351 復讐の勇者
暗い地下室。
ここは勇者のアジト。
ゼノには複数のアジトが存在している。
古いものもあれば比較的新しいものもある。
武器や防具を保管する倉庫や食料を保存しておく部屋。休養を取るための仮眠室など、様々な設備が整っており、魔王討伐の為の重要な施設となっている。
長い年月をかけて地道に建設されたアジトは勇者にとっての生命線と呼ぶに等しい。
多くの勇者たちがここで英気を養い、再び戦いへと赴いて魔王たちに戦いを挑んでいる。
勇者たちの主な標的はサタニタス。次いで、フラフニート。その次にドンドルズとミライア。ハーデッドはその下で、さらにその下にレオンハルト。ほぼ中立のマチェは討伐対象にはならない。
害悪度が高いほど狙われる確率が高いと言われている。
レオンハルトは討伐目標としては不人気。
人間の領域から比較的近い位置にいるのに、彼が標的にならないのは……ひとえに、割に合わないからだ。
実は魔王たちも送り込まれる勇者への報復として、秘密裏に工作員を人間の領域に差し向けている。
人間界に潜伏した彼らは、有力者たちを狙いゲリラ活動を実施。これに呼応して、盗賊団や蛮族などの集団が悪さを仕出かすことも多い。
近年、一部の勇者たちの調査によって、ある組織の存在が浮き彫りになった。
組織の名を“混沌教団”と呼ぶ。
人間の世界では頻繁に戦争が起こっており、悪辣な傭兵団が戦地で悪さを働くことがある。
背後で金を出して傭兵団を支援しているのが、その組織だったのだ。
戦争が起これば金が動く。
食い扶持に困った傭兵は人の血が流れるたびに腹を満たすことができる。彼らを手懐けるのはそう難しくなく、カオスサイドの言いなりになった傭兵団が無数に組織されていた。
カオスサイド自体は一切手を下さず、人間の領域で戦争が起こったら息のかかった傭兵団を派遣するだけ。
手下の傭兵団は王族、貴族から格安で仕事を受注し戦場に潜り組んで悪さをする。
混乱が起これば組織も動きやすくなり、その地に住む標的を簡単に暗殺できるのだ。
カオスサイドは魔族の領域出身の奴隷で構成されており、ほとんどが人間である。
彼らはヘルドで訓練を受けたエリートで、魔王サタニタスに忠誠を誓っていた。
ヘルド所属のカオスサイドの他にも、フラフニートやミライア、ドンドルズは独自の諜報部隊を組織している。
人間たちはこれらの組織の存在は把握しているが、老獪なる敵の姿をつかめず対応に苦慮している。
それならば本体の魔王を叩いてしまえと、勇者たちは果敢に魔族の領域へと潜入するのである。
レオンハルトが不人気なのは……ゼノにはそう言った諜報組織が存在しないからだ。
彼らは隣国のアルタニルとばかり戦争をしていて、おまけに負けてばかり。危険度は他の魔族の国と比べたら、かなり劣ると言っていい。
それに、レオンハルトは非常に強い。
7大魔王の中でも最強の一角とうたわれるほど高い戦闘能力を誇る。
害悪度が高くない上に、討伐難易度が高いとなると、勇者たちは手を出しにくくなる。
おまけに、ゼノは勇者たちにとって重要拠点なので、下手に荒事を起こせば、今後の活動に支障をきたす。
さらに言えば、ゼノは潜入が容易。
魔法の使い手がほとんどいないので正体がばれにくい。
鼻は利く獣人たちだが、匂いは毛皮と血と糞で簡単に誤魔化せる。
おまけに農業国なので食料が容易に手に入り、物価も人間の領域よりもずっと安い。
そのため、ゼノで仕入れた品を人間界へ持って帰り、転売して生計を立てている者もいるほどである。
かなりの数の勇者がゼノに滞在し続けるので、協会にとっての悩みの種となっていた。
勇者たちにとってゼノは楽園のような場所であり、敵地と呼ぶにしてはあまりに平和すぎる。
誰もレオンハルトを倒そうなんて思ってないし、ゼノを混乱に陥れようなどと企むものは皆無である。
しかし……何事にも例外は存在する。
勇者の中にも、ゼノを憎み、獣人を憎み、レオンハルトを抹殺しようと試みる者がいるのである。
ここにいる彼。
ステファノ・ロッソがそうだ。
白髪頭をオールバックにした初老のその男性。
年季の入ったマントをはおり、その下には丈夫な皮のズボンと黒いジャケットを身に着けている。
いでたちはいかにも冒険者と言ったところ。
あまり勇者らしくはないが、彼もまたれっきとした勇者なのである。
ステファノは眉間にしわを寄せて手に取った書物を眺めている。
本の背表紙をしばらく見つめた後、彼はそれを本棚に戻した。
また別の本を取ると、彼はその装丁を興味深く眺める。
彼は自分が求める情報を、本の内容ではなく、匂いや形、手触りから判断しているのだ。
「違うな……これも」
そう言って本棚に戻す。
かれこれ小一時間ほど同じことを繰り返している。
「まだ調べものを続けるのですか?」
誰かが話しかけて来た。
この声は……。
「マリアンヌ……君か」
「お久しぶりです、お師匠さま」
「この前の戦いぶりは見事だった。
君の名声も一層高まったことだろう。
師として鼻が高いぞ」
二人は古くからの付き合いで、出会ってからかれこれ十年近くになる。
その時、マリアンヌはまだ今のような姿になっていなかった。
髪は金髪だったし、肌の色は白かった。変わり果てたその姿も、もうすっかり見慣れてしまった。
「それで、今日はなんの用だ?」
「先日のお礼をしたくて……。
お師匠様が協力してくれたおかげで、ゼノの幹部を容易に暗殺できました。
ありがとうございました。
本当にありがとうございました」
マリアンヌは深々と頭を下げる。
「相変わらず、重ね言葉が好きなんだな」
「ええ、意識はしていないのですが、
つい口に出てしまって……」
「ふふふ、実にかわいらしい。
どんなに姿が変わったとしても中身はあの時のままだ」
ステファノがそう言うとマリアンヌはクスクスと笑う。
「お世辞はほどほどにしてください。
こう見えても、私も年を取りました」
「ふっ、お互いにな。
私の姿を見てみろ。
こんなによぼよぼになってしまった。
もう魔王と戦うことはできんだろう」
「それでも……まだ諦めていないのでしょう?
ゼノの滅亡とレオンハルトの抹殺を」
「ああ……」
ステファノは顔をこわばらせ両目に憎悪を滾らせる。
「レオンハルトだけじゃない。
ライネットの生き残りのマムニールも、
最大の屈辱を味合わせてから殺すつもりだ。
もうすぐ……もうすぐ私の悲願も達成される。
あと少し、あと少しなんだ」
「そうですね……」
ゼノがアルタニルへ攻め込むまで、あと少し。
彼らが侵略に夢中になっている間に、この国を再起不能な状態へ陥れる。
そして……にっくきレオンハルトの首を取り、獣人共から居場所を奪ってやるのだ。
「うまく行くと良いですね……お師匠様」
「ああ、絶対に成功させる。
この額の傷の痛み、忘れたとは言わせんぞ。
レオンハルト!」
ステファノは額に手を当てる。
深々と刻み付けられた一筋の古い爪痕。
その痛みが今も彼を苛んでいる。




