60 サナト
私の名前はサナト。
どこにでもいる普通の女の子だ。
両親は馬車で商品を運ぶ旅商人。幼い私は荷馬車に揺られ、街から街へ、国から国へ、あちこちを行き来して暮らしていた。
夜眠る時は必ず母が隣にいて、焚火の番は父が務める。母はとてもやさしく、父は頼りがいがあり、どこへ行くにも不安はなく、私は二人にしっかりと守られていた。
そんなある日、悲劇は突然訪れる。
切り立った崖を進んでいたところ、母が足を踏み外して落ちそうになった。それを父が助けようと手を差し伸べて彼女が手を取った途端、足場が崩れてしまう。
二人は谷底へ真っ逆さま。闇の底へ吸い込まれるように消えて行く。
残された私はどうすることもなく、その場で助けを呼んで二人の無事を神に祈る。果たして差し伸べられたのは、救いの手ではなく心ない略奪者の手だった。
たまたま通りがかった旅人の集団は父と母の持ち物を好き放題に漁り、ほしいままに略奪を行う。彼らの興味は品物だけにとどまらず、私にも向けられた。
鎖で手足を拘束された私は恐怖に打ちひしがれてガタガタと震える他ない。幸いにもまだ幼かったので、彼らの暗い欲望のはけ口にされずに済んだ。のちの運命を考えると、本当に良かったと思う。
私は彼らに連れまわされた挙句、奴隷商に引き渡される。檻の中には幼い子がたくさんいた。皆これから奴隷として売られるのだと言う。
私は自分の運命を呪った。そして神を責めた。どうしてこんなひどい目に合わせるのかと。
父と母は敬虔な信徒だった。食事の前は必ず祈りを捧げ、一日の終わりには今日の無事を神に感謝する。そんな二人がどうしてあんな目にと、神に何度も問いただした。
答えはなしのつぶて。
神は答えない。
私は失望した。
そして、何度も夢見た。
幸せだったあの頃を。
奴隷商人の元で暮らしているうちに、大人になったらどういうことをするのか、なんとなく理解するようになる。
私はあんなこと、したくない。
しかし、女奴隷として生きていくには、男に奉仕するすべを身につけなければならない。大人になれば否応なく身体を求められ、全てを差し出すことになるのだ。
そしてついに初潮を迎えてしまう。
もう残された時間は多くない。
私は脱走を決意した。
見張りの隙を見てカギを奪い、牢から飛び出す。全力で走って逃げたが子供の足では大人にかなわず、あっさりと捕らえられてしまう。こぶしで殴られ、鞭で打たれた。
激痛に耐えながら懇願する。殺して欲しいと。
男は答えた。殺す前に楽しませろと。
これから何をされるのか理解した。嫌だと拒絶するが抵抗できない。両手両足を抑えられ無理やり股を開かされる。
ああ……嫌な人生だったな。
こんな風に終わるのなら、もっと早く死ねば良かった。
どうして神様はこんなに残酷な運命をこの私に課したのだろうか。
呪ってやる。私は神を呪ってやる。
その思いが通じたのかどうか分からないが、ついに待ち望んでいた救いの手が差し伸べられる。
「君たち、小さな女の子に乱暴するのは止めなさい」
空の上から声がした。澄んだ女性の声だった。
それから何が起こったか良く分からないが、男たちはどこかへ消え、私一人が取り残される。
……助かったのだ。
そう理解したとたんにどっと力が抜ける。
地面に座り込んだまま立ち上がれない。
私を助けてくれた女性は大きな箒を片手に持ち、とんがり帽子を被っていた。見たこともない不思議な風貌。
「……あなたは? 誰?」
私はその女性の正体を尋ねる。
彼女は微笑んで言う。
「私の名前はアミナ。通りすがりの魔女なのです」
淡い朱色の髪を三つ編みにした魔女の口元には、
小さなほくろが一つ。
私はアミナに救われた。
私は魔女の国ヴァジュへ連れていかれた。
そこはおとぎ話に出てくるような魔法の国。
街はとても美しく、夜になっても明るいまま。
住んでいるのは魔法使いばかり。
見るものすべてが新鮮で、毎日が驚きの連続だった。
アミナはとてもやさしくしてくれた。
着る服を用意してくれた。食べる物も与えてくれた。専用のベッドを買ってくれて、暖かい布団でぐっすりと眠ることができた。
時々、買い物にも連れて行ってくれた。ヴァジュの商店街はとても楽しくて、商品を眺めているだけで一日を楽しく過ごせる。
私は魔女の国が大好きになった。
そして、魔女にあこがれるようになった。
私も魔女になりたい。
私がそう言うと、アミナは困った顔をする。
魔女になるには邪神と取引しないといけない。
自分が大切にしているものを差し出して、身体を魔女に作り替える必要がある。
大切な物とは何か。
アミナはそれを女の子の幸せだと言った。
大人になったら愛する男性を見つけて、その人と家族になる。
それはとても幸せなことで、私が手に入れられなかったもの。
サナトは人間のまま大きくなって、大切な人のお嫁さんになりなさい。
そうすれば子供が出来てもっと幸せになれる。
アミナは諭すように言った。
しかし、私は諦められなかった。憧れの魔女に一日も早くなりたい。アミナと同じ魔女になれば、彼女と一緒に働ける。そうすればあの煌びやかな世界の一員になれるのだ。
私はあきらめなかった。何度もお願いした。
それでもアミナは応じない。
私を魔女にすることを頑なに認めてくれなかった。
アナタはまだ子供だから、魔女になればいつか必ず後悔する。もう少し身体が大人になるまで待って、気持ちが変わるのを待ちなさい。
そう言われても、私の気持ちは変わらなかった。魔女になりたい想いは日に日に大きくなって行き、ついには爆発することになる。
私はアミナにヒミツで、邪神と契約することにした。
それは役所に届け出を出すような簡単な手続きで、名前を記入した紙に血を垂らして、邪神像に捧げて祈るだけでよかった。
祈りの文言は決まっており、それを邪神像の前で繰り返しつぶやくだけ。
そうするだけで私は魔女になれる。
勿論、そのリスクについても承知していた。魔女になったら最後、人間の雄と交わることはできない。純潔を邪神に捧げ、その妻となることで、魔法を自由に扱えるようになるのだ。
もし契約を反故にすれば、邪神との契約は打ち切られ元の人間に戻ってしまう。再契約はできないので、二度と魔女には戻れない。
契約が打ち切られた場合、魔女だった者は代償を支払う羽目になる。と言っても、与えられたものを返すだけ。
邪神との契約により魔女は永遠の命を得る。
それを手放すだけでいいのだ。
「どうして……」
アミナは魔女になった私を見て心底悲しそうな顔をしていた。
てっきり喜んでくれるかと思っていた私は、裏切られたような気分になった。
魔女になることで支払わなければならない代償。
その大きさに気づいたのは、ずっと後のことだ。




