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第一話 完璧姉妹の冒険②

「ねえ、リリィ。なんか、臭いんだけど」

 ルカがクンクンと自分の体をかいで言った。


「昨日、道で吐いたから」


「本当に? 最悪。そういうこと、宿を出る前に言ってよ。シャワー浴びたのにさ。あんたもよく、同じベッドで寝れたね。臭くなかったの?」


 リリィはそれには答えない。彼女にしてみれば、姉から嘔吐臭が漂ってこようと大した問題ではないのだ。


 二人は昨夜と同じよそおいで王都の繁華街を歩いている。

 大金も入ったことだし、今日は一日贅沢をしよう、とやってきたところ。


「香水持ってる?」


 リリィがフルフルと首を振る。


「だよね。とりあえず、服買って、お風呂入って、サッパリするか。ねえ、私、昨夜、変なことしてないよね」


「いつも通り」


「店員にセクハラしたり?」


「してた」


「下品なこと言ったり?」

「言ってた」


「まさか、先生似の男をナンパしてないよね」


「しなかったけど、指さして、大声で誘って来いって言われた。姉さんが潰れてるときに、向こうから来たけど、追い払った」


 片手で額を押さえるルカ。全く記憶がないのだ。


「それで、結構、先生に似てたの? そいつ」


「似てたよ。背丈と髪の色だけだけど」


「リリィ的には何点くらい?」


「5点」

「それ、こないだの自称勇者と同じ点じゃん」


「『勇者の後継者』だって」

 

 あっ? とルカがドスを利かせた声を出した。

 おかげで、二人に好意的な視線を向けていた通行人が、ビクリと震えて目をそらした。


「次に街に来た時に、まだそんな風に名乗ってたら、タマを潰すって言っておいた」


「なんで、黒髪ってだけで先生を意識できるのか、本当に不思議だわ。男って、そんなに頭の中が残念な生き物なの?」


「人によるんじゃない。先生もバーンもドロッターも男だよ」


「ドロッターさんはちょっと残念な気もするけどね」


「そういうこと言わない。道場、ちゃんとしてくれてるよ」


「わかってるよ。でもさ、ルカたちはもっと活躍して、先生の名前を守ってくれ、なんてね。私が道場にいると、みんなが萎縮するから、あんまり顔を出すなってことよね。要するに」


「姉さん厳しすぎるから」


「だって、先生の道場で、ちんたらやってるの見ると腹が立つんだもん」


 リリィは、ルカがドロッターと後輩たちの指導の件でもめているのを、何度も見てきている。


 厳しく、妥協を一切許さないルカ。

 ゆったりと見守り、自主性を重視するドロッター。


 リリィとしては、ドロッターの指導の仕方の方がアルに似ていると思う。

 ただ、それをルカに指摘すると、ものすごく切なそうな顔をするので、口を出さないようにしている。


 しばらく、通りを歩いて服を見繕っていると、なにやら、通行人がガヤガヤとし始めた。店の店主たちも通りに出てきて、なにやら話している。


「なにかあったみたいね」


 ルカの顔が冒険者の顔になった。

 近くで話をしている店主たちのところへ、すすっと近づいていく。


 すぐに戻ってきた。顔つきがさらに厳しくなっている。


「カーニス陛下がお亡くなりになったらしいわ」




◇◇◇




 この日、オルデン王カーニス八世は執務中に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。


 もともと丈夫とは言い難い体質で、病にせりがちなところがあったが、ここ数年の激務がたたったのだろう。


 いつも通り、早朝から執務室で書類に目を通していたところ、突然、胸を押さえて、苦しみだし、そのまま息を引き取った。


 女性不審というよりも、人間不審な部分のあったカーニスは、生涯結婚をせず、子供もいない。

 自身もここまで早く人生を終えるとは予想していなかったようで、後継者として王太子の選出すらできていない状態であった(数年前の宰相であり王弟のバルビスの国王暗殺未遂のせいでもあるが)。


 オルデン王カーニス八世の訃報は、周辺諸国にも衝撃をもたらした。

 なにしろ、西方六ヵ国のうち、すでに三ヵ国が国としての態を成していない無秩序状態にある。

 この上、オルデンまで混乱を起こされては、残る二国はたまったものではない。


 だからといって、力づくで混乱を収めるには、サンストン、ウルヘルム両国の王は

良識的すぎた。

 結局、混乱を自国にまで伝播でんぱさせないための手をいくつか打つだけに留まった。


 このあたり、シビアな価値観を持っていたガーラント帝国の亡きアークボル三世やカーニス八世には、為政者として一枚劣る部分だろう。


 カーニス王の訃報を聞くと、ルカとリリィはすぐに王都をあとにした。

 二人とも、上級冒険者として、王国に尽くそうという意識は持ち合わせていない。

『勇者アルフレッド』の弟子としての義務を果たしているだけのことである。


 むしろ、クラングランのことが気になった。

 家族のこと。道場のこと。友人たちのこと。


 二人は馬屋に預けておいたスレイプ種の馬を駆ると、急ぎに急いでクラングランへと向かった。


 王都からクラングランへは、大型の整備された道路が続いている。

 途中には、いくつかの都市があり、徒歩でも二時間に一度は村がある。


 だが、ルカはこの主要道路を通らなかった。上級冒険者として、王国を縦横無尽に飛び回らなくてはならない身である。

 移動時間を極力減らすことが重要であった。

 

 田舎道を抜け、山道を通り、道さえない森の中を突っ切る。

 魔物除けの結界のない場所では、魔物に襲われたが、ドラゴンすら倒す二人にとっては、なんの支障もなかった。


 むしろ、ちょうどよい鍛錬のように思えたくらいである。

 食料も買い込んでいるし、ルカの母ネリー仕込みの料理の腕前もある。


 よく似た真っ黒い二頭のスレイプ種(獰猛で巨大)にまたがって道なき道を疾走する姿は、魔物のようですらあった。


 二人が山道を抜けて、谷あいの村を望む崖に出たところ。

 村からいくつもの黒い煙が出ているのが見えた。


「村が襲われてる? 魔物か」


 小柄な体に不似合いの大きな黒馬にまたがったルカは、ゴーグルをかけたままリリィを振り返った。


「リリィ、降りるよ」


 返事を待たずに、急斜面に向けて馬を跳ばす。

 扱いにくいが、その運動能力はほかの馬種に比べて、格段に高いスレイプ種である。


 岩がごつごつと顔を出す急斜面を蹴っては跳び、蹴っては走り、駆け下りていく。


 リリィの馬も続いた。ルカの馬の通った後を、寸分たがわずなぞりながら、下りていく。


 谷には川が通り、その川を中心に家々ががポツンポツンと建っている。

 煙はその家屋たちから上がっていた。


 ルカはすぐに、村を襲ったのが魔物ではなく、賊の類だと気づいた。

 急な魔物の襲来による失火にしては、燃えている家が多い。故意に火を放ったとしか思えなかった。


 道端に転がる死体。死因は刃物による裂傷に見える。

 

 馬にまたがりながら、村の中を進む。


 誰も火を消そうという者はいなかった。村人たちは力なくうなだれ、あるいは呆然として燃えている家を見ている。

 死体にすがりついて泣いている者もいる。

 

 ルカはヒラリと下馬すると、呆然としている老人に声をかけた。

 老人はルカを見て、ルカの馬を見て、またルカを見る。


「怪しい者ではありません。私たちは通りすがりの冒険者です。いったい、なにがあったんですか?」


 老人は事態をうまくまとめることができないようだったが、ルカが落ち着いた声をかけ続けると、ようやく話し始めた。


 やはり野盗の集団だった。

 二時間ほど前に、三十人ほどのならず者がやってきて、家に火をつけ、人を殺し、女をさらい、食料や金目のものを奪っていったという。


「そういう連中、最近、多いって聞くけどね。王が死んだことを知ったら、もっと増えるかも」

 ルカは地面にこびりついた黒い血の跡を眺めながら言った。


 あと二時間早くここに来れば賊の攻撃を防げたかもしれない。それを思うとやるせない気持ちになった。


「みんな生きるのに必死なのよ」

 リリィは言った。

「行こう、姉さん。野盗の相手は軍隊や警備隊がやればいい。私たちが相手にすることはない」


 ルカがリリィをにらんだ。老人と話している間にゴーグルを外している。


「殺して、さらって、これじゃあ魔物と変わらないじゃない」


「姉さん……」


「助けに行く」

 ルカが再びゴーグルを上げる。


 馬にまたがる姉を、リリィは暗鬱な気持ちで眺めていた。


「あんたは来ないの?」


「姉さんが行くなら行くよ」


 リリィはそっとため息をついた。

 これはきっと、冒険者にとっていつかつきつけられる命題なのだろう。

 自分たちの師アルフレッドのように、『殺さずの剣』を貫くことがどれほど難しいことか。

 リリィには、姉がそのことをはっきりと理解していないように思えた。



 ルカもリリィも冒険者として多くの経験を積んできている。

 魔物の痕跡を探り、気配を追うことに慣れている。

 それに比べて、人、それもろくに訓練されていない集団を追うのは容易だった。


 ものの三十分ほどで、野盗集団に追いついた。二人はそこからしばらく、野盗を密かに尾行し続けた。


 人数は三十二人。

 馬は全員分あるが、捕らえた女たちを引きつれているため、馬は荷物を載せて引いている。

 捕らえられた女たちは縛られ、縄につながれている。まだ子供もいる。


 男たちは武器も防具もまばらで、その身ごなしから見て、きちんと訓練をしている者は数人のようだった。


 ルカが本気を出せば、五分と掛からずに倒すことができるだろう。

 もちろん、皆殺しにすることを前提にすれば、である。


 ルカが懸念したのは、追い詰められた男たちが自暴自棄になって暴れることである。

女たちを巻き込む恐れがあった。


 彼女たちを引き離す必要がある。

 そのためには攻撃は広い場所で行いたかった。


 野盗集団は川沿いに進んでいった。

 両側を岸壁に囲まれた細く狭い谷間。

 それが、ふいに開け、広い沢になった。


 どうやら休憩を取ろうということになったらしく、進むのをやめて、リーダーらしき男が指示を出している。


「仕掛けるよ。リリィはさらわれた人たちのフォローをお願い」


 ルカはクロスボウを背中から外すと、手早く組み立てた。

 ものの十秒ほどで組み立て終わる。 


 リリィが頷いた。

 腰のレイピアを抜く。


 馬は途中で置いてきた。

 スレイプ種だけあって気性は荒いが、頭は良い。

 なによりルカたちを主人として認めている。縛っておかなくてもいなくなることはないし、指笛で呼べば矢のように飛んでくる。


 ルカはゆっくりと息を三回吐いた。

 それがスイッチ。

 遠くに聞こえた鳥の声や、川を流れる水の音が低く、間延びして聞こえる。


 リーナベルテがアルに継承した『レベル2』高速化の技術である。


 ルカはアルの弟子の中で唯一、この技術を身に着けることができた。

 才能ではない、とルカは思っている。

 生命エネルギー『エナ』の扱いにたけたアルに直接指導してもらったことが、大きいのだ。


『レベル2』に入ると、自分一人だけが、時間の流れから飛びだし、高速で動くことが可能になる。


 ルカは緩やかに動く男たちの中、リーダー格の男に狙いをつけた。

 狙うのは右肩。鎖骨近辺。致命傷にならず、だが戦闘不能にする。


 引き金を引く。

 矢がゆっくりとクロスボウから飛びだしていった。


 ルカはすぐにクロスボウの先を踏んで、弦を引くと、矢をつがえた。

 先に放った矢はまだ飛んでいる最中だ。


 次に狙うのは女たちの側にいる男二人。同じように肩を狙い、引き金を引く。


 リリィも身を隠していた岩から飛びだして、走った。


 ルカが放った何本もの矢が、野盗たちを次々と吹っ飛ばしている。

 野盗たちは何が起こったのかまるで理解できていないようで、呆然としている。


 そこに飛び込んだリリィは、レイピアの切っ先で、男たちの顔を斬っていった。

 慣れていない者にとって、顔へのダメージはパニックを引き起こす。


 捕らえられた女たちの元へとたどり着くと、彼女たちの縄を一刀の元に切る。


「離れてて。邪魔」


 リリィの言葉に女たちがコクコクと頷く。

 

 近くの野盗が剣を振り回して怒鳴る。


 リリィはすっと男の懐に飛び込むとレイピアの柄で太い首を打った。

 男がもんどりを打って倒れる。


 アルに師事した当初から、リリィの目的は変わっていない。

 いつも姉の側にいたい。

 だから、ルカがメインの武器をクロスボウに選んだ際、近接戦闘に特化することを決めた。


『レベル2』にこそ到達していないものの、そこへたどり着くまでの二つのプロセスである『時間感覚のコントロール』と『エナのコントロール』は、どちらもしっかりと訓練している。


 特に『時間感覚のコントロール』に関してはアルから合格を貰っている。

 リリィにとって一瞬の攻防も引き延ばされて感じられるのだ。


 女たちの一人ひとりに気を配りながらも、敵を次々と戦闘不能にする。

 対人の近接戦闘については、アルに徹底的に習ったし、バーンに、なにかにつけてアドバイスをもらっている。


 いつか人と戦うこともあるだろうし、その際にルカの手を汚させたくなかったから。


 ルカの矢は、ほとんど途切れる間もなく、野盗たちに突き刺さっていく。

 それも寸分たがわず、右肩の鎖骨近辺。


 このあたりに矢が刺さると右腕が死ぬ。冒険者や訓練を受けた兵士ならばともかく、野盗などが、すぐに戦えるわけがない。

 だいたいは、痛い、痛いと地面に転がるか、傷口を押さえてうめく。

 なんとか傷薬を出して塗ろうとする者もいるが、片手ではなかなかうまくいかない。


 これなら大丈夫か、とリリィがホッとしたときだった。

 ルカの矢が野盗の首に突き刺さったのが目に入った。


 あれは間違いなく致命傷だ。

 仮死薬を飲ませるか?


 リリィは一瞬躊躇した。

 彼らを嫌悪する気持ちがあったのだ。


 だが、それは本当に一瞬のことで、リリィは首に矢を受け、仰向けに倒れる野盗の元へと走った。


 走りながら、ウエストポーチを探り、小瓶の仮死薬を出す。

 これを飲ませれば、仮死状態になる。

 その間に教導師に体の状態を過去に戻す『復元』の御力おちからをかけてもらえば、いかに致命傷といえども、死なずに済む。


 だが、野盗のかたわらにしゃがみ込もうとするリリィに、別の男が剣を振り下ろした。

 はっきりと戦闘慣れしていることがわかる斬撃。


 リリィはそれを猫のように跳んでかわした。

 男が追撃の横なぎを振るう。


 リリィはそれを身を低くして、潜り抜けると、男の腹にレイピアを突き刺した。


 男は鉄板で補強された革鎧を着ていたが、リリィの剣の切っ先は、一瞬、黄色く輝き、男の体をやすやすと貫いた。

 

 男が目を大きく見開き、後ろに下がる。


 レイピアが抜けた。

 穿うがたれた小さな穴から、真っ赤な血があふれ出る。

 男はそこに蓋をするように手で押さえる。


 リリィは男の頭を蹴飛ばした。

 男が腹を押さえたまま横倒しになった。


 すぐに、しゃがみ込み、首に矢を受けて致命傷を負った男に、仮死薬を飲ませようとする。

 だが、すでに男はこときれていた。


 リリィは立ち上がると、レイピアを下向きにした。

 すうっと息を吸い込み、レイピアを死体の首に振り下ろす。

 レイピアが突き刺さった直後、瞬間的にその周辺が光った。 

 

『エナ』を大量に保有している『英雄の血族』ではない、ルカやリリィにとって、使える『エナ』は限られている。

 いかに、瞬間的に、集中させるか、それを徹底的にアルに叩き込まれた。

 

 それでも、必殺技ともいうべき、この技を使える回数は限られている。消耗が激しいのだ。


 リリィがレイピアを抜いた直後、死体が首から爆発した。頭部は完全に破裂し、胴も胸のあたりまでえぐれた。

『爆砕突き』と名付けている技である。

 ちなみに名付けたのは兄弟子のドロッター。


 これで誤魔化されてくれればいいけど、とリリィは思った。


 戦闘は終わっていた。

 その場に立っているのはリリィだけ。

 あとは、座り込み、あるいは地面に転がって、泣いたり、うめいたりしている。


 リリィは念のため、男たちを蹴ってまわった。

 完全に反撃不能になる程度のダメージを与えていく。


 すぐに止血しなくては命に関わる者には、拘束しがてら傷薬を塗る。教導師の『治癒』とまではいかなくても、出血は止まる。


 いつの間にかルカもやってきており、リリィと同様の作業に当たっていた。

 リリィは緊張で息が苦しくなった。


 ルカの足が止まる。

 胸から上を失った死体を眺めている。


 リリィの背中を、冷たい汗が流れ落ちていく。


 数秒間。


 ルカはすぐに野盗の対応に戻った。

 その顔を盗み見たリリィは、ルカが自分の細工を見抜いることを悟った。




◇◇◇




 ルカはさらわれた女たちを村まで送ったあと、黒馬を駆って、近くの街まで警備隊を呼びにいった。


 その街の警備隊の隊長はルカのことを知っており、賊の元まで案内する道中にさんざん、『勇者アルフレッド』の話をせがまれた。


 その間、リリィはぐったりと弱った野盗たちの見張りをしていた。

 盗賊たちはロープでしっかりと拘束した。


 このやり方もアルが教えてくれた。

 正確にいうなら盗賊団の元副団長エルバスを講師に招き、指導を仰いだのだが。


 先生、本当に色々と教えてくれた。


 リリィは世界からいなくなってしまった師のことを想った。


 戦闘の指導は元より、旅のやり方、依頼主との交渉の仕方、山中での食材の手に入れ方。

 それらに、どれだけ助けられてきたことか。


「先生、どうしよう……」

 リリィはつい、そんなつぶやきを漏らしてしまった。


 ルカは自分がミスをして、一人殺してしまったことを把握している。

 そのことは一切話していないが、あのルカである。射た相手のことはきちんと覚えているだろうし、リリィがしたことの意味も簡単に推察してしまっただろう。


 だからこそ、何も言わないのだ。


 もし自分が殺したのなら、それほどの衝撃は受けなかっただろう、とリリィは思っている。


 まだ、ルカと姉妹のちぎりをする以前、盗賊団の恋人の言うがままに、さんざん悪事を働いてきた。

 だからこそ、分かる。

 人を一方的に害するということは、殺されるだけの理由に足るのだ。


 みんな一生懸命生きている。その生活を、大切なものを壊すことがどれほどの罪悪か。


 世の中には、どうしようもない連中というのがいる。

 人をむさぼり、喰らうだけの者たちが。


 ルカはアルと同じだ。

 人を無条件に信じられる心を持っている。 

 人間であるというだけで、相手を同胞だと受けいれることができる。

 だから、人を殺すことを躊躇する。たとえ、それが自分の役目であっても。誰かを守るためであっても。

 それでも殺してしまえば、心に傷を負う。


 自分は二人とは大きく違う。

 信じることができるのは、本当に特別な相手だけ。それ以外はすべて敵。だから、必要があれば躊躇することはない。


 きっと、アルの妻のティナや、アルの親友のサーベルもそうだったのだろう。

 幼い頃に容赦のない悪意にさらされてきた経験は、同じ人間であるというだけでは仲間意識を持つことを拒む。

 これはきっと覚悟や理解の問題ではなく、善悪の問題ですらない。

 性質の問題だ。

 

「今でも、できれば、殺したくないな。でも、もしそれが必要なら。大切な者を守るために必要なら、できると思う。今ならね」

 アルの声が頭の中で蘇った。


 確か、アルが結婚した後のことだ。

 なんのきっかけだか、リリィはアルと人を殺すことについて話したのだ。

 その時の記憶が、するすると蘇ってきた。


 そうだ。

 自分が対人戦闘の指導を頼んだんだ。

 ルカに手を汚させたくないから、と。


「いいかい、リリィ。俺はこれまで人を殺さないですんできたけど、それは運が良かっただけなんだ。戦える力がある以上、人とやりあう時はくるし、殺さずに勝つというのはかなりの実力差がいるんだよ。だから、ええと、もし君たちが俺の弟子ってことで、俺と同じように人を殺したくない、と思ってるなら、そんなこだわりは捨てていい。もし、殺してしまったときも、俺に申し訳なく思う必要なんて、まったくないよ。俺は人を殺さずに済んで幸運だったと思うけど、そのことについて誇らしくは思ってない。そのことで、君たちが俺を誇りに思う必要はないし、思ってもらっても嬉しくはないかな。だから、俺の弟子だからって理由で、自分の命を危険にさらすようなことはしないでくれ」


 リリィは両手を胸の前で握った。

 師の言葉が、不安に震えていた心を温かく包んでくれた。


 アルフレッドは不思議な師だった。

 少しも偉ぶることがなく、いつも弟子のために一生懸命に考えていた。

 メンツや見栄なんてものを少しも考えず、なにが弟子のために最善か、役に立つのか、そればかり考えてくれた。


 かっこうをつけず、誰に対しても誠実で、思いやりがあった。

 だから、アルの言葉は、心の中に残るのだ。


「もし、その時がきて。ルカや君がとても傷つくようなことがあったら、俺に相談してほしい。俺は、昔、すごく大切な人を助けてやることができなくて。気づいてやることができなくて、失ったことがあったから」


「先生がいなかったら?」


「えっ、そ、そうだな。そういうこともあるよな。そういうときは、バーンに……。いや、逆に言いづらいか。じゃあ、とりあえず、今から言うことを思いだして欲しいんだ。もし、君たちのどちらかが、まあ、ほかの人でもいいんだけど。冒険者として、きついと思った時に。辛いけど、前を向いていこうと思った時に。少しだけ元気になるようにね」


 リリィは空を見上げた。

 涙がこぼれそうになったのだ。


 広々とした青空。

 この空の下のどこにもあの人がいないということが、とても寂しかった。




◇◇◇




 警備隊をともなって戻ってきたルカは元気だった。

 警備隊員たちと楽し気に話をしていて、声も表情も明るい。

 だが、リリィにはそれが振りだとわかった。自分に心配をかけないために、無理をしているのだ。


 警備隊とともに遅めの昼食を取り、彼らについて野盗たちを街まで連行する。

 その途上、野盗たちが最近、カザイン方面からやってきた大盗賊団バーゼルの一部隊だと聞く。


「まあ、要するにならず者の大集団というところですね。構成人員は二百人ほどだとか。こういう風に、部隊を作ってそこらかしこで悪さをしているわけです」

 警備隊員が言った。

「警備隊本部でも、連中に対抗するために大部隊を組織して掃討に当たろう、という話になっていたらしいんですが」


 それもカーニス王の訃報による混乱(領政府、警備隊支部には高価な通信装置が配備されており、すでに訃報を知っている)で、うやむやになってしまいそうだという。


 ルカとリリィは警備隊で報奨金を受け取った後、そのまま早めの夕食を取った。

 昼食が遅かったので、食欲はなかったが、リリィはルカに酒でも飲んで、スッキリとした気分になってもらいたかった。


 警備隊員からお勧めだと紹介された料理屋の隅のテーブル席に二人で座り、ゆっくりと料理を楽しむ。

 落ち着いた雰囲気の店で、料理の味も良かった。


「お酒、飲んだら?」

 リリィは言った。


 ぼんやりとフォークでサラダをつついていたルカが、薄く笑った。

「珍しい。酒を勧めるなんて。いつもは止めるばっかなのに」


 リリィの無言の視線に、ルカが大きな息を吐いた。


「そういう気分じゃない。殺しちゃったのは今更、仕方がないけど、それに慣れたくないんだ」


「あれは、私がやったの。『爆砕突き』で」

 リリィは無駄だと思いつつも言った。


「いいよ。分かってるから。射た時にね、あいつがよろけたのが見えた。これはズレるって思った。本当、全然、完璧なんかじゃないよ、私。ミスばっかり」


「姉さんだって、無理なものは無理。あの時の最優先は、さらわれた人たちの安全。あいつらは身から出たさび


 ルカは首を横に振った。

「それでも、先生なら殺さなかった。一人も殺さないで解決した。そうでしょう? 弟子失格かなあ」


 リリィはダンとテーブルを叩いた。

 大声をあげる。


「先生だって万能じゃない」


 それに、よそのテーブルの客たちの視線が集まったが、リリィは気にしなかった。


「そんなに熱くならなくて大丈夫よ。明日になればちゃんと元気になるから。いつまでも、ウジウジしてたってしょうがないもの」


「姉さん、聞いて。私、先生と人を殺すことについて話したことがあるの。先生は自分が幸運だったって言ってた。殺さなかったことを誇りに思ったことはないって言ってた。私たちが、自分の『殺さずの剣』を誇りに思う必要はないって言ってたよ」


 ルカが目を見開いた。

 彼女にとっては初めて聞く、師の話である。


「私、いつかこんな日がくることが怖くて、先生に相談したの。その時、先生がさっきのこと言ってくれたんだ。先生、こうも言ってた。自分の弟子だからって理由で、それにこだわって命を危険にさらすことはやめてくれって」


 リリィはもう一度、その時の会話を事細かに話していった。

 口下手なリリィだからこそ、正確にアルの言った言葉を思いだして話せた。


 ルカは目を閉じた。

 リリィが言った師の言葉をかみしめる。


 ルカも今まで殺人を犯す可能性を考えなかったわけではない。いつかくるかもしれないとは思っていた。

 なにも人を射たのは今回が初めてではない。もう軽く百人以上は射ている。そのたびに、殺してしまうかも、という恐怖はあった。


 だが、その恐怖に負けて戦わないわけにはいかない。『勇者アルフレッド』の弟子であることがルカにとって、なによりの誇りなのだから。


 殺した相手の顔ははっきりと覚えている。

 若者だった。たぶん自分と同じくらいか、少し年下か。

 捕縛した後の移動を考え、足ではなく腕を潰すことにした。

 戦闘力を奪うもっとも効果的な部分を狙った。

 それが間違いだったとは思わない。


 それでも、人死ひとじにを出してしまった。命を奪ってしまった。

 アルから教わった戦い方で人を殺してしまった。

 ルカにはそれがなによりも辛かった。

 師の剣を汚してしまったような気がして、情けなく感じた。


 だが、アルはまるでそれを見越したような言葉をリリィに残してくれていた。

 人を殺さずに済んだのは、運が良かった、ただそれだけだと。

 君たちがこだわる必要はまったくないと。


 リリィの話は続いた。

 その時がきたら必ず相談して欲しいとアルが言い、リリィがアルがいなかったら? と聞き返す。

 その直後のアルのセリフ。


「それで先生はなんて言ったの?」

 ルカは身を乗り出して聞いた。


 アルが未来の自分たちのために贈ってくれた言葉。

 辛いけど前を向いていこうと思った時に、少しだけ元気が出る言葉。


「冒険者は戦えない人のために代わりに戦うのが仕事なんだ。その傷も、痛みも、戦うことができない人たちのために、代わりに受けたものなんだ。俺は、冒険者であることを誇りに思ってる。君たちが、冒険者であることを誇りに思ってるよ」


 それがつむぎだされたのは真新しい思想や特殊な感性からではない。

 けれど、温かく、気高い言葉だった。


 ルカの心に確かにポッと火が灯った。

 頑張ろう。そんな気持ちになれた。


「父さんも昔そんなこと言ってたよ。私がまだ駆け出しの頃さ、オーク相手にドジって。父さん私をかばって、重傷を負って」

 思いだしてクスリと笑う。

「今あれやったら、父さんヤバいだろうなあ」


「元気でた?」


「うん、出た出た。戦えない人のために、か。やっぱり、かっこいいな、先生って」


「目立たないけど、かなり美形だし」


「そうそう。着やせしてるけど、ものすごく、いい体してるし」


「ときどき可愛い」


「そうなの。可愛いの、なんか」


 二人の笑い声が響いた。




◇◇◇




 翌日、ルカとリリィは街を出た。

 当初の予定を変更して、向う先はクラングランではなく、オルデン王国北方。


 早朝、ルカはリリィに宣言したのだ。


「あいつら全滅させることにした。戦えない人のために戦うのが冒険者なら、私は誰よりも冒険者でありたい。先生が帰ってきたときに、誇りに思ってくれるような生き方をしたい。例え、それで、また人を殺しすことになってもさ」


 リリィは止めなかった。

 ルカの目はらんらんと輝いていて、元気が全身からあふれだしていた。


 黒馬にまたがり、一路北上していくルカとリリィ。


 彼女たちはこの後、『完璧姉妹』の名を不動のものとする大盗賊団の討伐を行うことになる。


 二百人ものならず者たちを、たった二人で、しかもそのすべてを生け捕りにするという痛快な冒険働き。


 さすがは、『勇者アルフレッド』の弟子である、と誰もが彼女たちを称えることになる。

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