32 勇者たちの思惑
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地下深く掘られた穴。その奥に存在する小さな部屋。
テーブルに置かれたランプが室内を照らしている。
その部屋へ一人の少女が入ってきた。
「遅かったな」
マティスが言う。
ふてぶてしい面構えで挑むように相手を眺め、粗末なソファに寝そべっている。
「遅かったな……じゃないっ!」
少女は怒鳴り声を上げた。
褐色肌に銀髪をハーフアップにしたその少女は、白で統一された鎧を上半身に着ている。その下には青いラインの入った白いレオタード。髪には黄色い花の髪飾り。
彼女の胸元には赤い宝石が埋め込まれている。
鎧にではなく、直接肉体に付属しているのだ。
「アンタがしくじったから、
こんな大変なことになってるんでしょ⁉
全然、反省してないじゃない!
反省してないじゃない!」
「うるせーな。
俺だって負けたくて負けたわけじゃねーよ。
汚ねぇ手を使われてはめられたんだ。
そんなに怒ることねーだろ」
マティスはそう言って林檎を齧る。むしゃむしゃと不味そうに咀嚼する彼からは自責の念が一切感じられない。
「はぁ……馬鹿じゃないの?
バカじゃないの?」
少女はわざとらしくため息をついた後、二回続けて同じことを言った。
「そうがなるなって。勇者マリアンヌさんよ」
「大声を出したくなるわよ!
本当にアンタ正気なの?!
アレを奪われて平然としていられるなんて、
本当に正気なの?」
「大丈夫だって、なんとかなる。
直ぐにでも取り返してくるさ」
「途中で活性化しないと良いけどね」
マリアンヌがきつく睨みつけると、マティスは面倒くさそうな表情で肩をすくめた。
「その時は、その時だ。なんとかなる」
「ならないわよ! 本当に!
バカじゃないの⁉ 本当に馬鹿じゃないの⁉」
「バカじゃねーよ、俺はマティスだ」
「そういうことを言っているんじゃない!」
マリアンヌの語気は次第に熱くなっていく。
そろそろ冷静になってもらわないと困る。そう思ったマティスは身体を起こし、ソファに腰かけて林檎をテーブルの上に置いた。
「まぁ……座れって」
「ふんっ!」
ドンと椅子に腰かけるマリアンヌ。
彼女は足を組み、向かいにいるマティスを睨みつける。
「それで……なんで負けたの?」
「それは言えねぇ」
「なんで? ねぇ、なんで?」
「言えねぇものは、言えねぇ。
俺の沽券にかかわる問題だから、
絶対に言えねぇ」
頑なに口を閉ざすマティスを前に、マリアンヌは口元をヒクヒクとさせて眉を寄せる。
いけない、いけない。
冷静にならないと。
そう思った彼女は深く息を吐いて、冷静さを取り戻すよう努めた。
「じゃぁ……誰に負けたの? それも言えない?」
「例の骨にやられた」
「あの骨に?」
骨。
それだけで誰を指すのかが分かるくらいに、レオンハルト軍の幹部であるユージの存在は勇者たちの間で知れ渡っていた。
「ああ、間違いねぇ。
あいつ、俺をクソ勇者だって言いやがった。
絶対に許せねぇ」
「クソ勇者……ね。
いつもクソクソ言っているアンタには、
ぴったりの通り名じゃない」
「あ゛っ⁉」
途端に機嫌を悪くするマティス。
クソという単語に敏感になっている。
「そう怒らないの。クソ勇者さん」
「ちっ……嫌な女だ。
それで、他の勇者の連中は?」
「みんなアンタの顔なんて見たくないって。
計画をおじゃんにされたんだから、当然よね」
「ちっ! あのクソ野郎どもが……」
苛立ちを覚えたマティスは貧乏ゆすりを始める。
「その足、お行儀悪いわよ」
「うるせぇな……」
「ねぇ、どうしてあの骨はアジトに現れたの?」
「骨だけじゃねぇ、レオンハルトも一緒だった。
それに正体不明の黒騎士の野郎もな」
「魔王も? それに黒騎士?」
首をかしげるマリアンヌ。
マティスは経緯をざっくりと話す。
「突然、現れたのね……
いったいどんな魔法を使ったのかしら」
「これは俺の予想だが、
偶然だったんじゃねぇかと思う。
レオンハルトはなんで自分がここにいるのか、
理解していないみたいだった。
多分だが、転移魔法を使って失敗して、
たまたま飛ばされてきたんじゃねぇのか?」
「そんなことって……ある?」
「ありえねぇような気もするが、
それしか考えられねぇ」
それを聞いて、マリアンヌはため息をついた。
「もしその予想が当たっているのなら、
アナタは悪くないわね。
むしろよくやったと思うわ。
あのレオンハルトを相手に」
「強かったのはレオンハルトだけじゃねぇ。
黒騎士も同じくらい……いや、それ以上に手強かった」
「レオンハルトと同等か、それ以上の敵?
それが本当なら厄介ね。
7大魔王で屈指の強さを誇るレオンハルトと、
同じくらいの強さの敵が現れたってことになるわ」
マティスは黙って頷いた。
「厄介ね、本当に厄介ね。
これは問題だわ。由々しき問題だわ。
サタニタス討伐どころじゃないじゃない」
「まぁ、そう焦るなって。
お前たちの計画はそのまま進めろよ。
俺はゼノに残ってあの黒騎士の正体を確かめる。
それと……レオンハルトが匂う。
あいつら何か企んでやがる気がする」
「企んでるって……戦争でもするつもりなのかしら?」
「ああ、多分だが、それだ」
戦争。
その単語を聞いた途端。マリアンヌの背筋に冷たいものが走る。
「本当に……? 本当に戦争を?」
「確かじゃねーが、マジなんじゃねぇかと思う」
「そうなったら問題ね。激しく問題ね。
ゼノとアルタニルが戦争になったら、
他の国も動くわ。
そうなったら……」
「バランスが崩れるな。人間界の」
マティスもマリアンヌも、アルタニルの直接的な被害は心配していない。
戦争によって引き起こされる影響を憂いているのだ。
「戦争を止めるには?」
「多分、無理じゃねーかな。
そこらじゅうで開戦の気運が高まってる。
獣人共も血に飢えて仕方がねぇ」
「ゼノが危なくなったら他の魔族の国も動くでしょうね」
「ああ、サタニタスの奴も軍を動かすはずだ。
大規模な戦争になることは間違いねぇ」
「はぁ……忙しくなりそうね。
とっても忙しくなりそう」
げんなりとうなだれるマリアンヌ。
マティスはそれをぼんやりと眺めて、先ほど齧っていたリンゴを手に取る。
「大丈夫だ、なんとかなる」
「アナタのその能天気なところ、
たまに羨ましくなるわ。
羨ましくてたまらなくなる。
どうしたらそんな風になれるの?」
「さぁな……自分でもよく分かんねぇ。
不安や恐怖をかなぐり捨てて、
勝つことだけを考えればいいんじゃねーのか?」
「自分が負けるなんて思わないもんね、アナタ」
そう、マティスはいつだって勝つつもりでいる。
それはどんな窮地に立たされた時でも同じだ。
「これからどうするつもりなの?」
「とりあえず、アレを取り戻す算段を付ける。
だが……もしかしたら放っておいてもいいかもな」
「え? なんで?」
「あれが領内で暴れれば、
レオンハルトも戦争どころじゃなくなるだろ。
本来ならサタニタス討伐に使う切り札だったが……。
戦争を回避できるのなら安いもんじゃねぇか」
「それも……そうね」
マティスはリンゴを齧る。
赤くよく熟れたそれは、酸味と甘みを十分に孕んだ甘美な味わいだった。
「ふふっ、アナタって結構、考えるタイプだったのね」
「うふへぇ、おへはおへだ」
「食べ物を口に入れたまま喋らないの。下品よ」
マリアンヌはそう言ってクスリと笑った。