237 袋の中で最後の時を待っていろ
「おおっ! ほんとに出られた!」
マティスが声を上げる。
そこは何もない荒れ地。
周囲に建物などは見当たらず、人の気配はない。
街の外へ出られたようだ。
出口のあたりは窪地になっており、漏れ出た下水が溜まっていた。
空に浮かんだ月と星々が闇夜を彩る。
冷たい夜風が心地よい。
先ほどまでの閉塞感が嘘のように、すがすがしい気分になった。
「おっさん、おかげで助かったぜ」
「へへへ、どうも」
おっさんはにこやかな表情で手を揉む。
彼を信じたのが正解だったのか、それとも単に運が良かっただけなのか。
何はともあれ、下水道からの脱出に成功。
あとは結界の範囲外まで逃れて、転移魔法を使うだけだ。
「よし、しばらく歩くぞ。
敵に見つからないように、慎重にな」
「うん……分かった。
けど、あのおじさんはどうするの?」
「連れてくに決まってるだろ」
「襲ってきたら?」
「そん時は返り討ちだ。俺に任せろ」
そう言って剣の柄に手を当てるマティス。
いつも以上に彼のことが頼もしく思える。
「分かった、あんたの言う通りにする。
けど、油断は禁物だからね」
「おう、任せろよ」
「ねぇ、見て見てみんなー!
でっかいうんちがあるよー!」
イルヴァの言葉に二人はずっこけそうになる。
「ウンコなんてどうでもいいだろうが!」
「でも湯気が立ってるよ! まだ新しいみたい!」
「……なんだと?」
マティスは慌てて確認に向かう。
確かに、その糞は真新しく、誰かが少し前までここにいて用を足したのだと分かる。
「敵が近くにいるな。
匂いからして肉食系か雑食。
大きさからしてオークか獣人だろう」
「もっともらしく推理してるけど、
その二種族を挙げたらだいたい正解でしょ」
「うるせぇなぁ……」
アリサが突っ込むとマティスは口をとがらせる。
「とにかくここから移動しよう。
近くにある、あの林なんてどうだ?」
ダクトが窪地から身を乗り出して、近くにある雑木林を発見する。
あそこならば身を隠せるし、結界の範囲外に出たか試すのに丁度いい。
「おお、そうだな。周囲に敵はいないか?」
「うむ……大丈夫のようだ」
「うし! あともう少しだ!
気張っていこうぜ!」
一行は窪地を出て雑木林へと向かう。
それなりに距離はあったものの、途中で敵に見つかることなく安全に移動できた。
雑木林までたどり着くと一同は安堵のため息をつき、その場に座り込んでしまう。
「ふぅ……これで一安心だな。
魔法が使えないか試してくれ。
ここまで離れれば大丈夫だろう」
マティスはゲンクリーフンの方を見やって言う。
街の上空では無数の魔法陣が展開されている。
あの下では魔法が使えなくなってしまうようだが、距離を置けば問題ないはず。
「灼熱の息吹よ、万物を飲み込む焔よ、
その業火をもってして、
邪悪なる魔の者を打ち払え。
ファイアー!」
試しに魔法を発動するイルヴァ。
彼女のかざした手の先に魔法陣が錬成され、炎が噴き出した。
「大丈夫みたい! 使えるよー!」
「よし! アリサ、転移魔法だ!」
「言われなくても分かってるわよ!」
さっそくアリサが詠唱を始める。
転移魔法が発動すれば、一気に人間の領域まで飛んでいける。
そうすれば、もう敵は追ってこれない。
勝利が確定するのである。
長い戦いが終わろうとしている。
一時はどうなることかと思ったが、これで一安心だ。
勝利を確信したマティスは適当な石に腰かけ、一息ついて空を仰ぎ見る。
木々の隙間から覗く星がきれいだ。
「おい、マティス! 話を聞いてくれ!」
頭陀袋に入れてある骸骨が叫ぶ。
「ああっ? なんだよ?」
「なぁ……取引をしないか?
俺を解放してくれ。
もちろん見返りは用意する!」
「見返りだぁ? んなもんいらねーよ。
お前を解放したら戦争が止められねぇ。
悪いが、一緒に来てもらうからな」
「そこを……なんとか!
お前が俺を解放してくれたら……。
そうだな……あれだ!
賃金だ! お賃金を払ってやろう!」
それを聞いて、マティスは失笑する。
「何を言い出すかと思えば……お賃金って。
お前、もっと他にねぇのかよ?」
「え、じゃぁ……世界の半分をお前に……」
「おめーにそんな権力ねーだろ。
いい加減に往生しろよ、骨野郎」
「待ってくれ! 頼む! 後生だから!
お願い助けて! マティスさまぁ!」
とうとう余裕がなくなった骸骨。
恥も外聞もかなぐり捨てて、必死に許しを乞うている。
あまりに無様なその言葉にマティスは笑いをこらえるのに必死だ。
「お前はもう終わりだ。
浄化魔法で滅して無に帰してやる。
それまでガタガタ震えて、
袋の中で最後の時を待っていろ」
「いやだああああああああああ!
お願い! 許して! おぎゃああああ!」
泣き叫ぶ骸骨。
もしコイツに肉体があれば、そうとう情けない顔をしていたことだろう。
アリサの詠唱はもうすぐ終わる。
これでこいつも……。
「おい! 貴様、何をしている⁉」
ダクトが声を荒げる。
彼はおっさんの目の前に立ちはだかり、行く手を塞いでいた。
「どこへ行くつもりだ?
まさか逃げるつもりじゃないだろうな?」
「逃げる? なに言ってるんですかぁ?
ちょっと用を足しに……」
「もう転移が始まる。
離れていたら一緒に移動できん。
それとも貴様、一緒に来たくないと?」
「そんなことは……」
おっさんは言葉に詰まる。
何か企んでいるような様子だが……。
「おい、おっさん。
さっき言ったよなぁ?
怪しい動きをしたら切り捨てるってよぉ」
「そんなこと言ってましたっけ?」
「ああ、言った、言った。
いや……言ってなかった気もするが……。
どっちだって構いやしねぇ。
とりあえず死んどけや」
「そんな! 殺生な!」
慌てるおっさんだが……。
あまり焦っているようには見えず、この状況を想定していたとしか思えない。
マティスは剣を彼の喉元へと突き立てる。
「あぅ……マティスさまぁ。
あっしを信じてくれたんじゃ……」
「ああ、さっきまでは信じてたぜ。
お前が一人でどっか行こうとするまではな」
「だからそれは用を足しに……」
「転移魔法が発動する寸前で、
便所へ行こうってのは変だろう。
お前は俺たちを裏切るつもりで、
ここまで誘導したんだ。
違うか?」
「違いますよ。
もしそのつもりだったら……」
「呪文は発動できねぇはず……。
そう言いたいんだろう?」
おっさんはコクリと頷く。
「だがなぁ、万が一ってことも考えられる。
何が起こるかわからねぇからなぁ……。
そこでだ。
俺は安全策を取ることにした」
「安全策ぅ?」
「お前をぶっ殺すんだよぉ!」
「……えっ⁉」
マティスはおっさんの喉元を一閃。
横一筋にすっぱりと切り裂いた。




