49 労働の対価
「もう……だめ?」
ベルに匙を投げられてしまった。
何があったと言うのだ。
「え? どういうこと?」
「話すと長くなりますが……」
ベルは今日の出来事について話してくれた。
ミィは業務の全てをマスター。どの仕事も完璧にこなし、十分に働ける。
しかし……重要なものが一つだけかけていた。
それは、人を思いやるこころ。何をすれば相手が喜ぶのか、どうすれば認めてもらえるのか。相手の気持ちを推し量る努力が、ミィには一切見られない。
ベルはミィに仕事をする姿勢について、数時間にわたって教え諭す。できるだけ分かりやすく伝えたつもりだった。しかし……全く聞く耳を持ってくれない。
ミィは仕事を形だけ済ませば良いと思っているらしく、ベルの話を理解するつもりはない。そう思えてしまうような態度だった。
諦めたベルは匙を投げる。
もう教えられることは何もない。教えられるとしたら思いやりについて。それを拒否すると言うのなら、私の役目はここまでです。
ベルはそう言って締めくくる。
「ううむ……」
俺は頭を抱えた。
ミィがつまずいているのは、仕事においてとても難しい部分だ。大人でも理解できない人がいると思う。
仕事ってのは、ただやればいいってもんじゃない。顧客を思いやって、何をすれば満足するのか、相手の気持ちを考えながらやるもんだ。
でもまぁ、貰える給料が同じなら、ただやるだけの方がいいよな。その考えを否定するわけじゃない。
頑張れば頑張るほど給料が上がるんなら、誰だって頑張る。相手の気持ちを考えて、より良いサービスを心掛けるようになる。
でもここで働かされているのは奴隷だ。
頑張ったところで報酬が得られるわけじゃない。
ミィはそう言う前提で考えているから、思いやりの精神が身に着かないのだ。
その気持ちは正直、理解できる。
ベルの言っていることは正論だ。けれども相手を納得させるだけの材料がないのだ。報酬という最も必要な物が欠けている。
ただそれだけのこと。
「そうか……。
一つベルに聞きたいのだが。
君はどうしてそんなに仕事を頑張れるんだ?」
「……え?」
俺が尋ねると、ベルは虚を突かれたように固まる。
「君は奴隷だろう?
頑張ったところで報酬が貰えるわけでもない。
どうして仕事に熱心に取り組める?
俺にはその理由が分からない」
「それは……」
ベルは返答に戸惑っていた。
どう応えればいいのか分からず、まごついている。
「ユージさん、意地悪な質問はダメよぉ。
ベルは頑張り屋さんだから頑張ってるの。
ただそれだけのことなのよ」
マムニールが言った。
本当にそうだろうか? 俺にはとてもそう思えない。
ベルが仕事を頑張るのは、何かしら目的があるからだ。目標もなく仕事を頑張れる者はいない。その熱意を支えるだけの原動力が、彼女の中に存在しているはずなのだ。
「申し訳ありません。
どうしても気になったもので、
出しゃばった真似をしてしまいました」
「いいのよ、ユージさん。気にしないで。
あなたの疑問ももっともねぇ。
なんの報酬もなく一生懸命に仕事を頑張るなんて、
本来なら有り得ない話だわぁ。
でもね、ベルは例外なの」
「例外?」
マムニールは意味ありげに笑う。
「そう、例外。
ベルは飛び切り優秀で、特別な存在なの。
ねぇ、シャミ。アナタもそう思うでしょう?」
「え? 私ですか!?」
急に話を振られたシャミは驚き戸惑う。
「えっと……その……」
気まずそうに横目でベルを見やるシャミ。
本音を言うのをためらっているのかもしれない。
「正直に言って良いわよ。ベルは怒らないから」
「ええっ、でも……」
「主人の命令よ。それでも聞けない?」
「えっ、あっ……はい。わかりました」
シャミは口を何回か開けたり閉じたりしてから、ようやく本音を話し始めた。
「あのっ、私はベルさんのことを知らないので、
ハッキリとは申し上げられないんですけど……。
ベルさんは私たちとはちょっと違うって言うか、
特別な人なんだなって思います……はい」
「ほら、シャミもこう言ってるでしょ?
ベルは奴隷の中でも特別な子なの。
報酬なんて無くても頑張るのよ」
マムニールは自信たっぷりに言う。
特別……ねぇ。俺にはとてもそう思えないんだよな。
ベルって案外普通の子だったりすると思う。甘いものが好きで、尻尾で感情が隠せない、どこにでもいるようなありふれた存在。
俺は彼女を特別だとは思わない。無報酬でも仕事を頑張っているのは、彼女なりの理由があるはずだ。それがなんなのかは分からないが……。
「そうか……君は素晴らしい人だな、ベル」
「お褒めに預かり光栄に存じます」
ベルはスカートの裾をつまんでお辞儀する。
なんで彼女が無報酬で頑張るかは置いておき、ミィの教育が上手くいっていない理由を探ろう。
つってもミィは悪くないと思うんだよなぁ。報酬なしで頑張れって言うのは無理だろう。ホスピタリティなんてのは、報酬ありきで考慮すべき要素だからな。
インセンティブなしで仕事の質を高めろなんて、よほどのバカかサイコパスしか言わん。素直に従うのはゾンビかスケルトンくらい。アンデッドでもなければ誰も耳を傾けない。
ミィにホスピタリティの精神を理解させるには、きちんとした見返りが必要だ。でなければ、彼女の教育は完結しない。
「よし、ミィには直接俺が話そう。
明日の担当はシャミにお願いしたいのだが、
構わないか?」
「え? 私は良いですけど……」
シャミはチラチラとベルを見やる。
「私もそれで構いません」
ベルがそう言うと、シャミはホッとため息をつく。
「はい、これで決まりね。
明日はシャミがミィちゃんの担当。
これからは二人で交代しながら、
彼女を支えてあげてね。
くれぐれもよろしく頼むわよ」
「はい、奥様!」
シャミは元気よく返事をする。
きっとミィの力になってくれるだろう。
「ベル、苦労をかけてすまなかったな」
「こちらこそ、お力になれずに申し訳ありませんでした」
「謝る必要はない。君はよく頑張った」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げるベル。
彼女なりに仕事を教えようと努力したのは分かる。
しかし、その教え方に問題があった。
ベルは普通の女の子。だが、無報酬でも頑張ると言う点では、普通の人とは違う。彼女のように働ける人はごくわずかだ。
頑張るには報酬が必要なのだ。
「二人とも頑張ってくれてありがとう。
明日からもよろしく頼む」
「「はい」」
二人は揃って頭を下げた。
「ふふふ、みんな頑張るわねぇ。
私の可愛い女の子たち。
もっと、もぉっと可愛がってあげるわぁ」
マムニールは満足そうに微笑んで言った。
「ユージぃ!」
俺を見るなり、胸の中で飛び込んでくるミィ。
よほど寂しかったのか、ろっ骨にゴリゴリと顔を押し付けてくる。
痛くないのかね。
「今日も大変だったなぁ。
よく頑張った、偉いぞ」
「うん! 私、頑張ったよ!」
俺が頭を撫でてやると、ミィは嬉しそうに笑う。
本当にかわいいな、この子。もっと甘やかしてやりたい。
「ねぇ、ユージ。お願いがあるんだけど」
「お願い?」
ミィは俺の頭をつかんでじっと覗き込む。
「ここの仕事を覚えたら、私を自由にして」
「え? 自由?」
「一緒にこの国を出よう」
「ええっ……?」