169 エイネリ 後編
ヴァンパイアとなった彼女は牢から出され、ナブコフの下で働くことになった。名前もエイネリと改められ、本当の名を奪われてしまう。
下級のヴァンパイアである彼女の処遇は、決して良いものではない。使用人として雑用を押し付けられ、馬車馬のように働き続けた。
ナブコフから嫌らしい命令もされ、時には夜の相手をすることもあったと言う。
アンデッドには基本的に性欲はないのだが、ヴァンパイアの中には完全に消失せず、ある程度残っている者もいるらしい。
ナブコフの要求は次第にエスカレート。
詳しい話は割愛するが、エイネリは淡々とその詳細を語った。
正直、聞きたくなかった。
エイネリはナブコフに仕え、長い年月をイスレイで過ごす。幾年を経て、彼女は運命の出会いを果たしたのだ。
ナブコフの屋敷に一人の奴隷の少女が連れて来られた。
また新たな犠牲者かと、エイネリは冷めた目で彼女を見る。
この少女も拷問され、ヴァンパイアにされるのだろう。自ら血を分けて欲しいと言うように仕向けられ、望まぬ不死の身体を手に入れるのだ。
そう思っていたのだが……奴隷はナブコフの拷問に決してくじけない。むしろ牢屋を脱走して、逆にナブコフに襲い掛かり、大けがを負わせてしまった。
奴隷から思わぬ反撃を受けたナブコフは彼女に酷い仕打ちをした。それでもくじけることなく、再び牢から脱走して襲い掛かる。
あまりの暴れっぷりに手が付けられなくなり、ナブコフは厳重に守りを固めた地下牢に放り込む。凶暴すぎて誰も彼女に近づこうとしない。
エイネリはその奴隷の世話を押し付けられ、仕方なく毎日食事を届けに行った。その都度、噛みつかれたり、殴られたりして、痛い思いをしたらしい。
光の届かない暗い地下牢の中。
その少女はたった一人で過ごしていた。
にもかかわらず、全く凶暴さは衰えず、むしろ日を追うごとに力強くなる。エイネリはいつか食われるのではと怖れつつ、不思議と気持ちが惹かれるのを感じた。
あっさりと屈して配下となった自分とは違い、彼女はこんな状況でも抵抗を続けている。その力強さに感銘を受けたエイネリは興味を持つようになる。
エイネリはその少女と対話することにした。
食事を持って行ったら軽く声をかける。
ただそれだけ。
返事がなくても毎回繰り返していると、簡単な雑談に応じるようになる。それから少しずつ距離を縮めて、食事を運ぶたびにお喋りするような仲になった。
彼女は闇市で奴隷としてアンデッドに買われ、ナブコフの屋敷へ連れて来られた。両親が誰なのか、何処にいるのかも分からず、人生のほとんどを檻の中で過ごす。
経歴はいたって普通のものだ。幼い少女が奴隷として売られ、市場を商品としてさ迷い続けるのは、ありふれた話でしかない。
そんな彼女が強靭な精神を備えたのはなぜか。
エイネリは疑問に思ったので聞いてみる。
すると少女は面白いことを言う。
彼女の中には別の魂が混ざっていて、話し相手になっているらしい。
にわかには信じられないが、驚異的な精神の強さに一応の説明がつく。
彼女は一人ではなかった。
だから暗い地下牢の中でも、正気を保っていられたのだ。
エイネリはその魂についていろいろと尋ねる。
彼女は事細かに教えてくれた。
その男性は異世界で音楽に携わる仕事をしており、大勢の前で演奏するほど有名な音楽家だった。
その生きざまは実にロックで多くの伝説を残したと言う。
エイネリはその話を信じることにした。
食事を運ぶたびに、ちょっとしたお喋りを楽しむ。次第に仲良くなって彼女は笑うようになった。
彼女を牢から連れ出して一緒にイスレイから逃げ出そう。そんなことを考えるようになった矢先に……ある人物から声がかかる。
先代の不死王が少女を自分の元へ連れてこいと命じたのだ。あまりに凶暴で連れていけないとナブコフが言うと、大勢のアンデッドを引き連れ直接迎えにくる。
エイネリは彼女を見送ることしかできなかった。
そして数日後。
その少女は不死王の持つ真祖の血を受け継ぎ、イスレイの魔王ハーデッドとなる。
「……と、言うわけですの」
話を終えたエイネリは、やり切った感じで肩を下す。
意外と……と言ったら失礼に当たるかな。
彼女は相当な苦労をしてここまで来たのだ。
「……大変だったな」
「そうでもありませんの。
わたくしの人生において、
最も大切な出会いを果たせましたので。
そう悪い人生でもありませんでしたの」
「ハーデッドと出会えて運命が変わった?」
「それはもう……」
エイネリは満足そうに頷く。
彼女にとってハーデッドは、ただの魔王ではない。
心の底から尊敬する相手なのだ。
「ハーデッドを愛するあまり、
ストーカーになってしまったのか」
「人聞きの悪いことを言わないで欲しいですの。
わたくしとハーデッドさまは相思相愛。
決して離れることのできない、
固く結ばれた関係ですの」
向こうはそう思ってるんですかね。
聞いたことないから良く分かんないけど。
「ハーデッドがどこにいるか気にならないか?」
「それはもう」
「その割には大人しくしているよな。
何か企んでるんじゃ?」
「さぁ……それはどうでしょうか?」
意味ありげに笑みを浮かべるエイネリ。
絶対何か企んでるな。
この人を放っておいたら大変なことになりそう。
つっても、何を企んでいるか分からないので、どうすることもできない。
「ユージさまのおかげで、すっきりしましたの。
今まで誰にも話したことがなかったので……。
感謝するですの」
エイネリはすっきりしたような顔で言った。
彼女も彼女なりに悩んでいたのだろう。
俺はそのことにずっと気づかないでいた。
「何か話したいことがあれば言ってくれ。
いつでも付き合うぞ」
「ユージさまには感謝しかありませんの。
行き場のないわたくしを受け入れて、
仕事まで与えてくれましたの。
本当にありがとうございますですの」
改めて礼を言われると気恥ずかしいな。
別に恩を売ったつもりは無いのだが……。
「そう言えば、あのナブコフとか言う奴。
あいつに仕返しはしなくていいのか?」
「そんなことする必要ないですの。
あえて仕返しをするとしたら……サナトですの」
「そんなに彼女のことが嫌いなのか?」
「ええ、わたくしの野望を阻止したあの女が、
憎くて、憎くてたまりませんの。
あとちょっとでハーデッドさまが……」
そう言って歯を食いしばるエイネリ。
よほど悔しかったんだなぁ……。
「頼むから、早まった真似はしてくれるなよ」
「ええ、勿論ですの」
笑顔でそう言うエイネリ。
マジで何かやらかしそうで怖いんですけど……。




