321 フェルの恋は実らない29
「風よ、風よ、集えよここに。
刃となりて我が命に応えたまえ。
かのものを切り裂き、滅し、
崩れたかけらを土くれへ。
流れた血潮を泥へと還せ」
詠唱をしながらカインは走り出す。
その姿はまるで風のようだった。
彼は全力で丘を駆け下り、人間たちに近づいて行く。
敵は長老たちを捕らえるのに夢中でカインに気づいていない。
(カイン……何をするつもりなんだろう?)
フェルは態勢を変えず、地面に這いつくばったまま状況を見守る。
ここで自分が動いてもいいことは無いと判断。
隠れてやり過ごすのが得策だと考えた。
カインは最初から戦闘に参加するつもりだったのだろう。
だが……彼は戦っても勝ち目はないとも言っていた。
では、何をするつもりなのか?
それにずっと状況を見守っていたのも変だ。
どうしてこのタイミングなのか。
フェルはあれこれと考える。
そして一つの答えにたどり着いた。
カインは生きた人間が現れるのを待っていたのではないか?
彼は最初から長老たちが死体と戦わされていると気づいていた。
戦いに決着がついたら、生きた人間たちが現れることも予測していたのだろう。
だからこのタイミングで打って出た。
だけど目的が分からない。
人間が現れるのを待っていた彼は、何をしようとしているのか。
魔法の詠唱をしながら人間のいる場所へ近づいて行く。
この後、何が起こるのか簡単に予想できる。
でも……本当になんで?
どうして?
なんのために?
「なんだコイツ⁉ どこに隠れていた⁉」
ようやく人間たちがカインの存在に気付いた。
カインはすでに敵のすぐそばまで近づいていた。
人間たちは慌てて武器を手に取るが、すでに手遅れ。
カインは呪文をほぼ唱え終えている。
「風よ、風よ!
全てを土に! 全てを泥に!
やがて生命が息吹く大地へ返せ!
エアブラスト!」
詠唱を終えたカインは両手を前に突き出す。
すると手の先に空間のゆがみが発生。
かと思うと、彼の目の前にいた数人分の身体が吹っ飛び、粉みじんになって地面に散らばる。
人間たちの肉体はロウソクの火を吹き消すように消滅してしまった。
その残骸があたり一面に散らばり、青々とした草を真っ赤に染め上げている。まるで絨毯のようだと思ってしまった。
あまりに突然のことで理解が追い付かない。
それは人間たちも同じだったようで、魔法の範囲外にいて生き残った数名は仲間の死を認識できず、ただ茫然とその場に立ち尽くしている。
「ひいいいい! 逃げろぉ!」
「逃がすかよぉ!」
生き残った数人が長老たちを放り出して逃走を開始。
カインはまた別の魔法を使って、一人ずつ攻撃していく。
次に発動したのは以前に木を切り倒した風の魔法。
一番遠くへ逃げた人間の胴体が真っ二つになったかと思うと、しりもちをついて逃げ遅れていた男の首が吹き飛ぶ。
一回ずつ詠唱を行わないといけないので、逃げる敵を全ては仕留められず、数名を取り逃がしてしまう。
死霊術によって操られている鎧姿の者たちはカインに反応しなかった。
どうやら単純な命令でしか動かないようで、長老たちの拘束を優先して後から現れたカインには見向きもしない。
「カイン! やったね!」
ここまで状況を見守り続けていたフェルだったが、カインの勝利を見届けて思わず立ち上がり大声で叫んだ。
やっぱり彼はヒーローだ。
白兎族が人間に勝利できると目の前で証明してくれた。
これで里も救われるだろう。
――と思ったその矢先。
カインは長老たちを助けるでもなく、くるりと向き直って走り出し、丘を全力で駆け上って来たのだ。
「……え? カイン?」
急に走り出したカインを見て、フェルは何が何だか分からなくなる。
どうして長老を助けないのか?
なんで勝利を喜ばないのか?
これではまるで……逃げているみたいじゃないか。
カインはフェルの所まで駆け寄ってくると、手を取ってそのまま別の方向へと走り出す。
いきなり手を引っ張られたフェルは何が何だが分からないまま、カインが進む方向へついて行くしかなかった。
「痛い! 痛いよ! 放して!」
「早く! 走れ! 敵来るぞ!」
敵?
それならさっき――
ひゅん!
走る二人の頭上を何かが通り過ぎていく。
少し前の地面にストンと突き刺さったそれは、細長い棒きれ。
先端にはなにか……羽根のようなものがついている。
「え? 何これ⁉」
「矢だよ! 矢!」
「え? 矢⁉」
「人間が怒って攻撃してきたんだ!
俺が奴らを殺したのを誰かが見てたんだろ!」
走りながら叫ぶカイン。
彼は振り返らずにただただ真っすぐに前だけを向いている。
どうしてカインは人間を殺してすぐに逃げ出したのか。
なんで反撃が来ることを分かっていたのか。
フェルには分からないことばかりだった。




