201 湖の底
湖の水は予想よりもはるかに冷たく、元々低いヴァンパイアの体温をさらに奪っていく。
ずっと潜っていたら影響があるだろう。
ウェヒカポは何を思って水の中に隠れたのか。
何かしら作戦を立てているはずだが――その狙いが分からない。
水は視界を阻むほど濁っていない。
しかし、夕暮れ時ということもあり、水底の方は真っ暗で何も見えない。
基本的にヴァンパイアは暗闇を好むので、光がなくとも先を見通すことが出来る。注意深く探せばすぐに目標を見つけられるはずだ。
奥へと潜っていくと怪魚の一団と出くわした。
エイネリが取って来た奴よりもずっと大きい。
怪魚の見た目は醜悪だ。
暗闇の中で紫に光る鱗。
複数ある眼球。
口には無数の牙が内側に向かって生えている。
その見た目はまさしくアリジゴク。
捕らえた獲物をかみ砕きながら丸のみにするのだろう。
怪魚の一団はまっすぐにこちらへと向かってきた。
どうやら彼女を捕食するつもりらしい。
ハーデッドは直ぐに必殺技を発動。
高速で回転して勢いよく突進し、怪魚の腹をぶち抜く。
「……!」
声にならない悲鳴を上げる怪魚。
ハーデッドが腹を貫くと、身体をくねらせて大暴れ。
しばらくすると腹を上にして、ゆっくりと浮かび上がって行った。
それを見ていた他の怪魚は、ハーデッドを捕食するのを諦め逃走。
バラバラに散っていく。
ふん……たわいもない。
ハーデッドは逃げる怪魚を見送り、さらに奥を目指す。
湖の底に到達する。
辺りには水草が生い茂っており、白骨化した亡骸が無数に転がる。
怪魚によって捕食された犠牲者たちだろう。
辺りを見渡しながら、ゆっくりと散策を続ける。
すると……見慣れないものが目についた。
それは巨大な赤い円柱状の物体。
側面にはらせん状にとげが生えている。自然に発生した物体でないことは一目瞭然。明らかに人の手が加えられた人工物。
「ウケケケケ……ようやくお出ましだねぇ」
背後から声が聞こえる。
音ではなく、直接脳内に語りかける念話だ。
「……誰だ?」
ハーデッドが心の中で誰何すると、正体不明の存在は嬉しそうに答える。
「久しぶりですねぇ、ウェヒカポ・アラライですよ。
まさか、まんまと一人で現れるとはねぇ。
こんなに上手くはまってくれるなんて、
あたしゃ、驚いてますよ」
「貴様の望みが叶ってなによりだ。
ところで、ユージとやらは何処にいる?」
「ああ、彼ならここに……」
ウェヒカポが胸元をはだけさせると、緑色に光る瓶が現れた。
「今はぐっすりと眠ってますがね。
蓋を開ければすぐにでも動き出すはずさ」
「それを取り戻せば余の勝利というわけだ」
「できれば……の話ですがね」
不死王を前にしても、たじろぐ様子を見せないウェヒカポ。
負けるとは思っていないようだ。
「もう一つ聞く。
ここに黒い髪の少女が来なかったか?」
「ああ……彼女なら……」
ウェヒカポは円柱状の物体を指し示す。
ミィの姿はどこにも見当たらない。
「黒髪の少女ならあの中に……」
「貴様が閉じ込めたのか?」
「いえ、自分から入ったんでさぁ。
あたしの邪魔をしようとしたんでね。
ちょーっと説得たら、
素直に言うことを聞いてくれましたよ」
「説得?」
「魔法で気を紛らわせて慰めてやったら、
すっかり大人しくなりましてね」
どうやら何か催眠術のような力を使って、ミィを強制的に黙らせたようだ。
しかし……あの円柱状の物体はなんなのか?
牢獄のように生き物を閉じ込める道具?
それともただの置物?
中にミィがいるというのなら、すぐにでも助けなければ。
「さて……そろそろ始めるとしようか。
貴様は余を侮っているようだが……。
簡単にはやられぬぞ」
「もともと本気で戦うつもりでしたよ、ええ。
ですからこうして工夫に工夫を重ねて、
考えうる最大限の最善手を用意した上で、
お出迎えしたんですよ」
「面白い、貴様の最善手とやらを見せてもらおう」
「ええ……直ぐにでも」
ウェヒカポは右手を上げる。
すると……。
「むっ……これは?」
周囲に散らばっていた骨が浮き上がり、まるで小魚の群れのように水中を泳ぎ始める。
一か所に集まった骨は複雑に組み合わさり、巨大な怪物へと変貌を遂げる。
「どうです? ご覧ください。
あたしの作った死の大怪魚を。
この辺を漂っていた霊魂を骨に宿らせ、
一か所に集めただけなんですけどね。
けれども、コイツぁ、よっぽど強いですよ。
覚悟の準備をしておいてください」
「たわいない。一瞬で倒してやろう」
「その自信……いつまで続きますかねぇ」
ウェヒカポはニタニタと笑いながら姿を消す。
「こい、水の底に巣食う死霊ども。
余が跡形もなく消し去って、
悠久の呪縛から解放してやろう」
ハーデッドが宣言すると、骨の怪魚は大きく口を開いた。




