

 足の強化をしたまま、疾風のように魔物の間を駆け抜ける。

 そうしながらも、レイピアを敵の急所に打ち込んでいく。


「エナで体を強化する時は、流れるイメージを作るといいかな。血と一緒に体中を流れる感じがいい。それが結局、一番、消費が少ない気がするな」


 オークの群れ。

 リリィは大地を蹴ると高く跳んだ。

 オーク部隊の頭上で体の上下を入れ替え、下向きのまま、突きを連続で放つ。

 リリィがレイピアを突き出す度に、その切っ先が光り、小さな光の弾を打ち出す。

 それが雨となって、オークたちに降りそそぐ。


 オークは青い体液をまき散らしながら、バタバタと倒れた。


 くるりとまた体の上下を入れ替えて、着地。

 そこに、双頭の大蛇、フラヒドラが三体。リリィに向けて、六つのあぎとが開かれる。


 リリィは巧みに大蛇の頭部を蹴飛ばし、蛇たちをいなす。


 そこに今度はブラックゴブリンの矢が何十本も飛んできた。


 レイピアで切り払いながら、突撃。

 ブラックゴブリンを殲滅する。


 リリィの戦いぶりもまた、物見の塔から戦場を望遠鏡で眺めていた領主たちに、『勇者アルフレッド』の弟子はこれほどまでに、と言わしめるほどのものだった。


 だが足りない。


 敵の数はあまりにも多く、リリィは単身であった。

 彼女の攻撃が届かぬ敵が、ひび割れたコップから漏れる水のように、壁に向かって殺到していく。


 やめてよ、姉さんが起きちゃうじゃないか。


 リリィはレイピアを大きく振った。

 大きな光の軌跡が飛んでいく。

 だが、それは数体の魔物を切り裂いただけに終わった。


 届かない。


 届かないよ、先生。


「大丈夫。君はできるよ」


 その時、確かにアルの声が聞こえた。


 リリィは目を閉じた。

 すべての音が消える。


 目を閉じているのに、自分の姿が見える。自分の背中が見える。


 呼吸が消える。

 体が無くなったかのように、重さが感じられない。

 肉体がそっくり別のものに入れ替わったような気がした。


 目を開く。

 すべてが緩やかに動いていた。

 音が低く伸びて聞こえてくる。


 走る。

 緩やかな時間の中で、自分だけが速く走っている。


 リリィはそのまま高速で壁の前に戻ると、壁をよじ登ろうとしていた魔物たちを、刺突の連撃で倒した。


 今まで、敵の動きをゆっくりと見ることはできた。

 だが、自分自身の動きもまた緩やかで、そこに歯がゆさがあった。


 それが今は、すべてから解放されたかのような自由さがある。

 水の中を泳ぐ魚のように。

 

 リリィは闇の中を駆けた。

 跳んだ。


 軽やかに。

 

 急所を貫かれた魔物が、一体、また一体と静かに死んでいく。


 いつしか、地平の先に強い光が見えた。


 それがリリィのプラチナブロンドをきらめかせる。


 リリィの影が大地に長く伸びる。


 その周囲には、何百という溶けかけた魔物の死骸が転がっていた。




◇◇◇




 デアス防衛戦は、そのひと晩でほとんどが終わった。


 日の出とともに、魔物たちの勢いは無くなり、日が高くなる頃にはほとんど姿を見なくなった。


 さらに、正午になると、二人の女性が到着した。

 一人は灰色のマントととんがり帽子の魔法使い。

 最近では『大天才』と呼ばれることの多い魔導師エーテルである。


 もう一人は青地に白をあしらった教導着の女性である。教導師マリアン。こちらは『聖女』と呼ばれることが多い。


 二人は現在、新生エルデス帝国(旧カザイン領)の北部の小さな村に住んでいる。エーテルはそこからクラングラン魔法学院へと毎日通勤している。

『転移』の魔法を使っているので、どれほど離れていても数分で着くのである。


 今回、デアス周辺の対『死の森』の結界が破られたという報を受けた、クラングラン領主シルグレンは、まずエーテルに連絡を取ろうと考えた。


 魔法使いとしては二番目の階級である魔導師だが、彼女が現存する魔法使いの中では跳び抜けた戦闘能力を持っていることは、クラングラン魔法学院長クレアが保証している。


 最近、各地の魔法学院を訪れ、トゥリスに変わる新たな魔法使いの組合を作ろうとしているクレアは多忙で、留守が多い。有事の際にはエーテルを頼れ、と言われていたのだ。


 だが、不運なことに、急報を受けた日、エーテルは丸一日休みを取っており、クラングランから離れていた。

 翌日にはいつも通りクラングランへやってくるはずなので、それまでに応援部隊を組織することになった。


 問題はデアスが夜を越えることができるかどうか。

 デアス近辺に常駐している兵士は二百。クラングランから即座に出立できる兵士もせいぜい二百。

 だが、その到着はどう急いでも夜になる。クラングランから応援にいった軍が魔物の群れの中に孤立する可能性が高かった。


 しかも、二百が四百となったところで状況は対して変わらないだろう。


 そこで白羽の矢が当たったのがルカとリリィの『完璧姉妹』である。

 ドラゴンすら倒すことができる『勇者アルフレッド』の高弟。

 彼女たちが高い機動力で、オルデン王国中を駆けまわり、魔物を倒していることはクラングラン領政府もよく知っている。

 彼女たちならば日没までに間に合うかもしれない。


 とはいえ、シルグレンは、『死の森』に対する認識が甘かった。

 いくらなんでも三千を越える魔物が押し寄せてくるとは思わなかったのだ。


 歴代のデアス領主が、『死の森』の蓋ともいえる砦の破魔結界はまけっかいの管理を、最重要任務と考えている理由を理解していたなかった。

 なぜ、デアス方面以外で『死の森』の周辺が開拓されていないのかを理解していなかった。


 襲来する魔物の数は多くても千程度と考えていたのだ。

 デアスの街を囲う壁と、二百の兵士。

 さらに『完璧姉妹』がいればなんとか守り切れるのではないか。


 後日、その夜に襲来してきた魔物の数を知ったシルグレンは、呆然としたものである。



 広い間取りの店内。

 使われているタイルは壁から床、すべて上質のもの。

 高い天井からぶら下がった大型のシャンデリアは、貴族の館の大ホールに使われているような代物である。


 テーブルは壁際に広い間隔をあけて、点々とあるだけ。

 中央にはピアノが置かれており、奏者が落ち着いた調しらべを奏でている。


 高級レストランである。

 お抱えのシェフがいたり、サロンを頻繁に開いたりするほどの財はないが、金銭に余裕のある者たち。あるいは一般庶民が、特別な日に利用するような店である。


 店に二人の女性が入ってきた。

 ベージュ色のドレスを着た女性と青いドレスを着た女性。


 ベージュ色の方は、麻色の髪をアップに結った小柄な女性である。

 スレンダーな体型のためか、露出が多く張り付くようなタイトな仕立てのドレスが、さわやかに感じられる。

 意志の強そうな顔立ちが、強い存在感を感じさせる。


 青いドレスの方は、長いプラチナブロンドをそのまま流している。

 こちらは対照的にグラマラスな体つきをしており、露出を控えたドレスにも関わらず、強烈な色気を放っている。


 どちらも美人である。

 黒い制服を着た店員に案内されて店内を歩くその姿に、客たちの視線が集まる。


 だが、誰もこの二人が先日、デアスにおいて、三千を越える魔物を倒した最強クラスの冒険者だとは、思わないだろう。


 彼女たちと夕食をともにする約束の二人の男性以外には。


「もう十分すぎるほどの報酬はいただきましたけど。本日、勲章までいただきましたし。でも、そこまでおっしゃられるなら……」


 三日前に『領主の館』にて勲章を授与されたルカとリリィ。

 その際に、なにかほかに入用なものがあれば、とシルグレンに言われたときのことである。


「私はあまり詳しくはないんですけど。恋人のいない男女が複数人集まって、お酒を飲むというようなものが、ちまたで流行っているといようなことを聞いたことがあります」


「あっ、いえ、別に恋人が欲しいというわけではないんです。そこまで積極的な気持ちがあるわけではないんですよ。どちらかというと好奇心というような感じのもので。私もリリィも忙しくて、中々、若者らしいことができないものですから。でも、そういう出会いの場もなんだか楽しそうだな、なんて」


「そんな、なんだか催促したみたいで、すみません。好みのタイプですか? 領主様の信頼がおけて、真面目で責任感が強くて。男らしい方がいいですね。やっぱり、たくましさのようなものがないと。軍人さんとか、かっこいいですよね。あっ、黒髪で黒目の男性って、タイプなんですよ。年齢は年上がいいですね。三十歳くらい? 以前、デアスに向かう前にお見かけした、あの方なんて、素敵でしたね。えっ、独身、恋人もいない? そんな風にはとても見えませんでした。さぞ、おモテになるんでしょうね。ええっ、堅物で浮いた話のひとつもない、だとっ」


「すみません、落ち着きました。大丈夫です。発作とかそういう感じのものじゃないです。自己鍛錬の一環だと思ってもらえれば。では、先ほどの話、よろしくお願いします。あっ、そんな、強制しているわけじゃないんですよ。ご領主様が、入用のものがあれば、なんておっしゃられるから。じゃあ、一緒にお酒を飲める男の人がいいなあ、なんて。ねえ、リリィ、そういう感じだったよね、私」


「ほら、あんたも、ちゃんと自分のタイプ伝えときなさいよ。私だけ、ガツガツしてるみたいで恥ずかしいじゃない」


 そんなこんなで、クラングラン領主自ら合コンをセッティングすることになったのである。


 声がかかったのは、ルカ指名のオルデン王国軍クラングラン駐留部隊長トールス第三仕官(数字が小さいほど階級が上)。

 そして、リリィが好みのタイプを言わなかったので、トールスの部下のリックハルト第四仕官である。


「部隊長。なぜ、自分を巻き込んだのですか。恨みますよ」

 リックハルトは隣に座るトールスに恨みがましい目を向け、言った。


 金髪碧眼のハンサムな青年で、軍の女性たちからの人気もある。

 トールス同様、黒い上着にズボン、シャツにベスト(男はだいたいこれで乗り切る)。


「それだけ、信頼があるってことだ。『完璧姉妹』のお二人は、噂通り見目麗しかったぞ。むしろ、感謝してほしい」

 トールスが言った。


 黒髪黒目の彫りの深い顔立ちの青年である。生真面目さが滲み出ている。


「でも、ドラゴンを倒すくらい強いんでしょう? もし怒らせたら、どうするんですか?」


「謝るしかないな。とにかく、変な下心は出すなよ。首が飛ぶぞ」


「比喩的表現じゃなく、そんな風になりそうで怖いんですけど」


 その時、扉が開く音が聞こえ、店内に、二人の女性が入ってきた。

 初見のリックハルトはもとより、トールスもつい見とれてしまった。

 

 そうこうするうちに、二人が席にやってきた。楚々とした態度で挨拶をする。

 男二人も堅苦しいほどのきっちりとした挨拶をした。


「噂の『完璧射手』がこんなに若いなんて思いませんでしたよ。それにとても綺麗だ」

 誰も言葉を発しないので、リックハルトが口火を切った。


 とにかく、褒めておこう。


「『完璧射手』って言うな」

 下を向いたまま黙っていたルカが、ボソリと呟いた。


「は、はい。すみません」

 ビクリと震えるリックハルト。


 そのまましばらく沈黙が続いた。

 ルカが時折、トールスに獲物を狙うような視線を向け、彼の精神を削り続けた。


「今回のご活躍、本当に見事としか言いようがありません。さすがは『勇者アルフレッド』の弟子。アルフレッド卿もこれを知ったら、さぞや誇らしく思うことでしょう」

 三十歳でクラングラン部隊長を務めるだけあって、トールスは如才ない。


「そんな、私たちなんて、先生に比べたら本当に大したことないんです。先生だったら、あれくらい、鍛錬にもならなかったと思います」


「『勇者アルフレッド』。何度かお目にかかる機会はありましたが、穏やかで見るからに強者という印象は受けませんでした。真の強さとは表に出てこないものなのだと、感じましたよ」


「そうなんです。先生、そんなに強そうに見えないんです。そこが素敵なところで。普段はなんだか頼りなくて、存在感もあんまりないんですけど、でも、そこが安心するというか、癒されるというか。それが剣を握ったら、もう、カッコいいんですよ。圧倒的なんですよ」


『勇者アルフレッド』の話題で盛り上がる。かつての『不死身カーラッド』を凌駕するほど、『勇者アルフレッド』の人気は高い。

 トールスもリックハルトも憧れのようなものがあった。


「それで、今、先生のおっしゃった言葉をまとめているところなんです。先生の教えをきちんと伝えていかないといけませんから」


「それはとても興味深い。完成したら、ぜひ、拝見させていただきたいものです」


「はい、楽しみにしていてください」


 なんだかんだで、良い感じになってきたルカとトールス。だが、リリィはルカの酒量が気になっていた。


 最初こそ、遠慮がちに飲むだけだったが、楽しくなってきたためか、どんどんグラスを開けるスピードが速くなっている。


「姉さん、それくらいにして」


「まだ大丈夫よ。自分の酒量くらいわきまえてるわ。なにせ私は『勇者アルフレッド』の弟子なんだから」


 リリィはため息をついた。

 申し訳ない気持ちで、今夜の被害者を見る。


 トールスはルカに付き合うように飲んではいるが、言動に乱れはない。

 分別のある大人という感じがする。変なことにはならないと思いたい。


「リリィさんはなぜ、冒険者に?」


 リックハルトに問われ、リリィは淡々とルカと姉妹になったいきさつを話した。


 途中で、リックハルトが自分に熱いまなざしを向けていることに気づき、まあ、たまには男もいいか、という気持ちになった。


 セックス自体は嫌いではない。

 手慣れていて感じの良い男なら楽しめる。ただ、一緒に寝るのは嫌だし、何度も求められるのはうんざりとする。

 なによりも、ルカと一緒にいる時間が減るのが駄目だ。


 だが、自分を強く求める相手に身をゆだねるというのも、たまには良いものだ。




◇◇◇




 翌日、目を覚ましたリリィは、隣に眠るルカのむっつりとした寝顔を見て、ため息をついた。


 昨夜はひどかった。正直、あれはない。

 

 ルカを起こして、酒臭い彼女と一緒にシャワーを浴びる。


 自宅ではなく、クラングランで酒を飲んだあとによく使う宿で、一階が酒場になっており、深夜でもチェックインしやすい。

 昼間は料理屋をやっているため、朝食を取るにも最適だ。

 

 頭を押さえながら朝食をモソモソと食べるルカ。

 半眼でリリィを見て言った。

「ねえ、全然、記憶が無いんだけどさ。私、まずいことした?」


 説明したくないな、とリリィは思っていたので、今までなにも言わなかった。

 だが、さすがにずっと黙っているわけにもいかない。


「私の処女を貰って、と泣き叫んでトールスさんにしがみついていた」


「……マジで?」


 リリィはコクリと頷く。


 頭を抱えて、テーブルに突っ伏したルカを眺めながらも、これはまだ序盤だから、と思った。


「で、トールスさんは呆れて帰った、と」


 リリィは首を横に振った。

「この『勇者アルフレッド』の一番弟子の私を抱けないってのか、と凄んで、襟首をつかんでいた」


「それは嘘でしょ」

 力なく笑いながらルカ。

 しかし、リリィがニコリともしないので、顔が青ざめていく。

「……最悪。死にたい」


「先を聞くのやめとく?」


「まだ先があるのね。聞かせて、聞きたくないけど」


 五分後、ルカは両手を突き出して、リリィの言葉を遮った。

「ごめん、もう無理。勘弁して。本当にごめんなさい」


「じゃあ、途中はもう割愛する。結果はいつも通り。下着姿で外に放り出した」


「……その、何が気に入らなかったのかしら」


「あんたは先生じゃないじゃないっ、という怒声が響いてきた」


「もはや、なにがしたいのか、さっぱりわからないわ。というか、あんたも止めてよお」


「何度も止めた。暴れたから諦めた」


「食べたら謝りに行くよ」


 リリィは首を横に振った。

「やめた方がいいよ。二度と会いたくないだろうから」


 ううっ、と両手で顔をおおって、うめき声をあげるルカ。

 リリィは無言でパンをちぎっては食べた。




◇◇◇




「それで、あんたはどうだったの? 金髪の方と」

 朝食後、自宅へと向かって歩きながらルカが言った。


 ルカもリリィも昨夜のドレスの上から薄手のマントを羽織っている。


「やったよ」


「えっ、やったの? いつ? そんな暇あったの?」


「姉さんたちが部屋に入ってから。隣部屋とれたし。上手かったよ、リック」


「なにその余裕。私が醜態をさらしてるあいだに」


「全員不幸になる必要はないでしょう」


「……はあ」


「とりあえず、領主様には謝った方がいいかもね」


「そうね。次の機会があったら、格安で依頼を受けよう。お酒って本当に怖いわ」


「先生がダルトン導師から言われたそうよ。酒は人を変えるんじゃなく、暴くんだって」


「なんか、それ、きつい。リリィ、怒ってる?」


「怒ってないけど、いい加減にこりては欲しい。学ぶってのは同じ過ちを繰り返さないためなんだと思うって、先生言ってたし」


「なんか、あんた私が知らない先生の言葉をたくさん隠してるわね。言語録には全部吐き出しなさいよ」


「結局、姉さんが先生の言語録を作りたいのって、自分が知らない先生の言葉を集めたいからよね」


「そうよ。悪い」


 この3ヵ月後。

 ルカは『師言語録』の編集を終える。それはやがて、『勇者言語録』として、冒険者の心構えを学ぶ教本として伝えられていくこととなるのである。

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