229 誰かが支えてやらねばなるまい
「お待ちください閣下!」
「くどい! 貴様の言葉など聞くに値せぬ!」
魔王はシロの喉元に親指を突き立てる。
ギラリと輝く鋭い爪が柔らかな肉に少しずつ食い込んでいく。
「お願いですから……どうかお気を静め下さい。
どうか……この通りです……何卒」
俺はひれ伏してこうべを垂れる。
ただただ懇願するしかないこの状況。できることはこれくらいだ。
「では、貴様にチャンスをやろう。
なぜ人間たちと和平する必要があるのか。
それを俺に説明して納得させてみせよ」
「……わかりました」
魔王は少しでも納得がいかなければ、ためらいなくシロを殺すだろう。
それだけはなんとしても……。
「閣下、アルタニルの背後にはゲーデルハントが控えています。
もし敵の旗色が悪くなれば間違いなく救援を求めるでしょう」
「それも倒せば問題なかろう」
「不可能です、閣下。絶対に不可能です」
「戦わずに、どうして分かる?」
単に国力が違いすぎる。
ゲーデルハントはゼノよりもはるかに人口が多く、保有している勇者の数も他国と比べて段違い。こちらがどんなに有利に戦いを進めたとしても、数で押し返されてしまう。
ゼノには強力な軍隊があるが、結局は数だ。
大群をなして押し寄せる敵軍を前にすれば、わが軍はたちまち包囲され全滅する。
「ゲーデルハントの軍隊は人間界において最強。
わが軍の力をもってしても、退けるのは難しい。
そこへアルタニルの民衆も加わるとなると、
もはや戦いを継続することは不可能です」
「なぜアルタニルの民衆が?
騎士や傭兵でもないのになぜ戦う?」
「それは……」
ここからが話の本題。
魔王が理解できるよう、できるだけ簡潔に話を進める。
「仮に、我々がアルタニルに住まう人間を、
片っ端から皆殺しにして進軍したとします。
すると人間の民は抵抗軍を組織して、
自らの身を守ろうとするはずです。
敗北すれば死が待っているわけですから、
持てる力の全てを尽くして戦うでしょう」
「それは我々も同じだと思うが?」
ちげぇよ、全然ちげぇよ。
その土地に住む民衆と、侵略した他国の兵士とでは、立たされた状況が全く異なる。
「いえ……我々には帰る場所があります。
ゼノへ撤退すれば、戦いはそれで終わり。
しかし、彼らには帰る場所がない。
逃げれば土地も財産も全てを失い、
飢えて死ぬしかありませんので……」
「ふぅむ……」
レオンハルトは眉間にしわを寄せ、両手を組んで悩まし気に首をひねる。
今回ばかりは本当に考えてそう。
「そこで、速やかに領土を確保したうえで、
安定した統治をおこない、
占領した土地の領民を安心させるのです」
「そうすれば民衆は抵抗しないと?」
「少なくとも、皆殺しにするよりはずっとましです。
アルタニルとの和平を提案したのは、
早急に戦争を終わらせ、ゲーデルハントの介入を防ぎ、
わが軍が得た利益を確かなものにするためです」
「……そうか」
少しずつ魔王の表情が和らいでいく。
あともう一押し。
そんな感じがする。
「閣下、戦争とは政治であります。
政治とは、民衆を管理し、育て、
国家を適切に運営することを目的とします。
占領地を守り、利益を確保するには、
人間たちを適切に管理しなければならないのです。
でなければ戦争をする意味がありません」
「ううむ……戦う意味がないと?」
その通り。
目的を見失った戦争はただの殺戮。
政治とはとても呼べない。
「我々が戦争をするのは、我々の利益を守るため。
であれば、人間を全滅させるのではなく、
アルタニルから奪った都市や村々から税を徴収し、
我が国の利益とするのが賢い方法なのです」
「なるほど……お前の言う通りかもしれない。
人間どもが畑を耕し、家畜を育て、
我々がその一部を受け取るというわけか」
「左様でございます」
アルタニルは中央集権を進めた独裁国家。
地方を支配しているのは領主ではなく、中央から派遣された何のゆかりも縁もない役人。頭を挿げ替えるだけなら住民たちの反発も少ないかと思う。
「しかし……人間をどう懐柔すると言うのだ?」
「それは……」
ここははっきりと話してしまおうか。
今まで誰にも言ってなかったのだが……。
「閣下、実は私は……。
今回の戦争をどう終わらせればいいのか、
そのことをずっと考えてきました。
そこで考え出したのが……。
ニコニコ魔王大人気大作戦……です!」
「…………は?」
作戦名を聞いて、魔王は目を丸くする。
「占領した街や村で、閣下が民衆に挨拶をして、
我々が危険な存在でないとアピールするのです。
そうすればきっと……」
「そんなことで、人間が俺を好きになるはずが……」
「いいえ! 彼らはきっとよき民となることでしょう!」
「何故、そう言いきれる?」
「言うまでもありません!
我が主君たるレオンハルト王は世界で最も優れた……」
「もういい」
その言葉を聞いて、背筋に冷たいものが走った。
俺の話を聞く必要が無いと、彼が判断したのだと思ったからだ。
しかし――
「悪かったな、シロよ」
魔王はシロをそっと床に降ろした。
「え? 閣下?」
「ユージよ、貴様の妄言は聞き飽きた。
だが、それなりに考えてはいるようだ。
……俺は貴様の考えに賛同しよう」
「では……!」
「ああ、俺の負けだ。
人間を殺すのではなく、
うまく利用する方向で作戦を立てよう。
細かい調整は全て貴様に一任する。
お前の言う平和な世界とやらを実現してみせよ」
魔王は言った。
朗らかな笑顔で。
「はぁ……」
俺は床にへたり込んで、ため息をつく。
と言っても肺はないので、あくまで気分だけを味わう。
「ユージ、大丈夫?」
「ああ、なんとかな……」
シロが俺の頭に手を置く。
彼女の冷たい掌が、なんとも心地よい。
魔王は俺を置いて退出した。
クロコドの様子でも見に行ったのだろう。
行進が始まるまでまだ時間がある。
本当なら俺も直ぐに飛んで行って部下たちの様子を見に行くべきだが、とてもそんな気分にはなれず、床に座り込んで動けなくなってしまった。
改めて思うが……レオンハルトの持つ力はそこが知れない。
致命的にバカであることを除けば、あまり弱点がないのも事実。
自分の無能をちゃんと理解しているので、その点もカバーしやすい。
割と7大魔王の最強格なのでは?
俺は最近、本気でそう思うようになった。
ハーデッドもそれなりに強いと思うのだが、王としての格はレオンハルトの方が上かな。彼女には魔王としての自覚が足りず、一人で国を出てきてしまった。
うちの魔王はそんなこと絶対にしない。
「ユージ、あのね」
「なんだ?」
「あの人を許してあげて」
「……え?」
シロが意外なことを言った。
「彼は自分に自信がなく、
未来が見えなくて不安でたまらない。
だからユージでさえも疑ってしまう」
「そうか……」
魔王は次の戦争で、絶対に勝てると思っていない。
だからこそ弱気になる時があるのだ。
彼はたった一人で魔王と言う肩書を背負い、民衆を守ろうと奮闘している。
誰かが支えてやらねばなるまい。
「大丈夫だ、シロ。
あの人は俺が支える。
必ず勝利へと導いてやる」
「一緒に頑張ろうね」
「え? ああ、そうだな……」
一緒にって、この子も戦うつもりなのか?
気持ちはありがたいが……。
「魔王の為に、一緒に戦う。
私も覚悟を決めた」
そう言うシロの瞳はまっすぐに俺を見据えていた。




