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第二話 師言語録①

『勇者アルフレッド』の弟子といえば、まず名前が上がるのが『完璧姉妹』ルカとリリィである。


 歴史家たちは、冒険者学校を世界で初めて創設したドロッターを評価するきらいがあるが、それでも彼女たちの功績は他者に抜きんでていると認めざるを得ないだろう。


 特にアルフレッド不在の十二年間の彼女たちの活躍は目覚ましく、オルデン王国の内紛からヴァイル帝国建国時までの混乱の時代を冒険者として戦い抜いた。


『完璧姉妹』の勇姿を伝えるエピソードはいくつかあるが、彼女たちが若かりし頃で特に有名なものは、『デアス防衛戦』だろう。


 オルデン王国都市デアス。

 大都市クラングランと南方都市アルプを繋ぐ主要街道の中継地点に位置しており、近くに『死の森』という不安要素を抱えながらもその重要性から、十分に発展してきた。


 1024年6月。もし、『完璧姉妹』がデアス防衛をなしとげなければ、クラングランは南方からの支援を得られず孤立。

 王都へと破竹の勢いで向かっていたサーベル軍は、クラングランを救うために、大きく進路を迂回することになっただろう。


 その間に、王都にあり、新王を名乗っていたフィリップ軍は、地盤を固めていただろうし、日和見を決め込んでいた貴族たちの何人かは彼についた可能性もある。


 最悪な可能性として、サーベルがデアスを解放する際、五倍もの大軍による攻撃を受けることもありえた。


『黄金の貴公子サーベル』がヴァイル帝国を建国することなく、オルデンの地に散っていったかもしれないのだ。


 今や全ての冒険者のたしなみとされている『勇者言語録』を『完璧射手ルカ』が編集したのもこの頃である。

『デアス防衛戦』が長らく語り継がれてきた要因の一つだろう。


『デアス防衛戦』のひと月ほど前から物語は始まる。



「それで、先生はその時、なんておっしゃったの?」

 ルカは弟弟子のジェドの目をじっと見つめて言った。


「見ることにとらわれるな、と」


「もう少し正確に。先生がとらわれるな、なんて言い方するわけがない」


「えっ、ええと、なんだったかな。ほら、俺、あんまり頭が良くないですから」


「そんなことは聞いてない」

 冷え冷えとしたルカの声。


 道場である。

 高い天井。固められた土の床。

 広々とした空間には大勢の若者たちが、手にそれぞれの武器を持ち、稽古に励んでいる。


 熱気に満ちたあふれた道場で、ルカとジェドがテーブルに着いた壁際の一角だけが、別世界のようである。


「一つの感覚にとらわれ過ぎるのは良くないよ。全体を把握することができなくなる。特に気をつけなくちゃいけないのは、見ることに意識を向けすぎないことだね」


 ルカが言うとジェドが手を叩いた。


「そう、それです」


「それです、じゃないでしょう?」

 ルカは自分よりも4歳ほど年上の青年をにらんだ。


「す、すいません」

 ジェドはすっかり萎縮してしまっている。


「先生、何人かにも同じことをおっしゃっているの。ただ、私が知りたいのはディテールの変化。ジェドはジュエラさんと同期だから、二年以上先生の教えを受けられた。私やドロッターさんの時は手探りだったものも、ジェドの頃には、より洗練されたものへと変わっていたはずなの。それなのに、そんな風にあやふやに覚えられていては先生に申し訳がないでしょう?」

 ルカが深々とため息をつく。


 ジェドは再び深く頭を下げた。

 彼が『勇者アルフレッド』に弟子入りした頃には、すでにルカは『勇者アルフレッド』の弟子として、実力も十分につけていた。


 ジェド自身も十四歳で学校を卒業してから、王都で冒険者をやってきたので、冒険者歴はルカよりもずっと長い。

 だが、一星や二星の魔物ばかりを相手にしており、まるで、うだつが上がらなかった。


 そんなところに伯父から『勇者アルフレッド』が近所に住んでいたという話を聞き、弟子にしてもらおうとクラングランへとやってきたのだ。


 実際に目にすると、かの有名な『勇者アルフレッド』はあまり強そうに見えなかった。

 ハンサムだが印象の薄い顔立ち。自信に満ち溢れているとはとてもいえない雰囲気。むしろ、頼りなさそうな青年だった。


 そんなジェドの気持ちを読んだのだろう。側にいたルカが前に出て、「試しに私と手合わせしてみますか」、と言ったのだ。


 自分よりもずいぶん年下の生意気そうな小娘。

 馬鹿にするな、とジェドはいきり立った。


 互いに木剣で立ち会うことになった。

 これは後から知ったことだが、ルカは射手であり、近接戦闘が専門ではない。

 だが、この時は、すっかり剣士だと思い込んでいた。

 それほど、ルカの構えは堂にいっていたのだ。


 試合はすぐに終わった。


 困惑顔で見ている『勇者アルフレッド』に、自分の実力を見せてやる、と気合の声とともに小柄な少女に斬りかかった。


 パアンと音をたてて、ジェドの握っている木剣が宙を舞った。

 それが地面に転がる音で、我に返る。


「力任せに振っても通用しませんよ」

 ルカは静かに言った。

「さあ、剣をとってください。あなたが先生に抱いた、こんな頼りなさそうな奴より俺の方が強いんじゃないか、っていう気持ちを私が叩き直してあげます」


「そ、そこまでは思ってない」


「では、存在感のない勇者だな、ですか? 二人も妻を娶っただけあってスケベそうな顔してる、ですか?」


「お、思ってねえよ」


「ともかく、あなたが先生に抱いた不遜な気持ちを私が徹底的に排除します。今度は私から行きますよ」


 ルカが動いた、と思ったときには、その木剣はジェドの首筋に突き付けられていた。


「言っておきますけど、先生は私の百倍は強いですよ」


 結局、ジェドはルカと二十回ほど立ち合い(後半は、もう勘弁してくれと泣きが入っていた)、全敗した。

 ほとんど試合にすらならなかった。

 ルカが剣士ではないと知った時には仰天したものである。


「ど、どうだった?」

 ジェドより半年ほど遅れて弟子入りした、ラーディンが不安げな顔で声をかけてきた。


 ようやくルカの聞き取りから解放されたジェド。自分の得物を取りにいったところである。

 

「最悪だった。ルカ先輩、やっぱり、すげえ、怖い」

 ジェドは、思いだして、胃のあたりが締め付けられた。

「絶対に適当なこと言うなよ。滅茶苦茶追及してくるぞ」


「俺も呼ばれるんだよなあ」

 ラーディンがちらりと、壁際のテーブルについて、さらさらとペンを走らせているルカに目をやった。重いため息をつく。

「あの人、ちっこいけど、妙な威圧感があるよなあ」


 ジェドとラーディンは入門した時期も年齢も近いこともあって、気のおけない仲である。

 ラーディンはスカウト寄りの戦士で、戦闘スタイルとしてはアルに近い。


「リリィ先輩はリリィ先輩でやりにくいけどな」と、これも仲のいいレドリス。

 入門時期は一年ほど遅いが、年齢は少し二人より上である。


「あの人はなんかエロい」


 言ってから、ジェドは慌てて周囲を見回した。

 リリィはいつの間にか側にいることがあるのだ。


 二人が、コクコクと頷いた。


 アルの弟子たちの間では、ドロッターとルカ、リリィの三人が最初期の兄弟子ということになる。

 中でもドロッターとルカの二人が筆頭格。実力と実績的にはルカがドロッターを圧倒しているが、指導者としての力量と人望ではドロッターが優っている。


 そのドロッターがルカのテーブルへと近づいていった。

 ドロッターは二十四歳。レグルの三女メアリーと結婚し、今や二児の父である。

 長く伸ばした焦げ茶色の髪を後ろで縛った精悍な顔立ちの青年である。


「弟弟子をあんまり、いじめんなよ。みんな緊張してるぞ」


「先生のお言葉を集めてるんですよ。ドロッターさんも、思いだしたことがあったら、ちゃんと言ってくださいね」

 ルカはどこ吹く風である。


「先生の言語録を作るんだってな。なんだって、急に思い立ったんだ」


「急じゃないですよ。半年以上前から考えていたことです」

 

 ルカがアルの言語録を作ろうと思い立ったきっかけは、昨年の野盗退治である。

 世間を賑わせた『完璧姉妹』の盗賊狩りの前哨戦ともいうべき、野盗退治。

 その際に、ルカは誤って敵を殺してしまった。落ち込むルカを、救ってくれたのはリリィだった。


 リリィがアルから言われた言葉。そのおかげで、ルカは精神をすぐに立て直すことができた。


 あの時に思ったのだ。

 アルが自分たちにかけてくれた言葉の数々をまとめたい、と。

 それらはきっと、自分を含め、アルに師事する者たちの助けとなることだろう。


 それになにより、ルカは純粋に自分の知らないアルの言葉を知りたかった。

 アルの想いを知りたかった。


 最初は自分の記憶を頼りに、アルの言葉をひとつひとつ思いだして書きとっていった。

 それらはまるでアルとの再会のようだった。

 懐かしさでいつも胸が温かくなる。その時のアルの顔が思い浮かんで、幸福な気持ちになる。


 上級冒険者として、オルデン王国中を駆けまわりながらも、時間を見つけては書きとっていった。


 それが一通りすんでから、今度はリリィやドロッターに聞き取りを行った。

 二人とも記憶力が良く、かなりの分量が溜まった。


 それもひと段落ついて、今は弟弟子たちからの聞き取りを行っているところである。


「別に威圧してるつもりはないんですけどね」


「お前は真面目過ぎるんだよ。先生の言葉を正確に記したいって気持ちはわかるけどさ。先生はもうちょっと柔軟にいろいろ考えてたと思うぞ。あれ、そんなこと言ったかな、なんてさ。決まった考え方とか自分の流儀とか、そういうの気にしない人じゃないか」


「わかってますよ。でも、先生が考えて考えて最善だと思って教えてくれたことを、私が間違えてしまったら申し訳ないじゃないですか。というか、私が嫌です」


「まあ、ともかく、ほどほどにしろよ。ただでさえ、お前、怖がられてるんだからさ」


「ドロッターさんはいいですよね。みんなから好かれてて」


「いじけるなよ。お前もさ、恋人でも作ったらどうだ? もう少し人に優しくできるようになるぜ」


「恋焦がれるようないい男がいないんですよ。これは私のせいじゃありません」


「お前の理想が高すぎるの。どんなやつにもいい面と悪い面があって、いい面を見れるかどうかだよ、結局。消去法じゃ、恋なんてできないぜ」


「ドロッターさんが言うと重みがありますね。メアリーさんのいいところって、例えば?」


「そりゃあ、もう、可愛いところだろ。愚かさと愛嬌は表裏一体。馬鹿なことしてても、一生懸命だと、可愛げになるんだよ」


「どうせ、可愛げがありませんよ、私は」


「まあ、ともかく、弟弟子に優しくな。頼むぜ、『完璧射手』」


「『完璧射手』って言うな」


 そんな二人の反対端で、リリィは壁に背中を向けて、立っていた。

 まるで人形のようにほとんど身動きせず、一時間ほど固まったまま。

 ここ半年ほど、よく見る光景である。

 

『レベル2』への訓練。かつてリーナベルテから教わり、アルからも何度も何度も教えてもらった技術。

 これをなんとか身に着けようと試行錯誤していた。


 だからといって、今までの日課の鍛錬もないがしろにはしていない。動的な鍛錬の合間合間に差し込んでいるのだ。


 例の盗賊討伐のおり、ルカに人殺しをさせてしまったことに、リリィは自分の無力さを感じた。

 自分が『レベル2』を身に着けていれば、もっと確実に敵を無力化できたことだろう。


 ルカはこれから先も『勇者アルフレッド』の弟子の筆頭格として、人々の期待を背負っていかなくてはならない。そのルカを支えていくためには、もっと強さが必要なのだ。


 ルカにもバーンにも、ちょくちょくアドバイスをもらっているのだが、やはりリナが教えてくれたものが一番適切であるらしい。


『レベル2』に至るためには、『時間感覚のコントール』と『エナのコントロール』が必要になる。

 リリィは『時間感覚のコントロール』はアルからお墨付きを貰っている。

 あとは『エナのコントロール』さえきちんとできれば、『レベル2』に到達できるのだ。


「『エナのコントロール』の精度を上げれば、かなり疲れにくくなるし、エナもガンガン使っていけるようになるわ。自分が今までどれでけ無駄なことしてたかわかるんだから」とルカ。


 ルカはエナで矢じりをコーティングした矢を放っている。

 ほかにも当たった瞬間にぜる『爆裂矢』(ドロッター命名)や、かつてアルが使っていた『絶対命中』の矢など。


 さらに最近では、サーベルが『神器ティタニス』から放つ光の矢に似た技も使うようになった。

 エナで作った光線をそのままクロスボウで放つのだ。


「これなら、『レベル2』で連射できるでしょう。実際に矢を飛ばすわけじゃないからね。なんとか、連発できるようになりたいなあ」


 まだまだ試行錯誤の段階だとのこと。


 ルカはどんどん先を行く。

 リリィも一生懸命追いかけていかけなくては、並んで戦うことができなくなってしまうのだ。




◇◇◇




 三日間の冒険仕事を終えて自宅に戻ったルカは、久しぶりにバーンと夕食をともにした。


 冒険斡旋屋『ハイデン』の管理職をしているバーン。カーニス王亡き後のオルデン王国の混乱で、警備隊はいよいよ回らなくなってきており、代わりに魔物退治に当たる冒険者は大忙しになっている。


『ハイデン』に所属している冒険者は今や二百人近く。

 それらを管理しているバーンは、日々、仕事に忙殺されていた。


 上級冒険者として、クラングランに戻ることが少なくなったルカと、顔を合わせる機会もめっきり少なくなった。


「ルカ、会いたかったよ。ルカ」と大げさに喜ぶバーン。目には涙がたまっている。


「久しぶりね、父さん。元気そうで良かったわ」と娘の方はあっさりとしたもの。


「リリィもよく帰ってきた。ルカをいつも守ってくれてありがとうなあ」

 娘の後ろにひっそりと立つリリィに笑いかける。


 リリィは笑顔でそれに答えた。

 胸に温かいものが流れ込んでくる。こんな風に帰る家があることが、どれほどありがたいことか。


「また白髪増えたんじゃない?」

 ルカはバーンの頭髪をジロジロ見ながら言った。


「そ、そうかな」


 バーンの油で後ろに撫でつけてある麻色の髪は、半分以上が白髪になってしまった。


 バーンもつい先日五十歳になった。

 すでに冒険者としての一線を退いてから年月も経っているので、往年の鍛え抜かれた肉体とは比べるべくもない。


 それでも、朝、出社する前に、軽く剣を振っているし(レベル2で)、仕事の隙間に気分転換にトレーニングもしているので、それほどみすぼらしいことにはなっていないが。


「父さん、結構、若く見られるんだけどな。この間だって、五十歳って言ったら、見えな~い、って言われたし。若い子たちから」


「お世辞でしょ。若いっていうなら、母さんの方がずっと若く見えるもの」


 ルカの言葉に台所でフライパンを振っていたネリーが振り返った。

 焦げ茶色の巻き毛に少し白いものが交じっているが、確かに若い。

 四十前と言っても通用するだろう。


「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。ほら、あなたたち、座って待ってなさい」


 ネリーの言葉にテーブルにつくルカとリリィ。着席するとルカはさっそく荷袋を開いて手帳を取り出した。


「今、先生の言語録をまとめてるんだけど。変なところがないか、ちょっと見てくれない」

 バーンの前に出す。


「アルの言語録? ちょくちょくなにか書き込んでると思ったら」

 バーンは手帳を取ると、パラパラとめくった。

「君の字はネリーに似てるな。凛々しいというか、情熱的というか」


「ちゃんと清書するわよ」


「いや、別に文句をつけたわけじゃないんだが」


「私も別に怒ってないわよ」


「姉さん照れてるのよ」

 リリィの言葉にルカの顔に朱がさす。


 実際にルカは照れ臭かった。なにしろ、父親に書いたものを読んでもらうというのが照れ臭すぎる。


 そんなルカにバーンは癒された。

 これはしっかり読んでやらなくてはなるまい、と文字を読んでは、声に出さずにもごもごと口を動かし、というようなことをする。

 

 それから、気づいた点をひとつひとつ指摘していった。

 言葉の正確さにこだわるよりもアルが本当に伝えたかったことを、読み取って多少文言を変えた方がよいこと。

 重複しているような言葉は減らした方がよいことなどなど。


 ルカは父の忠告を真摯に受け止めた。

 さすがは『ハイデン』で多数の冒険者の上司をやっているだけあって、指摘が的確だった。


「結局、ルカはこれをどういう風に使いたいんだい? まとめる前に用途をきちんと想定しておいた方がよいんじゃないか?」


「道場で配ろうと思ってるんだけど」


「じゃあ、アルの弟子全員が持っていて、ときどき読んだりするような物なのかい。常に携帯していて、暇があったら読んでみるとか? それとも稽古前にみんなで暗唱するようなものなのかい?」


「暗唱? それいいかもしれないわ」

 ルカの声のトーンが上がった。

「鍛錬前にみんなで先生の教えを暗唱。そうしましょう。ねえ、リリィ、いいアイデアだと思わない?」


「先生、そういうの嫌いだと思うけど」


「そうだな。アルは嫌がりそうだな」


 しかし、リリィの言葉もバーンの言葉も、ルカには届かなかった。


「そうしましょう。先生の弟子たるもの、先生のくださった言葉を暗唱できるようにならなきゃあ」

 ルカの弟子魂に火が付いた瞬間であった。


「ところでルカ、このページの言葉だが。これ、私がアルに言った言葉だよ」

 ページを開いた手帳を指さし、バーン。


「暗唱用に要約したページも必要ってことね。それに大きさも、いつも持ち歩けるようにしないとだわ」


「ルカ、このページだが……父さんが……」


「一冊にまとめるよりも、何冊か分けた方がいいのかしら? でも一冊の方が持ち歩きやすいし」

 聞いていなかった。




◇◇◇




 アルの弟子たちにとって師アルフレッドの住居たる屋敷は、身近にあって遠い存在である。

 道場がアル邸の敷地に立っているので、いつも目にしている。だが、入る機会はない。


 大きな屋敷は、その主の帰りを待ち続け、門扉を閉ざしているのだ。

 

 ルカはアル邸の玄関扉の前に立つと、重量のあるノッカーで扉を叩いた。

 まるで、扉の前で待機していたのではないか、というほど、すぐに扉が開いた。


 立っていたのは黒いワンピースに白いエプロンのメイド服を着た若い女性である。後ろに流した黒髪と白すぎる肌。

 光彩の少ない黒い瞳をルカに向ける。

 アルのメイド、セーラである。


「何かごようでしょうか、ルカ様」


「中に入りたいんだけど、ダメ?」


「ご主人様は不在ですので」

 セーラはにべもない。


「先生の蔵書を見せてもらいたいのよ」


「ご主人様の許可なくそのようなことはできません」


「先生の不在時は、あんたが屋敷のすべてを管理しているのよね」


「はい、左様です」


「つまり、必要があれば屋敷に人を立ち入らせるられる決定権がある」


「私が必要だと判断すればですが」

 胸を張ってセーラ。

「私はご主人様のメイドをすべる立場であり、ご主人様がお帰りになられるまでは、屋敷のすべてを取り仕切る責任があります」


 メイドはあんた一人でしょうが、とはルカは言わなかった。

 セーラがアルのメイドであるということを、それこそ全存在をかけて誇りに思っていることを知っているのだ。

 敷地内を少し掃いただけで、烈火のごとく怒るくらいだ。


「今、先生が言ったことをまとめてるところなんだ。本にしようと思って」


「本? ご主人様のお言葉をまとめた……本」


 セーラの目がきらりと光ったのをルカは見逃さなかった。


「そうよ。先生がおっしゃった言葉の数々をまとめた本よ。そこには私たち弟子しか知らない先生がいるわ」


「私が知らない、ご主人様が……」

 ゴクリと喉を鳴らすセーラ。息が荒くなってくる。


「もちろん、完成したら協力してくれたあんたには、一冊贈呈するわ」


「ご主人様のおっしゃられた言葉の数々が……。いつでも読める……。お叱りの言葉や、お褒めの言葉も……」

 ハアハアと息を乱す。


「どう? お屋敷の管理者として。いえ、先生のもっとも信頼する家臣として。私を書斎に案内してくれないかしら。もちろん、この本が歴史に残る一冊になることは言うまでもないと思うわ。なにしろ、『勇者アルフレッド』が弟子に残した言葉の数々が記されているんですもの」


 セーラは大きく息を吸い込み、まるで興奮などまったくしていない、というような顔になった。

 すぐに立ち入りを許可してしまっては、主の沽券に関わるとの思いからである。


「わかりました。ご主人様もお弟子の方々のためになるのならば、きっとお許しになられるでしょう。ご案内いたします」


 セーラは再び頭を下げると、くるりとルカに背を向けて、屋敷の中へと入っていった。

 ルカも追いかけて邸内へ入る。


 白いタイル貼りの玄関ホール。

 天井からつり下がった大型のシャンデリア。

 壁に飾られたアルの父カーラッドの絵画。『英雄ジーナミーア』の彫像。


 ルカは、今にもアルや彼の妻たちが奥の通路から出てくるような気がした。

 妻たちに責められてタジタジとしながら歩いてくるアル。扉の前にいるルカを見て、優しい笑顔を浮かべる。


 コホンとセーラが咳払いした。

 ついてこないルカの注意を引いたのだ。

 ルカはセーラを追いかけた。


 ルカはアルの書斎には入ったことはない。ルカは滅多に本を読まないので(文字を見続けていると頭が痛くなってくる)、特に見せてもらいたいとは思わなかったのだ。

 

「こちらです」


 セーラがドアの前で足を止めた。そのままドアの脇に控える。


 ルカはドアを開けた。

 書斎といえば、なんとなく埃っぽいイメージがあったが、まるでそんなことはなかった。

 縦長の部屋。

 両側の壁には本が並んでいる。奥にはガッシリとした机。


「ご主人様は一人になりたいときに、こちらをご利用されていました」


「先生でもそんなときあったんだ」


「主に奥方様方に叱られた時などでした」


「なんだか、目に浮かぶわ」


 屋敷の規模にしては、こじんまりとした部屋なので、もとは物置かなにかだったのだろう。


 天井の照明をつけ、本棚を眺めていく。

 マナーなど社交に関する本。

 歴史書など教養に関する本。

 魔物図鑑を始めとする図鑑の数々。

 リーナベルテやカーラッドの伝記。


 中でも一番多かったのは、やはりといおうか、戦闘技術や武具に関する本だった。

 ルカはその内、一冊を手に取った。


 初歩の剣術に関する本。かなり読み込まれた跡があった。

 パラパラとめくると、アルの教えの骨格となるべきポイントがいくつかあった。


「重要なことは、だいたいとても基本的なことばかりなんだよ。なにか新しいことを身に着けようとするときは、必ず基本をおさらいするといいよ」


 アルの言葉が頭の中に蘇ってきた。


 ルカは本を抱きしめた。

 急に、とても、師が恋しくなったのだ。セーラが近くにいなかったら、うずくまって、泣いていたかもしれない。




◇◇◇




 結局、ルカは二時間近くアルの書斎にいた。

 セーラは特に急かすこともなく外で待っていた。

 書斎から出るきっかけとなったのは、そのセーラだった。


「リリィさんがお探しですよ」


「リリィが? わかった」


 ルカは名残惜しさを感じながらも書斎を出た。

 ギルドから依頼でもあったのだろうか。


 現在、冒険斡旋屋『太陽の剣』はドロッターが中心となって、アルの弟子たちで経営している。

 元店主のオルビーはアルがいなくなってから、王都へと行ってしまったのだ。


「店はお前らにやるよ。続けるなり、閉めるなり好きにしろ」

 潮時だと思ったのかもしれない。

 

 リリィはアル邸の玄関扉の前で待っていた。

 二人目のセーラ(セーラは分身できる)が彼女の前に立っている。


「姉さん、領主から緊急要請」


「領主? なにかしら。サーベルさんに加勢しろって話?」


 カーニス王亡き後、当然のように後継者争いが起こった。

 カーニスのいとこ二人がそれぞれ次期王として名乗りを上げ、それに貴族たちが呼応。あわや内乱になろうというところまでいった。


 そこに突如、第三勢力が現れた。

 オルデン王国内で最大の領地を持つ、ヴァルサ公爵サーベルが立ち上がったのだ。


 サーベルは挙兵して早々に、前々王たるクラウス四世の孫フィリップを擁立するヴィルド侯爵の勢力を、解体した。


 一矢でもって、ヴィルド侯爵を打ち取り、次々と矢を射ては軍団の中枢にある貴族や将官を射殺してしまった。


 指揮官たちは怯えるばかり。残された兵たちはなすすべもなく、立ちすくむ。


「兵士諸君。君たちが無駄に殺し合う必要はない。ここからは私がすべて引き受けよう。武器を捨て、家に帰りたまえ」


 戦場に魔法で拡大されたサーベルの声が響いた。


 敵軍の兵士たちは四散した。

 逃亡する兵を斬ろうとする指揮官は、怒鳴り声を上げたとたんに死んだ。

 まさに解体であった。


 もう一方の勢力たるエルフィーネ侯爵軍(クラウス四世の孫パリスを擁立)は王都で、兵力を拡充中。

 サーベルは軍を王都へ向けて進んでいるところであった。


 このサーベル軍に呼応し、いくつかの領主が彼を支持することを宣言。

 この中にクラングラン領主もあった。


 ただ、クラングランの西には、エルフィーネ侯爵の盟友マリアラ侯爵領が、北には同じくギル侯爵領がある。


 アルプを始めとする南方の領主たちもサーベルを支援する構えであるため、今のところクラングランが孤立しているということはないが。


 ルカはリリィについて、『領主の館』へ向かった。

 アル邸からはすぐ近くである。五分と掛からずに到着した。


『領主の館』は領主の住居であるとともに、領政府の本部ともいうべき役割を持っている。


 ルカとリリィは明らかに上流階級相手用の応接室へと通された。

 冒険者への応対としては破格である。


『勇者アルフレッド』が王国政府から賓客待遇を得ていたので、その弟子の筆頭格たるルカにも敬意を評しているのだろう。


 ほとんど待たされることなく、領主のシルグレンが秘書官と軍の将官をともなってやってきた。


 恰幅かっぷくの良い体にあぶらぎった顔。

 だが眼鏡の奥の目は鋭い。領主としてはかなりの切れ者で、アルタードラゴン復活の際に被害にあったクラングランの復興を短期間にやってのけたのも、彼の功労といえるだろう。


「ルカさん、リリィさん。お二人を『勇者アルフレッド』の弟子と見込んで、依頼したい仕事があります」

 シルグレンはソファーに座るやいなや切り出した。


「領主様自らの依頼ですか? ただの魔物退治というわけではなさそうですね」


 ルカの言葉にシルグレンが頷く。

「ことはクラングランの存亡に関わる問題です」


「ドラゴンでも現れましたか?」


「それよりももっと悪いかもしれません。デアスに行ったことはありますか?」


「デアス? はい、何度か。長時間滞在したことはありませんが」


 クラングランから南方の大都市アルプへとつながる主要道路ならば、頻繁に通っている。

 デアスはその中ほどにある都市である。大森林地帯『死の森』の側にあるため、魔物除けの破魔結界はまけっかいは厳重で、そのためにむしろ魔物退治の依頼は少ない。


「デアスの周辺の破魔結界はまけっかいが広範囲にわたり破られました。魔物が大挙して押し寄せ、再度の張り直しもままならない状態だとか」


破魔結界はまけっかいが? 切れたのではなく、破られたということは、犯人が分かっているということですか?」


「エルフィーネ侯爵軍の手勢だろうと思われます。時間稼ぎでしょう。ヴァルサ公爵殿をこちらへこさせ、その間に、日和見を決め込んでいる貴族を糾合きゅうごうする。ヴィルド侯爵に肩入れした連中も取り込みたいのでしょう」


「最低」

 ルカは思わず吐き捨ててしまった。


 やっていいことと悪いことの区別もつかないのだろうか。

 破魔結界はまけっかいを破るのは戦争法で禁じられた行為だ。

 住民たちに多大な被害を与えることになるのだから。


「下品なやり方ですよ」

 軍服姿の男が言った。


 三十半ばといったところで、生真面目な雰囲気だ。黒髪黒目だったので、ルカは好感を持った。


「つまり、私たちはデアスに急行して、街を守れば良いということですか?」


「もちろん、出来る限り早く応援部隊を派遣しますが、その間、なんとか持ちこたえていただきたいのです」

 シルグレンが言った。


「丸一日。丸一日なんとかもたせていただけないでしょうか」

 軍服の男が言った。


 この人が応援部隊を指揮するのかな、とルカは少し気持ちが浮きたった。

 誠実そうな様子が良かった。


「わかりました。やってみます」

 ルカは軍服の男に微笑んだ。


「ありがたい。報酬に関しては……」


「それは後日相談しましょう。時間がありません。失礼します」


 シルグレンの言葉を遮り、ルカは立ち上がると、一礼して部屋を出た。

 その颯爽とした去り方に、部屋に残された者たちは、さすがは『勇者アルフレッド』の弟子と感嘆した。

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