284 ベルは今日も忙しい16
イミテは椅子も用意してくれた。
三人はカウンターの周りに集まって、紅茶とお菓子を楽しむ。
「これすっごく美味しいです!
たくさん食べちゃいますね~!」
遠慮なくクッキーを頬張るムゥリエンナ。
それをみてイミテは苦笑いしている。
「あはは、こんなので良かったらたくさん食べてね。
たくさん作りすぎちゃったからさぁ。
どうしようかなって困ってたんだ。
食べてくれてありがとね」
「もぎゅもぎゅ、ほんへもはひはへん!」
「口に入れながらしゃべらない方がいいよ」
クッキーを食べながら楽しそうにお喋りをしている。
そんな二人を眺めながら、ベルは紅茶を一口すすった。
お菓子を食べながらお茶をするなんて、そんな経験は今までに無かった。
いつも働いてばかりだったので、お喋りを楽しむなんて考えたことすらない。
そう言えば、他の奴隷たちはいつも隠れてお喋りをしていたっけ。
どうして仕事をさぼってまで関係ない話をしようとするのか、ベルには理解しがたかったのだが……今ならその気持ちが少しわかる。
お喋りをしている時間は、一人ではないと確認できるのだ。
だからとても心が穏やかになる。
ムゥリエンナと市場へ行った時もそうだった。
彼女がずっと話をしてくれたから、ベルは獣人の目線を怖がらずに済んだ。
あれもコミュニケーションの力なのかもしれない。
たまにはこうしてお茶をしながら、仕事とは関係ない話をするのもいいな。
ホッとした心持になりながらベルはクッキーをポリポリと齧る。
このクッキー。
以前、ユージからもらった物よりも、甘さが控えめだ。
作り手によって味のつけ方が異なるのだろう。
ユージのクッキーはとにかく甘い。
記憶の中にはあの強烈な甘さが鮮明に残っていて、今でも思い出してつばを飲み込むことがある。甘いものをほとんど食べたことがなかったので、あのクッキーを口にしたときの衝撃といったらなかった。
イミテのクッキーは甘さが少し弱い。
何度も噛んでいるうちに、口の中で少しずつ優しい甘さが広がって行く感じ。
あと、何か柑橘系の果物が入っているのか、とてもいい香りがする。
優しい甘さと淡い柑橘系の香り。
この二つが合わさって上品な味わいになっている。
ユージのクッキーと、イミテのクッキーは全くの別物と言ってよかった。
作り手によってこんなにも違いがでるものなのか。
「あの……イミテさん。
このクッキーって、どうやって作るんですか?
とってもおいしいです。
作り方を教わりたいです」
ベルが尋ねると、イミテは照れくさそうに笑う。
「ええっ? そんなに?
作るの難しくないよ~。
後で簡単にレシピ書いてあげるからね」
「ありがとうございます!」
こんなに美味しいクッキーを自分で作れて、おまけにレシピまで書けるなんて。
尊敬に値する。
でも、レシピを見るだけで、同じものが作れるだろうか?
ベルには自信が無かった。
「あの……私もここへ来て。
シャミのように作り方を……」
「ああ、その必要は無いと思うよ」
「……え?」
一瞬、どうして自分はダメなのかと、嫉妬心が膨れ上がった。
シャミのことは受け入れてくれたのに、どうして私は……と。
しかし、そんな下らない感情は、次のイミテの一言で吹き飛ぶことになる。
「だって、マムニールさんが教えてくれるでしょ?」
「え? マムニールさまが?」
「うん。
あの人、なら作り方知ってると思う。
獣人って甘い物とか苦手って聞くけど。
他の種族をおもてなしするときに必要だからって、
お菓子の作り方を勉強してたみたいなんだよね~」
「へぇ……」
マムニールがお菓子を作れるとは知らなかったベル。
身近にいたはずなのに、彼女のことを知っているようで、全然知らない。
少しだけ悔しさを感じる。
「全然知りませんでした……」
「かなり昔の話みたいだからねぇ。
そう言えばベルちゃんって、ずっとあの農場でくらしてるの?」
「ええ……そうですね。
物心ついたころにはすでに、あそこにいました」
「ふぅん……」
イミテはじっとベルの顔を見つめる。
なにか探りを入れられているような気がした。
「小さいころからずっと働いてるんだぁ。
すごいねぇ」
「そんなことはないですよ。
他の奴隷も同じように働いていますし。
私だけ特別というわけではありません」
「ねぇ、気になったんだけどさ。
奴隷って家族とかっているの?」
その疑問に、ベルははてと首をかしげる。
ベルにはベルの家族がいるはずだ。
他の奴隷たちにも『親』がいたはず。
けれども農場にいるのは若い奴隷ばかり。
マムニールは奴隷市場から若い少女を買ってくることがあるが、農場で奴隷たちが子供を作ったという話は聞かない。
しかし記憶をたどってみると――確かに大人の奴隷がいたはずだ。
ベルが幼かった頃は仕事を覚えるので精いっぱいで、他のことまで気が回らなかった。気づけば今の地位にいて、周りにいるのは若い奴隷ばかり。
大人たちがどうなったのかベルは知らない。
彼らはどこへ行ったのだろうか?
「ええ……いる人にはいると思いますけど。
マムニールさまの農場には若い奴隷しかいませんね」
「そっかぁ。そうだよねぇ」
何を納得したのか分からないが、イミテはうんうんと一人で頷いている。
彼女はそれ以上、質問してこなかった。
深入りしない方がいいと思ったのかもしれない。
ベルもこの話題についてはあまり触れたくなかった。
「私もクッキーの作り方教わりたいです!
ぜひぜひ、よろしくお願いします!」
「ムゥリエンナちゃんは、私とベルちゃんの、
どっちにお願いしてるのかな~」
「どっちもです!」
口の周りに食べかすを付けたまま、ムゥリエンナは楽しそうに言う。
彼女がいてくれるだけで空気の温度が変わる気がする。
きっと気のせいではない。




