160 私の本当の気持ち
「はぁ……本当にすみませんでした」
ムゥリエンナは深々と頭を下げる。
父親の説得を終えた俺は、彼女を連れて魔王城へ向かっている。今はその道中だ。
「いや、謝ることはない。これも仕事だ」
「何から何までお世話になりっぱなしで。
本当に感謝ですよ、もう」
「ふっ、一応感謝はしているんだな」
「当然ですよ。私を何だと思ってるんですか?」
本好きなお馬鹿さん。
とは言わないでおく。
俺たちは歩きながら話を続ける。
「俺の大切な部下の一人だ。
これからも頑張ってくれよ」
「はい!」
はにかんで返事をするムゥリエンナ。
本当に嬉しそうにしている。
彼女にとって図書館での仕事は人生そのもの。
その仕事を取り上げられたりしたら、彼女の人生は終わってしまう。
「それはそうと……結婚はいいのか?」
「え? それは……まだいいかなって」
「しかし、いつかは結婚するつもりなんだろう?
ずっと独身のまま仕事を続けるつもりなのか?」
「それは……」
表情を曇らせるムゥリエンナ。
迷っているのか、何とも言えない顔つきだ。
やはり彼女も一生独身でいるつもりはないらしい。
「結婚したいのなら、すればいい。
ただし仕事は辞めるな」
「え? 良いんですか? でも……」
「子育てなら、誰かの力を借りればいい。
家事も君が一人でする必要はない。
案外、やれなくもないものだぞ。
家庭と仕事との両立は」
「本当にそう思いますか?」
俺の言葉に不信感を覚えたのか、ムゥリエンナの反応は芳しくない。
「ああ、必要な施設が整えば可能だ」
「ユージさまって、
たまに不思議なことを言いますよね。
まるで夢みたいな絵空事なのに、
アナタは次々に実現してしまう。
私も……あなたの言葉に期待して、
有り得もしない夢を見てしまいそうです」
「夢ではない。現実だ。俺が必ず……」
「実現して見せる……ですか?」
ムゥリエンナは寂しそうに言った。
「私に図書館の仕事を持ちかけて来た時も、
確かそんな風に言ってくれましたね。
本を集めて皆が自由に読める施設を作るなんて、
まるで夢のような話だと思いました。
けれど、ユージさまは……見事に実現した。
本当にすごい人ですよ、あなたは」
「なら、今回も信じてくれるだろう?」
ムゥリエンナはため息をつく。
「ユージさまがどんなにすごい力を持っていても、
私にはこの先の未来を思い描けません。
仕事をつづけながら子育てなんて、とても無理です。
どちらか片方を諦めなければならない。
それはよく分かっています」
「…………」
「私、実は今、とっても幸せなんです。
大好きな本に囲まれて、本を管理する仕事をする。
子供のころからずっとしていた妄想の世界が、
私にとって現実のものになったんです。
こんなに嬉しいことが他にありますか?
まるで天国に来たみたいですよ。
でも……」
「…………」
「それでも私は、お母さんになりたいって、
そう思ってしまうんです」
ムゥリエンナは淡々と語り続ける。
俺は彼女の話を黙って聞いた。
隣でシロもずっと黙って俺の手を握っている。
「なればいい。君が望むのなら」
「無理ですよ……ユージさま。
今のお仕事は楽しいけど、とっても大変なんです。
これ以上、他に何かするなんて考えられません。
十分なお給料を頂いてはいますが、
そのお給金を使う暇すらないんです」
え?
そんなに忙しいのか?
図書館の運営に関しては、ほとんど彼女に丸投げしていた。何も不満を言ってこないので、順調にいっているとばかり……。
「そうか……そんなに大変だとは知らなかった。
良かったらもう一人、司書を雇うが?」
「そうして頂けると助かります。
ですけど……」
「家庭の仕事と両立できるわけではない……か」
「……はい」
仕事と家庭の両立は、なかなか解決できない問題である。
魔法が存在している世界とはいえ、この星の文明はまだまだ発展途上レベル。高度な福祉を国民が享受するには、まだまだ時間がかかる。
保育園があれば子育ての助けになるだろう。
家事の代行サービスが流行れば負担も減る。
だがしかし、そんなものはこの世界に存在しない。
存在しなければ作ればいい。
以前の俺ならそう思っただろう。
しかし……だ。
幹部になってたくさんの仕事を抱える俺には、新しいことを始める余裕がない。今の仕事で手一杯になっているのだ。
その仕事も部下がいないとままならない。彼らが一人欠けるだけで、多くの仕事が立ち行かなくなってしまう。
保育所の開設。家事代行サービスの開業。どちらを始めるにしても、俺一人では間違いなく無理だ。
必要な人材を確保する必要がある。
めぐり合わせで良い人と出会えればいいのだが、そう都合よくはいかないだろう。
「司書については心当たりがある。
近いうちに紹介してやろう。
結婚については……あまり悩むな。
ふさわしいと思う相手が見つかったのなら、
悩まずにその人と結ばれる道を選べ。
仕事も続けられるように俺が何とかする」
「あなたの言葉……信じても良いですか?」
「ああ、俺を信じ……」
ムゥリエンナは俺に口づけをした。
「ふぇ⁉ 何を……」
「えへへ、ついにやっちゃいました!」
してやったりと言った感じで舌を出すムゥリエンナ。
ちょっとだけ可愛いと思ってしまった。
「いったい何をしている?
この意味が分かっているのか?」
「ええ、冗談なんかじゃありません。
私の本気の気持ちです」
「この俺を……君が? 信じられないな」
「信じられませんか?」
ああ……全く。
今までそんなそぶりはなかったからな。
「どうして俺のことなんか……」
「私にとってユージさまは、
なんでもできる魔法使いです。
あなたは私に欲しいもの全てを与えてくれた。
だから私も、あなたに私の全てを受け取ってほしい」
「俺と結ばれても、子供はできんぞ」
「ええ、それも悩みの種の一つですね。
ユージさまと結婚したい。
だけど赤ちゃんも欲しい。
両方を実現するのは難しいですけど、
ユージさまならなんとかしてくれそうですよね」
それは無理だなぁ。
俺には子供を作る能力がない。
どうあがいても不可能だ。
まぁ、それは彼女も分かっているだろう。
「悪いが……君の期待には応えられそうにない。
俺には他に好きな人がいるんだ」
「知ってます。そこにいるシロちゃんですよね?」
「……え?」
なんでシロになるかなぁ。
……別に良いけど。
「ユージは私と結婚する。
これは決定事項」
シロが言う。
「何を言い出すんだ、シロ」
「ユージは私とずっと一緒にいて、
私を甘やかしてくれる。
なんでも望みを叶えてくれて、
いつも私に構ってくれる。
だから結婚する」
どういうロジックなのか全く理解できない。
彼女の言うことをまともに聞いてはダメだ。
「シロが大きくなって、気持ちが変わらなかったらな」
「私の気持ちは変わらない。永久に。
身体も大きくならない。永遠に」
「ううん……そうなのか?」
やっぱり彼女はアンデッドなのだろうか?
成長しなさそうな感じではあるが……。
「本当に仲がいいんですね。
私とも同じくらい仲良くしてほしいですね」
ムゥリエンナが苦笑いして言う。
「君とも十分、仲良くしているつもりだが?」
「今のままじゃ不満です。
もっと、もぉっと仲良くしてください」
「もっと……どうすれば良い?」
「手を……」
ムゥリエンナは右手を差し出す。
「手をつないで歩いて下さい」
そう言う彼女の頬は赤く染まっている。
「ああ……それくらい構わないが」
「じゃぁ……」
俺はムゥリエンナの手を取る。
彼女の手はとても暖かく、若干汗ばんでいた。
「うれしいです……ありがとうございます」
そう言ってほほ笑む彼女が、なぜだかとてもかわいく思えた。




