292 ベルは今日も忙しい24
「それは――」
なぜ、マムニールはベルが嫌われていると教えてくれなかったのか。
その理由について尋ねると、逆に問い返された。
ベルは自分で答えを出さなければならない。
「それは――私が事実を受け止めきれないと思ったから。
マムニール様は私が壊れてしまうと心配したから、
皆から嫌われていると言えなかったのではないでしょうか?」
「その通りよ。
ようやく気付いてくれたのね」
マムニールはソーサーとカップをテーブルの上に置く。
立ち上る湯気が日の光の中で軽やかに踊っていた。
「アナタは自分で思っている以上に儚い存在なの。
心は決して強くなく、簡単に壊れてしまう。
まるで観賞用の花のよう。
とてもきれいで美しいけど、あっさりと散ってしまう」
ベルの心を花にたとえるマムニール。
「そのように私のことを思っていたのですね」
「ええ……そうよ。
アナタはとても繊細で優しい子。
だけど自分がどんなに傷ついても我慢してしまう。
そんな子に皆から嫌われてるよ、なんて。
言えるはずがないわよね」
意外だった。
マムニールの前で弱音を吐いたことは一度も無い。
弱みを見せたつもりもない。
いつだって完璧なメイドを演じて来たはずだ。
それなのにどうして……どうして見抜かれてしまったのか。
「それにね。
アナタは自分の力を過信していた。
一人で全てを統括できると思い込んでいたはずよ。
どだい無理な話なのにね」
マムニールの言葉はベルの胸を貫く。
奴隷たちをまとめていたのは私。
農場の仕事も、メイドの仕事も。
私がいなければ回らない。
私の代わりなんていない。私がいなければ仕事は回らない。奴隷たちをまとめられるのは私一人。他の誰にも務まらない私だけの仕事。
ベルはそう思っていたが……違った。
ベルがいなくても仕事は回る。
シャミがそれを証明してしまった。
「あと、アナタが人の為と思ってやってきたこと。
実は全部自分の為だったって、気づいている?」
一生けん命働くのは、みんなのため。この農場のため。マムニールさまのため。
そんな風に思っていたのかもしれない。
事実、仕事の指示を出す時には必ず「マムニールさまのため」とか「みんなのため」とか口にしていた。
しかし……実際は違う。
全ては自分の為だった。
地位に固執して役割を他人に譲らなかったのも、一人で仕事を抱え込んでいたのも、儚い存在である自分自身を強く見せて身を守るため。
誰かの為という言葉を盾に、異論や反論を全て押しのけていた。
「それは……その……」
「無理に答えなくていいの。
でも、時間をかけてゆっくりと受け止めて。
アナタが嫌いだから言っているわけじゃないの。
むしろ大好きだから思い切って伝えたのよ。
どうか私の気持ちを汲んで頂戴」
「はい……分かり……ました」
「もう下がって結構よ」
「……はい」
打ちのめされたベルはうなだれたまま部屋を出る。
まさかマムニールからそんな風に思われていたなんて。
ショックを隠し切れない。
もしこんな姿を誰かに見られたりしたら……。
「ベルっ!」
「ねぇ、大丈夫?
なにがあったの?」
「え?」
部屋を出ると、ミィとシャミの二人が駆け寄って来た。
落ち込んでいるベルを二人は心配そうに見つめる。
「もしかして怒られたの?
何か言われた?
怖かった?」
顔をすれすれまで近づけて尋ねてくるミィ。
興奮気味の彼女の息が頬にかかる。
「二人ともありがとう。
多分だけど……大丈夫だと思う」
「何があったのか聞くよ。
仲間なんだから遠慮しないで。
ほらほら」
別にそこまで思い詰めていないので大丈夫だと断ろうとしたが、シャミがあまりに強引なので話すことにした。
ついでに言うと、ミィが潤んだ瞳で見てくるので抵抗できない。
彼女の目力は思いのほか強力だったりする。
「実は……」
ベルはマムニールにされた話を二人に伝える。
正直、ちょっと伝えるのが怖かった。
でも……二人なら話してもいいかなと思えた。
きっと受け止めてくれるから。
そう信じているから。
仲間だと言ってくれたから。
「そっかぁ……でもよかったじゃん。
ちゃんと受け止められたんでしょ?
多少は落ち込んだとしても、今は平気なんじゃない?」
「うん、そうかもしれないわ」
シャミの言う通り。
ちゃんと受け止められたと思う。
マムニールがこのタイミングでベルに伝えたのは、きっと二人が支えてくれると信じていたからだろう。
「ベル……平気? 辛くない?
私にできることがあったら、なんでも言ってね?」
小動物のように潤んだ瞳でベルを見つめるミィ。
相変わらずカワイイ。
理性が飛びそう。
「大丈夫よ、ミィ。
アナタがくれたこのアイテムがあるから。
どんな辛いことがあっても乗り切れるわ」
ミィがプレゼントしてくれたバンド。
ベルにとっては魔法のアイテムだ。
「そっか……よかった」
「心配して損したよー!
なんか絶望! みたいな感じだったからさぁ。
もうダメになっちゃったのかと」
ホッと胸を撫でおろすミィ。
ケラケラと笑うシャミ。
二人の存在はベルにとってあまりに大きい。
「ねぇーーー! ベルぅ! どこにいるの⁉
トラブルなんだけどー! タスケテ―!」
どこかで誰かがベルを呼ぶ声が聞こえる。
なにか事件が起こったらしい。
「ほら、嫌われてるとかなんとか言っても。
みんなベルを頼るんだよ。
やっぱり必要にされてるんじゃない?」
笑顔でシャミが言う。
「やっぱりベルってすごいよね!
いなくなったら困っちゃうよ。
だからもっと自信もって!」
なぜか必死そうなミィ。
いなくなったら彼女は本気で困るのだろう。
「そうね……落ち込んでる暇なんてないみたい。
これからも頑張るから、二人ともよろしくね」
「うん!」「おー!」
二人に励まされ、すぐに気持ちを持ち直せた。
この調子なら今日もいつものように働けるだろう。
一人で頑張るのは辛いし怖い。
でも、誰かが傍に寄り添ってくれるだけで辛くなくなる。
友達がいれば、仲間がいれば、どんなに怖くても立ち向かっていける。
まるで心が燃えているよう。
一人ではないと確信した彼女は、意気揚々と助けを求める仲間の元へ向かう。
どんなトラブルでも解決してみせよう。
だって私はメイド長なのだから。
大勢の奴隷たちが働くマムニールの農場。
トラブル続きで仕事は大変。
でも辛いことばかりじゃない。
助け合う仲間がここにいる。
仲間が救いを求めるのなら、私が行って助けてあげる。
支え合う仲間が多ければ多いほど、仕事は増えるのだ。
ベルは今日も忙しい。




