287 ベルは今日も忙しい19
店の前には数人のゴブリンが待機しており、隊長格の一人だけが狼に乗っていた。
「お疲れ様です、ベル殿」
狼に乗ったゴブリンが声をかけて来た。
彼は確か――
「ユージさまの部下の……」
「ええ、アナロワです。
覚えていてくださったのですね」
名前は忘れていたけど、確かに会議の時にいたなと記憶していた。
人違いでなくて良かった。
「すみません、お仕事中なのに」
「いえいえ、お気になさらず。
これも仕事の内なので。
それではついて来て下さい」
アナロワはゆっくりと進みだす。
彼の部下は引き続き街の警備を行いようで、別の方向へ歩いて行った。
ベルはアナロワの後に続いて誰もいない街を歩いて行く。
住民たちはすっかり寝静まって、ひっそりと静まり返る街並み。話し声も、足音も、馬車が進む音も何も聞こえない。
沈黙に満ちた月明りだけが頼りの暗闇の空間。
こんな時間に街をあるくなんて、今までにしたことがない経験。
非日常的な深夜独特の空気を噛み締めるように味わう。
大勢の人が住んでいるこの街で、自分立ちだけが眠らずに歩いているなんて。
ちょっと不思議な感覚だ。
「ベル殿はどうしてこの時間までイミテ殿のお店に?」
前を歩くアナロワが尋ねてきた。
詮索されているのかと一瞬身構えたが、特に深い意味合いは無いと判断。
これはただの雑談の為の話題に過ぎない。
「これを取りに行くように言われまして」
ベルは受け取った小箱を少しだけ掲げてみせる。
アナロワはそれを一瞥だけして、前を向いた。
「こんな遅い時間まで……ご苦労様です」
「いえ、これも仕事ですから」
「はは、我々と同じですね」
我々と同じ。
ちょっとした一言だが、仲間として見てもらえるようで嬉しかった。
「同じ……ですか?」
「ええ、仕事を頑張っているという意味で。
我々は同じですよね。
仕事を通じてこの国を良い方へ導いていきましょう」
「そうですね。私たちは共に働く仲間……あっ、でも」
「どうかされましたか?」
「いえ……」
ゴブリンの彼は、人間の血を引くハーフの者たちをどう思っているのだろうか?
仲間と言ってしまったけど、不愉快に思われなかっただろうか?
少し不安になる。
「その……仲間として認めてもらえるのかな、と」
「アナタたち、人間の血を引く者たちをですか?」
「……そうです。
アナロワさんは私たちを仲間として認めてくれますか?」
問いかけた後、重苦しい空気が漂う。
いったいどんな返事が返って来るか分からない。
不安になりながら歩いて行く。
アナロワはなかなか返事をしない。
どうやら返答に難儀しているらしい。
そうこうしているうちに大通りへ出る。
さすがにひと気が全くないわけではなく、ちらほらと歩いている者の姿が見える。
それでも昼間と比べると全然少ないが。
酔っぱらって地べたで寝転んでいる獣人の横を恐る恐る通り抜け、町の出口へと向かう二人。
アナロワは無言を貫く。彼が何も言わないので、自然と緊張感が増していく。
微妙な空気のまま歩き続け、ついには街の外へ出る門の前まで来てしまった。
オークの衛兵たちに軽く挨拶をして門をくぐると匂いが一変。
外はケモノ臭かった街の中とは違い、随分と匂いの濃度が薄い。
風によってはこばれてくる土と草の爽やかな香り。
ひと息吸うだけで心が落ち着く。
やはり街よりも農場の方が性に合っている。
匂いが変わったことで、ベルは自分の居場所がどこにあるのか、はっきりと理解した。
私にはあの農場がふさわしい。
「実はね、人間はあまり好きじゃないんですよ」
ずっと黙っていたアナロワが、唐突にぽつりとつぶやく。
ベルは黙って彼の次の言葉を待った。
「好きか嫌いかで問われたら、嫌いと答えてしまいます。
けれどね……それは自分が人間を知らないからで、
もしかしたら好きになれるかもしれないとも、
思っていたりもするんですよ」
「…………」
「自分は幼いころからユージさまの教育を受けたので、
人間に対する嫌悪感は少ない方だと思います。
それでも……親の話を聞くと。
どうしても人間を好きになれないと言うか」
「それなのにユージさまの部下に?」
「ユージさまはあんな見た目ですからね。
彼が人間だとは気づかなかったんですよ。
出会った頃は自分も幼かったですし。
ですが……彼が元は人間だと気づいて、
すこし複雑な気持ちになりました。
でも……」
「でも?」
「彼は我々のために力を尽くしてくれました。
私財をなげうって、多くの物を与えてくれました。
だから……元は人間だとしても関係ありません。
我々は彼の味方です」
「…………」
「種族の違いなど些細な問題に過ぎないのです。
共に同じ未来を夢見ているのであれば、
人間の血など何の問題になりましょう。
だから――」
アナロワは狼を立ち止まらせ、ベルの方を見る。
彼の赤い瞳が月明りの中で輝いていた。
「だからベル殿。
今度はこちらがお尋ねする番です。
アナタが思い描く未来とは?」
射貫くような彼の視線に胸を貫かれる。
心してこの問いに答えなければならない。




