初恋
三人で飲み直すことになり、しばらくして程よくアルコールが回ってきた頃──
「かぁー、これだからお前ってやつは」
「わかってない、としぞう君はなーんにもわかってない。
そんなんじゃ悪い女に騙されるわよ!!」
「いや、なんでお前らそんなに意気投合してんだよ」
正義と聡子に郁美の印象を聞かれた歳三が、「にこにこしてて話も聞いてくれていい子だったね」という感想を言ったとたん、二人から同時に怒られた。
「確かに郁美はいい子なんだけど、今日は始めから携帯をチラチラ気にしてたし、会話も合わせてるだけで気持ちが入ってなかったわよ。
……うう、ごめんなさい。私が連れてきたんですけど」
「そうだぞ、あの子は俺から見たらいい子でも悪い子でもない。
女ってのはだいたいあんなもんだ」
「そ、そうなのか?」
「それに比べて聡子ちゃんはいい女だぞ!!
俺に彼女がいなかったら口説いていたかもしれなくもないぐらいにいい女だ」
「それ結局口説かないやつ!!」
正義は悪びれるでもなくニヤリとした表情で右手を高く上げ、聡子もそれに反応する。
「今日初めて会ったんだよな、お前ら」
笑顔でハイタッチを交わす二人についていけない歳三であった。
*********
すっかり意気投合した様子の正義と聡子。
正義は酒に強く、かなりの量を飲んでいたが平気な顔をしている。
聡子も強い方だが顔は赤く、目はとろんとして重そうに見えた。
歳三はあまり強くはないため先ほどからソフトドリンクに切り替えている。
「あの、沖田さん。ちょっと飲みすぎなんじゃ」
「は? 沖田さんって誰ですか? 私はとっくに歳三君、正義君って呼んでるのに」
「えーっと、さ、聡子さん? 酔ってるんですか?」
「………………」
聡子はじっとりとした目で歳三を睨み返す。
どうやら呼び方が気に入らないらしい。
「まだだ、歳三。まだ他人行儀だ。
ここはちゃん付けを通り越して、呼び捨てにしないと聡子ちゃんに返事をしてもらえないぞ!!」
「ええっ、なんだよそれ……。え、えーっと……。さ、さと……こ?」
「ふ、ふふ……ふふふっ!!!
いいわね、それ。気に入ったわ。これからはそう呼ばないと返事しないことに決めた。
今日だけじゃないからね、明日から職場でもそう呼んでね」
「ええぇぇ……」
*********
翌日歳三が出社すると、廊下で聡子と出くわした。
「おはよう沖田さん、昨日はどうもありがとう」
「…………」
返事がない。
昨日あれだけ飲んだから、もしかしたら二日酔いなのかもしれない。
「あ、あの……沖田さん?」
「ん、んんっ!!」
心配したが頭が痛いとか二日酔いの症状がある訳ではないみたいだし、ちゃんと聞こえてもいるようだ。
もしや昨日の話は本気だったのか……。
「さ、聡子……?」
すると聡子は別人のように顔を輝かせるのだった。
「あら、おはよう歳三君!! 昨日は楽しかったわね。よく眠れた?」
「マジでこれで行くのかよ……」
結局その後も何度か名字で呼んでは無視をされ、呼び捨てにしないと会話が進まないということが続いた。
そのため歳三は諦めて下の名前で呼ぶことにしたのだった。
職場の同僚は当初何かあったのかと訝しんだが、同期の間で流行ってるんですと聡子が説明すると、それ以上深くは追及してこなかった。
*********
次の週末、歳三と正義はいつものファミレスにいた。
「こないだの合コンは楽しかったな」
「ああ、わずか数時間であんなに仲良くなるなんて、お前のコミュ力には恐れ入ったよ」
褒められた正義は満足そうに笑っている。
「聡子ちゃんとはあれからどうだ? もっと仲良くなったか?」
「おかげさまで宣言通り呼び捨てにしないと返事してくれないよ」
「はははっ!! やっぱ良いわあの子、面白いね。
歳三にはそれぐらいがちょうどいいんじゃないかな?」
「それくらいってどういう意味だよ?」
「そりゃあお前みたいに人付き合いが苦手で、他人行儀でつまらない男をちゃんと相手してくれてるって事だよ」
「悪かったな、つまらない男で」
歳三も自分が平凡な人間であることは重々承知しているが、改めて言われると面白くはないものだ。
「あの子はホントいい子だと思うよ?
可愛いしモテるだろうけど、芯が通っててちゃんとしてる。
男を見る目もあるし、お前のことを気に入ってるみたいだしな。
どうだ、付き合っちゃえよ」
「確かに聡子はモテるだろうし、芯が通っててちゃんとしてるってのも分かる。
でも前にも言ったけど、付き合うとかは現実味がないんだよなぁ。
ありえないけど、仮にあいつが俺に好意を持ってくれたとしても、恋愛関係ってのは想像できないなぁ」
「かぁー、ホントに寂しい男だね、お前は。
まあ恋愛は自由だ、いつかお前に好きな女ができたら俺は全力で応援するよ」
正義から見て、歳三は正直に自分の気持ちを話しているし、聡子にしても今はまだ歳三に恋心を抱いているとは思えなかったため、恋バナはここまでにしようと思った。
「それよりも漫画だ、こないだ言ってたの持ってきたぜ」
高校時代からの漫画の貸し借りは今でも続いていて、最近ではお互いの知らない面白い漫画を発掘することを競うようにしている部分があった。
「サンキュ、俺も持ってきたよ」
「おっ、これも面白そうだな。学園ラブコメか……。
お前が現実の恋愛に消極的なのは昔からだけど、
もしかしてこういう漫画のキャラには恋しちゃったりするわけ?」
「いや、さすがにそれはない。キャラ愛はあっても恋とは違うだろ」
正義の言葉に一瞬ドキっとした歳三であったが嘘は言っていなかった。
漫画は小学生の頃から両親に与えられてきた数少ない娯楽の一つで、日本や世界の偉人たちの伝記的な学習教材から始まり、教育的な示唆を含んだ児童向けの作品を中心に与えられてきた。
自分の知らない世界や登場人物の活躍に胸を躍らせ、波乱万丈の人生や困難に打ち勝つ姿などは幼い歳三を夢中にさせてきたが、どれも自分とは別の世界の出来事でしかなかった。
中学、高校となると、ある程度自分で作品を選んで読むようになり、そこにはラブコメなどの娯楽性の高い漫画も含まれていたが、どれだけ魅力的なキャラクターがいてもそれは作品の中の世界であって、歳三の生活とは無縁の存在であった。
(『漫画のキャラ』ではないんだよなぁ……)
実のところ、歳三はこの頃『恋』をしていた。
現実の女の子でも漫画のキャラでもなく、『小説』の中に登場するヒロインに。
歳三はこの時二十四歳になっていたが、今まで一度も恋をしたことがなかったため、誰かを好きになるということがよく分からず、周囲の人間に比べて自分はどこかおかしいという自覚はあった。
ましてや小説の中の登場人物に惹かれているなど、歳三自身も戸惑いが大きく、親友である正義にもこの時点では打ち明けることができなかった。
その小説は有名な作家が書いたものでも、商業的に売れた作品でもなく、当然ドラマや映画になったりもしていない、いわゆる無名の作品である。
立ち寄った本屋で偶然目についた小説で、悲劇のヒロインを描いたフィクション作品だ。
財閥の家系に育ち、家柄や時代に束縛され、婚約者も親に決められるなど不自由な生活を強いられるヒロインが、運命に抗い、やりたいことや自由な恋愛を求め奮闘する物語である。
しかし最終的には「時代」には勝てず、ハッピーエンドには至らないという話で、人気が出ないのも納得という小説だった。
一般的には特に話題にもならず、知る人も少ない作品ではあったが、歳三の心の「芯」に突き刺さるものがあった。
境遇としては、厳格な両親に厳しく育てられるなど似ている部分はある。
だが歳三自身はそれほど不自由を感じることもなく成長してきたと思っていたし、家柄や時代設定なども自身の環境とはまるで異なる話なのにも関わらず、である。
漫画だけではなく、小説などもたくさん読んできた歳三だったが、登場人物にここまで心を鷲掴みにされ、ドキドキしてしまうのは初めての経験であった。
歳三はヒロインに感情移入し、不自由に憤り、奮闘する姿を応援し、励まし、翻弄される運命に涙した。
作家の描き方が秀逸だったのか、あるいは読者である歳三個人の問題なのかは定かではないが、ともかく歳三にとってその小説は唯一無二の作品となった。
友人である正義にも読ませた(いわゆる布教用の二冊目だ)が、「結局のところ救いのない、ただの駄作」との評価であった。
ヒロインに心を奪われているという部分は伏せ、単に面白い小説だと言って貸したのだが、作品としては正義の評価が一般的な捉え方だったのかもしれない。
しかし歳三はこの作品に運命を感じ、繰り返し読んでは激しく感情を揺さぶられた。
いつしか「ヒロインを幸せにしたい、それも自分の手で」という思いに至っていく。
触れることのできない悲しみに、助けてやれないもどかしさに、幸せにしてやれない現実に、彼女を取り巻く全てを呪うほど強い感情に支配されていった。
そんな日々が何日も続き、ついには奇怪な行動に走ることになる。
自分でもおかしなことを考えているとは思いつつ、歳三は彼女の人形を作ることを思い立った。
この年代の若者は幼少時から超合金やプラモデル、女の子は人形遊びなども一般的に親しんでいた。
歳三は両親からそういった玩具はあまり与えられてこなかったが、ならばいっそ自分で創ってしまおうという思いに至った。
自分でもどうかしている、愚かな行動だとは自覚していたが、自身の内面から湧き出す衝動に抗うことはできなかった。
もともと手先は器用な方で、仕事でも薬剤の研究などをしている歳三は細かい作業は得意だったため、仏像などに使われる樟を購入し、彫刻を始めた。
当初は粘土などの素材も考えたのだが、耐久性や耐水性等を考慮し、木材を選んだ。
彫刻など小学校の授業以外ではやったことも無かったため、何度か練習で安い木材を試したのち、最高級の樟を入手し、慎重に、丹念に作業を進めていった。
平日は仕事が終わると飲み会や遊びの誘いも断り、早々に帰宅し作業に没頭する毎日。
木材を削り出すごとに彼女を救い出しているような錯覚を覚え、ますます作業にのめり込んでいった。
元々人付き合いの苦手な歳三であったため、職場の同僚は特に不審には思わなかったが、聡子だけは何か違和感を感じていた。
そして、この頃には歳三自身も「恋」をしている自覚があった。
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一ヶ月ほどかけて彫刻が完成すると、今度は着色作業に取り掛かる。
プラモデルの着色を研究し、エアブラシを購入した。
インターネットなどが普及していない時代であったため、雑誌等で調べ、プラモデルをいくつも作成して着色の練習をしたのち、木像の着色を完成させた。
今でいう精巧なフィギュアのような出来上がりであった。
この間、正義とも直接会うことはなく、何度か電話でのやり取りはあったものの、プラモ作りにハマっているなどと説明し(嘘は言っていない)、正義もそれ以上は追及してこなかった。
心血を注ぎこみ完成した人形はもはや歳三にとって恋人同然であり、片時も離れることなど考えられない程愛しい存在となっていた。
人形が完成し数日は仕事に向かったが、自宅に置いてきた人形が寂しい思いをしていないかとか、強盗に入られて誘拐でもされたらどうしようという妄想が膨らみ、仕事がまったく手につかなかった。
ついにはインフルエンザにかかったと人生で初めて仮病まで使い、一週間も仕事を休んでしまった。
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歳三がインフルエンザで休んでいるという情報は当然同期の聡子の耳にも届いていた。
聡子は歳三が一人暮らしをしていることも知っていたため心配していたが、男性の部屋にいきなり訪ねていくのも憚られたため、合コンで連絡先を交換していた正義に相談することにした。
正義は歳三が病気で会社を休んでいる事を知らなかったようだ。
「バカは風邪ひかないはずなんだけどなぁ」
「どうもインフルエンザみたいなの。ちゃんと病院行ったのかな」
「あいつもウイルスには勝てなかったみたいだな。
聡子ちゃん今日時間ある? 一緒にお見舞いに行こうか」
正義と聡子は歳三の家の最寄り駅で待ち合わせし、スーパーで夕食の材料やスポーツドリンクなどを買って歳三の住む二階建ての木造アパートへ向かった。
数ある作品の中から読んでいただきありがとうございます。
読んでいただけるだけでも大変ありがたいのですが、
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引き続きよろしくお願いいたします。