82 たった一つの場所
ばりばりばりばりばり……。
なにかが剥がれ落ちていく音が聞こえる。視界いっぱいに雪のようなものが舞い散り、辺り一面に降り積もっていく。
崩壊した怪獣の身体が粉となり宙へ舞っているのだ。
周囲には様子を見守るオークたち。ノインや、トゥエ、エイネリ。そしてミィの姿もある。
どうやら俺は元の世界へと戻ってきたようだ。
ふと、下を見ると……俺の腕の中にはシロがいた。
元の嬰児の大きさに戻っている。
彼女は安らかな顔で眠っていた。
「ユージ!」
ミィが駆け寄ってくる。
「心配かけて悪かったな。
約束通り、戻ったぞ」
「よかったぁ……その子は?」
そう言えば、まだミィは知らなかったな。
「この子はシロ、俺が育てる」
「え? ユージが産んだの?」
「なんでそうなる……」
マジで言ってそうで怖いなこの子。
スケルトンが出産とか前代未聞だぞ。
「ユージ!」
「ユージさまぁ! やりましたですの!」
「無事でありますか⁉」
ノインたちも俺の所へやって来る。
「この通り、なんともないぞ。
怪獣はどうだ?
もう動きそうにないか?」
「見ての通り、完全にぶっ壊れたぞ」
ノインは怪獣の残骸を見やって言う。
怪獣の身体は完全に崩壊。
いくつかの塊に割れていた。
街への侵入は未然に防げた。
あと数メートル進んでいたら外壁に到達していただろう。
塊から剥がれ落ちた物質が雪のように降り積もっている。足で踏みつけると、ざりざりと音を立てた。
……なんだこれ。除去するのに苦労しそうだぞ。
「それにしても、これはなんだろうな?
てっきり消えてなくなると思ったが……」
ノインが足元の残骸を手で掬って言う。
彼の手からさらさらと零れ落ちる結晶が、わずかな月明りを浴びて七色に輝く。
「これは多分、白魔晶ですの」
エイネリが言った。
「白魔晶?」
「ええ、ユージさま。
これは魔力を帯びた希少な鉱石ですの。
武具の合成にこれを使えば、
硬度も鋭さも格段に上がるですの」
「ほぅ……」
良いものが手に入ったな。これで一番いい装備が揃えられるだろう。
つっても、そんなたいそうな物を扱える技師がこの国にいるとは思えないな。他から引っ張って来るしかない。そんなに直ぐ集まるとは思えないが……。
「ノイン、悪いがもう一仕事してくれ。
散らばった破片を集めて魔王城へ運ぶんだ」
「分かった、任せてくれ」
「トゥエ、君は丘へひとっ飛びして、
危機が去ったことを伝えてくれ」
「分かりましたであります!」
「エイネリ、索敵魔法は使えるか?」
「はいですの」
「敵が周囲に残っていないか探索しろ。
まだ勇者がどこかに潜んでいるかもしれん。
護衛にオークを連れて行くのを忘れるな」
「了解ですの!」
ここは皆に任せて俺は魔王城へと帰ろう。
状況が分かり次第、次の指示を出さなければならない。
「ユージ、なにがあったの?」
「それは後でゆっくりと話そう。
時間が取れた時に、ゆっくりと……」
「少しくらい休んだら?」
「いや……」
俺はアンデッドだから休む必要なんてない。疲れることもないし、苦しいとも思わない。戦いの後であっても働ける。
こういう時、この身体になって良かったと思う。
元の身体だったらこうもいかない。
「まだやることが沢山あるからな。
休んでいる暇なんてない。
それに、部下たちが働いているのに、
ボスの俺が休んでどうする」
「そうだけどさぁ……」
「ミケ、君は休息を取った方がいい。
勇者との戦いは疲れただろう」
「そんなことないよ、私は平気」
そうか、平気か。強がっているようには見えない。なら……。
「では、ミケ。君は……」
「私は?」
「俺の傍にいろ」
「わかった!」
元気な声でそう言う彼女は疲れなど全く感じさせない。
「これからどうするの?」
「いったん、魔王城へ行く。
閣下と今後のことを話し合わなければならん」
マリアンヌの仲間が幹部を何人か殺したらしいから、そのことについても把握しておきたい。
魔王は上手くやったのだろうか? ここからでは丘の様子は分からない。後でフェルから様子を聞いておくか。
俺はミィとともに魔王城へと移動。
展望台から街を眺める。
「ユージ、何をしてるの?」
「街の様子でも見ておこうと思ってな」
俺は見張り台から街を見下ろして一望する。
ちょうど朝日が昇り始め夜が明けるところだった。
「綺麗だね……」
隣で兜を脱いだミィが言う。確かに綺麗だ。
街を闊歩する獣人たちが獣臭を振りまき、酒に酔ったオークたちが往来で騒ぎ立て、裏道にはゴブリンがひしめき合う、異形の者たちが暮らす街。
建物は寄せ集めの素材で作った粗末なものばかりで、お世辞なりにも立派だとは言えない。街並みは乱雑で精緻に建物が並んだ人間の街とは大違い。見ていて実にもどかしい。
俺はこの光景を何度も眺めた。仕事の合間に、会議の後に、夜中の散歩の際に、何度も、何度も。
その度に思うのだ。汚い街だと。
そんな街並みが今はとても美しく思える。どうしてこうも感じ方が違うのか。
避難していた住人たちが丘から引き揚げて来た。ぞろぞろと連なる人々が朝日に照らされて影を作る。彼らは自分の家へと帰り、普段通りの生活を営むのだ。
素晴らしいことじゃないか。
「ああ、綺麗だ。この街は美しい。
臭くて、うるさくて、ぐちゃぐちゃで、
救いようがないくらいに混沌としているこの街が、
俺は大好きだ」
「大切な物を守れて良かったね」
「ああ……」
そうだ、俺にとってこの街は大切な場所なのだ。
世界にたった一つだけ存在する、俺の居場所。
だから、俺は戦う。大切なものを守るために。
「閣下がお戻りになるまで、まだ時間がある。
それまで、少しだけお話でもするか」
「うん……。
いっぱい聞いてもらいたいことがあるんだ。
沢山話がしたくて、ずっと我慢してた。
だから最後まで付き合ってね」
「ああ……」
それからミィとお喋りをした。
昨日、彼女はシャミと一緒に仕事をして、働きぶりをとても褒められたそうだ。それが嬉しくて一生懸命に仕事を頑張った。
ベルの言っていたことも、少しずつ理解できるようになった。ただ働くのではなく、相手を思いやることで、仕事の質が上がるような気がした。
他の奴隷たちとも話が出来るようになり、自然と溶け込めるようになった。昼食ではお喋りに参加して、ご飯の時間が楽しいと思えるようになった。
「……上手くやっていけそうだな」
「うん、でも……。
やっぱり居心地は良くないんだよね。
早くユージの部屋へ帰りたい」
「そうか」
俺の部屋へ帰りたいって……寂しくないのか?
「農場で暮らしたいとは思わないのか?」
「ううん、あそこに住もうとは思わない。
けど、たまに行くくらいならいいかな」
「……そうか」
「ユージは私がいたら嫌?」
「いいや、むしろ嬉しい」
「よかった」
ほっと胸をなでおろすミィ。
追い出されると思ったのかな。
「俺の部屋に住んでたら、
自由にできなくて不便だろう。」
「そんなことないよ。
これを着てれば人間だって分からないし」
「獣人は鼻が利くから気をつけろよ。
特に魔王は変なところで感が鋭い。
できるだけ一人で出歩くのは控えろ。
でもまぁ……俺が一緒にいれば別だ。
時間が作れたら外へ連れ出してやる」
「ありがとう、ユージ」
ミィはそう言ってほほ笑む。
朝日を浴びた彼女の笑顔はなによりも美しく思えた。




