204 声のない世界
「キヒヒヒヒ! 危ういねぇ、危ういねぇ」
ウェヒカポは笑いが止まらない。
あと数分も持たないだろう。
決着が付いたら、あの化け物を魔法で眠らして、ゆっくりとハーデッドから血を抜けばいい。
真祖の血を手に入れたのならこっちのもの。
強力な力を持つヴァンパイアを量産して洗脳し、言う通りに動く不死人形にしてしまおう。そしたら手当たり次第に町や村を襲って、住人を全部アンデッドに変えてしまえ。
爆発的に膨れ上がったアンデッドの人口は、生者よりもはるかに多くなり、この世界を埋め尽くすだろう。
全てが死に包まれた静謐なる世界。
ああ、とっても素敵じゃないか。
想像しただけで身震いするね。
ウェヒカポはうるさいのが嫌いだ。
人間どものざわめきが嫌いだ。
都会の喧騒が嫌いだ。
女のおしゃべりが嫌い。
男どもの鬨の声なんて最悪だ。
世界は声で満ちている。
それもこれも人間が鳴き止まないせい。
だから声が消えてなくならない。
世界が死で満たされたら、どんなに素敵だろう。
誰も語らず、泣かず、笑わず、怒らず、しんとした静謐がどこまでも広がり、いつだって声のない世界に浸れる。
声があるから不幸になる。
そう……あの時もそうだった。
この世界へ転生する前。
あたしゃ、ただの女子高生。
きっかけは本当に些細なこと。
あたしの友達があたしの悪口を言っていた。
よくあることだって自分では分かってたけど、偶然それを耳にしてショックを受けてね。
それからあたしゃ、悪口を言われないために、ずーっと友達と一緒にいることにしたのさ。
トイレへ行く時も、何か買いに行く時も、帰り道も、勉強する時も、寝る前だって、ずっとね。
物理的には離れていても、電子端末があればどこでも繋がれた。コンスタントに連絡を取り合うことで、あたしの悪口を言わせないようにしたのさ。
けどまぁ……無駄だった。
頑張れば頑張るほど、あたしの悪口が増えていった。
ネットには名指しで大量の批判。
あたしの知らないところでグループが作られ、皆でいかに面白く悪口を言うかの大喜利大会。
それを教えてもらった時は目を疑ったよ。
しばらくして、あたしには、ある声が聞こえるようになった。
誰もいないところで、誰かがあたしの悪口を言っている。
初めは気のせいかと思った。
でも気のせいじゃなかったんだよね。
気のせいだって自分に言い聞かせてたけど、あまりにリアルなんで本物だと思うようになった。
日に日に声は大きくなっていく。
耳を塞ごうが、イヤホンで音楽を聞こうが、容赦なく声はあたしの脳内に入って来た。
もうだめだと思って首をくくったよ。
死ぬほど苦しかったね、あれは。
まぁ、実際に死んだんだけど。
しかし……神様ってのは残酷だね。
みずから命を絶ったこのあたしに、新しい人生をくれるって言うじゃないか。絶対に嫌だって断ったのに、遠慮するなってまた人間に転生させやがった!
有難迷惑もいいところだよ!
この世界へ転生したあたしは、しがない貴族の令嬢として生きることになった。
ここでもまぁ……声が聞こえたんだわ。
幼いころから声に悩まされ続け、周囲から気がふれたんじゃないかって言われた。
ようやく成人を迎えたはいいが精神はボロボロ。
唯一の救いは書庫にこもって一人になれたことさ。
あたしゃ、書庫で魔法の研究をつづけた。
誰も文句を言わなかったし、むしろそれで気が晴れるならと放っておかれた。
転生したのが貴族で、しかも魔法使いの家柄で良かったよ。平民の家だったらと思うとゾッとする。こんな生活できなかっただろうしね。
あたしゃ、結婚もせず、独り身のまま、何十年もの月日を書庫の中で過ごした。
両親が死んで館の所有権が長男に移り、その妻と子供たちが暮らすようになっても、私は出て行けとは言われなかった。
毎日、必ず食事が届けられる。
手紙に必要なものを書いて扉の前に出しておくと、翌日にはそっと置かれている。
こんな素晴らしい生活を続けても、兄も兄嫁も、甥も姪も、文句を言わなかった。
あたしは一人で過ごす権利を貰ったのさ。
環境が整っていたおかげで自殺はせずに済んだが、年老いてよぼよぼのおばあさんになっちまった。
誰もあたしに関心なんて示さないし、死んだところで誰も悲しまない。
家の連中はホッとするだろう。
悲しいけどこれが現実だわね。
けどまぁ……そんなあたしにも死ぬ前にやりたいことが一つだけあったのさ。
この世界にはイスレイと言う国が存在する。
死人ばかりが住んでいて、誰もかれもが孤独に暮らしていると言う。そんな素晴らしい場所があると知って、一度でいいから行ってみたいと思ったわけさ。
残り短い人生だろうし、思い切って家を出ることにしたんだよ。
夜中に馬車を出し、人気のない所へ行って、自らの肉体をリッチへ転身させた。
失敗したら下級アンデッドになってしまうし、一度転身したらもう二度と元へは戻れない。知っていたけど、やるしかなかった。
普通の人間は魔族の国へは行けないからね。
果たして禁術は上手くいき、あたしゃ晴れてリッチになれたのさ。
それから魔法を使って人目をかいくぐり、なんとか魔族の領域までたどり着く。
しかし、それからも長かった。
イスレイは辺境の地にあるからね。
歩いて行くのにかなりの時間がかかったのさ。
そんなこんなで、やっと見つけたイスレイは、あたしにとって最高の土地だった。
住人たちはみんな陰気なアンデッドで、ヴァンパイアも、他のリッチたちも、お喋りなんて滅多にしない。
泥の中の二枚貝のようにだんまりさ。
それどころか他人に興味を抱くこともまれで、挨拶や世間話はもちろん、冠婚葬祭すべてなし。
誰もが他人とのかかわりを必要とせず、ぽつんと一人で過ごしていた。
最高だった。
この上ないまでに最上だった。
極まるって、こういうことを言うんだろうね。
ここは世界で一番静かな土地さ。
あたしゃ、イスレイに骨を埋める覚悟をしたよ。
けれども、声はいまだに聞こえてくる。
わずらわしい悪口が、何処からともなく耳に届くのさ。いい加減にしてほしいと思ったけど、聞こえるものは仕方ない。
その声の出どころはどこかと辿ってみれば、人間界の方から聞こえてくるじゃないか。
あたしゃ、確信したよ。
誰かがあたしの悪口を言い続けているって。
こうなったら最後の手段。
この世界の存在全てをアンデッドに変えて、お喋りに興味をなくすよう仕向けるのさ。
そうすりゃ、世界は静謐なる秩序を取り戻し、ようやく声から解放されるってわけさ。
だからね……絶対に諦められないんだよ。
ハーデッドの血を手に入れて、全世界の生き物をヴァンパイアにする。
それが幸せになるための唯一の道。
終わりのない苦しみを終わらせるには、世界を対価に差し出すくらいがちょうど良い。
アンタもそう思うだろ……ハーデッド。




