285 ベルは今日も忙しい17
「あ~! もう食べられません!
お腹がいっぱいですぅ!」
ぽんぽんとお腹を叩きながら満足そうに言うムゥリエンナ。
心なしか少しだけ膨れて見えるような気がする。
イミテはクッキーの他にも、塩気のあるお菓子や、カップケーキを用意してくれた。
次から次へお菓子が出てくるので、まるで魔法みたいだなぁと、子供じみた感想を抱くベル。
シャミがイミテの店を気にいった理由も分かる。
「満足した~?」
「はい! もう一生分のお菓子を食べた気がします!」
「一生分は大げさだなぁ。
でも、気に入ってもらえたようでうれしいよー。
よかったらまた遊びにきてね」
「はい! もう毎日来ちゃいます!」
「いや……毎日はちょっとこまるかな。
あははは……」
苦笑いするイミテ。
ムゥリエンナは本当に毎日来そうだ。
冗談が通じなさそう。
「あっ、ちゃんと冗談だって分かってますよ。
月に一回くらいにしておきますから」
「いや、それはそれで少ないでしょ。
もっと来て欲しいよー」
「えへへ、それならお言葉に甘えて。
近いうちにまたお邪魔しますね!
もちろん、ベルさんも一緒に!」
「……え?」
急に自分の名前が出たので戸惑うベル。
「え? って、嫌なんですか?
私と一緒だと?」
「私のお店には来たくないのー?」
二人とも悲しそうな顔をする。
胸の奥がズキズキ痛む。
慌ててベルは手を振って否定した。
「いえいえいえ、違うんです。
お二人とご一緒するのはとても楽しくて。
でも……仕事が忙しいから。
次にいつ来られるのも分からなくて……」
そんなことを言っていると、とても惨めな気持ちになる。
所詮、私は奴隷なのだ。
自由な時間なんて許されない。
ムゥリエンナのように自分の意思で市場へ行って、好きな物を眺めて、友達とおしゃべりをしながらお茶を楽しむなんて。
奴隷であるベルにとっては夢のような話である。
彼女のように自由であったのなら、自分の意思で街を歩くことが許されたのなら、喜んで時間を割いただろう。
どんな無理をしたって、いくらでも。
時間を自由に使うことが許されていない以上。
約束はできかねる。
またここへ来て一緒の時間を楽しめる保証などどこにもない。
「だから……お約束は難しいかなと。
ごめんなさ……ほんとうに……」
気まずさを覚えながら誘いを断る。
本当だったら、また三人でお喋りをしたかった。
ムゥリエンナと市場へ行って買い物の時間を楽しみたい。
イミテのお店でお菓子を食べながら笑い合いたい。
ベルは二人ともっと仲良くしたかった。
友達として、仲間として。
でも……その自由が彼女にはない。
マムニールから仕事を振られない限り城下町を訪れる機会なんてないし、ましてや一緒に遊ぶ約束なんてできるはずがない。
そう思うと、情けなくて。
苦しくて、悔しくて。
ただただ悲しくて。
「うぐっ……ごめんなさい。
ごめんなさい……」
気づけば瞳に涙があふれていた。
ひとしずく、またひとしずく。
ほほを伝って零れ落ちる。
今までずっと気にしないようにしていた。
奴隷であることを、自由が許されないことを、人間の血を引いていることを。
働くことで目を背けていた。
気にしないようにしていた。
蓋をして忘れようとしていた。
でも……この運命からは決して逃れられない。
はめられた首輪がベルの運命を物語っている。
運命を覆すことはできないのだ。
「大丈夫だと思うよ。
ちゃんとマムニールさんに相談してごらん。
きっと許してくれると思うよ」
イミテはやさしくベルの頭を撫でる。
彼女の手のぬくもりが心に突き刺さった。
堰を切ったかのように涙があふれ、嗚咽が漏れる。
「うぐぅ……うえええっ!」
「今までずっと苦しかったんですね。
大丈夫です。
私たちが一緒についていますから」
ムゥリエンナがベルの身体を抱きしめる。
途端に心が軽くなって胸の奥が温まるのを感じた。
余計に涙が止まらない。
「うぐぅ! えぐっ……うわあああああああ!」
ついに大声を上げて泣き出すベル。
今までたまりにたまっていたものが、一気にあふれだした。
ずっと……苦しかったのだろう。
自分で選べない、自分で決められない、自分で進めない。
何もかもが決められた奴隷の運命。
檻と枷によって囚われ、自由を奪われ、働くことでしか自らの存在を証明できない。
ムゥリエンナやイミテのように、自分で自分がしたいことを見つけて生きていく。
そんな人生が羨ましかった。
当たり前のように自由を与えられている彼女たちが。
彼女たちの日常が。
なによりもまぶしくて。
妬ましくて。
「よしよし、大変でしたね。
これからはもっと楽しいと思えることをしましょう。
私たちがついていますから、安心して下さいね」
「そうだよ~。
嫌なことあったら相談しに来てねー。
力になるからねー」
ムゥリエンナとイミテの優しい言葉が心を包み込む。
二人はベルの気持ちを理解して受け入れてくれた。
もし……もっと早く誰かがこの気持ちを受け止めてくれたのなら。
もっと違った生き方をしていただろう。
マムニールがこの気持ちを分かってくれたら、この気持ちを受け入れてくれたら、どんなに素晴らしいだろうか。
それは叶わぬ夢かもしれないけど。
どうしても望んでしまう。
マムニールが奴隷としてではなく、家族としてベルを受け入れてくれることを。




