176 どちらが上か
「ぜんたーい進め!」
アナロワの号令に従い、大勢の獣人やオークたちが行進を始める。
数百人もの大舞台を前に、彼は物おじせずに堂々と指示を出し、誰もが文句を言わずに従っている。
ゴブリンは他の種族に比べ力が弱く、寿命も短い。
彼らの身分は魔族の領域のどの国でも低く、ぞんざいな扱いを受けている。
たいていの場合、街から遠く離れた森や、荒れ果てた土地の穴倉なんかに住処を構え、他の種族の邪魔をしないようにひっそりと暮らしている。
勿論、魔族を襲ったり、盗みを働いたりはしない。
そんなことをすれば直ぐに滅ぼされるからだ。
人間との間に戦争が起これば、真っ先に駆り出され、捨て駒として扱われる。文句を言おうものなら、問答無用で土地を奪われ追い出されてしまう。
腕力がものをいうゼノでは、ことさらひどい扱いを受けていた。彼らは貧弱で力が弱いので、まともな戦力として見られていなかったのだ。
そんなゴブリンのアナロワが、獣人やオークたちの上に立って彼らを動かしている。なんとも感慨深いものである。
兵士たちが行進すると土埃が舞い、足踏みの音が遠くまで響く。見ているだけで心が沸き立つ光景だ。
こいつらが一斉に鬨の声を上げ、わき目も降らずに突貫する光景は、さぞ圧巻だろう。
「おお、ユージよ。様子を見に来たのか」
クロコドが声をかけて来た。
「ええ、だいぶ形になってきましたね」
「ああ、見ての通りだ。
これなら魔王様も喜んでくれるだろう。
だが……ゴブリンたちのようにはいかんな。
もっと鍛錬を積まぬとあのようにはできぬ」
「そうでしょうねぇ。
彼らもあそこまで出来るようになるには、
かなりの時間を要しました。
けれども、何度も繰り返し練習すれば、
すぐに身に付くはずです」
「そうだと良いのだがな……」
クロコドは腕組みをして隊列を眺める。
5列に並んで行進する兵士たちは、ぎこちない動きで前進している。手も足もバラバラでちぐはぐなその動作に、なんとも言えないもどかしさを覚える。
しかし……これでも大分ましになった。今まで彼らは集団行動なんてしたためしがない。前の対戦でも行軍する時も塊になって歩くだけで、列に並んで歩いたりはしなかっただろう。
きちんと訓練を積めばちゃんとした軍隊になる。そうなれば戦う時に指示も出しやすくなるし、作戦も立てやすくなる。
魔王の思い付きで始まったこの試みだが、案外プラスに働いたのかもしれない。
「あの……クロコド様」
「なんだ?」
「もうアナロワがいなくても大丈夫でしょうか?」
「……え?」
クロコドは目を丸くする。
「実は……ちょっと問題が発生しまして……」
「昨日の爆発騒ぎのことか?」
「ええ……」
俺はハーデッドのことについて正直に話した。
「なんだと……?
貴様は彼女の所在を知って居ながら、
我々に報告しないでいたと言うのか?
それだけでなく、逃がしてしまったと?」
「はい……面目次第もございません」
俺は深々と頭を下げて謝罪をする。
「ふん……まぁ、良いだろう。
わしも部下に彼女の捜索を手伝わせる。
だが、アナロワは……」
「彼がいないと不安でしょうか?」
「ううむ……そうだ。
見ての通り、奴が指示を出して隊列を動かしている。
奴がいなくなったら訓練が出来なくなってしまう」
「クロコド様がその役割を担えばよろしいのでは?」
俺がそう言うとクロコドは……。
「ばっ、馬鹿を言うな! わしにあんな芸当が……」
「できないと?」
「ああ、無理だ」
「弱りましたね……
それでは本番の際はどうするのですか?
まさか、ゴブリンが獣人を従わせる光景を、
住人たちに披露するというのですか?」
「それは……」
「私はてっきりクロコド様が先頭に立ち、
軍を率いて行進するものと思っていました。
アナロワはあくまでサポートする立場。
実際に彼らの導くのは、アナタの役目では?」
「ううむ……」
口を閉じて俯くクロコド。
いまいち自信が持てないらしい。
「大丈夫です、クロコド様。
アナロワの真似をして同じようにやればいいのです。
きっと上手くいきます」
「しかしだな……」
「何を不安に思うことがあるのです。
あなたは閣下の右腕を担うこの国のかなめ。
アルタニルとの戦争を控えている今、
そんな弱気になってどうするのですか?」
「それは……」
ここまで行っても、まだ決断できないか。
ええい、まだるっこしい!
「この際ハッキリとさせておきたいことがあります」
「……なんだ?」
「あなたと、私、どちらが上かということです」
「なんだと?」
急に怖い顔つきになるクロコド。
それでいい。
「クロコド様が私よりも上の立場ならば、
どうかこの任をお引き受けになって下さい。
しかし、もし私よりも下であれば……。
当日は私が彼らを導きます。
いかがでしょうか?」
「あまり調子に乗るなよ、ユージ。
貴様はただのスケルトンだ。
アンデッド風情が獣人の上に立つなど……」
「ありえませんよね? 私もそう思います。
ゼノは獣人の国。
支配者である魔王も、その右腕も、
獣人であって然るべき。
であれば当然、軍を率いるのも獣人。
ですよね?」
「そうなるな……」
クロコドは肩を下ろし、深く息を吐く。
「分かった。
わしがあのゴブリンの代わりに号令をかける。
だが……今しばらく時間をくれ。
奴から手ほどきを受けねばならぬ」
「では、今日中にお願いします」
「時間が足りないように思うが……なんとかしよう」
ようやくクロコドは首を縦に振ってくれた。
断られなくて良かったよ。
「……ユージ」
シロが服の袖を引っ張る。
俺は彼女の口持ちに耳を寄せ、こっそりと話すように促す。
「……なんだ?」
「彼にはサポートが必要。
不安で緊張している」
「ううむ……」
クロコドは強がっているが、プレッシャーに押しつぶされそうになっているらしい。見かけによらずナイーブなんだな。
後でフォローしてやるとしよう。
でも緊張をほぐすにはどうすればいいんだ?
プレゼントでもすればいいのか?
よく分からない。
そもそもあいつは何が好物なんだろうなぁ?
血の滴る生肉の塊でもあげれば喜ぶのか?
そんな単純には行かないと思うが……。
緊張をほぐすんだから、プレゼントではなく別のアプローチが必要かもな。
たとえば……マムニールを紹介するとか?
本人は絶対に嫌がるだろうが……クロコドは大いに喜ぶかもしれん。
ダメもとで試してみるか?
まぁ……断られるとは思うが。
「何を一人でぶつぶつ言っている?」
クロコドが俺の顔を覗き込んで来た。
「おっと失礼。考え事をしていました」
「何か良からぬことを企んでいる様子だが、
あまり不用意に行動せぬことだ。
ハーデッドがいなくなったからと言って、
下手に手を打てば連中に勘繰られるぞ」
「そう言えば、クロコド様。
反体制派の連中とは連絡が付きましたか?」
「うむ……その件だが……」
クロコドは険しい顔で話し始めた。




