69 ノイン
ノイン・エルフェボクゥ。
彼は貧しい農村で生まれ、7人兄弟の末っ子として生を受けた。
ノインが生まれた時には既に2人の兄が死亡しており、彼の成長過程でさらに2人が死亡した。
生き残った三人のうち、一番上の男の兄弟が家を継ぐことになった。残りの兄弟には財産は分け与えられず、彼は追い出される形で家を出る。
行き場のなくなった彼はゲンクリーフンを目指した。ゼノで最も人口の多い町である。そこで一旗揚げて、故郷に錦を飾ろう。最初はそんな風に気楽に構えていた。
しかし、仕事はなかなか見つからない。
街には出稼ぎのオークが大勢いた。仕事にあぶれた獣人も沢山いた。彼らはほとんどが貧しい農村の出で、その日の食い扶持に困るほど飢えていた。
強盗、恐喝、窃盗は日常茶飯事。酷いときは殺しにも手を染める。街にたむろする失業者達は生き残るためになんでもやった。
ノインも路銀が尽きて、生活に困り、犯罪をしようかと迷ったことがある。それでも彼はぎりぎりのところで踏みとどまる。ごみを漁り、残飯で飢えをしのぎ、犯罪に手を染めずに過ごしていた。
しかし、その生活にも限界があった。
人並みにまともな食べ物を食べたい。暖かい布団で眠って雨風防げる場所で過ごしたい。そんな切実な思いが正体不明の焦燥感を募らせる。
このままいけば俺は終わる。ひっそりと野垂れ死ぬのは嫌だ。
嫌だったが、どうしようもなかった。
圧倒的な日常を前にノインは敗北を悟っていた。これを打破するには世の中を変える必要がある。世界をひっくり返すような……。
そんな思いに憑りつかれた彼は黒い兄弟たちと呼ばれるギャングに入り犯罪に手を染める。
……はずだった。
奇妙な男がいた。アンデッドの男だった。
スケルトンの彼は裏路地を一人で歩き回り、ごみを拾い集めていた。面白がってノインは彼に話しかける。
どこから来たのか。何をするためにこの町へ来たのか。
男は答えた。
俺はこれからこの国で出世して、この腐った世界を作り替えると。
面白い奴だと思った。そして、彼について行くことにする。
名前を聞くとユージと答える。変な名前だと思ったが、気には留めない。名前はその人の本質を語らないからだ。
ノインはギャングを辞め、二人で仕事を探し、魔王城で雑用を任されることになった。
主な仕事は荷物運び。重いものを運ぶ仕事なのだが、ユージは非力なので代わりに荷物を運んだ。おかげで仕事の量が二倍になった。
しかし、給料も二倍貰えた。ユージは全ての取り分を譲ってくれたからだ。
感謝はしなかった。働いたのは自分だからだ。
ユージは何度も礼を言うが、彼が自分で働いた試しはなかった。本当にこの男は役に立つのだろうか? 疑問に思って彼を見ていると……面白いことになった。
彼は他のオークにも仕事を頼み始めた。アレをして欲しい、コレをして欲しい。自分で仕事をしないで人に指示を出してばかり。
顎で使われる気がして嫌だったが、彼の指示通りに動いていると、仕事が円滑に進むことに気づく。
ユージはチームを作った。
チームごとに仕事を割り振り、それだけに専念できるようにした。
在庫の管理、整理を行うチーム。
荷物を指定された場所へ運ぶチーム。
買い付け、発注をするチーム。
仕事の調整を担当するチーム。
ユージはチーム分けされたオークたちのトップに立ち、彼らに指示を出して動かしていた。仕事が効率化されたおかげで負担が減り、短い時間で仕事を終えられるようになった。
みんなユージに感謝していた。ノインもそのうちの一人だ。
働きぶりが認められたユージは幹部に出世。さらに別のチームを作る。
街で大工のオークをスカウトし、魔王城の施設管理を任せた。
白兎族には細かい雑務を任せた。
ゴブリンで部隊を組織し、各部署の連絡係に任命した。
そしてノインには、調理係を命じた。
調理係に任命されて、どうして自分がと思った。
しかし、それは……最も望んだ職業でもあった。お腹いっぱいご飯が食べたい。そんな願望を持っていたノインにとって、まさに理想の役割だったのだ。
ユージは調理の基本を教えてくれた。彼の知識は底が見えないほどに豊富で、なんの技術も持たないノインを一人前の料理人に育て上げた。
正直、ユージには感謝しかない。
仕事を得られ、十分な賃金をもらい、心の底から楽しいと思えることを職業とする。こんな幸せが他にあるだろうか?
だから、その恩に報いるべきなのだ。
「ハァ……ハァ……」
目の前にいる男は息を荒げる。
先ほどから何度も切りかかってくるが、一太刀も浴びていない。
「貴殿は……名誉ある戦士だとお見受けする。
名を聞かせてもらおうか?」
目の前の男は名前を尋ねて来た。
「俺の名前はノインだ」
「ノイン殿か……貴殿の腕は間違いなく一級!
今まで戦ってきた相手の中で、一番だ!」
惜しみない言葉でノインを賞賛する戦士。
「そう言うアンタはどこの誰なんだ?」
「我が名はダクト! ダクト・ゴルフィン!
偉大なる父、オーエンの子!
ジェノスの街の戦士である!」
「……そうか」
仰々しい口上に、ノインは全く関心を示さない。
人の本質は言葉では語られない。行動こそが本質を象るのだ。
ユージはその例を示した。
一介の下っ端に過ぎなかった彼が、非力で軟弱で誰にも勝てない彼が、獣人たちに混じって政治に参加している。
彼のお陰で少しずつこの国は変わった。失業者は減り、治安は安定。街は見違えたように明るくなった。彼は何かを変える力を持っている。そう確信させるだけの変化が、実際に目の前で起きたのだ。
自らの栄誉を証明すると言うのなら、口ではなく身体で示すべきだ。
「……行くぞ」
ノインは鉈包丁を大きく振りかぶり、ダクトに向かって振り下ろす。その太刀筋は暗闇に一筋の光を放ち、空間を断絶するかのような衝撃を繰り出す。
「ぐぬっ!」
大剣でその人たちを受け止めたダクトに額に、汗がじんわりとにじむ。
「どうした……ダクト。
力比べでは俺に勝てないか?」
「ぬおおおおおおおおおおっ!」
ダクトは大きく剣を振り払い、ノインと距離を置く。
「ハァ……ハァ……随分と余裕だ。
この俺と戦ってそんな風にいられるなんて、
貴殿は何者なのか?」
「俺は……ただの料理人だよ」
「ククク、これは面白い冗談だ」
「冗談を言ったつもりはないんだけどな……」
改めて鉈包丁を構えるノイン。
目の前にいる敵は強敵だ。だが、それがどうした。
俺は持てる実力の全てを出し尽くせばいい。
ユージがそうしたように。




