296 フェルの恋は実らない4
フェルは市場で買い物を済ませる。
今まで実家暮らしをしながら地道に貯金していたので、必要なものを全て買い揃えることができた。
白兎族は地下に小さな経済圏を作る。
農夫、職人、商売人など。
様々な職業を営んで里を支え、お互いに助け合いながら暮らしている。
怠け者や仕事をしない者はほとんどいない。
呑気に暮らしているように見える彼らだが、その実情は思いのほかシビア。
労働力にならないと見なされると即座に追放処分となる。集団で移住を行う際は、必要な人材かどうかふるいにかけられ、落伍者や怠け者は置き去りにされる。
その過酷な実情を知る者は少ない。
白兎族は秘密主義で、群れの中で起こったことを滅多に話さないからだ。
非常に内向的な民族ある彼らは、自分たちだけで経済圏を形成する必要がある。
白兎族の者たちが役割を分担して助け合うのもそれが理由。
フェルは幼いころから家具職人である両親の手伝いをして、小遣いを稼いでいた。自分が作った家具を市場へ運んで売ったりもした。
白兎族の作る製品は自分たちの身体に合わせて作るのでとても小さい。
そのため、人間からは子供用の家具や衣類として人気がある。人間の街へ行けば高値で売れると聞いたことがあるが、試したことは一度もない。
「へぇ……新しい家をねぇ」
顔見知りの職人がフェルの独り立ちをしって、感慨深げに頷く。
彼は子供の頃からの知り合いで市場では何度も世話になった。
「うん。お母さんが妊娠しちゃってさ。
下の子が不安定になるからって。
ほら……成人すると匂いがさ……」
「ああ、確かにいい匂いだね。
ちょっと興奮しちゃうよ」
「だめだよ……ツガイがいるでしょ?」
「へへ、そうだね。うん。でもさ……」
彼はフェルをなまめかしい目つきで眺める。
やはり身体から他の者を興奮させる匂いが出ているようだ。
ちょっと気を付けないといけない。
成人したばかりの白兎族の匂いは同族を興奮させる。
いち早くツガイとなる相手を見つけて、新しい命を授かるためだ。
白兎族は一人一人がとてもか弱く、過酷な生存競争の過程で多くの者が命を落とす。
そんな彼らが生き残るための生存戦略として編み出したのは、とにかく数を増やすこと。数を増やして、個体数を維持しようと努めるのだ。
成人した白兎族はすぐにツガイを見つけて、子どもを作るよう迫られる。
そうしないと里から追い出されてしまうからだ。
独り立ちしたフェルはツガイを見つけて、妻になるのか、夫になるのかを決めなければならない。自分の役割を妻と夫のどちらにするのか、悩ましい問題ではある。
だがそれ以前に、ツガイが見つかるかどうか。
ふと時間が空いている時にカインのことを思い出しては、物思いにふけってしまう。
こんな状態で他の誰かとツガイになるなんて考えられない。
「でもさぁ……たまにはちょっと遊びたいよね。
フェルもそういう気分になったりしない?」
「しないよ、全然。まったく思わない」
きっぱりと“遊び”のお誘いを断るフェル。
白兎族の倫理観は、人間のそれとは少し違う。
不倫に寛容なのだ。
人間は夫婦になると他の異性と関係を持たない。
もちろんそれは建前であるが、社会のルールとしては許されないこととして定められている。
白兎族にそのような価値観はない。
同意さえあれば別によかろう、くらいに思っている者がほとんどだ。
何故なら個体数の維持こそが群れにとっての最重要課題であり、ツガイ同士の関係にはあまりこだわらないのだ。
にもかかわらず、どうしてツガイなど作るのか。
フェルはずっと疑問だったのだが、結局は家族を守るためという結論に達した。
白兎族は家族同の結びつきが非常に強く、子育てには力を入れる。
幼い子供を何人も育てるには、やはりツガイ同士で協力する必要があるのだ。
「ちぇー。つれないなぁ。
ちょっとくらい遊んだっていいじゃんか」
「嫌だよ……ツガイもまだ見つかってないのに」
「ツガイが見つかったら遊んじゃう?」
「遊びません」
しつこく誘われ、だんだん嫌気がさしてきた。
フェルは挨拶をして早々に立ち去る。
以前はそんなことを言う人ではなかったのだけれど、成人した途端に態度を変えて来た。
すんすん。
自分の身体の匂いを嗅ぐフェル。
脇や腕から特別強い匂いは感じない。
自分自身の匂いは分からないと言うけれど……どうなんだろうか?
フェルは目に見えない身体から放たれる匂いに戸惑いを覚える。
そんなにいい匂いがするのかな?




